プロパティ・メイク
和泉茉樹
プロパティ・メイク
◆
うーん……、キミをうちで雇うのはちょっと無理かなぁ。
キミも知っていると思うけど、うちは「固有性」を厳守したウェイトレスが売りだからさ、キミの「プロパティ」を見る限り、ちょっとねぇ。
色は濃すぎるし、グラフも乱れすぎかなぁ。パーセンテージは一応、八〇パーセントだけど。
キミをうちで雇いたいのは山々なんだけど、さすがにオーナーの意向には逆らえないっていうか。
◆
リーチェルはバイト採用の面接会場のスペースから公共スペースに移動したのを確認して、思わず声をあげた。
「固有性厳守! くそったれの「プロパティ」至上主義者ども! 地獄へ落ちろ!」
本当ならすぐそばにあるオブジェクトを殴りつけたかったが、どこまでも続く商業エリアには破壊可能なオブジェクトなどない。
破壊できないとわかっても振り回したリーチェルのアバターの腕が、すぐそばにあった「カフェ・ド・パリ」と書かれた立て看板に接触するも、すり抜けて看板は微動だにしないし、リーチェルの腕には何の感触も発生しなかった。
くそ! と短く漏らして、仕方なくリーチェルはその場を離れた。
大学生になって初めての長期休暇を電脳空間の接客業に費やそうという計画は、大学生になるずっと前から決めていたことだった。
理由の一つは、現実の自分の容姿がリーチェルにとってまったく気に食わなかったことだ。
幼い頃からリーチェルは自分の顔の造形がまったく好きになれなかった。誰かから「かわいい」とか「美人」とか言われたいわけではない。そういう評価とは別のところで、リーチェル自身がリーチェルを受け入れられなかった。
自分の姿に、違和感がある。
鏡を見ても、写真を見ても、これは自分ではない、そう感じてしまう。
だから、電脳世界で自由にアバターをデザインできるようになった時は、解放感のようなものがあった。
自分という決して壊すことのできないものを、アバターは壊してくれる。
電脳世界のアバターは、その所有者が自由自在にデザインできるが、しかしそれは本当の意味での自由を意味しない。
それが「固有性」と呼ばれる概念であり、「プロパティ」というシステムである。
人間が現実と電脳世界を自由に横断できるようになった時に「固有性」は発生した。「固有性」とは、その人間が生来、所有している現実での「個性」のことだ。
現実世界の人間は、その遺伝子の複雑にして難解な不規則性により、基本的に世界にその一人しかいない。その唯一無二の「個性」が電脳世界における「固有性」となる。
一卵性双生児や遺伝子操作処置を受けた人間なども実在するが、電脳世界にアクセスするにあたり、その「遺伝子上の同一性」は容易に無視されるシステムが構築されている。
人間は機械的に遺伝子に拠らない「個性」を見出される。
この「固有性」と、使用者が好き勝手に作り上げたアバターとの差異を示すのが「プロパティ」と呼ばれるシステムだった。
プロパティはおおよそ、三つの要素で「固有性」との差異を表示する。
白に近ければ近いほど「固有性」に近いことを色によって示す「カラーチャート」、真円に近ければ近いほど「固有性」に近いことを示す「グラフ」、そして数値によって「固有性」との差異を示す「パーセンテージ」である。
アバターを自在に作り変えることはできる。
しかし、そのアバターがどれだけ現実と乖離しているかは「プロパティ」を見れば一目瞭然だ。
このシステムが作り上げられる過程で、電脳世界には一つの思想が生じた。
限りなく「固有性」に近いアバターを使うのを良しとする「真実派」と呼ばれる思想である。
彼らは電脳世界のアバターによる現実の隠蔽を否定している。自由にアバターを改造することを虚飾であるとする。電脳世界であっても決して自らを偽らない態度こそを是とする。
もちろん、大半のアバターは今でも「プロパティ」のことなど気にせず、使用者が望むままに改造されている。
背丈を伸ばそうと思えば好きなように伸ばし、髪の毛の色を変えようと思えば好きな色に変える。瞳の色も、肌の色も、声音も、好きなようにデザインする。
リーチェルも、電脳世界で自由なアバターを手にして二時間後には、腰まで届く黒から青のグラデーションの髪を緻密に設定したりしたものだ。
顔のデザインに関しては、もっと時間が必要だった。AIのサポートを借りても思ったようにならず、前時代で言うところの「美容整形」を暇さえあれば繰り返した。
