蒸気街のクズ
@susu358
第1話「蒸気と安酒」
「なあ、そこの女、俺と寝ろよ」
古臭く、汚い酒場でヤザキ・レイルショットがちびちびと安酒(はっきり言ってゲロマズ)を飲んでいると、どうも端の客が鬱陶しい。タトゥーを入れた女に絡んでいるようだが、全く相手にされていない。
「そんなバカ丸出しの誘い文句に乗るわけねえだろ。チンパン以下の頭しか持ってねえならくんなよ。ここは人間専用だぜ?」
と言ったのは、絡まれていた女・・・ではなくヤザキだった。
言われた男はゆっくりとこちらを向いた。首筋からこめかみにかけて、蒸気義肢の配管が浮き出ている。安物だが、喧嘩用に改造してあるタイプだ。こういう連中はだいたい同じだ。
弱そうな女を見つけて、酒と勢いで自分が強いと錯覚する。
「……今、なんつった?」
酒場の空気が一段、重くなる。周りの客が視線だけを動かし、誰も止めに入らない。止める義理もない。何なら楽しんでいる。そんなギャラリーに囲まれたヤザキ自身、口の端が上がっている。
ヤザキはグラスを置いた。中身はもうほとんど残っていない。どうせ不味い。
「聞こえなかったか? 耳も蒸気漏れしてんのか」
肩をすくめてやる。
「ここは人間専用だって言ったんだ。発情期の猿は檻に帰れ」
次の瞬間、男が椅子を蹴倒した。
「殺すぞ、クソ野郎!」
いいね、その目だ。自分が主役だと思ってる目。だがこの街じゃ、主役はだいたい血を流す。
男の義腕が唸りを上げ、蒸気を噴いた。酒場の照明が一瞬だけ揺れる。ヤザキは立ち上がり、コートの下で右腕を軽く振った。義手の内部で、ピストンが一拍遅れて噛み合う感触。今日も調子は最悪だ。
「先に言っとく」
ヤザキは男を見て言った。
「俺は弱い。だが、しつこい」
男が突っ込んでくる。床板が軋み、蒸気と怒号が弾けた。蒸気義腕の拳がヤザキの頬をかすめ、視界が一瞬だけ白くなる。歯が鳴り、鉄の味が口に広がった。
「ほら見ろよ!」
男が吠える。
「口だけのクズが!」
「ちょっと違うな。サル野郎。俺は口だけのクズじゃない。何もかもクズなんだよ」
ヤザキは、口を閉じて殴った。右腕の安物義手が唸る。遅れて、爆音。拳は腹に入った。硬い。肋骨に当たった感触が、鉄越しに伝わる。男が呻いて一歩下がる。
酒場が沸いた。歓声と罵声が入り混じる。賭けが始まる音がした。
「調子乗るなよ!」
男は突っ込んでくる。義腕を振り回し、力任せだ。単純な力だけなら強い。
(そうこなくっちゃな)
次の一撃を、ヤザキは避けなかった。肩で受ける。鈍い衝撃。視界が揺れる。だが、その距離まで来れば話は別だ。
ヤザキは頭突きを叩き込んだ。鈍い音。額と額がぶつかる感触。男の鼻が潰れ、赤いものが飛んだ。
「――ッ!」
男がよろける。ヤザキは逃がさない。義手の出力を、限界まで上げた。よく分からない警告音が鳴ったが無視した。
「クソが……!」
最後の一発は、顔面だった。爆音と一緒に、男が後ろに吹き飛ぶ。テーブルが倒れ、酒瓶が割れる。男は動かなくなった。酒場が一瞬、静まる。
それから、何事もなかったみたいに騒ぎが戻った。ヤザキは息を吐き、義手を下ろした。内部から嫌な音がする。たぶん、またどこか壊れた。いや、そもそもまともに稼働してなどいない。適当に油を指してごまかしているだけのオンボロだ。
絡まれていた女は、もうそこにいなかった。礼も、文句もない。店主がヤザキに呆れながら言う。
「残念だったな、ヒーローさん?」
「あ?」
「あの女、いつの間にか消えてたぞ。ま、そのうちまた来るかもしれねえだろ。そう気を落とすな」
「勘違いしてるようならはっきり言っとく。俺が何で喧嘩を売ったのか」
そう言ってヤザキは笑う。
「単に“そうしたかった”からだよ。それ以外、どうでもいいんだよ、俺は」
ヤザキはそう言うと酒を一気に飲み干した。
「・・・修理代は出せよ」
店主はやや引き気味に言う。
「ツケで」
「増えるぞ」
「生きてりゃ払う」
ヤザキはコート(ヤザキの物ではないが、そんなことヤザキの知ったことではなかった)を羽織り、酒場を出た。蒸気の街は相変わらず臭く、騒がしく、最低だった。
だが、暇つぶしが出来た。
それだけで、十分だ。
帰り道は、いつも同じだった。
ボイラーの排気管が並ぶ裏路地を抜け、蒸気で視界が白くなる区域を横切る。夜でも昼でも、街の様子は変わらない。変わるのは、殴られた箇所の痛みくらいだ。
ヤザキの義手が、時折、嫌な音を立てる。無視する。どうせ直す金はない。
住処は、街の外れにある集合住宅の最下層だった。正確には「住居区画」と書かれた鉄板の箱が縦に積まれているだけの場所だ。扉は薄く、鍵は信用できない。が、そもそも取られるような物など持ってはいないので心配ご無用だった。酒やドラッグでキメた奴が突撃してくるかもしれないが、それは望むところだ。
部屋に入ると、蒸気の匂いが一段薄くなる。代わりに、油と埃と、古い酒の匂いが鼻についた。ヤザキはコートを放り投げ、壁にもたれた。鏡代わりの金属板に、殴られて腫れた自分の顔が映る。
「……上出来だな」
誰に向けたわけでもなく、そう呟く。今日も死んでいない。それだけで、充分すぎる成果だった。
棚から安物の酒を取り出し、一口飲む。相変わらず不味い。義手を外そうとして、やめた。面倒だったし、どうせ明日も使う。ベッド代わりのマットレスに倒れ込み、目を閉じる。
外では、まだ街が唸っている。
この蒸気都市――スチームヘイヴンはどうしようもない欠陥品で溢れた街だ。
「今日は気分よく寝られそうだ」
そう呟くと、ヤザキは目を閉じた。
蒸気街のクズ @susu358
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