異世界の悦びを知りやがって!

酒とゾンビ/蒸留ロメロ

第1話 グラスの水

 気が付くと、俺は知らない町にいた。

 道の真ん中に立っていた。道といっても舗装されてない砂地だ。


 西部劇で見た気がする。カウボーイが酒場の前でどちらが先に引き金を引くか勝負する場面を。

 石造りの住居みたいなものも見えるから少し違う気もするけど、そんな雰囲気の町だ。


「ハリス、どうしたの、帰りましょう」


 振り返ると、夕暮れを背に女の人が立っていた。

 優しい赤髪をした背の高い人だ。


「あれ……」


 ……違う。


 この人の背が高いんじゃない。俺が低いんだ。

 すぐに違和感ありまくりの自分の体を手で触って確かめていた。


「具合でも悪いの?」


「……何でもないよ、シンシア姉」


 ん、シンシア姉? 

 俺はその人の名前を知っていた。それだけじゃない。


 ここは枯れた鉱山の町。僕らは略して「町」と呼ぶ。

 それで通じるくらいには馴染んでいる。町に行ってくると言えば、普通はこの町のことを示す。


「――それはそれは美しい水だった」


 シンシア姉の元へ駆け寄ろうとした時、まるで物語を読み上げるような声が聞こえた。


 商人が地べたであぐらを組み、風呂敷を広げていた。

 風呂敷の上にはよく分からない小物の数々が並べられている。どれもガラクタに見えた。子供たちばかりに囲まれ、商人はとある一冊の本を手に読み聞かせを行っていた。


「さあ、このグラスを見てごらん」


 商人が示したのは風呂敷の上に置かれた雑多なワイングラスだった。


 子供たちは不思議そうにグラスを見下ろした。

 驚いた。

 空っぽだったグラスの底から水が湧きだし、グラスを満たしたのだ。


 子供たちは嬉しそうにぱちぱちと手を叩いた。

 水を飲みたいとせがんだ。ただし女の子は水ではなくワイングラスに興味を示した。


「おじさん、それは魔法ですか、魔法ですよねえ!?」


 俺はそのどちらでもない。

 思わず走って近寄り、商人に声をかけていた。


「魔法だって? そんな訳ないだろ、これはただの物語さ」


「物語?」


「魔法は魔法使いのもの、坊やだってそれくらい知っているだろう?」


 商人は一冊の本を抱えそう言った。


「……その本は何ですか?」


「だから物語さ。坊や、本当に知らないのか、お父さんやお母さんから教わってない?」


 常識だとでもいいたいのか、ムカつく言い方をする奴だった。


 ただ、知らないのはどうも俺だけであるような気がした。周りの子供たちが俺に向かって知ったような口をきいてくる。


 ――お兄ちゃん知らないの? なんで知らないの? 大人は字が読めるんだよ?


「その本でやったんですか、どうやってやったんですか?」


「ただ読み上げるのさ。始まりから終わりまで文字を声に出してなぞる。朗読ってやつだ」


「それだけ?」


「もちろん。字が読めるなら誰にだってできる、本があればの話だが」


 商人の胸元で閉じられる本から、俺は目が離せなかった。


「あの、その本売ってくれませんか?」


「悪いな、坊や。これは死んだ父親の形見でね、売り物ではないし、人にあげられるようなものでもないんだ」


「じゃあ他にどうすれば手に入りますか?」


「そうだなあ。もうちょっと裕福な町にでも行けば手に入るんじゃないか。だが本は高いぞー。贅沢品だし、中でも物語の記されたものは高価だしな。にしても、物語を欲しがるなんて珍しい。こんな無駄なもの、一体何に使うつもりだ、俺みたいに流れ者の商人にでもなるつもりか?」


「無駄なもの?」


「だってそうだろ。この本だってな、グラスを水で満たすには何ページも字を読まなくちゃいけない。坊やは終盤に来たから知らないかもしれないが、俺が水を出すまでに軽く一時間はかかってるんだぜ?」