数ヶ月を経ても顔つきには満足できずに、今でも時折、細かなデザインの変更を加えているリーチェルである。
そんなリーチェルでも電脳世界では現実世界では決して感じることのなかった、自信のようなものを抱くようになった。
自分で自分を認めることができた。
そんな自分になったらやってみようと思っていたことが、接客業の店舗で働くことなのだ。
現実の自分では決してできないことができる。
ささやかな興奮を胸に、リーチェルは求人広告をチェックし、応募した。
だが、接客業の採用担当者はリーチェルを採用しようとしなかった。
皆が異口同音で口にすることがある。
リーチェルの「プロパティ」は接客業にふさわしくない、というのだ。
リーチェルの「プロパティ」の内容は、「カラーチャート」は深い色の赤で、「グラフ」は棘が無数に飛び出しており、「パーセンテージ」は八〇パーセントだった。
確かに、とリーチェルは思う。
しかし、とも思う。
色は白から離れているし、グラフも攻撃的な形状だ。しかし、それでいて八〇パーセントなのは褒めてもいいのでは?
電脳世界の接客業で「固有性」が重視されるのは聞いていた。
何故なら。
電脳世界での接客業は、人間の操るアバターと、人工知能が動かす接客オブジェクトによる競争の場で。
接客オブジェクトはほぼ無制限に容姿を変更できるし、むしろそれこそが接客オブジェクトの売りなのだ。理想的な顔立ちや体型、心地いい声やしゃべり方。人格さえも、どんな風にもデザイン出来る。
では、人間のアバターはそれにどう対抗できるのか。
そこに「固有性」が関係してくる。
客を接客する人間のアバターは、接客オブジェクトにはない唯一無二の個性を持つことが売りになる。
まったく手を加えていない容姿や声、しゃべり方、客への対応。
それが接客オブジェクトには再現が困難な、一回きりの、その場だけの体験を生む。
作り物でも繰り返しでもないものを生むために、限りなく白に近く、円に近く、一〇〇パーセントに近いアバターが、電脳世界の接客業界では求められていた。
それでも、と反論したいリーチェルだった。
確かに自分は完璧な「プロパティ」を持つアバターを使っていない。
それでも私はAIではなく人間で。
どんなアバターでも、私は私なんだ。
じっと出てきたばかりの「カフェ・ド・パリ」というカフェの看板を睨みつけてから、リーチェルはその場を離れ、商業エリアに指定されている公共スペースを進んでいく。
電脳空間にも関わらず足で歩くことを求めるあたりにも、「固有性」至上主義に通じるシステムを感じながら、リーチェルは並ぶ飲食スペースの謳い文句を確認していく。自然、睨むような視線になっていた。
カフェ、レストラン、バー、電脳空間にはなんでもある。
スペースの基本設定を変更して共有スペースから飲食スペースの中が覗ける店も多い。
電脳空間である以上、広さはほぼ無制限なのだが、飲食スペースのいくつかでは客のアバターがカウンターにずらりと並んでいるのが見える。そういう空気を求める客がいるのだ。
そんな客たちを接客しているアバターは、人間だろうか、それとも接客オブジェクトだろうか。
どのアバターも笑顔で客に接して、客も楽しんでいるようだ。
そこに「プロパティ」がどう関与しているのだろう。
低くため息を吐いた時、リーチェルの視界に通知がポップアップした。さっと手を伸ばして指で触れると、それは小さなメモのようなオブジェクトに変わった。
手元でメモに記された文章を目で追う。
次の飲食店の面接の通知だった。謝罪とともに一時間後はどうかと書いてある。今日は特に予定がなかったから対応可能だ。その旨を返信し、面接があるスペースのアドレスをコピーしておく。時間になったらそこに飛べば良い。
ふとリーチェルは横顔に視線のようなものを感じて、そちらを振り向いた。電脳空間なので視線などというものは存在しないので、実際にはそばにいるアバターに気づいたということになる。
そのアバターはもちろん、リーチェルの知り合いではなかった。すぐそこにある飲食スペースの店員らしく、客を見送った後にリーチェルの方を見ていただけのようだ。
視線を返すリーチェルはとても友好的とは言えない表情だったが、相手のアバターは動じた様子もなく、それどころかちょっとだけ微笑んで見せた。
こいつは人間か? それとも接客オブジェクトか?
