第8話 持衰


どれほど時間が経っても、あの戦の記憶が頭にこびりついて離れない。


槍を握った手の震え、敵の腹を突き刺した感触、兵たちの叫び、吐き気。


夢に見て、何度も夜中に目を覚ます。




……それでもマシにはなった。


ナビが、ずっと側でバカみたいに話しかけてくれるからだ。




「ほら、ちゃんと食べる」とか、「寝れないの? 子守唄でも歌ったげよか?」とか。




時々頭にきてケンカになるけど、それで気が紛れるのも事実だった。


こいつは初めて会った時からずっとふざけた喋り方だけど、それがコイツなりの思いやりなんだと最近になって気付いた。






10日間に渡って、停喪かりもがりと呼ばれる死者の弔いを行った。主に近親者が行うのだが、今回は20人近くの死者が出た。ほぼ村ぐるみで喪に服すこととなった。具体的には死者を地中に埋葬して、そこに土を盛る。その後水を浴びて身を清めた後、歌や踊りで死者を送り出す。さらに停喪の間は肉を食べずに過ごす。地域差もあると思うが、これがこの時代の死者の弔い方だった。


いつの時代や場所でも、大切な人の死を乗り越えるために、こういったものが必要になるのだろう。


ナビと停喪のお陰で、俺自身もかなり気持ちの整理がついた。




……奪った命も、奪われた命も、忘れることはないだろうけど。






停喪が明けた夜、首長に呼び出され、村の主だった者たちが集会小屋に集められた。


いつもならすし詰めのように混雑していたが、今は幾分ゆとりがある。


小屋の中に空いた隙間の広さが、亡くなった者の数を示しているようで、俺はまた気持ちが沈む。




「まーた変なこと考えてるでしょ?」


ナビが俺に話しかけてくる。


あの戦いの後から、俺の表情が少しでも曇ると、すぐちょっかいをかけてくるようになった。


意外と過保護なのかもしれない。




「お前、身体が半分隣の人に埋まってるぞ」


「うげ!」




慌てて俺の方に身体を寄せてくる。


その様子を見て、俺はくすりと笑った。




そして、首長が集会小屋に入ってきた。




僅かな話し声もピタリと止み、皆が首長に目を向ける。


こうして公の場で姿を現すのは、あの戦いの翌日、戦後処理で集まった時以来だ。


この九日間、首長は一度だけ伊都国いとこくの集落を訪ねただけで、停喪の間はずっと邸に籠もりっきりだったようだ。だから直接目にするのは久しぶりだ。




精悍な顔つきは相変わらずだが、どこかやつれたように見える。




「まだ傷の癒えぬ者も多いだろうが、今日集まってくれたことに礼を言う。早急に皆に伝えねばならぬことがあり、この場を設けさせてもらった」




首長はそこで言葉を切る。


集まった者たちは静かに次の言葉を待っていた。


そして再び開いた口から流れた言葉に、俺たちは衝撃を受ける。




それは首長が長年に渡り考え、準備を進めてきた計略。吉備国を利用した上で伊都国を裏切り、機に乗じて海に出て、この地から脱出するというもの。


そして目指す地は……。




「――漢の国だ」




首長の言い放った言葉に、周囲の空気が凍りつくのを感じた。


漢の国って、つまり中国だよな?


