りんくま短編読切集
りんくま
第1話: 勿忘草の咲く庭で
勿忘草(わすれなぐさ)の花言葉は、「私を忘れないで」「真実の愛」「誠実な愛」「真実の友情」
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「都内ってこんなに高いんですね」
私は来月から東京で勤務することになった。
前にいたアパートと同じくらいの値段で家を探していたけど、東京都内はどこも家賃が高い。
流石にセキュリティーが無いと危ない地域に引っ越したので、値段が上がるのは覚悟していたけど。
「予算オーバー過ぎる…」
私は不動産屋が提示した場所の書類を全部見る。高すぎる。1Kでも高い。今の給料だと光熱費が足りるかどうかも怪しい。
ユニットバスなのにこうも高いか。前の住んでいた時のように近くに銭湯もないし、東京支社は残業も多いらしいから、出来れば風呂は家で入りたい。
「他に無いですかね。もう事故物件でもいいんですけど、無いですか?」
「うーん…無くはないですが、お勧めは致しませんよ」
「見せてもらっていいですか?」
男の人は唸りを上げながら立ち上がって、沢山のファイルが入った棚を見た。
出て来たのは赤色のファイルだった。赤色のファイルって、ちょっと嫌なんだけど。
「ここの物件ですが、元々は大きな屋敷があった所で、そこを取り壊してマンションが建ったのですが……」
「え、えーっ?!セキュリティー付きのマンションでこの価格!安いです!それに2LDKでシステムキッチン?!しかもお風呂も広いし、トイレ別!素敵やないですかー!でもこの部屋だけしか空いてないんですね」
「……この高さの部屋だけ、いや、この間取りの場所だけが要注意の部屋なのです。幽霊は信じているほうでしょうか?」
「いやー全く信じてませんね。遠い親戚がイタコさんだって聞きましたけど、私は全然感じないので。ここでいいですわー」
「えっ」
「まあ別に呪われてもいいんで」
私はそう言って間取り図を眺める。日差しも入りそうだし、凄くよさそう。しかもリフォームした後なのにこの価格は素晴らしい。都市ガスというのもよき!
「ここでいいですー。早く引っ越さないと家からここまでかなり遠いんで」
「わ、わかりました…でもすぐに退去出来ませんのでそこだけご了承ください。今契約書とか持って来ますので」
「はーい」
『えっ?!事故物件やて?!アンタほんまにええんか?』
「うん、めっちゃえーとこ見つけたんやわー。システムキッチンもバスも綺麗でさぁ。部屋ん中見せてもろたけど、全然綺麗だったし。それに幽霊なんて信じてないから平気やて」
『アンタなー。親戚にイタコさんおって、従姉妹の姪ちゃんが生霊に身体乗っ取られたの知っとるやろ?少なくともアンタにも血が流れてんねんで?』
「せやけど、私の住む地域の家賃バリ高でさ、住んでたら飯食えんし、追い出されてしまう。えーんよ。私が払うんやし。そっちも厄介払い出来て済々するやろ?」
『まあせやな。妹ちゃん夫婦の子供部屋にするからな。何があっても支援せぇへんから』
「元々アテにしとらんから。じゃあ、私の荷物全部捨ててえーから。家具付きだし、こっちで全部揃えるんで」
私はそう言って通話を切ってため息を吐く。
現在私はビジネスホテル暮らし。
会社の転勤でこっちに来たのに、まさかの手違いで社宅の用意がされてなかった。
お陰で住むところないし、東京に友達も親戚もおらんし…仕方なく学生時代にコツコツ貯めて来たヘソクリでビジネスホテルにいる。
「はぁー。それにしてもいい部屋だったなー。幽霊おんのか。男やろか?女やろか?それとも動物かなー」
私はベッドでゴロンと横になる。
正直、今の実家は居心地が悪かった。
妹が結婚して子供が出来て実家に戻って来た。しかもデキ婚。初孫に喜んだ両親は私を追い出そうと必死だった。
私だって早くあんな妹だけを溺愛するクソッタレな両親から離れたかったし、それなのに稼ぎがいいからという理由だけで中々一人暮らしもさせて貰えない。
だからコソコソバレないようにヘソクリという貯金をしてた。そろそろ底が尽きそうだけど。
「ビジネスホテルも高いしなー」
まあ明日は家主から鍵を貰えて中に入れるようなので楽しみにしとこ。
不動産屋へ行くとそこに居たのは若い男性だった。
どうやら潰された屋敷に住んでいたお爺さんの息子の孫のまたその孫の孫の……と、自己紹介した時、長すぎて右から左に流していた。
「やっと人が住んでくれて嬉しいです」
そう言って笑っていたな。
「多分貴女なら大丈夫でしょう」
何が大丈夫なんかわからん。霊感が無いからか?おん?喧嘩売ってんのか?
