大好きなお母さんの手

時輪めぐる

大好きなお母さんの手

白くてすべすべして柔らかく温かいお母さんの手。美味しいご飯やおやつを作ってくれる手。僕はお母さんの手が大好きだ。

お母さんの手が、テーブルの端をトントンと叩いて、僕が、スクランブルエッグを食べ零したのを教えてくれる。

「あ、ごめん」

僕はスクランブルエッグ拾う。

「今日も、コウちゃんと遊んでいい?」

お母さんは、右手を指文字の【け】の形にして、上に向けた左の手のひらと平行に下し、

次に右手を【け】のままで直角に左の手のひらにおろした。手話で「ケーキ」と言っているようだ。

「焼いてくれるの? ありがとう。コウちゃんもお母さんのケーキ好きだって。楽しみだな」

僕はランドセルを背負って家を出る。

お母さんが手を振った。

僕のお母さんは、話せない。


三か月前の十月。

お父さんとお母さんが日帰りの旅行に行った日、僕は近所のコウちゃんの家で待っていた。

夜になって、お父さんが旅行のお土産を持って、僕を迎えに来た。

「お母さんは?」

「……お家にいるよ」

家に帰ると、お母さんがいなかった。

「あれ、お母さんいないよ」

「買い物にでも行ったのかな」

疲れているのか、お父さんの顔色が何だか悪い。

僕は「ふーん」と言って、お父さんが買って来たお弁当を食べると眠ってしまった。

お母さんは翌朝になっても帰っていなかった。

だから、僕はお父さんに「変だよ。お母さんを探して」と一生懸命頼んだ。

「……そのまま、お仕事に行ったのかな」

お父さんは、目を逸らして冷蔵庫の横に置いた白い保冷箱をチラッと見る。

その箱は、昨日からそこにある。触るなと言われた。

夜になっても、お母さんが帰って来ないので、僕は泣き出した。在宅ワークをしていたお父さんは、大きな溜息を吐く。

「大丈夫だよ。お母さんだって、大人なんだから」


僕は、お父さんが取り合ってくれないので、次の日、コウちゃんちのおばさんに話してみた。

「ええっ! それはちょっと変ね」

おばさんが、僕のお母さんの勤め先に電話して訊いてくれた。

「お母さん、体調悪くてお休みしているって」

「えっ」

どういうことなの。

おばさんは、腕組みをし、難しい顔をして考え込んでしまった。

「おばちゃんに任せてくれる?」

僕は他にどうしようもなかったので頷いた。

おばさんに頼んだことをお父さんには言わないでねと言われた。


学校は冬休みになり、もうすぐお正月だという夜、警察が家にやって来た。

お父さんは、両脇を警官に支えられパトカーに乗せられた。その日から戻って来ない。

残された僕は、ずっと気になっていた、冷蔵庫の横の白い保冷箱を開けてみることにした。べりべりと何重にも巻かれたガムテープを剥がすと、中には手首から先の手が二つ入っていた。右と左か。

「ドッキリおもちゃかなぁ」

前に、コウちゃんが見せてくれた本の写真で見たことがある。本物そっくりで、初めて見た時はドキドキした。

保冷箱の手は、それよりも白っぽかったけれど、手首のところが赤黒くてちょっとグチャグチャしている。少し生臭い。

「何か、本物みたいだ」

よく見ると左手の薬指に見慣れた指輪をしていた。この指輪って。

「お母さん!」と呼び掛けると、ピクリと動いた。ああ、良かった。やっぱり、お母さんだったんだ。

お母さんは寒そうに手を擦り合わせる。

僕は保冷箱から出して、胸に抱きしめた。保冷箱は寒かったんだね。温めてあげる。

お母さんは、左手の甲に右手を垂直にのせ、上に上げる。本当は頭も下げるのだけれど、頭が無いから下げられない。多分、「ありがとう」って言ったんだね。ろう学校に勤めていたお母さんから、手話を少し習っておいて良かった。

僕、会いたかったんだよ。お母さんの作るご飯やケーキが食べたかったんだ。

コウちゃんちのおばさんは、何かと僕を気に掛けてくれるけど、お母さんじゃないしね。


冬休みが終わっても、僕はお母さんの手と暮らしている。話せなくなってしまったけれど、お母さんの手は、今までと変わりなく家事をこなす。今も台所で包丁を握り、お野菜を刻んでいる音がする。でも、体は何処へ行ってしまったのだろう。


しばらく経ったある日、コウちゃんちのおばさんが「さっきニュースで言ってたけど、何処かの山の中から、手首から先が無い女の人の遺体が見つかったそうよ」と言った。

「何で切っちゃうの?」

一緒に遊んでいたコウちゃんの声が震える。

「身元の発覚を遅れさせる為なんだって」

「それ、どういうこと」

小学生の僕達にはよく分からない。

「どこの誰か分かるまで、時間が掛かるようにするってことよ」

おばさんが話すのを聞いて、僕は、お母さんの体かもって、ちょっと思った。





                了

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