あまりにも突拍子もない話に、当然反対する者も多かった。




だが首長は、村人たちの反論に対し、落ち着いて一つ一つ答えていく。


その表情には緊張がにじみつつも、それ以上に強靭な覚悟が宿っていた。まるで気迫のようなものがあった。




意見した者もやがてその迫力に圧倒されて押し黙る。


それだけでなく、首長の言葉はどれもが筋が通っているように思えた。


何より今の境遇に対する憤りは、皆も同じように抱えているのだ。


結局、最終的には全員が首長に賛意を示した。




正直俺は決断の正否そのものに対する関心よりも、彼がこんな冷酷な判断を下したことに対する驚きの方が勝った。


俺の知る首長は外見に似合わず慈悲深く、周りの集落が争うときでも真っ先に武器を手放すことを決めるような人だった。




良くも悪くも平和主義者。


それが俺の――いや、皆の――彼に対するイメージだった。


だからこそ、俺は彼を慕い、思いやりを忘れない姿に感謝していた。




その首長が、不当な扱いを受けているとはいえ同盟国である伊都国を欺き、多くの血を流そうとしている。


彼らにも家族がいる。殺せばまた悲劇が生まれる。あの日以上の地獄を、自分たちの手で作り出すのだ。




心優しい首長が、そんな計画を何年も前から練っていた――その事実こそが、俺には何よりも衝撃だった。




「……長い航海には、古き掟が要る。死を背負い、禍を祓う者――持衰じさいを立てねばならぬ」




全員が計画に賛同した直後、首長が放ったその言葉に、再び緊張が走った。




持衰?俺もこの時代に来てからそれなりに経つ。どこかで耳にした覚えが有るような無いような……気がしないでもないが……。


いかんせん基本ぼっちだからな。まだこの時代の“常識”が俺にとって当たり前じゃないことも多い。




「恒使一人不梳頭、不去蟣蝨衣服垢汚、不食肉、不近婦人、如喪人。名之為持衰。若行者吉善、共顧其生口財物。若有疾病、遭暴害、便欲殺之、謂其持衰不勤――」




「な、なに!? どうした急に!?」




突然ナビが耳元で、よく分からん呪文のようなものを唱えだした。


俺は慌てて、周りに聞こえない声で問いかける。




「西晋の陳寿さんが記した『三国志』魏書三十巻、烏丸うがん鮮卑せんぴ東夷伝とういでん倭人条わじんのくだり――」


「あっ、魏志倭人伝!」




ギロリと近くの者に睨まれる。


「あ、すんませーん……」


愛想笑いを浮かべて頭を下げた。




再び細心の注意を払ってナビに問いかける。


「で? その魏志倭人伝に何て書いてあるんだよ? 中国語は分からん」


「陳寿さんの記述と、この時代に来て分かったことを要約するとね――」


ナビは人差し指を立てて、得意げに解説を始めた。




「持衰ってのは、航海のときに一人だけ選ばれて、いろんな“我慢”を背負う役目のことだよ。


お風呂入れない。お肉も食べられないし、食事は最低限。人とも話しちゃダメ。ひたすら何もせずに過ごすの」




「……それやって何か意味あんのか?」


「ま〜、キミたちで言う験担ぎの、もっとガチなやつかな」




魏志倭人伝の和訳は一度読んだはずだけど、持衰のことなんて全然覚えてなかったな……。




「さらにね、航海で病気とか事故が起きると――“持衰がちゃんとやらなかったせいだ!”って責任を押しつけられて殺される。逆に成功すれば、みんなから讃えられてご褒美をもらえたりもするけど……」




「まぁ、やりたくはないよな」


ナビの言葉尻を受け取って、俺が続ける。




「つまり“命と不幸を引き受ける存在”として古い航海儀礼に組み込まれていたわけだ。言ってみればスケープゴート。その代わり、皆を禍いから遠ざけることができると信じられていたんだ」




なるほど。ナビの説明で、この緊張感の正体が分かった。


ほぼ飲まず食わずってだけでもきついのに、犠牲者が出れば自分も死ななきゃならないってのが一番のネックだ。


たとえ自分が無事に辿り着いても、殺されてしまっては意味がない。




今のところ立候補者は村の爺ちゃんだけ。もちろん速攻で止められていたけど。


このまま誰も決まらなかったらどうなるんだろう?




