手中に収めて【妄想推理は誰が為に】
人鳥迂回
前編
1
神宮寺啓介(じんぐうじけいすけ)は家に訪れていた冬霞雪音(ふゆがすみゆきね)に昼食を振る舞う準備をしていた。
寒空の中、緊張した面持ちで家を訪れた雪音に対し、寝癖が付いたままの髪、寝ぼけ眼、着替えていないスウェットの来客など微塵も考えていなかった格好で啓介は出迎えた。
対する雪音は白い髪を隠すために被っているキャスケット帽を目深に被り、冬用のお洒落をしていた。褒めることもしない啓介に溜息を一つ付いた雪音は、適当な理由を付けてアパートの一室へと上がり込んだ。
意中の相手の部屋に上がり込むと言うのにムードも何もなく、散らかっている部屋を見て唖然とする。予め雪音が来ることを聞いていた啓介だったが、高声からの付き合いである彼女に対して気を使うことはしなかった。
好意を寄せている雪音、その好意を知っているが分からないふりをしている啓介。二人の関係は進むことはなく、失われることもない。
「雪音、ひとりで来たの?」
脱ぎ散らかした服を纏めて洗濯機へと運んでいる雪音に啓介は声をかける。
「家の者に送ってもらいました。最近は物騒ですし、お父様がひとりで出歩くことを許してくれないんですよ」
雪音の家は冬霞グループという様々な事業を行っている。啓介の世話を焼いている少女は冬霞家の一人娘であり、蝶よ花よと育てられたお嬢様である。
「そりゃそうだよね。殺人事件があったばかりだから」
「本当に勘弁してほしいですよ。そのおかげで私は啓介さんのところへ来るにも親の許可を取らなければならないんですから」
「親に男の部屋に行くって伝えるのってどんな気分?」
「……今と同じ気分ですよ」
「幸せってことかな」
雪音は、面倒な親の説得を経て家までやってきた自分の気持ちも汲まず、独りでに昼食の準備を始めた啓介の臀部を蹴り上げる。大した力ではないのだが、啓介は過度に痛がる振りをした。
「でも殺人事件の犯人は捕まったんでしょ?さっきニュースで見たよ」
部屋の中では二人以外の声が響いていた。薄型テレビに映し出されたバラエティからは女性芸能人が部屋の片付けや収納術についての豆知識を披露している。その場では役に立つと感心しても、実践することはなく、その瞬間だけを楽しむ番組。
バラエティ番組が始まるまでの五分間には、隣町で起きた殺人事件についてのニュースが流れており、犯人が捕まったと報道されていた。
「犯人は容疑を否認しているようですよ」
「そりゃ犯人は否認するって。認めたらそこでおしまいですよってな感じ。なんでも現場には犯人の名前が書かれてたっていうじゃないか」
事件の内容を思い出す啓介。
事の発端は数日前、隣町の公園にて女性が殺害された事に始まる。被害者の名前は白波(しらなみ)。女性のみの職場である、フィットネスジムで働いていた女性は何者かに後頭部を殴られる形で殺害されており、その際にダイイングメッセージとして犯人の名前が書かれていた。丁寧にフルネームで書かれていたため、警察はすぐに犯人を見つけるに至ったのだ。捕まったのは被害者の同僚である相生(あいおい)であった。
「啓介さん、ニュースで報道されていない内容があると言ったら信じてくれますか?」
「僕が雪音のことを信じなかったことがあるかい?」
「両手で数え切れない程ありますよ」
「これまでのことは全部忘れて、今からカウントしようか。そうしたら一度もないでしょ?」
「まるで探偵とは言えませんよ、その物言いは」
神宮寺啓介は自称探偵である。
仕事として浮気調査等を行う職業ではなく、創作の世界に存在する事件の謎を解き明かす探偵。
高校時代にも校内で起こった事件を何回か解決していた。解決と言っても、啓介と雪音の中で作り上げた事件の真相が当たっていただけである。自称探偵が警察の捜査に介入することもなければ、決められた事実を捻じ曲げる力があるわけではない。
あくまで啓介が行うのは、謎を自分なりに納得のいく形で解明をすることだけ。「推理なんてただの妄想。当たれば重畳。自己満足の塊」と普段から語っている。
「探偵は事件がなければいないのと同義。倫理観なんて合ってないようなものさ」
「優しさくらいは持っていてくださいね」
