チューニ病王子

上條 一音

第1話

 ダガー王国は、大きな湖を臨む美しい国である。二百年ものあいだ戦とは無縁で、湖を利用した交易や水運によって国は潤ってきた。


 湖のほとりには、白い大理で築かれた王城がそびえている。水面に映えるその姿は、白鳥が翼を休めているかのようだと讃えられ、王国民の誇りでもあった。


 そんな優雅な王城の医務室には、場違いなほど重苦しい空気が漂っていた。カルテを見つめる医師と、固唾をのむ二人の男女――国王陛下と、その妃だ。医師はカルテから目を離すと、暗い表情で二人に向き直った。


「誠に申し上げにくいのですが……ハイン王子の御病気は、私には手の施しようがございません」


「そんな……!」


 悲鳴な声を上げたのは、王妃だった。


「嘘よ……どうしてあの子がこんな事に……ああ、ハイン……!」


 泣き崩れる王妃の肩を、王が神妙な表情で抱く。ダガー王国には、今年で十四歳になるハイン王子がいた。長年子に恵まれなかった王夫妻が、ようやく授かった一人息子だ。溺愛に溺愛され、玉どころか宝石のように育てられてきた。


 その王子が、半年前から原因不明の病に侵されていた。城付き医師団は、ありとあらゆる治療を試みたが、症状は悪化の一途を辿るばかりだった。そこで王妃は、国で一番とも謳われる名医を呼び寄せた。そんな医師が匙を投げたのだ。王妃が取り乱すのも仕方のない事だった。


「王妃様。どうかご安心ください」


 肩を震わせる王妃を再び椅子に座らせると、医師が優しく声をかけた。


「私の診立てが正しければ、王子殿下の御病は、成人される前後で自然に治る可能性が高いかと」


 王と王妃は顔を見合わせた。ここ半年、病気の正体すら分からなかったのだ。ようやく光明が差した気がした。王は、期待を込めて医師を見つめる。


「それは誠か?」


「はい。恐らく王子の御病は、遥か東の国より伝わったものと存じます。思春期特有の精神の揺らぎが引き金になるとされており、明確な治療法は確立されておりません……ゆえに、時が過ぎるのを待つほかございません」


 王妃の顔に不安が浮かんだ。病の正体が分かったものの、自然治癒に任せるしかないという宣告は、二人の胸に浮かんだ微かな期待を大きく揺るがせた。


「それは、なんという病なの?」


 王妃が囁くように尋ねる。医師は丸眼鏡をくいっと持ち上げると、厳かな調子で告げた。


「――チューニ病でございます」


 なお、命に別状はない。

 

*****


 ハイン王子は、頬杖をつきながら半分居眠りしていた。卓上には文字で埋め尽くされた羊皮紙が広げられ、大人たちが深刻そうに議論を重ねている。しかし、ハインの耳には子守歌にしか聞こえない。


 最近になって王に尻を叩かれ、嫌々ながら議会に顔を出すようになったハインは、マントを腰に巻き、ベルトループからペンダントをじゃらじゃら垂らすという尖ったファッションで現れていた。大臣達は「若者の趣味は分からぬ」と囁き合っていたが、どの時代も年寄りは前衛的なファッションに付いていけないものだ。致し方ない。


 それにしても、とんでもなく眠いな。早く部屋に戻って昼寝したいんだが。あまりにの退屈さに欠伸を嚙み殺した時、宰相が手をパンパンと打ち鳴らした。


「それでは、決定した内容にて進めましょうぞ。よろしいですかな、陛下?」


「うむ、問題ない。議事に署名をしよう」


 ハインの真正面に座っていた王が、羊皮紙にペンを走らせる。その時、太い声が空気を割いた。


「お待ちください」


 手を上げたのはニコラス近衛騎士団長であった。鍛え抜かれた屈強な身体に、歴戦の証とも取れる右目の眼帯。〝隻眼の鬼〟の異名を持つ、王国最強と謳われる男だ。


「近頃、王子の病は悪化する一方でございます。いずれ国の頂点に立たれるお方が、これほど脆い精神では困る。病に屈するようなお方が治める国を、我らは本当に命を賭して守るべきなのか。今一度、真剣に議論すべきかと」


