ラブラドレッセンス
斎花
1.
しばらく平穏を保っていた捜査支援分析センターは、久々の慌ただしさに包まれていた。それもそのはず、今世間を騒がせている事件は警察関係者が見ても衝撃的で、目を疑うようなものだったからだ。
最近メディア露出が増えてきた新進気鋭のアイドル・〝
僕もその写真を見たが、一見するとよくある自撮り写真のようで、セクシーな衣装に身を包んだ全身を姿見に映し、それをスマホで撮影したものだった。しかしその後ろには、何か鈍器のようなものを振り上げて今にも殴りかかろうとする、黒ずくめのジャンパーとズボンの人物が写り込んでいる。焦点が真冬さんに合っているため、背後の人物ははっきりとは写っていないうえに、顔は狐の面に覆われていてわからない。背丈や体格は、遠近法を考慮しても真冬さんと近いように見える。手には黒い手袋を付けているようで、指紋を残さない意図なのか、単に防寒具なのかは写真だけではわからない。
この時点で既にいくつかの疑問が浮かび、興味深い事件ではあるなというのが、写真を見た僕の正直な感想だった。とは言っても、今のところこの事件は僕が担当することにはなっていない。担当外の事件にいくら思考を巡らせても、もはやそれは趣味の領域に等しい。僕には僕の仕事がある。
すると、僕のいる第二分析室の扉がノックされた。
「どうぞ」
入室を促すと、開いた扉から二月の冷えた空気とともに、同僚の
「
そう言って意味深なウインクを浮かべながら、彼女は一枚のSDカードを差し出した。どこか機嫌の良い様子に嫌な予感がしたけれど、僕はそれをパソコンに差し込んで中を確認してみることにした。思った通り、中に入っていた資料は今回の〝真冬〟殺害事件の資料だった。
「ひかりさん……また厄介な事件を持ち込んできましたね」
「何言ってるんですか。世間が注目してる大事件ですよ。これを見事解決に導いたなら、私たち出世間違いなしですから」
出世間違いなしかどうかはともかく、確かにこれだけ話題になってしまっている事件だ。警察としては犯人を早急に特定し、逮捕しなくてはいけない。しかしながらここに投げてくるということは、警視庁の捜査本部レベルだけでは扱いきれない事件ということだろう。
「とりあえず、捜査本部から共有してもらった資料はそちらにまとめておきましたので、まずは一通り目を通していただいて、八壁さんのご意見を聞かせてください」
「わかりました」
ひかりさんはひかりさんで例の画像の解析を進めるらしく、自身の持ち場である第四支援室へ戻っていった。何はともあれ、任されてしまったからには成果を出さないといけない。もはや興味深いでは済まされなくなってしまった。
今回は捜査にも力が入っているのか、共有された資料も多い。鑑識からの具体的な情報も出ているようだ。僕はそのファイルを一つずつ開き、事件の概要を頭に入れていく。
被害者は
現場は姉・真冬の自宅であるマンションの一室で、部屋は一階東側の角部屋。タンスや机の引き出しの中身が出されていたり、家具や扉の一部が破壊されていたり、撮影に使用された姿見が割られているなど、ひどく荒らされた形跡があったが、金品を含め部屋から持ち出されたものは今のところなさそうとのこと。被害者は、姉の部屋で姉のSNSに投稿する写真を撮影していたところ、家に侵入した何者かに背後から鈍器で殴られ、死亡。後頭部には三か所の打撃痕があり、頭蓋骨にはひびが入っていたため、頭部外傷による死亡と推定された。司法解剖の結果、薬物等は検出されず。死亡推定時刻は、現時点では午前十時から午後二時頃とされている。
