古民家の723

緋雪

第1話

 古民家を改装して、小さなカフェをやりたいというりんの夢を叶えてやろうなどと、大それたことを思ったわけではない。奏汰かなた自身が、狭い都会で、時間に追われ、ノルマに追われ、胃の痛みを感じない日がないような日常から解放されたかった、それが本音だったかもしれない。



「随分と綺麗に使ってたんですね」

 凛は嬉しそうに、不動産屋の佐藤と話している。

「そうですね。ただ、奥の部屋はリフォームはしてあるんですが、前に住まれていた方の、素人のDIYなんです。もし気になるようでしたら、こちらで再度やり直しをさせますけれど、どうなさいますか?」

 佐藤が、その部屋に案内した。

「あら、十分よ。綺麗にしてある。これなら、こっちの住居部分は何もいじらなくていいわね。ね、奏汰」

「凛がメインで使うんだから、好きにしていいよ」

 奏汰は、そう言いながら、凛と佐藤についていく。


「ここからね、向こうを店舗にしたいの」

「いいと思います。ただ、こちらはかなりリノベーションが必要でしょうが」

「居住スペースの方を直さなくていい分、そっちにお金がかけられるから、ありがたいわ。ね、奏汰」

「そうだね」

 奏汰は、気のない返事をした。



 凛が張り切るのはわかる。

 凛は、元々、証券会社でバリバリ働いていた人だ。結婚して、年子としごの子供たちを育てるために、自ら会社を辞めた。今やっと子供たちが中学生になり、自分の時間がとれるようになったのだ。

 そこに、ずっと夢だった自分の店をもつというチャンスが訪れ、水を得た魚のようになっている。

 

 奏汰が仕事を辞めることを、凛は責めなかった。

「お疲れ様でした」

 そう丁寧にお礼を言ってくれた。

 その後、

「私の夢、一緒に叶えてくれるかな?」

 そう言われて、奏汰にどうして断れただろう。


 資金は、凛が働いていた頃の貯金と、いつの間に貯めたのやら、家計から少しずつ分けて、コツコツと積み上げた貯金が充てられた。



 こうして、凛の夢だった古民家カフェがオープンしたのだった。

 といっても、この辺りは古民家が多く、それを使ったレストランやカフェも多い。特別な本屋や海外雑貨を扱う店などもあって、町おこしを重点的にやっている地域にあたる。 

 こんな競争相手の多いところで、店はやっていけるのかと思ったが、意外にも、店は流行った。ウェイターとして働く奏汰の休む暇がないほどで、バイトの子を一人雇ったほどだった。

 ずっと専業主婦でやってきた凛の料理の腕は、奏汰が思っていた以上だったということだ。確かに手作りケーキや軽食は美味しかったが、ここまで他人に受け入れられるほどだとは思っていなかった。奏汰は感服し、凛の夢の生活を、頑張って一緒に生きていくことにしたのだった。奏汰も、コーヒーの淹れ方を本格的に習い、おいしいコーヒーを出せるようになり、凛のささやかな力になれることが嬉しかった。



 最初の3ヶ月ほどは、何の問題もなくやれていた。

 が、時々、不思議なことが起きるようになった。

「凛、パスタまだですか? って言われてるんだけど」

 と奏汰が言うと、凛がハッと気づいて、タイマーを見る。あと7分23秒のところでタイマーは止まっていた。

「え? 嘘? なんで?」

 何分茹でたかわからぬパスタは、くたくたになっている。

 客に謝って待ってもらい、お詫びにデザートをつけた。


「タイマー、壊れたのかなぁ。なんで触ってもないのに、そんな中途半端な時間で止まったんだろ?」

 スマホのタイマーで測ることにして、翌日新しいタイマーを買ってきて、その後は事なきを得た。



 数日後、次男のりょうが、部屋の時計が止まったと言ってきた。

「電池かなあ。お父さんに頼んで」

 凛はそう言うと、奏汰にあとを任せた。


「これ、こっち来てから買ったやつなのになぁ。テスト用の電池しか入ってなかったのかな?」

 奏汰は脚立を持ってきて、壁の時計を外した。確かに、もう3時過ぎなのに、時計は7時半前で止まっていた。電池を入れようとすると、勝手に針が回り始め、

「うわあっ!!」

 と、亮が飛び退く。奏汰も一瞬ドキッとしたが、思い出した。

「そうだ、これ、電波時計だから、勝手に時間が合うようにできてるんだよ。なんで止まってたんだろうな?」

「そうなの?」

「まあ、電池かもしれないし、替えておくよ」

 奏汰は電池交換をすると、元あったところに、その時計を戻した。


 時計を戻す時、微かに何かに肩を触られた気がして、振り向く。亮太は、部屋の入り口付近で奏汰を見守っている。

「何? どうしたの?」

「いや……なんでもない」

 気のせいかと思い、時計を戻した。

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