 部屋中に静寂が満ちた。誰もが恐れをなしたようにニコラスを見つめる中、ハインの後ろに控えていた女性が一歩進み出た。


「無礼な! 幾ら近衛騎士団長と言えども、そのような発言が許されるとお思いですか?」


 王子の世話役兼護衛を務めるアネットだ。背中まで流れる長い髪を一つに束ね、動きやすさを重んじた世話役の装いに、腰には常に帯刀している。親子ほど年の離れた相手にも臆することなく、彼女はニコラスの隻眼を真正面から睨み据えた。


「はっ、たかが従者が良く吠える」


 鼻で笑われ、アネットの眉がぴくりと吊り上がる。彼女は脅すように腰の剣に手を掛けた。


「良い機会です。以前から貴方とは意見が合いませんでした。お望みなら表に出て正々堂々と勝負いたしましょうか?」


「望むところだ。私もその立場に似合わぬ君の態度は、いかがなものかと感じていたのだ」


 ニコラスが颯爽と立ち上がった時だった。


「――やめよ、二人とも」


 王の静かな声が、一触即発だった空気を解いた。王の咎めるような視線を受けた二人は、ゆっくりと腰を下ろす。それを確認した王は、深い溜息を吐いた。


「アネット。そなたのハインに対する忠誠は承知している。だがな……ニコラスの言葉にも一理ある。正直に言えば、私もニコラスと同様の危惧をしているのだよ」


 王の諭すような言葉に、アネットは悔し気に唇を噛んだ。


「まあまあ、陛下。そう悲観なさらず」


 宰相が、場の空気を和らげるように口を挟んだ。


「人は皆、回り道をしながら大人になるもの。真っすぐ歩くだけでは、見えぬ景色もございます。ハイン王子も、きっと立派に国を導いてくださいますとも」


 宰相は、皺に隠れそうな瞳を細め、穏やかにハインを見やる。ほとんど夢の中に居たハインは、凭れていた頬をずるりと滑らせ我に返った。お? どうして僕は、こんなに注目されてるんだ?


「そうでございましょう、王子?」


「へ?」


「ですから、立派に国を導いてくださるのでしょう?」


 ハインは、ようやく自分が何を訊かれているのか理解した。全く……誰も彼もが期待を押しつけてくる。まあ、これが選ばれし者の宿命というやつか。ハインは、逃れられない運命を嘆きながら髪を掻き上げた。


「この腐った世界が終わる時こそ、秘められし僕の力は解放される。この国は僕が必ず守ってみせよう。この命に代えても、な……」


 この上なく静まり返った部屋で、宰相が「大丈夫でございますよ……多分……恐らく……」と、力無く呟いた。


*****


 王城の下には町の灯りが連なり、夜の気配に浮かれて行き交う人々の声が、かすかに風に乗って届いてくる。ハインは自室のバルコニーに立ち、その明かりの海を眺めていた。


「ハイン様」


 背後から声が投げかけられる。振り向けば、アネットが居た。


「また町を見下ろしながら、この世に生を受けた瞬間から足を鎖で縛られ、どこにも行けないご自分の運命を呪っていらっしゃるのですか?」


「まあ、そんなところだ」


 ハインが哀愁漂う笑みを浮かべた。


「つかぬ事をお伺いしますが、何を飲まれているのですか?」


 アネットの視線は、傍らに置かれたデキャンタとワイングラスに注がれている。


「ん? ああ、これはジャスティス地方のワインでな。甘味の中に渋みがあって、それがまた癖になる味で……」


「没収させて頂きます」


「あああ! おい、返せよ!」


「我が国では20歳以下の飲酒は禁じられております。大体、ワインの味を語るには10年早いです。感想が紙並みにぺらっぺらですよ」


「うるさいな!」


 ハインが噛みつくように言った時だった。

 

