手手手と手手手と手手手と手

エリー.ファー

手手手と手手手と手手手と手

 私は時間を気にしないようにして夜の学校を歩いていた。

 もう、教師すらいない。

 もちろん、生徒もいない。

 場合によっては、噂も物語もない。

 そんな静まり返った夜である。

 私は、満月によって照らされた学校の中を、静かに歩いていた。

 私の正体について、語る気はない。

 いや、少しだけ語る。

 何故なら、これは物語だからだ。

 小さくても、立派な物語だからだ。

 誰かが読むために作り出された物語だからだ。

 私は文化の手である。

 つまり、文化を物質化する研究をしている人間だ。

 研究者を名乗れるくらいに立場は守られており、お給金も頂いている。生活は安定しているので、まともな人間と言ってもいいかもしれない。

 文化を物質化することで得られるものは、基本的には何もない。ただ、政府からは、戦争を行った時のために、相手の文化を染め上げる方法を考える際の手がかりになるだろうと期待している。

 相手の国の文化を奪って何になるのだろうか。

 研究者という立場で、このように語るのは間違いかもしれないが。

 文化とは失っても文化である。

 残念ながら、文化がある時だけが文化ではない。

 だから、政府の考えていることについては、余り理解できていない。

 けれど、私は働く。

 私は、この文化を物質化する一連の行動が楽しいからだ。

 その時だった。

「もしもし」

 後ろから声をかけられた。

 しかし、振り向かなかった。

 この学校の、この深夜に、後ろから声をかけられた時は、沈黙が正解である。

 噂としての緊急度が高いことは昔から知られていたし、過去に、研究者の久田仙一が吞まれていることは知っている。二度と帰らなかった研究者の数だけでいえば、二十人は超えている。それでも、昼間は学校としての機能を果たしている点が、非常に特殊であると言える。

 研究者としては、ここまで面白い施設もないのだ。

「もしもし、と話しかけているのですけれども、何故に返事をしないのですか」

 私の手を後ろから握って来る。

 けれど、沈黙。

 そして、無視。

 噂の中でも、少しばかり危険度が高いように思う。

 殺されることはないだろうが、生きたまま連れ去られる可能性はある。

 私は文化を物質化するための知識を持っているが、決して、噂を物質化できるわけではない。

 触らぬ噂に祟りなし。

 けれど。

 触れてみたくなる噂である。

 私の人生が破滅したとしても。

 この噂に手を突っ込んでみたくなる。

 それこそ、手だけではなく、体ごと染まってもいいから。

 噂の御手に囲まれながら、自分の手も、その御手の一部になりたいと思ってしまう。

「この学校は、多くの人間を食べて来ました。もう、これ以上食べたところで、この学校のためにはならないでしょう。でも、乾くのです。でも、腹が減るのです。もう二度と消えることのない噂になっても、人間への執着を止めることができないのです。誰にも助けてもらえないまま、十年も二十年も経過しました。そして、そのうち、気が付きました。振り向いてもらえなくても、立ち尽くす噂でなければならないと。誰かの手を握り締めるために生きているわけではないと。お分かりですね。ここは、私の領分です」

 私は自分の体がかき消えていくのを感じた。

 御手が私を取り囲み始める。

 しかし。

 不安はない。

 温かった。

「研究者としての噂は、もう、この学校にはいらないのです。あなたは既に文化の物質化という夢からも解き放たれています。自由であることを忘れてはなりません。この場所は、あなたが、いえ、あなたという噂が存在すべき場所ではありません。この学校の噂は、手前どもだけで十分なのです」

 私は目を瞑り、納骨の夢を見る。

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