手軽で身軽なフェルトキッシュ

エリー.ファー

手軽で身軽なフェルトキッシュ

 こんな南の島に、忙しい手は必要ない。

 ただただ、寂しいだけの時間があってしかるべきだ。

 だって、そうだろう。

 サマーバケーションでも、ウィンターバケーションでも、スプリングバケーションでも、フォールバケーションでも、オータムバケーションでもいい。 

 とにかく、手は忙しくあってはならない。

 いつも、皆で酷使しているのだから、休ませてあげなければならない。

 そのためには、暇過ぎて、寂しいという感覚すら必要である。

 ジャズを聞かせるのも良い。

 加えて、近くのテーブルには、手軽で身軽なフェルトキッシュを置くのがいい。

 ちなみに、フェルトキッシュというのはオオクワン地方に伝わる、子どもたちが手遊びの延長で作るキッシュのことである。オオクワンでは、フェルトで人形を作り、特別な日に交換することが文化となっている。フェルトキッシュは、誰かが亡くなった時に棺の中に入れて、形見を貰うための人形のことである。

 休んでいる時の手には、このフェルトキッシュが一番良い。

 手首から先の感覚がなくなったら、しめたものである。

 手が満足していると言っていい。

 医者などは、手を休ませること自体を非常に危険視していて、一度なくなった感覚が戻らなくなってしまう場合もあるので、手は常に動かすべきだと言っている。しかし、どうだろうか。健康よりも大切なことの一つや二つあるはずなのだ。例えば、常に働き続けている両手に休暇を与えるようなことも、そのうちの一つである。私たちは人間であり、それぞれの人生を歩んでいる。その中で、感謝を忘れ、休息を奪ってしまうようなことがあれば、もはや人生を楽しんでいるとは言えないだろう。そう、これが人と手の関係を大切なものだと再認識するには必要なのである。

 しかし、フェルトキッシュには一つ大事な点がある。 

 それは、フェルトキッシュには、必ず罪が染み込んでしまう点である。

 手が望まなかった時に、そのフェルトキッシュは罪を何倍にも膨らませて、襲い掛かって来る。こうなると、人間などひとたまりもない。オオクワンでは、そのせいで毎年、十人ほど亡くなっている。そう、危険な行為であることには変わりないのである。

 手には、気を付けなければならないが、それは、我々、手以外の存在が、しっかりと手と関係を構築するべき、との教訓に帰着する。

 当たり前のことだ。

 料理をしている時に、手と仲が悪くなってしまったら、その手の中にある包丁が首を切り裂こうと飛んで来るかもしれない。そうなったら避けることは叶わないだろう。致命傷、間違いなし。

 手と良好な関係を築くための手段は、オオクワンだけではなく、ありとあらゆる地方に存在する。例えば、日本の東京という大都市であれば、落語を聞かせるのがいいとされている。ちなみに、間違っても能や狂言を聞かせてならないそうだ。何せ、手にとっては高尚な芸術過ぎて理解できない場合がほとんどだからである。

 その内、人間は手に支配されて、いや、もう支配されているかのしれないが、手の方が気を遣ってくるかもしれない。

 

 その時は、どうすればいいというのか。

 まぁ、甘えるとしよう。

 手と手を取り合って、生きていくほかないのだ。

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