例の写真には部屋の時計が写り込んでおり――洒落たインテリアだったせいか盤面に数字がなく大まかな時刻しかわからないが――、鏡越しということを考慮すると一時二十五分から三十分頃を指していて、死亡推定時刻から恐らく午後の時間帯であるとされている。また、この写真は〝真冬〟のSNSに十三時三十五分に本文なしで投稿されており、死亡した綾瀬真白が遺体発見時に手に持っていたスマホ内にも、同一の画像が保存されていることを確認している。そして当該SNSについても、綾瀬真白のスマホにログインしたままの〝真冬〟のアカウントが確認されているため、綾瀬真白が死亡する直前に犯人の目を盗んで投稿したものと目されている。
撮影をしていたのは所謂撮影部屋で、撮影に使用する小道具やライト、姿見くらいしか置かれていなかった。部屋の窓は鍵も含めて閉め切られ、カーテンも閉まっていた。写真は部屋のドアを背にした構図で、ドアは部屋の内側に向かって開いたままになっていた。ここまでが、事件の概要をまとめたファイルの内容だった。
これだけわかっていても、犯人が特定できていないのか。それはつまり、いくら捜索を重ねても決定的な証拠が出てこないという状況を示しているのだろう。捜査本部がこちらに投げてきた理由も恐らくそれだ。
被害者はアイドルの〝真冬〟ではなくその双子の妹だったということだが、犯人はそれを知っていたのだろうか。本当はどちらを殺害するつもりだったのかによっては、真冬さんを狙った事件がこれから起こる可能性もある。
そもそも、この部屋に侵入できた犯人は何者なのだろう。合鍵を持っていたのだろうか。それに、撮影をしていたとしても、玄関の扉が開けられれば気付きそうなものだ。少なくとも玄関からやってきたのなら、侵入自体を真白さんが察知できなかった可能性は低い。この家に頻繁に出入りしていて、やってきても不思議はない人物だったのだろうか。
しかし一番の疑問は、この写真だ。窓は閉め切られていて、数日単位で開けられた形跡がないことがわかっている。事件のあった部屋に入るには開け放たれたドアから入るしかない。真白さんは鏡越しに後ろが見えているから、犯人が襲い掛かろうとしているのに気付いているはずなのだ。それなのに何故、まるでそのことに気付いていないかのようにポーズを決めた写真を撮れたのか。写真を撮れたにしても、驚いたり恐怖したり、それこそ動揺して写真がぶれてもいいはずなのだ。それが何故、こんなに綺麗に、はっきりとした写真が撮れているのか。真白さんにはドッキリだと伝えられていたのだろうか。だとすれば、実際に殴られるまで、それを信じて疑わなかった可能性もある。
状況から考え得るに、容疑者は保護者か友人、恋人、同じユニットのメンバー、マネージャー、事務所関係者……あたりになるのだろうか。
真白さんが真冬さんのフリをしてSNSに自撮り写真を投稿していることを知らなければ、真冬さんの家に真白さんがいるとは思わないだろう。だから、真白さんを狙ったのか真冬さんを狙ったのかで想定容疑者は変わってくる。しかし真白さんが驚いていないことから、真白さんと真冬さんの共通の知人であった可能性は高い。そうなると、恋人の線はあまりなさそうか。それからこの〝なりすまし〟は世間的には隠された情報だったことから、友人という可能性も低くなりそうだ。事務所やユニット関係者は〝なりすまし〟の件は知っていたのだろうか。
この〝なりすまし〟の件を含め、事務所だけでなく警察も、今のところ捜査情報は明かせないとして情報を伏せている。それがかえって世間の不安を煽っている。となると、まだ世間的にはこの投稿された写真に写っているのは真冬さんということになっており、もし〝なりすまし〟を知らない犯人であれば、まだ犯人にもその情報は漏れていないと考えて良さそうだ。とは言っても、さすがにいつまでも隠してはいられないだろう。ある程度犯人の目星を付けて、早急に真冬さんの身の安全を確保しなければいけない。
別のファイルには、関係者へ聴取を行った際の資料がまとめられていた。