「王子、お静かに願います」


「むぐぅ」


 アネットが、ハインの口元を一瞬で塞いだ。「なんだよ?」と視線で訴えるハインに、アネットが眼下を顎で示す。


「あれはニコラス様では?」


 ハインは目を凝らした。確かにニコラスらしき屈強な後ろ姿が、辺りをきょろきょろと見回しながら、近くの森の中へ駆けて行くのが見えた。


「あいつ、こそこそと何してるんだ?」


「女性と逢引でもするのでしょうか」


 アネットの意見を、ハインは「はっ」と鼻で一蹴する。


「騎士団長ともあろう男が色恋だと? そんなものに踊らされるなど愚の骨頂だ」


「ご自分がモテないからと言って、色恋を否定するのはどうかと」


「ほっとけ!」


 喚くハインを尻目に、アネットはバルコニーの手すりに足を乗せ、飛び降りる姿勢を見せた。


「お、おい? どこ行く気だ?」


「後を追います。あの男、叩けば埃が出るやもしれません。弱みの一つでも握って、そろそろ失脚して頂きましょう」


「えっ、何お前、怖っ」


「とりあえず、ハイン様はここでお待ちを」


「いや、待て」


 アネットの腕を掴んだハインは、怪訝そうな彼女を真っすぐに見つめた。


「お前一人だと危険だ。僕も行く」


 あの堅物な男が本当に逢引しているなら、ちょっと興味がある。ワンチャン、むふふな現場が見られるかもだし。


「……スケベ王子」


「人の頭を読むな!」


 かくして森へ入った二人は、足元の折れた草を頼りに、奥へ奥へと進んだ。


「あ……あいつ、どこまで行ったんだ?」


 ハインは息を切らせながら、文句を垂れた。かれこれ30分ほどは歩いている気がする。くっそ、こんな事なら部屋でのんびりしてれば良かった。


「ますます怪しいですね。それほど誰にも姿を見られたくないという事でしょうか」


 黙々とハインを先導していたアネットが、不意に立ち止まる。無言のまま指し示された先を見やると、木々の隙間からニコラスの姿が見えた。


「なんだ? 剣の鍛錬か……?」


 ニコラスは開けた場所で、一心不乱に剣を振るっていた。修練場があるのに、なんだってこんな森の奥まで来たんだ? 