リーチェルが内心で思った時、「あのぉ」とそのアバターが近づいてきた。その喋り方、そして声音は接客オブジェクトのようではない。それもそうか、こんな変な客引きもない。
電脳空間ではアバター同士の会話をある程度の至近距離で行う文化が当たり前になっている。どれだけ距離があっても声をかけたいアバターを指定したり、そもそも目の前にアバターがいなくても特定の相手に音声通信できるのが電脳世界なのだが、現実の文化が残っているのだ。
派手でも地味でもない何かの店の制服に身を包んだそのアバターは、リーチェルのすぐ前まで来ると見上げるような姿勢になった。
リーチェルの身長は一八〇センチメートルあり、目の前の女性のアバターの身長は一五〇センチメートルほどだ。そんな計算をリーチェルは日常的にしてしまう。
「気を悪くされたら申し訳ないのですが、その身長はデザインしたものですか?」
唐突に言われて、リーチェルの胸の内に優越感が湧いた。答えは自然と口をついて出た。
「身長はいじっていません」
そう答えた時になって、リーチェルは相手のアバターの顔を観察している自分に気づいた。相手の気を悪くさせる態度そのものだ。だが、相手は嫌がっているようではない。
この時、二つのアバターは至近距離でお互いを観察する形になっていた。
リーチェルの目から見て目の前の女性のアバターはほとんど顔を弄っていないように見えた。どれだけ電脳空間の表現技術が発展しても、天然の顔とデザインされた顔は不思議と見分けがつくものだ。
デザインされた顔に生じる「整っているが故の不自然さ」は、天然の顔に存在する「不完全ながらの整い方」とは、まるで違う。
触れられそうなほどそばにある背の低い女性アバターの顔を見ているうちに、リーチェルの中の優越感はあっさり霧散していった。
自分は目の前の女性のように、自分に自信を持っていない。
自覚していたけれど、自信がない自分という存在には、もしかしたら存在価値がないのかもしれない。アバターをいくら改造しても、現実世界の自分に自信が持てるわけではない。現実世界に戻れば決して変えられない自分自身が待っているのだ。
リーチェルの願望は、現実逃避にすぎないのだろうか。
飲食業で働いてみたいというのも、現実逃避のための言い訳に過ぎなくて。
どこにも辿り着かない、逃避のための逃避にすぎないのか。
「身長以外は、弄ってる?」
自分の内なる奈落に落下を始めていたリーチェルは、その声に我を取り戻した。目の前にはまだ自分を見上げるアバターがいる。
問いかけの意味を遅れて理解して恥ずかしさがこみ上げてきた。同時に相手の無礼にも気づき、怒りが沸騰してくる。
羞恥心と腹立ちに飲まれながら、リーチェルは視線をそらしてぶっきらぼうに応じた。
「別にどうでもいいんじゃないですか?」
もったいないと思うけど。
そう、答えがあった。
最初は自分がけなされたと思った。
しかし、違う。
もったいない?
「何がですか?」
いつの間にかそっぽに向けていた視線を戻して、リーチェルは女性アバターに噛み付くように問いかけた。
「何がもったいないんですか?」
うーん、と女性アバターは首を傾げた。
「それだけの身長は滅多にいないからさ、それを生かすべきかな、って思って。その髪色とか顔つき、「プロパティ」が乱れるでしょ? もうちょっと整えて、もっと魅力を演出できると思う」
整えて? 魅力? 演出?