まずは被害者の双子の姉であり、事件現場の家主でもある真冬さん。彼女は事件当日はレッスンの予定が入っており、朝から家を空けていた。事前に真白さんが家に来ることは知っており、彼女には合鍵を渡してあったという。朝八時半からレッスンスタジオに入り、午前中にボーカルレッスン、午後にダンスレッスンを受けていた。スタジオに居たことはトレーナーが把握しているほか、スタジオ内の監視カメラにも映っているのが確認された。例の写真が投稿されて数分で騒ぎになり、マネージャーの
マネージャーの宇堂さんは、午前中は新曲のジャケット撮影の打ち合わせのため撮影スタジオに寄り、午後は事務所に戻って書類作成をしていたそうだ。打ち合わせは午前八時頃から一時間ほどで済み、早めの昼食としてコンビニで買った弁当を車の中で食べ、事務所に戻った。コンビニで買った弁当のレシートも確認済みで、時刻は午前九時七分。事務所に着いたのは午前十一時半頃で、事務員がその姿を目撃している。その後は、騒ぎに気付いた宇堂さんが真冬さんのアカウントから投稿を削除し、真冬さんに連絡を取る。真冬さんの生存を確認した後、真冬さんから大まかな事情を聞いた宇堂さんは、事態は急を要すると考えて、レッスンの中止をスタジオに連絡。真冬さんを迎えにスタジオに向かった。
〝
一人は〝
事件前日の夜は遅くまでゲーム配信をしていたため、翌日の午前中は寝て過ごしていたそうだ。午後からは真冬さんと同じくダンスレッスンの予定が入っており、スタジオにやってきたのは午前十一時四十八分と入り口の防犯カメラの記録にも残っている。真冬さんが早退してもそのままレッスンを続け、当日は午後四時半過ぎまでレッスンを受けていた。
もう一人は、〝
真白さんによる〝なりすまし〟については、ユニットメンバーを含めた事務所関係者は知らなかったそうだ。社長と宇堂さんについては、真白さんという妹がいたことは知っていたが、〝なりすまし〟行為を行っていたことは知らなかったと述べている。
真冬さん宅の合鍵については、宇堂さんと氷夏さんは所持しているという。また、真白さんには特別親しい友人はいなかったようで、調べた限りでは恋人もいないとのことだった。保護者も〝なりすまし〟については知らなかったが、写真を見ればどちらかはわかる、恥ずかしいからSNSは見ないでほしいと真冬さんに言われていたと供述している。
ざっと見てわかるのは、聴取を行った人物については全員アリバイがあった、ということか。
ネガティブな内容を含む調書によると、真白さんは真冬さんと同じオーディションを受けたが、彼女だけ不合格となっている。社長含め当時の担当者に確認すると、ビジュアル的にも双子でデビューさせるという手もあったが、いかんせん真白さんの歌唱力には看過できない問題があり、アイドルとしては難しいと判断したらしい。グラビアだけというのは考えているかと聞けば、それは嫌だと言われたのだという。
さらにメンバーの関係については、ネットでは真冬さんと春翔さんは不仲だと噂されており、二人に確認したところ、事実であると認めた。氷夏さんは二人の関係については興味がないと答えているらしい。
また、狐の面については、メジャーデビューする前に受けた体験型取材で使用したもので、メンバー三人とマネージャーの宇堂さんが体験終了後に記念にもらったものだったという。真冬さんは玄関付近に保管していたはずだが、事件後に改めて確認したところ、なくなっているのがわかったとのこと。春翔さんと宇堂さんは自宅に保管してあるそうで、捜査官がそれを確認している。氷夏さんは廃棄したので持っていないということだった。
一通り資料を読み終えたところで、ひかりさんからメールが届いた。