「ハイン様。何か落ちています」


 隣のアネットが拾い上げたのは、一枚の羊皮紙だった。二人は額を突き合わせて、羊皮紙を覗き込む。


「閃光の竜血剣……? 誇り高き竜から授かりし伝説の剣でのみ扱える必殺技。その切っ先は閃光のごとく敵の身体を引き裂く……なんだこれ?」


「裏にもびっしりと書いてありますね。時の斬撃、オーシャンボム……聖なる雷、セントブリッツ……シャイニングレイン……」


 無言で顔を見合わせた二人は、木に姿を隠しながら、慎重にニコラスへと近づいた。


「――聖なる雷、セントブリッツ!」


 夜気を切り裂く咆哮と同時に、ニコラスの剣が閃いた。体重の乗った一振りが空を斬り、その鋭い音が離れたハインの耳にまで届いた。


「くそ、駄目か……ならば、これならどうだ! 神の慈雨、シャイニングレイン!」


 常人には追えない速さで剣が舞う。月光が細かく砕け散るかのようだった。息をつく暇もなく連撃を繰り出したニコラスだったが、やがてがくりと膝を付いた。


「ぐっ……さすがだ……この力を抑え込むには、私とて限界か……」


 荒い呼吸の後、ニコラスが震える手で剣を掲げる。ダガー王国の紋を刻んだ刃先が月明かりを受け、鈍い光を放った。


「封印されし竜よ……我が名に応え、姿を現せ。閃光の竜血剣! びゅん、ぶしゃっ……ぐさっ、ぐさっ、どさどさ!」


 最後の一撃が、地を割らんばかりの圧で振り下ろされる。空気が震え、余波だけが夜に残った。


 やがてニコラスは静かに立ち上がると、剣を鞘へ納める。その横顔は、国一番の剣士にふさわしい威厳を湛えていた。


「あ、あいつ、忙しすぎて頭おかしくなったのか?」


 狂気の沙汰ともとれるニコラスの奇行に、ハインは茫然と呟いた。


「あれはもう駄目かもしれませんね」


「とりあえず、見なかった振りをしよう。こんな事が周りに知れたら、あいつ立場なくなるぞ……アネット、行くぞ」


 急いで回れ右をした時だった。ぱきり――ハインの足元で、木の枝が折れた。


「何者だ!」


 途端、ニコラスが弾かれたように振り返る。今まさに退散しようとしていたハインは、その場に凍り付いた。


「なっ……お、王子?」


 二人をみとめたニコラスが、驚愕した。その表情には、衝撃とは別に確かな恐怖の色が滲んでいる。


「ま、さか……見ていらっしゃったのですか……?」


「あー……ごめんな。悪かった。そんなつもりじゃなかったんだ」


 ハインは、すまない気持ちで顔の前に片手を立てた。


「ふっ、まさか天下の騎士団長様がチューニ病を患っていたとは。よくもハイン様を愚弄できましたね?」


 アネットが軽蔑したように嘲笑った。ニコラスの肩が恐れをなしたようにびくりと震える。


「ち、違う……これは違うんだ」


「何が違うと言うのです? ふざけた技名に、効果音を口で表すなど……寒すぎて見るに堪えません。しかもその御年で、ハイン様より拗らせているではないですか」


「止めろ、アネット! お前、鬼か!」


 容赦なく傷口に塩を塗り込む従者を、慌てて黙らせようとした時だった。突然、ニコラスがアネットに向かって剣を振り上げた。


「うわあああああ!」


「くっ……」


 寸でのところで斬撃をかわしたアネットが、地面に転がる。ニコラスはそのまま「違うんだあああ!」と叫びながら、どこかへ走り去っていってしまったのだった。


*****


 ニコラスは、次の日から謎の療養に入った。話を聞きかじったアネット曰く、体調不良を訴えているそうだ。騎士団長に就任以来、一度たりとも休んだ事がないような男だ。王を始め、騎士団員は痛く心配しているそうだが、理由を知っているハインは複雑な思いを抱いていた。


「いい気味です。このままご自分の意志で、騎士団長の座を退いて下されば良いのですが」


 とある日のティータイム時。ハインの紅茶を注ぎながら、アネットが冷たく呟いた。ニコラスが療養に入り、既に一週間が経っていた。


「どうだろうな。そこまで責任感の無い男じゃないだろ」


 ここ数日、微妙に責任を感じていたハインは、夜しか眠れていなかった。


「その時はその時です。幸い、よい証拠がございます。次の議会でこれを陛下にお見せして、ニコラス様の退任を要求するつもりです。筆跡を見れば、一目瞭然でしょう」


 アネットが自身のポケットを軽く叩く。中には、あの夜に拾った羊皮紙がきっちりと収められていた。


「何もそこまでしなくても良いんじゃないか?」


「いいえ。自暴自棄になったニコラス様が、貴方に危害を加えるかもしれないのです。その前に、手立てを打たねば」


 アネットならマジでやりかねん。このままじゃ血を見る事になりそうだ――そう戦慄したハインは、遂にその夜、ひとりで兵舎を訪れた。


「開けてくれ、ニコラス。ハインだ」


 騎士団長に宛がわれている私室の前で、ハインは扉を叩いた。返事がない。ただの屍のようだ。そんな事もあろうかと、王子権限で入手しておいた合鍵を使ったハインは、そっと部屋に入った。ニコラスはベッドの上で枕に顔を埋め、しくしくと泣いていた。


「おい、ニコラス。なんで休んでるんだよ? 団員達も心配してるぞ」


 ベッドの傍らに立ち、そう声をかける。ニコラスがのっそりと顔を上げた。ずっと泣きはらしていたのか、両目が真っ赤だ。ていうかお前、右目全然普通じゃねえか。眼帯はなんだったんだよ。


「……もう私は、騎士団長ではなくなります。近日中に辞任するつもりです」


 ずびずびと鼻を啜りながら、ニコラスがしわがれた声で言った。


「はあ!? お前が居なくなったら誰が騎士団をまとめるんだよ!」


「私ごときでも務まる役目です。誰でも出来ましょう」


 ニコラスが投げやりに言い捨てる。我慢ならなくなったハインは、思わずその肩を強く掴んだ。


「ふざけるなよ! それだけ才能にも体格にも恵まれてるのに、何を言ってるんだ? 僕が剣の稽古の度に、アネットにどれだけボロカス言われてるか知ってるのかよ!」


「っ、恵まれているのは王子の方ではありませんか!」


 手を強く振り払われ、ハインは後ろによろけた。困惑していると、ゆっくりとベッドを降り立ったニコラスが、ぼろぼろと涙を落としながらハインを睨み付ける。


「私だって、転生したら第一王子でした、とかなんとか言ってみたいですよ! なんなんですか、産まれながらにして王族だとか! チート設定にも程がございます!」


「はあ?」


「わ、私は、自分が編み出した必殺技で敵をばっさばっさとなぎ倒し、英雄になる事だけが夢だったのです! そのために、幼い頃から日々鍛錬してまいりました!」


 次から次に流れ落ちる涙を腕で拭いながら、ニコラスは悲痛な面持ちで続ける。


「しかし、いざ騎士団長に上り詰めたは良いものの、待っていたのは、敵ではなく書類との闘いでございました。来る日も来る日も山のような書類に埋もれ、剣ではなくペンを握る日々……この国は平和すぎるのです!」