 そういうことか。


「水が飲みたきゃ、そこらの酒場にでも行けばいい。山には川だってある。ま、この水ほど透き通ってはいないだろうがな」


 この辺りは特に貧しい訳でもない。透き通っていようが水は水、誰が金なんか払うだろうか。

 貧しい土地に行けば欲しがる人もいるだろう、でもその人たちには払う金がない。

 でも商人が言っているのはそんなことじゃない。

 現象を起こすまでにかかる時間だ。


「物語は素晴らしい、だが意味がない。暇つぶしにしかならない。こんな非効率なもの、生活に活かしようがないのさ。どこぞの金持ちのコレクションにでもなるのがオチだ。だが俺に言わせればクソだ、こんなものをため込むために金を稼ぐなんて」


 商人は話を途中に風呂敷を積んだ。

 子供たちが水を回し飲みし終え、グラスを回収すると立ち上がった。


「この物語はな、餓死寸前だった父の前に、偶然通りかかった賢人がくれたものだそうだ」


「賢人?」


「偉大な魔法使いのことだ。魔法使いは光る文字を宙に現し、それを一枚の紙にまとめた。紙が何枚にも重なり本の厚みとなるまでには、そう時間はかからなかったそうだ」


「それが魔法……」


「子供を楽しませるための作り話だ」


 力ない声だった。

 商人はどこか寂しげに去っていった。



 〇



 ハリスは孤児だった。


 いつからかは分からないけど、今はこの里親の家で育てられている。

 7歳の弟と妹がいて、15歳のシンシア姉がいる。


 ハリスは11歳だ。


「ハリス、朝ご飯の支度をして、今日はあなたの番でしょ?」


 その日はシンシア姉の声で目が覚めた。


 うとうとしながらベッドの上で体を起こすと、廊下から体半分ほど覗かせたシンシア姉の姿が見えた。


「おはよう、シンシア姉」


「おはよう。みんなもう起きてるわよ」


 夕暮れのような赤い髪が綺麗だ。それにかなり美人だし。

 シンシア姉はそのまま一階へ下りて行った。


 ベッドから降りるとベッドの二階にいるはずのティムの姿がなかった。

 向かいの二段ベッドの一階にいるユリカの姿もない。


「ハリス、庭にウサギがいるよ!」


 振り返ると半開きの扉から、はしゃぐユリカの顔が見えていた。日本人っぽい顔つきをしていて髪は黒い。将来はきっと美人になるだろう。

 腕の袖を引っ張られ、俺は外に連れ出された。


 庭に出るとティムの姿があった。


「ほら見て、ウサギだよ!」


 ユリカがそう言うと、ティムが意地悪そうに。


「違うよ、あれはネズミだ。毛が白くないだろ」


「……ほんとだ」


 がっかりして肩を落とすユリカ。

 話し声が聞こえていたのか、庭にシンシア姉が顔を出し。


「ウサギで正解よ。今は温かいから、毛が白くならないのよ」


「ちぇっ、なんだ」


「ティムの嘘つき」


 ユリカの仕返しに、ティムはそっぽを向いた。


 二人はいつも朝っぱらから元気だ。

 というより俺以外はみんな早起きで、大体いつも目が覚めた時にはベッドに3人の姿はない。

 だからいつも誰かに起こされる。




 シンシア姉に手伝ってもらいながら朝食を作り、いつもと同じ時間に食卓を囲んだ。