「雪音の分も昼食を作る優しさは残っていたみたいだ」
冷凍していた米を電子レンジで温めて解凍する。何度かピッピッという音を鳴らしたあと、電子レンジはオレンジ色の明かりを纏って動き出す。待ち時間は約十分。
既に部屋の片付けを粗方終えたは机の側に座っている。啓介が部屋に引っ越して来た翌日に雪音が持ち込んだクッションを抱えたまま、啓介の方を見つめて待っていた。啓介はゆっくりと雪音の側に腰を下ろして話を始める。
「それで警察も知らない事実って何?」
「報道規制というのでしょうか。冬霞の手のものが警察にいるので教えていただきました」
「それって大丈夫なの?スパイ的な奴?」
「その方はしっかりと試験を受けて警察になっていますよ。近隣や冬霞の施設に影響があるかも知れないと事件の詳細を聞き出しただけです」
「お嬢様の力ってすごいなあ」
淡々と語る雪音に対して適当な相槌を打つ啓介。
警察としても冬霞の家を蔑ろにするわけにはいかず、捜査の協力ということで、多少の状況提供をしてもらっていた。その内容を雪音も聞いていただけである。雪音も座って聞いていただけではなく、協力を申し出る警察に対して事件の詳細を質問していたのだ。
「そのお陰で、啓介さんに解決されていない謎を持ってきましたよ」
「流石、僕の助手だね」
「もっと褒めてくれてもいいですよ」
啓介の腕に頭を押し付けて撫でることを要求する雪音だったが、意図を理解している啓介からの接触はなかった。
本来であれば警察からの情報を外部に漏らすことは許されない。雪音も誰彼構わず吹聴するわけではなく、啓介以外に伝えるつもりはなかった。啓介に伝えに来たのは歪んだ愛情を抱えているからである。
神宮寺啓介という男は何よりも謎が好きだった。謎を解き明かす快感に取り憑かれていると言ってもいい。啓介が雪音のことを真に要求するのは謎に関しての時だけであり、雪音もその事を理解していた。啓介に振り向いてもらう為に、謎という花束を持ってアピールしているのだ。
「それで事の詳細は?」
既に謎へ興味が向いている啓介は雪音の行動をそのままに、事の詳細を聞き出そうとする。
「はあ……。まあいいです」
頭を撫でてもらえなかったことで不満気な表情をしながらも、啓介に寄りかかりながら雪音は答える。
「三日前、隣町の公園で女性の遺体が発見されました。遺体の左手部分には加害者と思わしき女性の名前が書かれていたのです」
「そこまでは知ってる。それ以上の情報があるんだよね?」
「はい。ここからが問題なんです」
雪音は腕を伸ばす。着ていた白いニットの袖から綺麗な手が見えていたが、その手を袖口にすっぽりとしまうと、ニットの先端が力なく垂れ下がる。
「その遺体には左手がありませんでした」
「左手が無かった?」
「はい。恐らく犯人が切ったと思われます。元々欠損していたわけではなく、切断面は残っており、公園の砂が付着していたそうなので」
「猟奇的な事件だ」
隣町で起こった殺人事件。ニュースで報道されているのは女性が亡くなったことと、犯人が捕まったことだけであり、状況までは説明されていなかった。
犯人により左手が切断された遺体。犯人はどのような理由で左手を切断したのかは人の心情であり、推理のしようがないため啓介の琴線には触れなかった。ただ――。
「左手のない遺体が、左手でダイイングメッセージを書いたってことだよね」
「そういうことです」
被害者の左手側に書かれた犯人の名前。しかし、左手は現場に残っておらず書くための方法はない。
存在しない左手で書かれたダイイングメッセージが啓介の興味を惹きつける。
「面白い」
「どうです? いい謎を提供できましたか?」
「見えざる手ってことだね。いいよ、いい感じの謎だ」
啓介は口角を上げて笑い出す。謎にしか向いていない笑顔を見ることができただけで雪音は満足していた。自分に向けられていない笑顔であっても、啓介を笑顔にしたのは自分だという思い込みがあったからである。両者とも自らが求めるものに対しての偏愛が凄まじく、異常性を指摘することは無かった。
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