「えーっと……平和じゃ駄目なのか?」


 遠慮がちに尋ねると、ニコラスは「とんでもない」と首を激しく横に振った。


「無論、これ以上ないほど喜ばしい事です。これも陛下の尽力の賜物でございます。ですが戦が無ければ、私の必殺技が日の目を見る事はないのです」


 情けない声で吐き捨てたニコラスは、どこか悲壮な面持ちで己の掌を見下ろした。


「私は、選ばれし特別な者になりたかった……初めから特別な王子に、私の思いはご理解いただけませんよ……決して……」


 その掌には、幾度となく剣を握り続けきた証がある。潰れては固くなり、また割れたであろう血豆が、ニコラスの積年の願いを悲しげに物語っていた。


*****


 翌日、城では議会が開かれていた。ハインに無理やり部屋から引っ張り出されたニコラスも出席してはいるが、見るからに意気消沈しており、普段の覇気が全くない。


 いつだったか、ニコラスは辺境にある小さな村の平民出身だと聞いた事があった。人脈も金も無いニコラスがここまで這い上がってくるには、血の滲むような努力が必要だったのだろう。城で産まれ、何不自由なく暮らしてきたハインには、想像もつかなかった。


「さて、それでは本日の議会は終了といたします」


 宰相が、パンパンと手を打ち鳴らした。考えに耽っていたハインが意識を取り戻した時、凛とした声が響いた。


「お待ちください。本日は、私からご報告せねばならない事がございます」


 後ろに控えていたアネットだった。何を話すつもりなのか察したハインは、慌ててアネットの腕を引いた。


「おい、止めてやれよ。やっぱり可哀相すぎるだろ」


 必死に囁くが、アネットは頑として首を横に振る。


「いいえ。私には貴方に刃を向ける者を、全て始末する義務がございます」


「でも、あいつのしょぼくれた顔見ろよ。刃どころか、裁縫針にすらならないぞ」


「――アネット、どうしたのだ? 早く、報告とやらを」


 こそこそと話す二人に、宰相が怪訝そうに声をかける。アネットはハインの手を半ば無理やりに振りほどくと、ポケットに手を入れた。


「皆様、この羊皮紙をご覧ください」


 言いながら、アネットが羊皮紙を広げる。視界の端で、ニコラスの顔が恐怖に歪むのが見えた。特別な者になりたかった――そう悲しげにつぶやくニコラスの表情が、ハインの頭をよぎった。


「うわああぁあぁあ!」


 ハインは床を転げまわりながら絶叫した。その場の全員の視線が、何事かとハインに集まる。アネットは、羊皮紙を取り落とすと真っ青になりながら駆け寄ってきた。


「ハイン様! どうされましたか!? しっかりして下さい、ハイン様!」


「くっくっく、我が名はジャーキガン……神の右席に属する聖なる存在だ」


 ゆっくりと立ち上がったハインは、にやりと唇を歪めた。


「愚かな人間どもに予言をしてやろう。近い将来、この国には恐ろしい災いが起こる……」


「ジャ……ジャーキガン? 災いとは?」


 アネットが恐れをなしたようにハインを見上げる。ハインは少々焦った。国は平和そのものだし、何かそれっぽい災いはないだろうか。辺りを見回したハインの目に、狼狽えている宰相の姿が飛び込んできた。


「あの者だ……この国の宰相だ……油断するでない、くれぐれも用心せよ……」


 とりあえず宰相を指さしてみた。この前、医者に止められたのに酒好きが治らないのだと、母上がぶつくさ言っていた事を思い出したのだ。こう言っておけば、身体に気を付けるだろう。最近、すっかりよぼよぼになってしまったが、宰相には長生きしてほしいし。


「なっ……なぜ私がクーデータを企んでいると分かった!?」


 宰相が、くわっと目を見開いた。え? なんの話?