目の前の女性アバターはどうやらリーチェルに助言をしている。
今のリーチェルの「プロパティ」をもっと改善できると言っているらしい。
「プロパティ」を今より乱さずに「魅力」を発揮できる……。
最もリーチェルの胸を打ったのは「魅力」という表現だった。
長い間、リーチェルが自分自身に欠けていると思っていたのが「魅力」だと気付いた衝撃は、女性アバターに返す言葉を根こそぎ奪うほどだった。
黙り込んだリーチェルの前で女性はまだリーチェルのアバターを観察していて、その視線の先が自分のどこなのか、リーチェルはただ彼女の視線を追うことでぼんやりと確認していた。
少しすると女性アバターは何もない空間に指を走らせてメモのオブジェクトを出現させたかと思うと、指で何かを書き付けたそれを差し出してきた。
「ここに行ってみるといいよ。紹介がないと話を聞いてもらえないんだけど、私の名前を出せば大丈夫。先生の腕は本物だから、きっとうまくいく」
ここがどこを示しているのか、先生とは誰なのか、何もわからないにも関わらず、リーチェルはメモを受け取っていた。メモに書かれていたアドレスが理解されるのと同時に、女性の署名の情報も流れてくる。
彼女の名前は「リーザ」となっていた。もちろんハンドルネームである。他には、簡易的なメッセージアドレスも付記されている。
「私の名前はリーザ。あなたは?」
女性アバター、リーザはリーチェルを見上げた姿勢で問いかけてくる。
「私は、リーチェル」
それしか答えないリーチェルにリーザは柔らかく微笑んで言った。
「そこの「グラン・ローザ」っていうお店で働いているから、時間があったら来てみて。じゃあね、リーチェル。先生にはあまり失礼な態度をとらないでね」
そんな言葉を残してリーザは目と鼻の先の飲食スペースの中に消えていった。その店には「グラン・ローザ」と看板が掲げられている。
しばらく立ち尽くしてその看板を見ていたリーチェルは、唐突なアラームで自分がぼんやりしていたことに思い至った。
電脳世界で考え事に没頭するとアバターが静止してしまうことはよくあることだが、人間は結構、頻繁にぼんやりする生き物で、アバターは仕様上、ぼんやりをそのまま再現してしまうことが多い。
時計を確認すると飲食スペースでの採用面接まで十分ほどだ。
公共スペースから私有スペースへ飛んで一人きりになるとアバターに着せている服を変えた。
目の前には第三者視点の自分のアバターが表示されている。
高身長なのは現実そのままでも。
グラデーションの長髪や顔つきは現実の自分とは似ても似つかない、そのアバター。
もったいない、と言われたのは、どこなのだろう。
リーザの言葉を思い浮かべていると、またリーチェルの意識はアバターを離れて、どこでもないところに漂って行っていた。
約束の刻限の三分前のアラームが鳴る。
リーチェルは服装を決め、時間になると同時に面接が行われる私有スペースへアバターを飛ばした。
◆
あんたがリーチェル?
リーザの話だとすぐにうちに来るって話だったけど、まさかその話の一時間後に来るとは思わなかった。これでも私、忙しいんだけど、あんたも忙しいの?
で、そのアバター、どれくらい弄ってる? まず「プロパティ」を見せてよ。
え? 何? プライバシーとか気にしているの? 別にいいでしょ、「プロパティ」くらい。別にあんたの現実世界の姿を見せろとか言っているわけじゃないしさ。
はいはい、プライバシーの保護に関する誓約文ね、サインしますよ、しろというなら。今時、こんな書類を出す奴も珍しいしね。……どうぞ、これでいい? じゃ、早く「プロパティ」、見せて。
うわぁ、久しぶりにこんな色は見たなぁ。赤かぁ。一般論だけど赤系の「カラーチャート」は現実では薄い印象の奴がアバターで無理して濃いめにデザインすると出るんだよね。あ、別にあんたが現実では影が薄いって言っているんじゃないよ。気にしないで。
ふぅん、「グラフ」の感じはまぁ、よくある感じか。こういうのはね、あれこれ細かい調整をすると出てきちゃうの。眉の角度とか、目尻の位置とか、そういうのを厳密にデザインしているアバターだね。作るの、時間かかったでしょ? どれくらい? 覚えてないの? 相当やったタイプってことだわ、そりゃ。
でも「パーセンテージ」はあまり乱れていないね。この辺は髪の影響でしょう。そのグラデーション、かっこいいけどやりすぎじゃない? 一世紀以上前の音楽家の画像データとかで見たことあるなぁ。え? 違う? 自分で考えたとしたら、すごいかも。私はそういう改造、好きだよ。
さて、あんたの「プロパティ」がよくわかったところでやって欲しいことがあるんだけど、とりあえず全部のデザインを初期化してもらえる?