爺ちゃんの怒鳴り声がおさまると、再び小屋の中は重い沈黙に包まれた。




……誰かが死ねば、持衰も死ぬ。


あれ? 待てよ。つまり、それって――。




小屋の中では沈黙が続く。


伏し目がちに視線を泳がせ、互いの様子を伺い合う村の住人たち。




そんな嫌な雰囲気を破るように、声が響いた。




「……俺がやる」




その言葉と同時に、少し遠慮がちに手が上がった。


すぐには誰が言ったのか分からなかったようだが、やがて全員の視線が同じ場所に集まる。




そう、この俺にだ。


首長をはじめ、勇気ある決断を下したこの俺に、人々は敬意と感謝の眼差しを送っている――はず。




神妙な顔をキープしたまま、皆の様子を確認する。




……あれ? なんか違う。


思ってたのと違うぞ。




俺を取り囲む視線から感じ取れたもの、それは……


戸惑い? 失望?




――え? よりによってお前が?




そんな空気が漂っている。


え?何?みんななんか引いてる!?


俺ってそんなに信用ない!?




ナビに至っては、目ん玉ひん剥いて石像みたいに固まってる。


……お前のリアクションが一番失礼だな。




「本当にいいんだな? 持衰を引き受けるということは、仲間の命をすべて背負い込むということだ。その責任の重さを……お前は本当に分かっているんだな?」




首長の言葉が、射抜くような真剣な眼差しと共に飛んでくる。


正直、そんな責任も覚悟も持ち合わせちゃいないけど……。


けど、俺がやるのが一番いい。――それは事実なんだ。




必死に目をそらさないようにして、俺はコクリと頷いた。




首長は深く溜息をつき、


「……分かった。感謝する」


と一言だけ呟いた。




その瞬間、集会小屋の空気が淀みを払ったように軽くなるのを感じた。


その後は決行の際の配置や役割、それぞれの動きについて細かく指示が出され、解散となった。




次に全員が集まる時――それは、この地を去る時だ。




小屋を出ると、村人たちはそれぞれの住処へ散り散りに帰っていった。


俺も今の時代の“家族”の下へ向かう。




産みの母は十歳になる前に亡くなり、(父親に至っては誰なのか分からない)俺はこの時代の母の親族と暮らしている。




正直、22歳にもなって妻を持たず、異性のもとに通うこともしない俺は、村ではかなり異様に見られているらしい。


成長するにつれて、ますます村人から距離を置かれるようになった。




幸い、一緒に暮らす叔父や叔母、その子どもたちは、俺を家族として受け入れてくれている。


けれど、やはり息が詰まる。一人暮らしがしたい……だが、そんな概念はこの時代には存在しない。




「ねぇ、どういうつもり?」


「?、何が?」




近くに人がいなくなったことを確認して、ナビが話しかけてくる。




「私、最初に言ったよね?過干渉NGって!それをよりにもよって自ら持衰になるなんて」


「何だ、それのことか」


「何だって何よ!?」


「ふっふっふっ、ナビ……、考えてもみろ、俺は観測者だぞ?」


「そうね。それが何?」


全くコイツは。ここまで言っても分からないとは。


ナビゲーター失格だな。


「仕方ない、もっと分かりやすく説明してやろう。」


ナビが露骨に不愉快そうな顔をする。普段は俺がコイツにレクチャーされる側だからな。逆の立場になって悔しいのだろう。




「いいか?まずこの世界には歴史の強制力ってやつがある。人が何をしても、過程はどうあれ結果は必ず同じになる。これはお前が最初に言ってたことだよな?」


「そうね、その通り」


「そして、この前の戦いだ。俺には観測者補正がある。つまり、観測者としての役割を終えるまで俺は死なない!」




気分が盛り上がり、どんどん芝居じみた口調になる。




「今回、首長が決めたんだ。俺達が漢に行くことを。俺はこの件に一切干渉していない。つまり歴史に定められた出来事!俺がそこに辿り着くのは決定事項!


ただ、問題が一つ。同行するだけなら、俺も含め何人かは生きて辿り着くだろうが、犠牲者が出る可能性はゼロじゃない。


だが!俺が持衰になればどうなる!? 持衰は犠牲者が出たときに死ぬ。俺は死なない。つまり犠牲者が出ない!