「くそっ、ジャーキガンめ! 貴様、何者だ! 馬鹿王子が王になったら、私がすべての権力を握る魂胆だったと言うのに! 長年の苦労を無駄にしおって!」


 喚き散らした宰相が懐から短剣を取り出した。誰もが呆気に取られている中、血走った目の宰相が、真っすぐハインに斬りかかってくる。


「ハイン様!」


 アネットが身を挺してハインに覆いかぶさった。


「馬鹿、下がれ……!」


 アネットを押しのけた次の瞬間、鈍色の剣先が脳天に向かって振り下ろされてくるのが見えた。あ、死ぬぅ。


 ズダァン――重い音が響いた。恐る恐る瞼を押し上げると、そこには宰相を床にねじ伏せるニコラスの姿があった。ち、ちびるかと思った。


「ハイン様、お怪我は!?」


 腰が抜けてしまっていると、アネットが泣きそうな表情で顔を覗き込んできた。


「こっちの台詞だ、馬鹿従者! 死ぬ気か!」


「私の事はどうでも良いのです! それよりも、お身体は? ジャーキガンは何処へ? なぜ宰相がの企みが分かったのですか!?」


「はあ? そんなもの出まかせに……」


 言いかけて、慌てて口を噤む。アネットを止めるために演技をしたと言えば、ニコラスのチューニ病が皆に知られてしまうしれない。ハインは苦渋の決断の末、再びジャーキガンをこの身に宿らせる事にした。


「くっくっく、この姿は仮の姿……人間どもの下らぬ企みなど、私にはお見通しだ……」


 かくして宰相は捕らえられ、ハインはと言うと、いよいよ様子がおかしいという事で、悪魔祓いのもとでみっちり浄化される羽目になったのだった。


*****


「王子、失礼いたします」


「おー、ニコラス。来てくれたのか」


 十日後、ようやく城に戻れたハインの元に、ニコラスがやってきた。昼夜問わず、永遠に祈祷を唱え続けられたハインはすっかりげっそりしていたが、ニコラスの顔色はすこぶる良かった。今では騎士団長として変わらず職務に就いているそうで、すっかり元気を取り戻したようだ。


「あ、羊皮紙の件なら心配するな。あの後、跡形もなく燃やしておいた」


「私は一字一句違わず覚えておりますので、いつでも書き起こせますが」


 隣に控えているアネットが冷たく言い放つ。あの日、ハインがどさくさに紛れて羊皮紙を回収した事を、まだ根に持っているらしい。


「あの、王子……」


 すると、ニコラスが遠慮がちに口を開いた。


「なぜあの日、私を庇って下さったのですか? 私は今まで、王子に無礼な態度を取り続けておりました。私を笑い者にし、嘲笑えば良かったものを……」


 やけに、もじもじしていると思ったら、何を言い出すのか。ハインは呆れてしまった。


「あのなあ、笑うわけないだろ。お前の場合、実力が伴ってるんだ。生半可な努力じゃ騎士団長にはなれない。お前がその地位に相応しいのは、誰の目にも明らかだ」


 ニコラスは間違いなく王国一の騎士だ。正直、ハインだって憧れている。夜な夜な、騎士団長になった自分が敵をなぎ倒す妄想を繰り広げているくらいだ。


「胸を張れ。情けない顔をするな。お前の役目は、お前のようになりたいと思われ続ける事でもあるんだ」


 とにかくニコラスには、格好良く居てもらわなければ困る。そうじゃなきゃ、妄想がはかどらない。


「王子……」


 ニコラスは、得も言えぬ表情でハインを見つめた。次の瞬間、ハインは息を呑んだ。ニコラスが跪き、こうべを垂れたたのだ。


「なんだよ? 謝罪のつもりか?」


「いいえ、違います。ただ、私はたった今、貴方が作る国を見てみたいと感じました」


 きっぱり言ったニコラスは、ゆっくりと顔を上げると微笑んだ。


「この敬意は、その思いに対する期待でございます」


 期待? なんの? 去っていくニコラスの後ろ姿を見送りながら、ハインは首を傾げた。よく分からん男だ。


「まあ、いいや。アネット、剣の稽古に付き合ってくれ」


 重たい腰を上げたハインは、思い切り背伸びをした。


「あら、どういう風の吹き回しですか?」


「んー。僕の血は特別かもしれないけど、僕自身はなーんにも特別じゃないからな。出来ることから始めていくよ」


 とりあえず、アネットに守られてばかりは情けなさ過ぎる。面倒だけど、剣の稽古を頑張ろう。ぶっちゃけ、閃光の竜血剣は割とありだったし。


「……私にとっては、どんな貴方でも特別ですよ」


 ぼそりと呟いたアネットを「なんか言ったか?」と振り返る。


「何でもありませんよ。色恋に踊らされるのは愚の骨頂だと仰っていましたもんね」


「は? どういう事だ?」


「鈍感王子」


「いや、なんの悪口だよ!」


【完】

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