自責とお仕置き

ネコタ斑猫

自責とお仕置き

 「あ」

 そう口にした男の目の前で、咲いたばかりの朝顔の花が落ちた。


 ベランダに放置していた鉢に、種を蒔いた覚えもないのに見たような芽が出たのを見つけた。健気に思い水をやりぞんざいな支柱を立てた。伸びた蔓が更なる支柱を探し始めたのでとうとうリング支柱を買ってきて立ててやった。花が咲いたので日当たりの良いところに移してやろうと鉢を持ち上げたところで物干し竿に蔓が引っ掛かり、そして冒頭の次第となった。

 (悪いことをした)

 男はつくづく悲しく思い、落ちた花をお猪口に入れて水を張った。花の元にはあと二つの萼があり、一つはもう咲き終わっていたが、一つはまだ蕾だった。

 (俺が余計なことをしなければお前は咲けたのになぁ)


 (どうもこのところこういうやらかしが多い気がする)

 この間は湯で満たした後の魔法瓶をコンロの上に置いて底を五徳型に溶かしてしまった。使用上問題はないが、ご年配の事故の端緒を思いがけず体感し恐ろしくなった。

 (それだけじゃない、こないだの旅行では鍵と眼鏡を無くした。鍵は予備をポストに入れてあったし、眼鏡も遠方用だから特段支障はなかった。それでも眼鏡は高いものだし何より気に入っていた絶版のフレームだった。鍵だってディンプル錠の複製は1万弱だ。)

 ちょっと遡れば買って一回使ったところで悪くない性能の双眼鏡を無くしたり。

 (こればかりは、と無くしたくない大切なものに限って、傷をつけたり無くしてしまったりしているようだ。)

 茶を煎れた。魔法瓶の底の溶解の跡を撫でた。やすりで均そうかと思ったが、綺麗な放射相称なので人に上げるなどの用がない限りは問題がないようにも思われた。

 そう、やらかしてはいるが全て「取り返しがつく」程のものだった。全てなんとかなっているし金だって出せなくはない。ただ、

 (自分が大切にしていたものを意図せず粗末にしてしまっている)

 その事実がなんとも辛く、痛ましく思われた。


 「君は何をそんなに落ち込んでいるんだ」

 急に声をかけられて男は声も立てられないほどに驚いた。一人暮らし。玄関は……風を入れようと思って網戸のままだ。しかし開けたら音がする。音はしたか? しなかった。

 声の主は自分の背後、近すぎない行儀のよい距離に在る。

 (自分は台所に居る。刃物でも持ってみるか? )

 いや、多分その必要はない。もし相手に害意があれば、こんな長閑な声掛けの前に仕掛けているだろう。

 男はそう判断してゆっくり振り向いた。そして更に声も立てられないほどに驚いた。

 (けっ……けっ……ケモ耳? )

 そこにいたのは創作で獣人と呼ばれる類の生物だった。おそらく全身がふかふかの毛皮に覆われていて顔はオオカミのようで首から下の骨格は全く人型で、つまり人が想像した都合のいい存在そのままの形をしていた。

 「初めまして。」

 獣人は男に対し丁寧な礼をし、男の返答を待った。多分男が自分に害意がないことを察し、闖入者の存在を受け入れるのを待っていたのだろう。男は振り返る前から獣人に害意がないことは察していたがその容貌の幻想性に惑わされ……ようやく落ち着いて言葉を返した。

 「こちらこそ初めまして。一体何で君のような人が俺の家に? 」

 ファーストコンタクトはそんな風に始まった。一体何で君のような人が、という表現は、その様相の珍奇さに対する驚きを言外に内包しつつ相手の礼儀に失礼のない対応をしようとした苦肉の結果であった。

 「私は今お仕置きでここに飛ばされているんだ。君たちの世界で言うところの、『悪さをした子供を押し入れに閉じ込める』みたいなアレだ。」

 「なるほど……??? 」

 男は腑に落ちたような落ちていないような気持ちになった。しかし、獣人の言う「お仕置き」という言葉の響きと、さらにそこから「押し入れに閉じ込めるみたいなアレ」という言い回しから一気に心理的距離が縮んだ。

 「……じゃあ、喉が渇いているだろうから君の分もお茶を煎れようか。後もしよかったら食事も用意するよ。簡単なものになるが」

 イヌ科だとしたら確か玉ねぎ、チョコレート、強い塩……何がダメなんだっけ。調べればわかるか。

 獣人は微笑んでいった。

 「それはありがたい。ただ、熱いものは苦手なので、もし可能なら常温のものを、できるだけ口の広い器に入れてくれれば」


 男の一人暮らしに突然の訪問者を迎えるための充実した設備なぞない。なんとか予備の座椅子を勧め、茹でたブロッコリーと解凍した薄味のサラダチキンを供し、男は突然のオオカミ頭の闖入者を精一杯もてなそうとしていた。