「これが部屋の鍵です。光熱費などは僕が払うのでお好きに住んでください」
「……え?は?」
「ああ、心配なさらなくても同棲とかじゃないですし部屋に侵入とかしませんので。ここの土地を持っていた父から、あの部屋に住む人が居るのなら生活費をサポートしなさいと言われていましたので」
「え……なんか怖いんやけど、もしかして事故物件は幽霊じゃなくて、そういうこと?」
「いえいえ。違いますよ。ただ条件があるだけなのです」
「条件?」
「ハイ。マンションがある所は昔、庭があったそうなんです。その庭に咲く物が何かを教えて欲しいのです」
「咲く物?花ですか?なんの花ですか?」
「それがわからないんです。ずっとその庭で綺麗な何かが咲いていたらしいのですが、屋敷を壊してから咲かなくなってしまって。でも遥か昔に一度だけ咲いたそうなのですが……それを見た方が仏さんになってしまいましてね。そこからまた咲かなくなったらしいのです」
「え、こわ」
「なんでも綺麗な花だったそうですが、名前が記憶されてないみたいで」
「…まあ、それを見るくらいなら別に…」
「ありがとうございます!もちろん防犯はしっかりしてますし、カメラも全部屋の玄関付近に設置してますので安心してください。もし僕が映ったらすぐ警察に言って貰ってもいいですから」
そう言って男の人は不動産屋と話をして出て行った。
「うーん…本当に大丈夫ですか?」
「まあ、庭に何が咲くか見るだけなら大丈夫です」
私はそう言って不動産屋を後にした。
部屋に入る前にマンションの庭を見てみる。
綺麗に手入れがされていて雑草がない。
木が数本あって、花壇があって。違和感のない庭だった。
「何が咲くんやろ…?それに遥か昔に一度だけってどういう事なんやろうなぁ」
上を見上げると丁度私の住むベランダが見える。
「まあ上から確認出来るし、大丈夫やろ」
私はセキュリティードアを通り部屋に向かった。
鍵を開けて、電気をつける。本当にすぐに住める環境になっていた。水も出たし火もついた。
しかも部屋の中に見守りカメラが置いてある。新品の。自分で設置するようになっている。
「まあ何かあれば警察に言ってええって言うてたし」
私は部屋の中を全て見て、ベッドに寝転がった。
「ベッドもお日様の匂いして気持ちいいなぁ」
私は欠伸をしながらウトウトする。
『お嬢様、そのまま寝ると風邪をひきますよ』
「…え?!」
私は飛び起きた。すると目の前には背の小さな女の子がいた。しかも着ているのがメイド服。え、いつからいた?何処からいた?え?警察呼んでいいんだよね?
『あの、お嬢様?』
「…ぎゃあぁぁ!」
『あ……お嬢様。大丈夫でございます。私は悪霊ではございませんので。昔屋敷に慕えてた者でございます』
「本当に幽霊いたんや…!」
メイドさんはスカートの裾を掴んでお辞儀をした。
『私、沙雪と申します。今日からお嬢様のお世話と庭のお手入れをさせて頂きますのでよろしくお願い致します』
「あ…えと、私は春枝です…よ、よろしくお願いします」
『春枝様。よろしくお願い致します。身の回りの事は私にお任せください。では、お休みなさいませ』
そういうと、ドアを擦り抜けて行ってしまった。
「うわぁ…おかんの言う通り、私にも見えたわ…。それにしても悪霊じゃないって自分でわかるもんなの?それにあまり笑ってなかったなぁ。漫画とかで出てくるメイドさんって笑顔が多いと思うんやけど……」
私は首を傾げながら、ベランダを見る。
「さっき庭の手入れとか言ってたけど、もしかして沙雪さんがこれを?もしかして花の名前とかわかるんじゃ」
私は立ち上がってリビングへ向かった。
『いえ…庭に咲いていた花は色とりどり、種類豊富でございましたので……申し訳ございません』
「あ、だ、大丈夫です!そ、そうですよね。屋敷の庭なんて広いですもんね!」
『申し訳ございません、お嬢様』
「大丈夫ですってば」
沙雪さんは真顔だった。本当に表情がわからない。幽霊だからかな。
『遥か昔に一度だけ咲いたというのは?』
「詳しくはわからないんやけど、咲いたらしいんよね。庭に」
『左様でございますか…私がお手入れをしている時に咲いていた花は、当時お屋敷にいた奥方様が色々と植えていらしたので…。それに私は前に勤務なさっていた使用人の方達を知らないのです』