そう、初期化。オリジナルに戻すの。「固有性」そのままのアバターにして。「プロパティ」が、真っ白で、真円で、一〇〇パーセントになるようにして。
できない? できないって、したくないってこと? なんで?
恥ずかしい? 恥ずかしいってあんた、ここは電脳空間だよ。現実じゃない。別に初期化してもすぐに今のデータをロードし直せば元に戻せるじゃん。
なんで初期化しなくちゃいけないのかって、あんた、私が何をやっているか、知らないでここにきたの?
なんだよ、リーザの奴、ちゃんと説明しなきゃ駄目じゃないか。
私は確かにあんたのアバターを良くするよ。でもそれは改造のアドバイスをしたり、実際に改造するわけじゃない。
私は言ってみれば、再構築するわけ。現実世界では「メイクアップ」などと言われるけど、電脳世界では「リビルド」の方が適切だから、再構築って表現している。
で、再構築のためには、一度、全部を壊さなくちゃ。
ここであんたのアバターを一度、なかったことにしたら。
そこに残ったあんた自身から、私があんたを再構築してあげる。
え? また誓約書? そんなにビビらなくてもいいじゃない。悪くはしないよ。
はいはい、サインしますよ。……はい、どうぞ。
じゃあ、こちらからも書類にサインしてもらってもいい? なぁに、心配するほど大した内容じゃないよ。私が再構築したアバターの権利に関するものと、維持管理に関する書類かな。
これからやることの費用は、あんたでもローン無しで払えるから、そこは安心しなさい。
あ、大事なことを忘れていた。再構築の費用は安いんだけど、そのあと、三ヶ月くらい、定期的にここに通ってもらうことになるから、その時の講習費はそれなりにかかるよ。払えないほどの額ではないし前払いでもないから、今、逃げてもいいよ。
何の講習か?
うーん、さっき言ったことと矛盾するけど、私が教えるのはね。
電脳世界の「メイクアップ」のやり方。
◆
リーチェルは公共スペースを歩きながら、落ち着かない気分になっていた。
腰まで長くしていた髪の毛は肩の長さで切りそろえられ、ゆったりと巻かれている。色は現実世界の地毛に限りなく近い栗色だ。もちろんグラデーションになっていたりはしない。
顔つきも以前とは一変している。まるで別人だ。大学の休み明けに友人と再会したら同一人物だと信じてもらえないのではないか。
手足の爪も綺麗に整えられているが、それは以前とはまるで方向性が違う。以前はもっと派手だったのが今は総じて控えめだ。
肌の色も前は少しだけ白くしていたのが、今は「固有性」そのままの色に戻っている。
そんな現実世界の自分に限りなく近い「固有性」を厳守したアバターで公共スペースを移動するのは、以前のリーチェルだったら顔から火が出るほど恥ずかしくてできなかった。それは全裸で歩くようなものだ。さすがに本当に全裸のアバターで公共スペースを歩いたら重い罰則を受けることになるが。
リーチェルが今、待ち合わせ場所へ歩を進めることができるのは、アバターがほとんど「固有性」そのままになっていても、少しだけ別人になっているからだ。
実際には、別人ではない。別人になったら「固有性」から離れてしまい「プロパティ」が乱れる。
リーチェルは、先生と呼ばれる人物の教育を受けて「化粧」というものを学んでいた。
アバターの設定を変えることなく、自分を変える手法だ。
システム上の「固有性」と「プロパティ」の関係性をすり抜ける手法ではない。
「化粧」は「固有性」から逸脱しない。
「化粧」はアバターの改造ではない。
そんな領域が電脳世界にあることをリーチェルは知らなかった。「化粧」は手間も時間もかかる。しかも、アバターの顔の作りなどを変える効果はない。「固有性」そのままのアバターの顔を使用する手法だ。
先生は講習会でリーチェルに化粧の技術を事細かに指導してくれる。
どうしてか、先生は「リーチェルの素顔をより良く見せるための方法」を熟知している。