 両端に座っているのが里親のジェラルドさんとルナエナさんだ。

 見た目、20代後半くらいと二人はまだ若いように思う。


 女3、男3に分かれ、まるで対立しているかのように座っているけど特に意味はない。

 大人の二人が角の席に座る。それ以外はいつもバラバラだ。


 お祈りをしてから食べる。食べ終わるまで話をしてはいけない。

 それがこの家のルールであり、だから食事中はいつも静かだ。


 俺は朝食のパンとスープを口一杯に入れた、頬張るように。

 お椀をテーブルに置き、食べ終わったことをアピールして言った。


「魔法が知りたい」


 気のせいだろうか。

 スープを口に運ぼうとしていた里親二人のスプーンが、一瞬止まったように見えた。


 ジェラルドさんが先に食べ終えて言った。


「魔法と言ったのか?」


「うん。知ってる?」


「どういうことだ?」


 そこで、食べ終えたシンシア姉が呆れた風に説明した。


「この間、町で商人が物語を読んでいたの、それが気に入ったみたいで」


「そういうことか」


 ジェラルドさんは深く椅子の背に持たれた。まるで安心したよう見えた。


 食べ終えたルナエナさんは何も言わずに席を立ち、自分の食器を台所へ持っていく。

 まるで言ってはいけないことを口にしてしまったような空気が漂っている。

 でもそれは俺がただのハリスだった場合、気付けていただろうかという微妙なものだ。


「商人が物語を……ハリス、それは魔法ではない」


「知ってる、物語っていうんだよね」


「その通りだ。魔法は」


「――魔法使いのもの、でしょ?」


 スローペースな口調に待っていられず、俺は焦って先に答えてしまった。

 ジェラルドさんはそっと微笑み、「なんだ、私よりも詳しいじゃないか」と褒めた。

 でも話をかわされた気分だった。

 何も言わず、黙って聞いていた方が良さそうだ。


「その……魔法はあるんでしょ?」


「どうだろうな。仮にあるのだとしても、ただの人が手にしていいものではないはずだ。でなければ私たちの生活にもいくらか浸透しているはずだ」


 ティムとユリカは食べ終えると、さっきのウサギを見に行こうと庭に飛び出していった。

 二人は魔法や物語について知っているのだろうか。

 シンシア姉は興味を示さないけど、どうなんだろうか。

 分からない。あんなもの、どうして興味を持たずにいられるんだ。


「ハリスは町の酒場や飲食店の水が、なぜいつもそこにあるのか知っているか?」


 商人がワイングラスを水で満たしたことは、俺もシンシア姉も話してない。

 ジェラルドさんの口から、偶然にも水の話が出た。


「誰かが汲んで運んできたんでしょ?」


 水道なんてなさそうな町だし、多分そういうことだろう。

 どうやらハリスはそういった細かいことまでは知らないようだ。


 この体になってからしばらく経つけど、何を知っていて何を知らないのかということは、その時にならないと分からないことが多い。


「その通りだ。早朝に空の樽を持って山の上流まで登り、そこで水を汲む。水を満タンまで入れた樽の重量は、およそ30キロだそうだ。それを毎日二回、一人で行う。どこの店も、そのために大抵若者を一人は雇うんだ」