「えっ」
『私、小さい頃にこの屋敷のご主人様に飼われた捨てられ子でして…その、十六歳になってから使用人として働いてお金を返していたのです。自由になる為に』
「じゅ、十六?!」
『ハイ、十六歳でございます』
「うっそ…私の二回り下なの?」
『ハイ』
やけに整った肌で綺麗な人やなと思っていたけど…まさかの高校生くらいの年齢とは。
「そんな若い時に亡くなったん?」
『そうですね』
「まあ、私に危害が無ければ別にいてもええねんけど、でも成仏はした方がええよ。本当に悪霊になってしまうで?」
『ハイ。そうならないように頑張ります。お嬢様』
「うーん…お嬢様っていう年齢でもないし、普通に春枝って呼んでええよ」
『では春枝様とお呼び致します。お食事は何時頃になさいますか?』
「あ…じゃ、じゃあ二十時くらいで」
『かしこまりました。お風呂は食後に入られますか?』
「う、うん」
『ではその様に致します。どうぞお寛ぎくださいませ。ただいまお茶菓子と紅茶をお持ち致します』
それから数ヶ月程、幽霊メイドの沙雪さんと一緒に住んでみた。
沙雪さんは家事のスペシャリストだった。
とにかくご飯が凄く美味しい。そして部屋が凄く綺麗。後、残業がありすぎて玄関で倒れた時も軽々と私をベッドまで運んでくれた。
色々な話や愚痴を言っても沙雪さんの表情は無だった。
「沙雪さんは笑うと可愛いと思うのになぁ」
『申し訳ございません…小さな頃から感情を表に出すのが苦手でして…春枝様とのお話は楽しいです』
「楽しいならいいんだけど」
私は紅茶を飲みながらチーズケーキを食べる。本当に沙雪さんが作るお菓子は美味しい。お店開けると思うねんけど。
「沙雪さんって料理好きなん?」
『はい。料理を作っていると落ち着くのです』
「ふーん。私料理下手くそだから本当助かる。腕もシェフ並みやし、お菓子も美味しいし。パティシエになれるんちゃう?」
『…なれますでしょうか。私、本当はお金を返して学校に行きたかったのです』
「そうなん?」
『ハイ。ご主人様がお許しにならず、私はずっとお屋敷で勤務しておりました。窓から通学路が見えて、私と変わらない方達が学校に向かっているのを見ておりました』
沙雪さんはそう言って窓の外を見る。
そうだよね。ずっと屋敷に居てお外に出れるとしたら庭だけだものね。
「買い物とかどうしてるの?」
『その時は、あの方の身体を借りております』
「誰?」
『ここの家主の方の奥様でございます』
「あの人の奥さん?」
『ハイ。もちろん部屋の中には入っておりません。夜中に奥様の家に入りまして持ち出しております』
「なるほどね」
確かに夜中だと空高く浮いてるから誰にも見られないか。んでもカラスとかに襲われそうな気もするけど。
『春枝様、紅茶のおかわり如何でしょうか?』
「じゃあ、貰おうかな」
私は窓の外を見ながら沙雪さんの事を不便に思えてしまった。
私が高校生だったら、身体を貸してあげられるのに。
住んで一年。一度不動産屋が部屋の確認に来たが、やっぱり沙雪さんの姿は見えなかった様だ。何事もない事を伝えるとホッとした顔で帰って行った。
一年経った今でも沙雪さんは庭のお手入れをしている。でも花は咲かない。
「本当になんの花を植えたのだろう?前のご主人の奥さんがって言ってたけど。あ、花屋さんとかに連れて行けばわかるかも」
私は部屋の鍵を閉めて庭にいる沙雪さんに声を掛けた。
私の後ろに着いてくる沙雪さんは辺りを見ている。
たまに猫や犬に囲まれて真顔で慌てている姿を見て笑ってしまった。そうだよね、動物は見えるものね。幽霊とかそういうの。
「ここが花屋さんだよ」
『色とりどりの花が沢山ございますね。綺麗です』
花屋に入ろうとすると、沙雪さんはある鉢の前でピタリと止まった。
『この花は…』
「どうしたの?沙雪さん」
『…勿忘草…』
「沙雪さん?」
沙雪さんの表情が急に変わった。
『ああ、どうして私は忘れていたのでしょう』
「え?!」
『お嬢様の好きな花を……結婚式に見たこの花を…。私のお手元に来たブーケで見た…勿忘草…』
沙雪さんはそう言って勿忘草という花に触れた。
