第30話
視界が傾いては微かに反発するように戻る。揺れる。
足元には首のないおばちゃんの死体。血の筋を辿ると頭があった。刺さっている刀が抜き取られると、カミキリさんが血のりを振り払っていた。
視界の先ではオクムラと対峙するモルザフの姿があった。大振りの大剣はそこらの冒険者のように乱暴ではなく正確で、たびたびオクムラは斬られる。そのはずが、オクムラは笑みを止めない。まるで遊ばれているかのように、むしろモルザフの表情は苦しく歪んでいく。
耳の奥の方から声が聞こえた。
シンク……シンク……。
「――シンク?」
ロードリーさんの声だった。
現実に連れ戻されると肩に誰かの手が見えた。ロードリーさんが俺の顔をのぞき込んでいた。
「大丈夫か?」
「ロードリーさん……」
「私たちが分かりますか?」パールさんが不安そうな顔で俺を見ている。
「パールさん……分かりますよ」
頭が重い。
意識がはっきりしてきて見えてきのは、今しがたの朦朧とする視界で見ていた気がする光景だった。死んだおばちゃんに、斬り殺したカミキリさんに、オクムラとモルザフ。
モルザフが目の前まで飛ばされてきた。
風車のように回転しながら宙を移動してきた大剣が近くの地面に突き刺さる。血でべっとりと濡れている。
モルザフの右腕は、肘から先が斬られたようになくなっていた。斬られたのだろう。
ところで大剣だが、血でべっとり塗れている。
救助活動でも使っていた剣だ。ゾンビも斬ったし、さっきはオクムラの腕も斬っていた。今ではもうオクムラの腕は再生しているが。
モルザフの腕の肘から先は何が原因でなくなったのか……あの大剣で逆に斬られたとするならば、モルザフの傷口には病魔の血が付着したはずだ。
このままでは感染する……。
いや、それは分からない。俺にはそんな知識はない。どういった仕組みで感染するのかなんて俺には分からない。
カチャリと音がした。カミキリさんが刀を握りしめていた。
――俺はとっさにカミキリさんを殴り飛ばしていた。
ロードリーさんとパールさんの短い悲鳴が聞こえた。俺の正気を疑っている。
俺は一体、何をやっているのか……。
「す、すみません……」
「よい」
カミキリさんは片足で踏ん張りながら立ち上がった。
口元に血が見えた。なのに俺を咎めない。
「当然じゃ。儂は……フランベーヌを殺した」
「俺は……」
仕方がなかった。分かっている。おばちゃんの話もカミキリさんの話もちゃんと聞いていたし覚えている。
「お主のような者は前の戦いでも見た。むしろ受け入れられぬ者の方が多かった。儂も最初は受け入れられなかった。じゃがシンク……」
まるで憂うようにカミキリさんは俺を見ていた。
「疑わしきは殺すしかない。それが病魔人を相手にするということじゃ」
「俺は……」分かっていると言いたい。
「直に慣れる」
表情が上手く作れない。
それは内から湧き出る感情も同じで、悲しくもなければ怒りもない。
ただ頬と口元が痙攣している。
遠くの空に黒い影が見えた。
おそらく町の外の森の方だろう。蛇のように昇っている。俺は凝視した。ロードリーさんたちも気が付き指を差している。
見る見る肥大しているかに思えたそれは、そうではなくこちらに真っすぐに近づいてきていた。
「沼じゃ」とカミキリさんが見上げて言った。「オクムラは病魔人の起源であり、奴はあの沼から生まれたと伝えられておる」
それは蛇はなかった。蠢く黒い水だ。
形状を常に変え、オクムラの頭上で停滞している。形だけなら雲のようにも見える。
俺をまっすぐに見て勝ち誇るような笑みを浮かべると、オクムラは沼の雲に手を伸ばした。沼が招くように足元に伸び、オクムラは階段へ上るように沼へ乗った。
沼の雲は常に形を変え、螺旋状や蛇のように全体をくねらせながら空へと昇っていく。オクムラが遠ざかっていく。