 この家もそうらしい。

 二日に一回、ジェラルドさんが小さい樽を持って、近くの川で汲んできているそうだ。


「店主は助かり、若者もしばらくは生活できる。だがもしその必要がなくなったら、その若者はどうなると思う?」


 俺が黙り込むとジェラルドさんは言った。


「だから、ない方がいいんだ。魔法なんてものはな」


 この家は町から少し離れた街道沿いに立っている。

 近所の川は森に少し入った場所にあって、この家の者くらいしか利用しない。

 奪い合いになることもなければ、川の水がなくなることなんてない。


 つくづく魔法なんてものがなくて良かった――ジェラルドさんは冗談っぽく言った。

 まるで話を誤魔化しているようにしか聞こえなかった。




 食器を片付けた後、外で洗濯物を干しているシンシア姉を見つけた。


「シンシア姉、町に行きたいんだ」


「まだそんなこと言ってるの、もう忘れなさい。商人は嘘つきなの、あなたはからかわれたのよ」


「でも、水が湧き出すのを見たよ?」


「きっと手品か何かよ」


 ジェラルドさんやルナエナさんと違って物々しい雰囲気を感じない。

 でも物語の存在は知ってるんだろう、そうじゃなければ俺と一緒に大騒ぎしてるはずだ。



 〇



 シンシア姉の目を盗みんで町にやって来ると、昨日と同じ場所に商人はいた。

 朗読はしてないみたいだ、周りに子供たちの姿もない。


「なんだ坊や、また来たのか。今日は朗読は休みだぞ」


 本ばかり読んでいては生活が成り立たない。商人たるもの物を売らないとな。

 そう言って風呂敷の上の小物を整理し始める商人。


「じゃあ、あの本を僕に貸してくれませんか、ここで読むだけだから」


「そういうことなら構わないが、坊やは字が読めないだろ?」


「多分読めます」


「多分?……ふっ、変わった坊やだ。いいだろう、だが汚すなよ。昨日も言ったが、これは贅沢品だ」


「はい!」


 商人から本を受け取り、開いて中を見てみた。

 思った通りだ、字は読める。

 おそらく里親の二人がハリスに教えたんだろう。


「おじちゃん、これはどこまで読めばいいんですか?」


「おじちゃんはよしてくれ、俺の名はラッセン。これでもまだ25だ。本文の最初から最後までを読む、目次はまあ、読まなくていい」


「え、これ丸々一冊!?」


「そう昨日も言っただろ?」


 じかに手にしてみて初めて分かる。なんて非効率なんだ……面相臭い。


 いや面倒にもほどがある。

 単行本くらいのサイズにページは……512ページ――ちゃんと各とページの下に記載があった。

 これをこの人は一時間ほどで読み終えただなんて。

 どう考えても普通じゃない。

 速読でもできるのか。でも朗読してた訳だし……。


「あり得ない……こんな分厚いものを一時間で読み切るなんて」


「厳密には全部は読んでない、要約して読んでるのさ」


「あ、なるほど」


「坊や、その本の題名が分かるか?」


「えっと……農夫が愛したグラス一杯の水?」


「驚いたな、ほんとに読めるのか」


 なぜだかラッセンさんは苦笑いを浮かべた。


「その本は5つの章に分かれている。水の量は5段階、全部読めばグラスを水で満たすことができる。題名の通り――グラス一杯の水だ」


「魔法だ……」


「……違う、これはただの物語だ。ところで坊や、まだ名前を聞いていなかったな」


「ハリスです」


「ハリスか……ハリスはなんで字が読めるんだ、どこで教わった?」


「親に教えてもらいました」


 俺は本に目を通しながら片手間に答えた。

 今のうちに何が書かれているのか知りたい。


「親ねえ。家は近いのか?」


「町外れの街道にあります」


 念のため、目次も見ておいた。

 ラッセンさんの言う通り、全5章から構成されている。


 一章――「賢人との出会い」

 二章――「農夫の旅」

 三章――「水がもたらす幸福」

 四章――「枯れたグラスの底」

 五章――「一杯の水」


 ざっくりとしか分からないけど――。


 飢餓状態に陥った農夫が意識を失いそうになっていたところに、賢人が通りかかる。

 賢人はグラス一杯の水を農夫に与えた。

 生き返った農夫は水の素晴らしさに気付き、水を後世に伝えるため、伝承の旅に出る。


 三章までのページにさっと目を通した。

 読んで楽しいって感じの内容じゃない。

 流し読みだから大事な部分を読み逃している可能は十分にある。


 農夫は旅路に立ち寄った村でいつものように水について説いた。

 干ばつで村の作物は枯れていて……ここはいい、読み飛ばそう。


 ――水を得た村人たちは幸せになった。


 四章の途中でグラスの水が枯れた。

 思えば農夫は水の入ったグラスを旅の間ずっと持ち歩いていた。

 どれくらいの距離と時間を旅したのか分からないが、普通なら早い段階で干上がっているはずだ。

 そこはファンタジーということなのか。


「あ……」


 ラッセンさんに本を取り上げられた。


「ちょっ、まだ続きが――」


「読書の時間は終わりだ、ハリス」


 背筋が凍った。

 曇った目が、俺を見下ろしていた。


「……その、あと少しなんです、四章の先がまだで」


「どうせ大した話じゃない。ところで昨日はもう一人若い女がいなかったか?」


「えっと、あれは姉です」


「そうか……。だがいくら魔法が知りたいとはいえ、姉の目を盗んで家を出てくるのは良くない」


「……え」


「もう帰った方がいい」


 俺は一言も言ってない。

 黙って家を出てきたなんて、姉の目を盗んで出てきたなんて、一言も……。


 ラッセンさんは風呂敷ごと小物を回収し、どこかへ歩いていった。


「まだ読み終えてないのに……」

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