『春枝様、あの庭に沢山咲いていたのは【勿忘草】でございます』
「え?」
『奥様の娘様がご結婚なさって屋敷から出た時にお嫁に行った娘を忘れない様にと植えたのがこの花でした。私は庭の管理を任され種を購入し庭に植えました。なかなか花が咲かず……私が十六歳になった誕生日の日に奥様は癇癪を起こされ、私はお屋敷の窓から……』
沙雪さんがそう言うと、頭から赤い血が流れていた。
『勿忘草を植えた理由は…奥様がご病気になられて思い出を忘れるのが怖いからと言う理由でした。恐らく過去に一度咲いた事があるのは、私があの庭で目を覚ましたからだと思います。その後も私は勿忘草を育ててみましたが、やはり咲かなかったのです』
「そうなんだ……沙雪さん、辛い目にあったんやな」
『いえ、私が悪いのです。奥様に悲しい思いをさせてしまい…』
「あ!そうだ!花屋さんに聞けばええんや。勿忘草の育て方!沙雪さんの時代って今見たいにネットとか無かったと思うし、今なら育て方わかると思うで!」
『本当ですか?春枝様』
「まかしとき!ついでにもう一度種を買って育ててみよ。花屋の店員さんに聞けば教えてくれるやろし」
私はそう言って店内に入り、残り一つの勿忘草の種を購入した。
『春枝様!勿忘草です。ああ、ようやく奥様の願いを叶える事が出来ました…やはり綺麗な花でございます』
「良かったぁ。色々花屋さんに聞けてよかった。沙雪さん、外出出来てなかったから知らなかったんだし、仕方ない」
『凄く嬉しいです』
沙雪さんは、柔らかい笑顔で微笑んでくれた。
ようやく見れた。沙雪さんの表情。思った通り、凄く可愛い笑顔だった。
『春枝様、本当にありがとうございます。勿忘草が枯れぬよう、お世話致しますね』
「うん、私も手伝うから」
沙雪さんは本当に喜んでいた。勿忘草が沢山咲いて、優しく触れながら微笑んでいる。
「私、家主に電話で伝えてくるから」
『はい。かしこまりました』
「そうでしたか」
家主に電話すると夫婦で庭を見に来た。庭に咲いた勿忘草を見て奥さんが喜んでいた。
「ありがとうございます。これであの子も安心して眠れると思います」
「あの子?」
「沙雪さんです」
私は、あっと声を出して辺りを見回すと沙雪さんの姿が無かった。
「あれ、さっきまでいたのになぁ」
「本当にありがとうございました。これで僕達も旅立てます」
「え?」
私が振り向くと、家主の夫婦の姿が段々と薄くなって行く。
『春枝様』
勿忘草の庭の中央で沙雪さんがスカートの裾を掴んでお辞儀をした。
『ありがとうございました。お嬢様の願いを叶えてくださって、とても感謝しております』
「え?えっ?ちょっと待って、話が見えないんやけど」
『君はきっと、この庭で咲いた花を沙雪さんに教えてくれると思っていた。これで僕達も安心して眠れます。あの部屋はそのままお使いください。この土地を買ったオーナー様がこのまま管理をしてくださるようです。それでお願いです。貴女様が結婚して部屋から出るまでの間、勿忘草を管理してくださいませんか?』
「それは別にええねんけど、私、結婚する予定ないで?」
『花枝様は素敵な女性でございます。きっと旦那様が現れて、結ばれると思います。私は消えてしまいますが、花枝様が咲かせてくださった勿忘草の庭で眠ってますから、いつでも会いに来てくださると嬉しいです』
沙雪さんはそう言って私の事を抱き締めてくれる。もちろん肌の感触は無いけど、ほんのりと暖かい風が私を包んでくれた。
「…うん、わかった。私があの部屋からいなくなるまで勿忘草を枯らさない様にする」
『春枝様、ありがとうございます。私は貴女のメイドになれて幸せでした。さようなら、春枝様』
それから五年後。私は地方から転勤して来た男性と結婚した。もちろんブーケには勿忘草を入れた。
「沙雪さん、素敵な旦那さんゲットしたで」
私はそう言いながら、庭に咲いている勿忘草に水をかけて行く。
太陽に照らされた雫がキラキラと光るのを見て、きっと今、沙雪さんがあの柔らかな笑顔で私を見守ってくれているのだろうなと思った。
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