結果は変わらないが、過程での犠牲は俺の手で消せる!――神さえも手玉に取る天才的な作戦だ!」




言い切ってやった。気持ちいい。


ナビは目を丸くして、ぽかんと口を開けたまま黙っている。


……感服したな?




そして、




「は? 何言ってんだコイツ」


「何って何だよ!?てか、“コイツ”て」


先程のナビのセリフを今度は俺が口にする。




ナビは額に手を当て、混乱した様子で自問する。




「ん?何々、どういうことだ? ごめん、もう一回」


「だから! 俺は観測者だから死なないだろ!? 持衰は犠牲者が出たら死ぬ。だから俺がやれば――」


「いやいや違う! そうじゃなくて!」


ナビが俺の言葉を遮った。




「誰が死なないって?」


「俺が」


「何で?」


「観測者だから」


「……何で観測者だと死なないの?」


「お前が言ったんだろ! 補正をプレゼントしたって!」


「確かに言った。でも“死なない”なんて一言も言ってない」




わざとらしく、でかでかとナビが溜息をつく。


そして、いきなり彼女の声が一際大きくなる。




「キミが授かったのは、集中すれば周りの動きがちょっとゆっくりに見えるとか、ほんの少し素早く動けるとか――その程度! 不死身なんかじゃない!


確かに、観測者として役割を果たすために普通に生きてれば、天寿を全うできる身体と立場は与えられてるよ。前回の戦みたいな強制イベントを乗り切る最低限の力もね。


でも! 歴史の強制力は、自殺しに行くバカの面倒までは見てくれないんだよ!」




長い、綺麗な薄緑の髪を振り乱しながら、ナビは叫ぶ。


「あ、あと神様がどうのこうの言ってたけど! わたしたちの世界においては、神様なんていないんだからね!?」




いつもはからかったりするのに、今回はそれがない。


初めて見るけど……たぶん、本気で怒ってる。




ていうか、じゃあ俺――死ぬかもしれないってことか?


たぶん海に落ちるとかじゃないだろうけど、いや待て、持衰になったことでその辺の因果関係も崩れてるかも……。




「ま、まぁ。でも? 最悪死んでもまた転生できるんだろ?」




海で溺れたり、首を斬られたりするのは怖い。


でもまた生き返れるなら、まだ恐怖は和らぐ……気がする。




「それについてもだけどさ?」




おい。何だよ? もうこれ以上は聞きたくないぞ……。




「観測者が“見届ける”ことで、その時代の存在は強固になるの。大事なのは、この“見届ける”って部分。


もし海に落ちたり、中国に着いた瞬間に死んだりするような中途半端な観測じゃ、役目を果たしたことにはならない」




ナビは一度息を吸い込み、さらに言葉を畳みかけた。




「最悪、歴史の修復は行われず、この世界もろともキミの存在はなかったことになる。歴史の崩壊には多少猶予があるから、やり直すチャンスはあるかもしれない。ただ、その場合でも――観測者として失格になったキミは、元の時代に帰ることなく、そのまま消滅するでしょうね」




「な、なんだと!? お前、なんでいつもそういう大事なことを直前でしか伝えないんだよ!? ナビゲーターが聞いて呆れるわ!!」


「うるさい、うるさい、うるさーい! 過干渉禁止って何度も言ったでしょ!? 私のせいにしないで!」




……ダメだ。こいつとこんな言い争いしてても何も解決しない。というか、もう気力が持たない。




「俺は一体、どうすれば……」


「知らないよ。今から首長に“ごめんなさい”して、持衰を辞めさせてもらったら!?」




集会小屋で見た首長の決意に満ちた顔、皆の怒りと覚悟。


今さら辞めますなんて言ったら、舟に乗る前に殺されかねない。




……やるしかないのか。




「はは……」




俺は乾いた笑いを漏らした。

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