白い粉、白い壁、白い脳髄

火之元 ノヒト

第1話 ダイオードの点滅信号

1. ホワイト・アウト


 白。白。白。

 網膜が焼ける。漂白剤を脳味噌に直接ぶっかけられたような朝だ。

 コラード・シティには影がない。理性省の照明管理システムが、影という影を殺菌しているからだ。不潔だもんね、影は。暗がりでカビが生えるから。カビ、淫靡、準備、甘美。


 僕は路地裏の死角に立つ。都市構造のバグ。ここだけがグレーゾーン。

 呼吸をする。スー、ハー。肺の中に入ってくるのは酸素じゃない。規則だ。

 この街の空気清浄機は、フェロモンを濾過し、市民としての義務感を噴霧している。


 ズボンの前が窮屈だ。

 僕の股間にあるもの、あれは受信機だ。

 アルファのような、汚らしい肉の棒──棍棒、凶器、野蛮!──ではない。

 僕のは、ちいさな、硬い、梅干しの種。あるいはパチンコ玉。いや、豆電球だ。

 チカ、チカ、チカ。

 血管が脈打つリズムに合わせて、モールス信号を発信している。


『ワ・タ・シ・ハ・リ・セ・イ・テ・キ・デ・ア・ル』


 嘘だ、本当はこう言っている。


『オ・カ・シ・タ・イ・バ・グ・ラ・セ・タ・イ』


2. 氷の女王(解凍前)


 カツ、カツ、カツ。

 ヒールの音がする。理性的なリズム。メトロノームみたいだ。

 来た。顧客だ。


 名前はレニ。オメガ貴族の令嬢。

 見た目は完璧な「白き貴族」。純白のスーツ、首まで詰まったブラウス。髪の毛一本一本が、定規で引いたように真っ直ぐだ。

 匂う。匂うぞ。僕の鼻は誤魔化せない。

 消毒液の下から、腐った桃の匂いがする。

 熟しすぎて、皮が破けて、汁が垂れて、太陽の下で発酵した匂い。

 彼女の子宮は泣いている。いいや、怒っているんだ。

 「種をくれ! 獣をくれ!」って。


 彼女が僕の目の前で止まる。

 瞳孔が開いている。黒目が大きい。いや、黒目しかない。深淵だ。覗き込んだら、理性の底が抜けているのが見えた。


「……ある?」


 言葉が短い。主語がない。述語がない。思考が断裂している。


「ありますよ、レニ様」


 僕は慇懃無礼に、アルファベータ特有の薄っぺらい笑みを浮かべる。


「いつもの、ですね」


3. 真空パックの儀式


 彼女の手が震えている。

 アルコール中毒? 違う。フェロモン中毒だ。自分の出す毒素で自分がラリっている。

 彼女は今、ヒートの直前だ。ダムが決壊する五秒前。

 普通のオメガなら、ここでアルファを求めて泣き叫ぶ。

 でも、今の若者は違う。

 彼らは、ダムを凍らせることを望む。


「早く……音が、うるさいの……」


 彼女が耳を押さえる。

 音の連合。壁のシミが喋りかけてくるらしい。配管のせせらぎが、先祖の霊の声に聞こえるらしい。

 ヒートの熱で脳が溶けて、形而境界壁が薄くなっているんだ。


 僕はポケットから、小さなアルミケースを取り出す。

 中には、真っ白なカプセル。

 強力なヒート抑制剤を、さらに濃縮し、不純物を混ぜた特製カクテル。

 これを飲むとどうなるか?

 体温が下がる。血流が止まる。子宮が「絶対零度」になる。

 熱い欲望が、一瞬で凍りつく。その急激な温度差が、脳内に真空を生む。

 耳鳴りと共に、すべての感情が消え失せ、無機物になったような全能感に包まれる。

 それを彼らは「完全理性状態」と呼ぶ。


「はい、どうぞ」


 僕はカプセルを差し出す。彼女が手を伸ばす。


「駄目ですよ」


 僕は手を引っ込める。


「手で触れたら、溶けてしまいます。貴女の指先は、淫らな熱を持っていますから」


 意地悪く笑う。

 彼女が縋るような目で僕を見る。

 その目だ。ゴミを見るような、でもそのゴミがないと生きていけない依存の目。

 股間の豆電球が、パチンと弾けるように硬くなる。


「粘膜で。直接、摂取してください」


 僕は命令する。

 ここは路地裏。理性の死角。僕が法律だ。


4. 豆電球の予熱


 彼女は躊躇わない。

 スカートを捲り上げる。

 白い太もも。内側が紅潮している。

 下着をずらす。

 プン、と匂いが爆発する。

 海だ。生温かい、腐敗した海の匂い。スリックが太ももを伝って垂れている。

 汚い。最高に汚くて、美しい。


「入れて……早く、凍らせて……」


 彼女は壁に手をつき、お尻を突き出す。

 獣のポーズ。でも、求めているのは獣のペニスじゃない。化学物質だ。


 僕はカプセルを指に摘む。

 そして、彼女の濡れそぼった秘所へ。

 熱い。指先が火傷しそうだ。

 ヌリュ。

 粘液の音がする。

 カプセルを奥へ、奥へと押し込む。ドアのノブに触れるくらい深く。


「あ、あ、ああ……!」


 彼女がのけぞる。

 薬が溶け出したのだ。

 直腸と膣の粘膜から、急速に冷却剤が吸収される。

 灼熱のジャングルに、液体窒素をばら撒くようなものだ。

 ジュッ。

 幻聴が聞こえる。彼女の「女」が死ぬ音だ。


 彼女の膝がガクガクと震え、白目を剥く。

 口からよだれが垂れる。


「キ、た……キタ、北、忌憚、近端漏話……」


 言語野がショートしている。

 彼女の身体から力が抜け、ズルズルと崩れ落ちる。僕がそれを支える。

 冷たい。さっきまで熱湯のようだった肌が、大理石のように冷え切っている。


 成功だ。

 彼女は今、人間じゃない。

 ただの、美しい、肉の器。

 中身は、薬の力でどこか遠くへ、白い壁の向こう側へ飛んで行ってしまった。

 空っぽの家。

 空き家には、新しい住人が必要だよね?


 僕のズボンの前が、限界まで膨らむ。

 たかが小指サイズ。たかが豆電球。

 でも、今の彼女には、この無機質なプラスチックのような棒こそが相応しい。

 アルファの暴力的なノットなんて入らない。

 僕の、この冷徹で、早漏で、機能的なプラグだけが、彼女を再起動できる。


「……受信感度、良好」


 僕は呟く。

 誰に? 空の彼方の理性省へ。

 思考が伝播する。僕の欲望が、電波に乗って都市中に拡散するような錯覚。


 さあ、実験を始めようか。

 僕は彼女を担ぎ上げ、さらに奥の、闇の中へと消えていく。

 僕の豆電球が、暗闇の中で、蛍のように儚く、醜く、点滅していた。

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