手貸しのタンゾウ
レクト
ネガイダケ
一人、山で暮らすタンゾウという男がおった。
タンゾウは山で木をこり、獣を狩り、一人きり。
タンゾウは妻子を亡くし、村を離れて、一人きり。
頼まれ事は進んでこなし、困り事には駆けつけた。
村人からは『手貸しのタンゾウ』などと呼ばれておった。
「タンゾウ、おめえ村来て暮らさんか? おめえならまた嫁も見つかるでな」
「いや、ワシはもう一人でええさ」
村の衆からの誘いを断り、山に一人。
先細りの人生と、一人きり。
ある風の強い夜、タンゾウは一人、囲炉裏で白湯を飲んでおった。
どん……どん……
風が戸を揺らし、人を真似た音を立てる。
こんな夜、タンゾウはいつも人恋しくなる。
真っ暗な山の中、誰かといたいと人恋しくなる。
ざわざわと風が枝をかき分け、どんどんと戸を叩く。
誰か来てはくれないか、とタンゾウは一人きり。
手の湯呑を見つめて一啜《すす》り。
どん……どん……どんどん……どんどん……
風が強くなったのか、戸を叩く音が激しくなる。
どんどん……どんどん……どんどんどんどん……
ますます戸を叩く音が強くなり、タンゾウはまるで誰かが戸を叩いているようだと思い始めた。
そんな馬鹿なと、タンゾウは湯呑をまた
どんどんどんどん……どんどんどんどん……
戸の音がうるさく、タンゾウは少々うんざりしてきた。
あまりにうるさいので一言呟いた。
「誰ぞ、おるのか?」
するとピタっと戸を叩く音が
「はい、おります」
タンゾウは思わず背筋を伸ばした。
返事があるなぞ思ってもいなかった。
返事を期待して言葉を出したのではない。
ただ一人でいることが耐えられなくて出たのだ。
ただの独り言。
それに返事が来た。
タンゾウは手の湯呑が震えるのを感じた。
「夜分失礼致します。山で道に迷いまして。よろしければ一晩お貸し願いたく」
戸から再び声が響いた。
どうやら声の主は女、しかも困っておる。
そう聞こえる声だった。
先程までの手の震えが止まり、タンゾウは戸の向こうの声を案じた。
「それは、お困りでしょう。さ、どうぞお入りなさい」
タンゾウはあっさりと家に入ることを許した。
不用心かもしれない。
しかし、困っている人をそのままには出来ない。
タンゾウはつまりそういうことができる男であった。
しかし、戸は一向に開かない。
タンゾウはおや?っと首を傾げた。
「どうされた? お入りなさい」
「申し訳ありません。私には開けることが出来ません。どうか、あなた様がお開けくださいませんか?」
これはどうしたことかとタンゾウは再び首を傾げる。
「開けられぬ? 戸なぞ引けば開くであろう」
「開けられませぬ。私には手が無いのです」
言われてタンゾウはギョっとした。
手が無いとは。
手が無い旅人なぞおるものだろうか。
それではまるで――。
タンゾウは思ったことをそのまま口に出した。
「手が無いとは、まるで物の怪じゃな」
言ってタンゾウは後悔した。
あまりに失礼であったと。
すぐさま謝ろうとした。
「いや、失礼。今、開けま――」
「あなた様がそうお望みであれば」
タンゾウの言葉を遮り、戸の向こうの声は言った。
「私は物の怪、ネガイダケ。人の願いを叶える物の怪でございます」
タンゾウは息を呑む。
戸の向こうからの声を最後に、何の音もしなくなった。
物の怪なぞ、そんな馬鹿な。
「そのような戯れ言を……」
「私は、あなた様の望みを叶えるために参ったのです。一人でいたくないという願いを」
言われてタンゾウは心を見透かされたような気分になった。
なぜそれを知っているのか。
誰にも話したことはないのに。
「そのような願いをしたことはない……」
「いいえ、あなた様は確かに願いました。だから私がここに参ったのです」
相変わらず姿は見えない。
戸、一枚を挟んでの会話。
しかし、その言葉は少しずつタンゾウの心に迫っていた。
「どうか、この戸をお開けください。私があなた様の願いを叶えて差し上げます。もう一人で寂しい思いをすることはありませんよ」
優しげな声が戸の向こうから響く。
どこか亡くした妻の声に似た響きが。
タンゾウは立ち上がり、戸に近づいた。
「この戸を開ければ、ワシの願いを叶えるというのだな? もう一人にはしないというのだな?」
「ええ、左様です。どうか私にあなた様の手をお貸しください」
タンゾウは思わず涙を流した。
タンゾウは寂しかったのだ。
一人でいることが辛かったのだ。
その気持ちを埋めるために、頼まれ事にも、困り事にも手を貸した。
やっと報われる。
そう思い、戸に手をかけた。
開けるために力を入れようとしたとき、タンゾウの背に強烈な恐怖が走った。
本当に物の怪の言葉を信じてよいのか?
これは……これはワシを騙す甘言ではないのか?
タンゾウはそれを言葉にせずにはいられなかった。
「もしやおぬし、ワシの手を食らうために嘘をついているのではないか?」
相手は物の怪、所詮は人の怪。
人間を騙すのが奴らの生業。
タンゾウはそう考えていた。
しばし後に返答が来る。
「あなた様がそう望むのであれば」
「何?」
「……ざんねん」
その言葉を最後に、戸の向こうから声がすることは無かった。
日が登る。
タンゾウは朝まで眠ることが出来なかった。
戸の向こうから何か言葉があるのではないかと、ずっと待っていた。
完全に日が登った後、タンゾウは思い切って戸を開いた。
木の枝の隙間から射す陽射し、鳥の声、涼やかな風。
いつもの山の風景がそこにはあった。
戸の前に誰かがいた様子はない。
昨夜のことは何だったのか。
タンゾウはぼんやりとした頭で考えた。
ネガイダケ
そう言ったあいつは、もしやワシが言った言葉を叶えていたのだろうか。
「おい、もう一度姿を現せ」
タンゾウが一人、声を出すが返事はない。
「……惜しいことをしたやもしれぬな」
タンゾウは自分の眠気を思い出し家に戻った。
戸を閉める。
すると風が一吹き、戸を叩いた。
どん……
タンゾウの手はまだそこにある。
手貸しのタンゾウ レクト @direct0907
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます