4.
目が覚めた時にはすっかり夜が明けていて、あれから一度も目覚めずに眠っていたらしい。起き上がると部屋の隅の方から物音が聞こえて、僕は寝ぼけ眼を擦りながら、音のする方へ視線を向ける。
「あ、八壁さん、おはようございます」
どうしてひかりさんがここにいるんだったかとしばし考えたが、僕も遅れておはようございますと返した。彼女は僕よりも少し早く起きていたらしく、畳んだ布団を部屋の隅に片していた。
顔を洗っていると、部屋の扉をノックする音が聞こえて、朝食が運び込まれてきた。もうそんな時間だったのか。慣れない環境に疲れていたのか、思いの外長く寝てしまっていたらしい。
昨夜と同じように、彼女と向かい合うようにして朝食をとる。美味しそうに食べるひかりさんの姿を見ていると、何故か安心する。慣れない環境ではありながらも、その中に彼女がいてくれるだけで、不思議と心が落ち着くのだ。彼女が僕と相部屋になることを望んだのは、こうした理由も含まれていたのかもしれないと、今になって実感する。
「八壁さん、昨夜はよく寝てましたね」
朝食を終えてお皿を下げてもらうと、ひかりさんはいたずらっぽく微笑みながら言う。改めて言われると何だか恥ずかしい。彼女は僕が先に眠ってしまった後も、少しの間起きていたのだろうか。
「そうみたいですね。ひかりさんは、ちゃんと寝られましたか?」
「うーん、まあまあですね。でも寝不足というわけでもないので、心配しないでください」
それより、と話題を変える彼女。
「着替えるので、あっち向いていてもらってもいいですか?」
昨夜は大浴場に行ったついでに着替えられたが、朝はそうはいかない。わかってはいたが、まさか僕が部屋に居ながらに着替えようとするとは思わなかった。しかしさすがの彼女も着替えを見られるのには抵抗があるらしい。一応僕が男だという認識でいるらしいことには安心したが、背後でひかりさんが着替えているのだという事実だけでも、僕にとってはあまりに居心地が悪い時間を過ごすことになる。
「それなら席を外しましょうか。
「えっ、私を一人にするんですか……?」
頑なに一人になりたくはないらしい。とは言っても、さすがにそれも限度がある。何かいい方法はないか。そう思って部屋を見渡して、僕は窓際を指差した。
「ではここに居ますから、何かあれば呼んでください」
「わかりました。あの……わがままばかり言ってすみません。あと、ありがとうございます」
そう甘えたような笑みを見せられると、どう反応していいかわからない。僕は一人っ子だから、妹がいたらこうなのだろうかと想像するしかできない。もしそれが見当違いな想像だったなら、彼女のそれは、一体どんな間柄だったらごく自然な振舞いと受け取れるのだろう。
ついでに僕も着替えを済ませてしまおうと、荷物を持って窓の傍らのスペース――
ふと窓の外を見てみると、辺りは一面の雪景色で、今日も雪はちらちらと舞っていた。まるで霧の中にいるように、いくらか先は真っ白に染まっている。日の出ている時間ですらこうなのだから、もしこれが夜間だったなら視界はかなり悪いだろう。もしかしたら、行方不明になった子どもたちを捜索するのに紛れて雪玉を設置することは可能なのではないかと思えてきた。そう考えると、少なくとも雪だるまを置いたのは村の人間だった可能性は限りなく高いと思えた。それも、子どもたちの捜索に参加していても不自然ではない者。その者が雪玉の中身を知っていたのかどうか、雪玉を作ったのかどうかはまだ何とも言えない。しかしながら子どもたちの捜索が行われている中で、それらの目を掻い潜って雪だるまを設置するのは普通なら困難を極めるはずだ。これまで外部犯の可能性も考えてはいたが、その可能性はほとんど排除しても良いのではないだろうか。
村の人間が今回の事件に少なからず加担しているとすると、逆に村の外の人間と共犯関係にあり、なおかつ村の子どもを殺害するに至る動機がわからない。酔った観光客が子どもを殺してしまい、何らかの理由でその後始末をしなければならなくなったのだとしても、三人も殺してしまうだろうか。それよりも、村の中だけで完結する事件と考えた方がしっくりこないだろうか。村の人間であれば土地鑑もあり、雪道の運転も慣れていて、子どもの捜索に乗じて夜間に出歩いていても不自然ではない。動機は、村の中での人間関係なのだろうか。
ぼんやりと考えに耽っていると、障子の木枠を優しく叩く音が聞こえた。
「八壁さん、お待たせしました」
障子を開けてみれば、見慣れた姿のひかりさんが立っていた。今朝方までの比較的自然体だった柔らかさのようなものは抜けて、いつもの凛々しさが戻っている。
「山内さんたちが迎えに来てくれるのは九時半でしたっけ?」
「そうです。あ、もうこんな時間でしたか。本当にすみません、お待たせしてしまって。八壁さんは準備大丈夫ですか?」
「僕は大丈夫です。少し早いですが、行きましょうか」
僕は広縁で待っている間に大体の支度は済ませてしまえた。時間もあと二十分ほどはある。万が一、不在時に旅館のスタッフが入ってきてもいいように、資料などは見えないところに片付けておいた。そうして最後に部屋の戸締りをして、旅館を出た。
入り口の近くを見回してみると、まだ時間には早いが山内さんと竹之中さんが車の脇で煙草をふかして待っていた。
「ああ、お疲れ様です。ここの宿はどうでした? 東京に居ちゃあ、なかなか温泉なんて入れないでしょ」
相変わらず、ひかりさんは僕の背に隠れるようにして、二人と少し距離を取っている。煙草の煙が苦手だと彼女から聞いたことがあるし、それもあるのだろう。
「ええ、いい湯でしたよ。ごはんも美味しかったですし。今度はぜひ観光客として来たいですね」
「そりゃあいい。ぜひ彼女さんも連れてまた来てみてください」
そうしてちらと僕の後ろに目を向ける山内さん。わざわざ僕と竹之中さんとの会話に割って入ってまで言いたかったことがそれなのか。その言葉に返すのに少し間を空けてしまうと、僕が口を開くのとほとんど同時に隣の竹之中さんが山内さんの脇を小突いた。
「やめないか、そういうことを言うのは」
顔に出ていただろうか。しかしきまりが悪そうにする竹之中さんと対照的に、山内さんは何故小突かれたのか、いまいち心当たりはないらしい。
「そういうことって?」
山内さんの返答に、今にも怒鳴り散らさんとする竹之中さん。この二人はどうも、あまり相性が良くないのだろうか。朝から諍いを見るのも疲れてしまうので、僕は二人の間に入り、話を本題に戻す。
「あの、今日は予定通り雪姫神社の方へお願いできますか? できれば、神社の裏の崖下とやらも見てみたいのですが」
わかりました、と竹之中さんが携帯灰皿に煙草を潰して入れる。
「ただ……申し訳ないですが、崖下までは案内しかねます。なにぶん道が悪くて……お恥ずかしながら我々のような素人にはとても進めないんですわ。先日私たちも村の者に車を出してもらって崖下の捜査を行ったくらいですからねぇ」
「では神社までで構いません。無理を承知なお願いでしたから、こちらこそすみません」
僕らは昨日と同じ車の後部座席に詰め込まれ、雪景色の中を進み始める。東京と違う自然豊かな風景は、町というよりもまさに村という印象だ。スーパーもコンビニもほとんどない、賑やかさよりも静けさが漂っている。車に揺られながら周囲の民家の様子を見てみるが、特に変わった特徴があるわけでもない。造りが古そうな家が多く、家の中を密閉しようにもテープの類で隙間を塞いだとして、それで密閉できるのだろうかとも思った。特徴というわけでもないが、民家の様子も東京とはだいぶ違うなと感じる。二世帯住宅が多いのだろうが、大きな家が多く、車も一家で何台も保有しているようだ。軽トラックを保有している家も多い。荷台にはブルーシートのようなものが被せられていて、その上には雪が積もっている。荷台に直接雪が積もるのを防いでいるのだろう。車の横に農具が止められている家もあるが、見たこともない機械は何に使うものなのかわからなくて、結局怪しいのか怪しくないのかの判別はつかなかった。
「〝雪姫伝説〟について調べるなら神主に聞くのがいいと思いますが、当然私たちも一応の話は聞いていますからね。あまり得られるものはないんじゃないかと思います」
ふと、こちらに振り返ることもなく竹之中さんがそんなことを言う。
「神主さんの語る〝雪姫伝説〟は、一般的に知られている〝雪姫伝説〟と特に変わりはないんですか?」
「そうですねぇ。まあ、我々もこの村の人間ではないので、本当のところを話すまいとしているのかもしれませんが。妙なことといえば、この伝説は実際にあったことに由来しているとかで、それ故に〝祟り〟なのだと言ってましたね。それ以上詳しいことは聞けず、調べてみましたがそれらしい事件もありませんでしたけれどね」
やはりそうか。そして警察が把握している事件に該当がないということは、事件そのものが隠蔽されている可能性が高いということだ。村の中で処理されてしまい、しかしながらその罪を忘れないために伝説となった。そう考えれば、昨夜あの老爺が言っていた雪姫祭りは贖罪という言葉とも繋がる。
雪姫神社に着いても、今は祭りも終わったからか、人はまったくいない。外観は一般的な神社と特に変わりはないように思う。規模としてもそれほど大きいわけではない。伝説のこともそうだが、僕は本殿へ向かう道中にある崖とやらを確認したいと思っていた。崖下に誤って転落してしまいかねないような場所なのかどうか。そして、観光客は崖下にゴミを捨てていくというが、祭りに来た観光客が通りそうな場所なのかどうか。それを確かめたかった。
竹之中さんと山内さんには車で待っていてもらい、僕とひかりさんで神社の石段を登っていく。雪が掻かれた形跡があるが、その上からまた雪が積もっていた。
石段を登り終えて鳥居をくぐると、正面にお社がある。その脇に見える小道を行くと、本殿にたどり着くようだ。お参りに来たわけではないので、正面の社は一度無視して、わき道を進んでいく。この道は雪が掻かれておらず、既に誰かが踏み歩いた跡を辿ることでしか道がわからない。雪が積もっていてわからなかったが、道には砂利が敷かれていて、足場はかなり悪そうだった。
「ひかりさん、大丈夫ですか? 気を付けてくださいね」
「それはこっちのセリフですよ。八壁さん運動できなさそうですから、気を付けてくださいね」
その通りなので何も言い返せないが、そう言う彼女は僕とは対照的に、危なげなく進んでいく。僕の方が後れを取っている様は、情けないと言うほかなかった。
「結構高いですね。落ちたら死にますよ、これ」
先を行くひかりさんが崖にたどり着き、少し離れたところから下を確認していた。僕も少し遅れて彼女に追いつき、同じように崖下を見下ろす。何メートルくらいあるだろうか。意識していなかったが、この村の標高自体がそこそこ高いのだろう。確かにこれは、あまり積極的に下を見たくはない。崖下には大量の雪が積もっていて、自然に積もったにしては量が多いのと、土に汚れたような色をしている。
「掻いた雪の廃棄場所として、崖下に落としてたんですかね」
「子どもが入るだけの雪だるまを三つ作るのに必要な量は、充分ありそうに見えますね。雪はここから調達したんでしょうか」
ひかりさんがそう指摘するが、雪がここから調達されたのかどうかを確認する術は、もはやない。もう雪だるまに使われた雪も残っていないだろうし、成分を調べたところで同一性を担保することは難しいかもしれない。ただ現実的に、その方法は可能と言えば可能なのだろうことはわかる。
「おい、危ねぇぞ! 嬢ちゃん!」
不意に背後から大声を出されて、むしろそれに驚いて落ちてしまうかとも思ったが、僕もひかりさんも何とか踏みとどまった。見れば、地元の人なのか、この寒い中でも僕らより軽装備のおじいさんがやってきていた。
「落ちたら死んじまうぞ! 気ぃ付けな!」
やたらと声が大きく、わんわんと頭に響く。しかし相手に悪気はないようで、少しはにかんで本殿の方へ向かっていった。
「あの、すみません」
立ち去ろうとするおじいさんに、ひかりさんが声を掛ける。
「この下って、降りることできますか?」
僕に対して使うのとは違う、よそ行きの可愛らしい声だ。自分の魅力を最大限活用しようということなのだろうか。まあ若い娘からそんな風に頼まれれば断れない人の方が多いのかもしれないが、何故だか少し胸の内がざわざわする。あまりそういうことはしてほしくないと思いながらも、それがどういう理由からなのか、理屈として組み上がらない。
「大して面白ぇもんはねぇけどなぁ。まあちょっと待ってな! 今車持ってくるわ!」
「わぁ、ありがとうございます!」
おじいさんが来た道を戻っていくと、ひかりさんが心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。表情には出さないようにしていたつもりだったが、気付かれてしまっただろうか。
「どうかされました?」
彼女の純粋そうな眼差しが僕の視線と重なった。こうして雪景色の中にいると、彼女こそ雪女なのではないかと思えてくる。先ほど感じたものの正体があまりに醜いものだと気付いて、どうにもやるせなくなる。彼女がもし雪女なら、このまま魂を吸われてしまっても構わないと思ったことだろう。
「いえ……さすがの別嬪さんですね。大したものです」
僕が自嘲気味に笑えば、彼女はますます不思議そうな眼差しを向けてくる。
「別嬪さんって……それ死語じゃないですか? しかも褒めてます?」
「それはご想像にお任せします」
少しして、先ほどのおじいさんを乗せた白いミニバンがやってきた。雪が積もっていてわからなかったが、この砂利道は車が普通に通れるくらいには道幅があったらしい。よくよく見てみれば、確かに車が通った跡に雪が積もった箇所もある。最後に車がここを通ったのはいつ頃なのだろう。少なくとも事件の翌々日に崖下の清掃を行っているはずで、それが最後なら三日前か。それを考えると、ここ数日でも雪は結構な量が降っていたらしいのだと思われた。
僕らはバンに乗せてもらって、わき道から少し逸れた下り坂を降りていって、崖下へと連れていってもらった。この坂道も雪が積もっていて、勾配も決して緩くはない。素人目にも、観光客がレンタカーで降りていくことなどできないのではないかと感じられた。それでも慣れたように進んでいく様子を見ていると、この道を通れるのは地元の人間だけで、事件当日に神社と崖下を行き来していたならば村の人間が犯人だと断定できるのではないかと思った。
「着いたぞ~。何ももの珍しいもんなんてねぇけどなぁ。物好きなねぇちゃんもいたもんだ」
さっきからこのおじいさんは僕のことに一切触れないのだが、僕のことは見えているのだろうか。それがあまりにも当然のことのように起きているので、自分の存在の実在性を疑ってしまう。
崖下には細い川が流れていて、その両脇に大小さまざまな砂利が転がっている。雪の積もり方はまばらで、先ほど上から見えたように不自然に積もっている箇所と、ごっそりなくなっている箇所とがあった。不自然に積もっている箇所は、恐らく雪を廃棄したのだと思われるが、雪がなくなっている部分はどういう理由からこうなっているのだろう。逆に、ここの雪を誰かが利用したということなのだろうか。
「八壁さん、こっちこっち」
ひかりさんが小声で僕を手招きするので近くまで行くと、何やら小さな石碑のようなものが置かれていた。と言っても、何かが彫られた石が置かれているだけで、供えられたものも囲いもない。
「これ、たぶんお墓ですよ」
「慰霊碑ですか? 落下事故の」
この場所は滑落事故が多発していると聞いている。その被害者を弔う碑が設置されていても不思議はないが、それにしてはあまりに質素な造りだ。口にした後で、恐らくそれは違うのだろうと思い直した。
「いえ、これは……」
ひかりさんが何か言いかけた時、それをかき消すように遠くから声が飛んでくる。
「おーい! あんまり遠くに行くと危ねぇぞー!」
先ほどのおじいさんだった。見れば、その影は小さく、雪で霞むほどに離れてしまっていた。雪はここに来た時よりも少し強くなってきており、捜査を続けるにも視界が悪く、これ以上は難しいと感じられた。
「一旦戻りましょうか。あのおじいさんからも話を聞いておきたいですし」
「そうですね」
おじいさんの車まで戻って、また崖の上まで連れていってもらう。その道中、僕は思い切っておじいさんに尋ねてみた。
「〝雪姫伝説〟って、本当にあった話って聞いたんですけど、そうなんですか?」
「ああ……まあ、そうだな」
良かった、僕のことはちゃんと見えていたらしい。しかしその歯切れの悪さからして、あまり積極的に口にしたい内容ではないらしい。今は〝祟り〟で村は緊張状態にあるからかもしれないが、それにしても露骨に気分を害したようだった。
「もしよかったら、聞かせてもらえませんか?」
ひかりさんがまたよそ行きの声で尋ねると、おじいさんは渋々といった様子で話してくれた。僕が聞いても恐らく答えてくれなかったのだろうと思うと、何とも言えない歯がゆさがある。
おじいさんが話してくれた雪姫伝説の元になった話はこうだ。かつて〝雪姫〟と呼ばれるくらいの色白の美人姉妹がいたそうだ。かつてと言っても、ここ百年くらいの話らしい。ある日村の外からやってきた男が彼女らを大層気に入り、彼女らに求婚したが、彼女らはそれを断った。その腹いせに、男は彼女らの弟を殺害し、遺体を雪玉に詰めて彼女らの家に送り付けたという。しかしそれを知った他の村人たちが激怒し、その男をリンチして殺害し、同じように雪玉に詰めて殺害した。現場にはその二つの雪玉を重ねて、雪だるまが作られたという。〝雪姫〟の二人はそれを喜ぶわけもなく、弟を殺されたばかりかこのような報復劇が起きてしまったことをひどく憂い、共に自死してしまった。村人たちは自身の行いを悔いて、彼女らの命日に彼女らを弔うための祭りを行うことになったという。それが今の雪姫祭りの始まりなのだそうだ。
「さすがに当時を生きてたもんはもう誰もおらん。だからそれも本当のことかは今となってはわからねぇ。けどな、雪姫は実際に〝祟り〟を起こすんだよ。だからみんなビビッてる。祭りもやめらんねぇのさ」
独り言のようでもあり、嘆くようでもあるおじいさんのその言葉に、ひかりさんが疑問を投げかける。
「村のみなさんは、雪姫祭りをやめたいんですか?」
雪姫祭りはこの村の名物行事だ。観光収入を得るための無形資源とも言える。それを手放してしまったら、この村には外から人がやってこなくなり、やがて衰退していってしまうのではないか。そうは思ったが、現実はそういうわけでもないらしい。
「祭りなんて、あんなもんはやるだけ赤字なのさ。だから本心じゃあみんなやめたがってんだ。でも〝祟り〟があるからなぁ……そういうわけにもいかねぇのさ」
崖上に着いて、車から降りる前におじいさんが僕らを呼び止めた。いやに神妙な面持ちで、おじいさんはぽつりぽつりと言葉を溢すように言った。
「悪いことは言わねぇ。雪姫伝説には深入りしちゃいかん。あんたたちだって、タダじゃあ済まねぇかもしれねぇ」
その言葉は大げさにも聞こえるが、真に迫るようなおじいさんの様子は只事ではないのだと思わされた。「〝祟り〟が本当にある」というおじいさんの話は、〝祟り〟という言葉に隠して何らかの陰謀めいた出来事を示唆しているのかもしれない。
雪姫伝説について嗅ぎまわっていると知られると、何か良くないことが僕らの身に起こるのだろうか。
「ありがとうございます。ご忠告、痛み入ります」
ひかりさんは去り際ににこりと微笑んで、わき道をさらに奥まで進んで本殿の方へ向かっていった。僕もおじいさんに会釈して、慌ててその後を追う。
「今の話、どう思いますか?」
「村の人は、どうも本気で〝祟り〟を信じてるみたいですね。それを信じるに足る何かがやはりあったんでしょう。確かにあそこまで言われると、長野県警が事件の真相が〝祟り〟だったと思っても不思議じゃない……とまでは言いませんけどね。でもちょっと不気味な感じです」
ひかりさんは微笑んでこそいるが、それもどこかぎこちなく見える。〝祟り〟など信じられないという気持ちと、もしかしたらという気持ちがせめぎ合っているのかもしれない。
段々と狭くなっていく道を進んでいくと、目の前が開けて、小さな祠の前にたどり着いた。これが本殿なのだろうか。祠の脇に和装の男性が立っており、僕らに会釈する。
「お待ちしておりました。八壁様と、宮崎様ですね?」
竹之中んが事前に神主さんに連絡を入れておいてくれたらしい。神主さんからは観光客向けのような、表向きの伝説の説明やこの神社に祀られている雪姫についての説明を受けたが、先ほどのおじいさんの話を思い出すと、すべて上っ面にしか聞こえない。しびれを切らした僕は、少し突っ込んだ質問をしてみることにした。
「雪姫祭りで供えるものは、どうして男の子を模した人形なんですか? お供え物ということは、雪姫自身がそれを要求しているということですよね?」
「仰る通り。しかし何故、というのは私たちにもわからないのですよ。この神社が建てられても、雪姫の〝祟り〟は収まらなかった。それが、供物を捧げてようやく収まった。供物も様々なものを捧げてきたのです。食べ物や衣類……彼女らは要らぬであろうと思っても酒を捧げたこともございました。それでも〝祟り〟が収まらず、〝祟り〟が収まった時の供え物が、男の子の人形だったのです」
それがどこまで本当のことなのかは定かではないが、神社を建てただけでは〝祟り〟が収まらなかったというのは、“祟り”には明確な実害性があったのだろう。竹之中さんが言っていたように〝雪姫の祟り〟――すなわち事故死を指すのだろうか。遭難事故や雪崩に巻き込まれたりといったことも、それに含まれるだろう。それか、もっと別のことを指すのだろうか。
「〝祟り〟とは、何が起きたんですか?」
「それは――申し訳ないですが申し上げられません。恐ろしいこと、とだけ……」
わかってはいたが、やはり教えてはくれないらしい。外部の人間には教えられないのだろうか。
「しかし、少々困ったことになりまして……。近いうちに〝祟り〟が起きるかもしれないのです」
「と、言いますと?」
「実は……今回の雪姫祭りで供えられた人形が、何者かに盗まれてしまったのです。これでは雪姫の怒りを買ってしまうかもしれない。早急に取り戻すか、代わりを見つけないと、〝祟り〟が起きてしまう」
随分とややこしい事態になってきた。この盗難事件は今回の事件とも無関係ではないだろう。事件自体が雪姫伝説になぞらえている節がある以上、〝祟り〟を思わせるこの盗難事件は、タイミングを考えても同一犯の可能性が高い。
「待ってください、〝祟り〟は今回の事件がそうではないんですか? これからまた、別の事件が起きるかもしれないということですか?」
ひかりさんの質問にはっとさせられた。そうだ、時系列を考えるとやや不自然なのだ。雪姫祭りの当日に、人形が本尊に供えられた。そのほとんど同時刻に、被害者たちは誘拐され、殺害されている。見つかったのは翌朝だが、殺害されたのは夜中、祭り終了直後くらいの時間帯だろう。そうなると、供え物を盗られたことによる〝祟り〟で今回の事件が起きたとは考えにくい。どちらかというと、供え物が盗られたのは事件の後である可能性すらある。そうなると、今回の事件と盗難事件は無関係……なのだろうか。
「今回の事件は……恐らく〝祟り〟ではありません。本当の〝祟り〟は、これからです……」
それ以上は答えられないとして、神主への聴取はここまでとなった。来た道を戻って、また竹之中さんに宿まで送り届けてもらい、僕らは煩雑化した情報を整理することにした。今日得られた情報は、あまりにも複雑に絡み合い過ぎている。しかし確実に、事件の真相の近いところまで踏み込めている感覚があった。欠けているピースが何なのかわかれば、それを埋める一手も考えられる。まずは手に入ったピースを組み上げて、全体像を把握し直すところから始めたい。
「……八壁さん、どう思います?」
ひかりさんが手元に広げたノートに情報を書きなぐり、その情報の関連性を矢印で繋いでいた。彼女としても、まだ完全には整理し切れていないのだろう。
「崖下に行った時に、ひかりさんが石碑の前で何か言いかけていたじゃないですか。それを聞かせてもらえますか?」
「ああ、そう言えばそれっきりになっちゃってましたね。あの石碑――たぶんあれは、雪姫のお墓です」
思いがけない言葉に、一瞬言葉を失った。雪姫の墓は、てっきり神社にあるのかと思っていた。しかしそれは勝手な思い込みだ。雪姫は確か、伝説では自死したとある。崖下に墓があるとするなら、死に至った理由は飛び降り……ということになるのだろうか。
「写真撮っておいたんですが、ここを見てください。〝吹雪〟と〝氷柱〟と書かれています。彫られている文面からすると、恐らくこれは名前に相当するはず。それが二人で、彼女らは〝雪姫〟と呼ばれていたことを考えれば、これは雪姫姉妹の墓だと思われます」
ひかりさんが見せてくれた画像を見てみれば、確かに石碑にはそのように読める文字が刻まれていた。あの石碑の下を掘り起こせば人骨が見つかるかもしれないが、ただ確認したいがために死者の寝床を荒らすような真似はすべきではない。
「あんなに〝雪姫の祟り〟を恐れているのに、何故彼女らの墓はこんなに質素なんでしょう……。それに、だとすれば雪姫神社とは一体……」
「本当の伝説を隠すため、なんでしょうか。雪姫神社は表向きに作られた、いわばフェイク。本当の伝説の内容を考えると、それが村の外に大っぴらになってはいけないですからね。もしかするとですが、祭りの翌日に崖下の清掃を行うのは、本当の雪姫の墓へ祈りを捧げるついでなんでしょうかね」