どれだけ良く見せてもリーチェルの好きではないリーチェルの顔であることには変わりなかったけれど、ただ、少しずつ自分に対する不快感が薄くなっている感覚がある。
待ち合わせ場所が見えた。そこにはリーザのアバターが立っていて、リーチェルに気づくと駆け寄ってきた。はっきりと見えてきた彼女の顔には満面の笑顔がある。
「リーチェル! すごい! かっこよくなったね!」
かっこよくなった、という表現が自分に向けられるのが相応しいかはわからなくても、褒めてもらえているのはわかる。
「まだ、よくわからない。私、変じゃない?」
「いいよ、いいよ、すごくいい! 背の高さが生きていてモデルさんもできそう! 「固有性」を厳守するモデルさんは需要あるから、その辺を目指してもいいんじゃない?」
「足も腕も太いし、無理だと思うよ」
「現実世界で体を作ればいいじゃん!」
リーザはひとしきりそんな話をした後、食事に行こうとリーチェルを飲食スペースに誘った。
行き先は「グラン・ローザ」でいいかと聞かれたので、リーチェルは即答でオーケーした。リーザが働いている店なら興味がある。まだ一度も入ったことがなかった。
店内に飛ぶとすぐに席に通された。カウンター席だ。出てくる料理はチーズやトマトが多用されていてイタリー風だろうか。アルコールも出てきた。
電脳空間での飲食は全て感覚上のそれにすぎない。実際の体はアバターが電脳空間で食事している間もただゼリィで満たされたベッドの中でプカプカ浮いているだけ。
リーザと先生について話をしているうちに、大柄で髭面の男性が二人の席に近づいてきた。リーチェルは普段の癖で、その男性が自分と同じくらいの身長だと目算で計っていた。
「リーザ、その子が例の子か?」
男性が低い声で言うのに「そうです、店長。いい感じじゃないですか?」とリーザが答える。二人がなんの話をしているのかリーチェルにはわからなかったが、自分についての会話のようだ。
自然、二人のやりとりの意味を把握しようと意識する。
「確かに面白いかもな。「プロパティ」はどうだ?」
「綺麗ですよ。見てみますか?」
男性が頷いた時に、リーザが「プロパティ」を公開するようにリーチェルに促した。もしやこれは採用面接ではないのかと察し、リーチェルは内心、怯えながらも男性に「プロパティ」を開示した。
男性は黙ってリーチェルの「プロパティ」を見て、そして一度、はっきりと頷いた。
「立って見てくれ」
言われた通り、おずおずと椅子から腰を上げて直立したリーチェルの視線は、男性アバターの顔を少し見下ろす位置になる。
男性が破顔してリーチェルの腕を大きな手でバシバシと叩いてきた。
「面白い! ここで働いてみないか? 学生だろ? シフトはうまく組めると思うよ。それとももう、どこかで働いていているのか?」
リーチェルは自分に向けられた言葉を全て理解して、隣のリーザの方を見ると、彼女は満足そうな笑みでリーチェルを見上げていた。
男性アバターに向き直ったリーチェルは勢いよく頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
◆
電脳世界における「固有性」からの逸脱手法には幾つかのバリエーションがある。
すでにカタログ化された「部品」をアバターにスタンプのように当てはめていく方法。自らカタログを作成、販売する者もいる。
他には、自分の手で細かな「改造」を加えて芸術品のようなアバターを作り上げる方法。これは根気と時間、手先の器用さ、何よりも感性が求められる。
しかしこれらに属さない「固有性」への影響が最低限の逸脱手法がある。
「固有性」を生かしながら「唯一性」を生み出す方法。
人はこれを、「メイク」と呼ぶ。
(了)
プロパティ・メイク 和泉茉樹 @idumimaki
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