画像の解析の結果、真白さんの背後に写っていた犯人と思われる人物について、わかったことをまとめてくれていた。身長は百六十から百七十センチ。年齢および性別は不明とのことだった。体格的には女性にも見えるが、小柄な男性でも当てはまるらしく、決定的にはならないらしい。気になる点としては、綺麗すぎる、ということだった。カメラを持つ手もそうだが、背後に写った人物についても襲う瞬間にしてはブレがなく、その状態で静止したかのようだという。身長だけで言えば、真冬さんが公称では百六十一センチ、春翔さんが百六十五センチ、氷夏さんが百五十三センチ、宇堂さんは百六十八センチと、氷夏さんは除外されそうだ。
それから真冬さんの自己申告にはなるが、過去の真冬さんのアカウントの投稿で、自撮り写真として自宅で撮影されたものは被写体がすべて真白さんだったという。他メンバーと写っているものや外での写真の被写体は真冬さんで、かなり熱心なファンであれば、自宅で撮られた写真が他の写真とわずかに顔が違うことに気付いても不思議ではなかっただろうとの見解だった。ただし、多少なりとも加工された状態で投稿しているので、気付いた人がいてもごく少数だろうというのは、ひかりさんも投稿写真の一致度を照合して検証したらしい。
一見すれば真冬さんも真白さんも、身長も体格もほぼ同じだが、露出の多いセクシーな衣装は自宅での撮影でしか着用していない。つまり真白さんの担当だったわけだ。真冬さん自身はスタイルに自信がなかったのだろう。逆に真白さんは一度グラビアのオファーを断っているものの、綾瀬真白としてではなく〝真冬〟として発信することで、こうした撮影にも抵抗は少なかったのかもしれない。
今回の事件は捜査本部が既に入念に調べているためか、事前情報が多い。とは言え、容疑者はすべてアリバイがある。いや、この四人の中に犯人がいるとも限らないか。
しかしそれにしても、犯人が真冬さんの自宅に侵入できた方法がわからない。身長の条件で除外した氷夏さんの他に、合鍵を持っていない春翔さんも除外して良いのだろうか。そうなると、候補として残ったのは真冬さんと宇堂さんということになる。確かに二人は第一発見者だが、発見時に殺害したとすると、写真が投稿された時刻とは合わない。
犯人は真白さんに招かれた、ということだろうか。そうであれば真白さんが警戒していないのも納得できるが、鏡越しに見た襲撃者にも動じないことにまで説明はできない。仮に知人だったとしても、黒ずくめに着込んで狐の面をして、鈍器を振り上げているのだ。恐怖でしかないだろう。次の線は近隣住民という可能性だが、真冬さんのマンションは空き部屋が多く、彼女の部屋の上と隣には住民はいない。マンションの監視カメラも確認したが、それらしい人物が映っている様子もなかったという。
そしてもう一つ気になるのは、何故犯人は部屋を荒らしたのか。犯行時に争ったわけではなさそうなのは、投稿された写真から一目瞭然だ。犯人からすればその瞬間から躊躇う理由がない。そのまま殴打しただろう。凶器は回収されていて見つかっていないが、恐らく一撃でもほぼ致命傷となっただろうことは解剖の結果わかっている。部屋は荒らされたが盗まれたものはない。部屋を荒らすこと自体に目的があったか、あるいは――何らかの情報を探していた。情報なら、実物を持ち去るわけではない。唯一真冬さんの部屋からなくなっているらしい狐の面は、犯行に使用されたと見て良いのだろう。しかし飾っていたわけではなく保管していたと真冬さんは言っている。つまり、顔を隠すために真冬さんの部屋にあった面を使用したのであれば、犯人はその保管場所を事前に知っていたことになる。
この情報だけで、何らかの仮説は立てられるだろうか。合鍵のない春翔さん。身長の低い氷夏さん。アリバイのある四人の容疑者。熱心なファン。空き部屋の多いマンション。どれも繋がりそうで繋がらない。それでも現状で考え得る仮説を、とりあえずひかりさんに話してみよう。そうしたら、彼女らしいひらめきを何かくれるかもしれない。
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