その手を離さない

満月 花

第1話

もうどれくらい経っただろう。


肌に刺すような寒さが冷たいよりも痛い。

手も重い。

当然だ、この右手には人間が1人ぶら下がっているのだから。

彼は持っていかれそうな体に力を入れる。

左腕は木に巻きつけ、右手には彼女。


雪山を歩いていたとき彼女が足を滑らせた。

手を差し伸べたが間に合わない。

彼女はそのまま滑り落ちた。

ぶら下がった足の下は道がない。


握りあった手だけが命綱だ。

懸命に引き上げようとするが叶わない。

降り積もった雪のせいで足が踏ん張れない。

そして、足掻いて何とか登ろうと彼女が動く度に重さが増す。


声を掛けて彼女を励ますが、だからといってこの状況は変わらない。

むしろ、時間が経つほどに酷くなる。

腕が千切れそうだ。

横の木にしがみつき、自分が落ちないようにするのが精一杯だ。

痛い、きつい、辛い。


一瞬、

……この手を離せば自分は助かる。そんな考えが浮かんだ。

(嫌だ、そんなことできない)


この手を離さない

たとえ二人で落ちようとも

彼の握る手に改めて力を入れる。



彼の指に、自分の体重がかかっているのがわかる。

何とか登ろうとしても、足掛かりな場所もなく

ただ必死に彼の手に捕まるしかない。

見下ろした先は遥かに遠い。

落ちたら、命の保証はない。

彼は、「頑張れ、もう少しで助けがくる」

というが、絶望感しかない。

泣き喚いた時間も通り過ぎた。

今はただ彼の手を握りしめて落ちる恐怖を固唾を飲んで待っている。


この手が離れれば自分は助からないだろう。

彼だっていつまでも支え続けられるわけではない。

彼に見捨てられたらもう終わりだ。

彼の手の力が一瞬緩んだ気がした。

落ちる予感にギュと目をつぶる。


でも掴むその手にまた力が籠る。

「絶対に離さない、頑張れ」

と彼が声を掛けてくれる。

彼を疑ってしまった、自分を恥じた。


このままでは2人とも助からないだろう。

この手を離せば彼だけでも助かる。

彼女は迷った。

彼だけでも、助かって欲しいという思いが募っていく。

(どうか、あなただけでも……)

彼女の手が、最後の言葉のように、彼の手を優しく握り返した。


遠くで何かの音が近づいていた。

彼らは気づかない


指先からゆっくりと力が抜けていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その手を離さない 満月 花 @aoihanastory

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