「いかん……打ち落とすのじゃ!」
カミキリさんが張り詰めた声を上げた。
ロードリーさんたちが戸惑うも説明はなく、打ち落とせともう一度言った。パールさんは魔力を振り絞り中級魔術を打ち上げる。ロードリーさんも続いた。だが当たらない。
沼の雲の内部に、灯る無数の黒い火が見えていた。カエルの卵のように黒点は蠢いている。
「【ファイアボルト】!」
形態【線香花火】を放った。誘導される火花は避けようがない。
それはオクムラの頭に灯る火へも飛び火するが、寸前で沼に守られた。
「あれが沼の力じゃ」
防がれたことがなかっただけに驚いた。
まるでこの眼のために用意されたような盾だ。黒点が打ち抜かれるたび雲は縮小し、オクムラの姿が遠くへ離れ小さくなるころには、雲はすべて焼き尽くされ消えていた。
カミキリさんが安堵の溜息をついた。
「逃げよったか……。流石じゃシンク。ひとまず奴の目論見もこれで一つは妨げられたじゃろう」
あの沼の雲には感染能力があるらしい。
前の戦争でオクムラはあの雲を操り、雨を降らせたのだそうだ。
「それらを一身に浴びたフランベーヌや儂は奴らの母体となってしまったのじゃ」
「母体?」
「詳しい話は森に入ってからじゃ。女王と我が弟子に会う」
【焚火のぬくもり】で癒してやると、モルザフの腕は再生した。
それは魔術でいうところの上級上位に相当する現象だという。モルザフはいつのまにそんな魔術を覚えたのかと驚愕した。
森に入り、日の差し込む浅い領域から、深い、木々の密集する最奥へと入っていく。その間もモルザフは王都へ行ってみた感想や、デメリットシンクの癖に一体どこで魔術を覚えたのかしつこく聞いてきた。
「別に、ケイデンスにいた頃から何も変わってないよ」
「……あれか、お前、本当は使えるのに隠してたのか?」
「は?」
「フランベーヌが言ってたんだ。お前は実はそこそこ戦えて、メリットも習得していて、だがそれを人に見せたくないだけだってな」
フランベーヌさんを殺したことについて、カミキリさんが説明し謝罪していた。
カミキリさんは隠すようなことはせず、一度感染したものは殺さざるを得ないその事情についても説明していた。
だがモルザフもそれではまだ腑に落ちず、変化が心配なら治したあとに様子を見ればいいのでは提案する。
カミキリさんは「それについては後で話す」と、前の戦争での後遺症についてはまだ話さなかった。
茂みの間から音もなくグリムが現れた。
確か町に入る前だ、ロードリーさんらが町民を外へ避難させていた時、先に女王のところへ行って事情を説明してくると姿を消したのだった。
「こっちだ」
俺たちはグリムに誘導され、、開けた空き地へ案内された。
周囲を森に囲まれたその場所は、まるで賊の野営地のようになっていた。だが山荘のような立派な家が一軒だけ見えた。
玄関の扉が開くと、オルギエルドさんの姿が見えた。
その後ろには赤狼の女王もあった。グリムを従え二人は俺たちの元へやってくる。
「ご無沙汰しております、師匠」
カミキリさは、オルギエルドさんの言葉に怪訝そうに言った。
「聞いたぞ。お主、人喰いらしいのお?」
「……師を出し抜けるくらいに強くなれと教わりました」
口をつぐむカミキリさんを見て思ったのは、それはきっとカミキリさん本人がかつて言った言葉なのだろうということだ。
師は弟子に出し抜かれた。
カミキリさんはエリンギン王国領での出来事について軽く説明した。
封印の祭壇での事、それからスバラの町の崩壊の事。女王が「虫については中で聞く」と言った。
「虫?」と俺は問う。
女王は俺と目を合わせ、「また会えて嬉しい」とどこか悲しげに微笑んだ。
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