それならあんなわかりにくいところにわざわざ石碑を残す理由も説明が可能だ。しかし、だとすれば、供物によって〝祟り〟を抑えていたとする神主の話は何だったのだろう。神社がフェイクなら、神社に捧げものをしても〝祟り〟は収まらないのではないだろうか。やはり神社には神社で、別の役割があったのだろうか。それとも神主の言う〝祟り〟というのは、〝雪姫〟の祟りではないのだろうか。
「気になることと言えば、伝説の元となった事件ですが、原因となったのは村の外から来た男、という話でしたね。もしこれになぞらえているなら、今回の事件の犯人も村の外の人間ということになるんでしょうか。正直、その可能性は限りなく低いと思っていたんですが、こうして本来の伝説を知ると、少しそれが揺らいでしまいますね」
「それは私も思いました。とは言っても、それこそミスリードじゃないですか? 現時点の情報では、確かに伝説と似通る部分はありますが、まだ確定したわけじゃありません。それに、事実、外部犯である可能性は様々な点から否定的です」
ひかりさんの意見はもっともだ。しかしこれをミスリードとして用意しておくということは、本来の伝説を知っている相手を謀ることが目的の一つにあるということ。それはつまり、我々警察だけでなく、同じ村人相手をも出し抜くつもりがあるということだ。そしてそれが物語っていることは、この村も一枚岩ではなく、内部で派閥のようなものが存在する可能性があり、それが対立していた可能性があるということだ。
「あの……八壁さん。すごく嫌な想像をしてしまったんですけど、いいですか?」
ひかりさんは苦虫を噛み潰したように顔を歪め、言葉を絞り出すことすら躊躇うように言う。
「なんでしょう?」
「神主さんが言っていた、供物が盗られた、取り戻すか代わりを探さなければという言葉。それから、供物は男の子を模した人形、という風習。そして事件発生後に、〝祟り〟を異様に恐れる住民……。これらから考えられる供物を盗った犯人は……もしかして警察じゃないですか?」
彼女が言う通り、嫌な想像だった。その解釈で言えば、供物というのは今回の事件の被害者ということになる。確かに警察は、供えられた遺体を取り上げたようなものだ。だがそれなら、何故今回だけこのような事件になってしまったんだろう。昨年はどうだったのだろうか。同じように、誰かが亡くなっているのか。さすがにそれはないだろう。そもそも村の人口が少ない中で、男児の数も限られている。毎年毎年誰かを生贄にしていたら、村の男児だけでなく、将来的な人口も激減する。だからもしひかりさんのその仮説が本当だとしたら、今年だけ例外的にそのような措置が取られたということだ。
「何故今回に限ってそんな……。村にとって、今年は何か特別な年だったんでしょうか」
「その可能性はありますが、私としては、村の人が祭りをやめたがっていることが気になりますね。村にとって負担になっている祭りをやめたいけれど、〝祟り〟が怖くてそうもいかない。つまり、村の人にとってみれば、雪姫祭り自体にはそれほど思い入れがないということです。もっと実害的な〝祟り〟を恐れてる。この〝祟り〟が何なのかわかれば、色々と繋がりそうなんですけどね……」
竹之中さんから聞いた、事故死を〝雪姫の祟り〟と呼ぶ風習。しかし村人が恐れている〝祟り〟はそれとは別種のもののように思う。それかやはり、その事故死は意図的に起きたことだったのだろうか。
「ダメですね、全っ然まとまらないです。もう、何が何だか……」
そう言って、座卓に突っ伏してしまうひかりさん。ただでさえ慣れない場所で、昨夜もあまり眠れていないらしいことを言っていた。少し疲れているのもあるのだろう。
「少し気分転換に、宿の中を散策しますか。一階にお土産屋さんもありましたし、所長へのお土産の下見をしておきましょう」
僕がそう提案すると、ひかりさんは俄然楽しそうにして身体を起こす。
「いいですね。ぜひ、行きましょう」
時間も時間なので、そのまま大浴場に行こうとお風呂セットも持っていくことにした。今日の夕食は何だろうかと浮かれたような足取りで部屋を出る彼女は、先ほどまでの聡明さと沈鬱さが嘘のように、無邪気で愛らしく思えた。
雪姫の祟り 斎花 @Alstria_Sophiland
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