 「お仕置きをされるようなことって一体何をしたんだい」

 「どこから来た、とか、どうやって入った、の前にそれを聞かれたのは初めてだ」

 「どうせ聞いてもわからないし、あるとしたら何か魔法的な転送だろうからな。それよりもなんでうちに飛ばされることがお仕置きになるのかが気になる」

 (それに、君だって、多分よく知らんところに飛ばされたのに、最初に僕を気遣ったじゃないか)

 「……私は見た目通り君の世界の犬に近い。嗅覚が鋭く探索に向いている。今回は上官から斥候を仰せつかって敵陣の配置を探ってきた。上官がそれを適切に使えば戦力差から行ってもこちらが勝てるはずだった。しかし上官は私の情報を改変して敵対将校を失墜させようとした。本当はそんなことをすべきじゃなかったんだが上官はそれをした。結果我が隊の損害は甚大となり、それを救ったのが敵対将校という上官としては最悪の事態になった。上官は私の情報が間違っていたからこうなったと言い張った。上層部がどこまで信じているかはわからない。何にせよ今の上官は、私を自分以外と接触させたくない。

 それで私はここにいる」

 「何回目だ? 」

 「なんでそう思う? 」

 「悪さをした子どもを押し入れに閉じ込めるなんてローカルな風習を知っているからな。少なくとも五回くらいは来てるんじゃないか」

 「鋭いな。この世界に来るのは六回目だ」

 「どうしてここに来る羽目になったかは分かった。だがなぜうちに来るのがお仕置きなのか教えてくれ。……いや、六回目ということは、うちに限らずここの世界に来るのがお仕置きということなのか? 」

 「話が早くて助かるな。察しの通り君の家がお仕置き部屋というわけじゃない。生きられる環境ならどこでもいいから飛ばすんだ。だからこの世界以外のこともある。呼び戻したときに個体の能力に変わりがなければどこでもいいんだ」

 男は獣人をじっと見た。あるゲームでもてはやされている獣人にそっくりだ。

 「この世界に来た時女性にもてたことがあるんじゃないのか」

 「よくわかるな」

 獣人は笑って常温のほうじ茶を飲んだ。犬なりの飲み方なのでぴちゃぴちゃ音がしたが、それもまたその筋の嗜好者には愛しいだろう。

 「ずっとこの世界に居ればいいじゃないか。そういう女性を頼って」

 男は自分でも、なんでそんな安い気休めを言ったのかはわからなかった。

 「呼び戻されるからな。どこに行っても。どこに逃げても。」

 獣人は首輪を示した。

 「国の力になりたいし、死んだ同胞の志をつなぐ責任もある。仲間も待っている。問題なのは上官だけだ」

 「やりがい搾取のブラックじゃないか」

 「ああ、それも前々回に聞いた」

 彼は懐かしいような顔をした。ブラックといわれたことにはあまり動じていないようだった。

 「……もしかして搾取されるの好きだったりする? 」

 獣人は少し恥ずかしそうな顔をした。

 「正直いうと、自分は隷属するのが好きなのだと思う。……言いづらいが上官がものすごくタイプの美人なんだ」

 「ああ……」

 それは言いづらかろうと男は思い、そしてあらかた理解した気持ちになった。上官が獣人なのか人間なのか聞いてみたかったが、それは話題の本質から遠いため遠慮しておいた。

 獣人はブロッコリーを美味しそうにかみ砕きながら言った。

 「こちらの話はこんなもんでいいだろう。君はなぜあんなに落ち込んでいたんだ? 食事を御馳走になったんだ。何か役に立たせてくれ。」


 男は目を伏せた。獣人の置かれている状況……自国が戦時下にあり、彼は斥候という極めてリスクのある役割を負い、軍内の政争に巻き込まれており、おまけにサディスティックな上司に好意を抱いている。こんなに複雑な状況の相手に、朝顔が落ちただの、魔法瓶の底が溶けただの、眼鏡をなくしただの、そんなことを伝えるのか?

 (なんて、なんて些末なことなんだ)


 また自責を始めようとする男の目に映ったのは、話を聞きたくて、誰かの役に立ちたくてたまらなさそうな、忠実で好奇心に満ちた眼差しだった。


 仕方なく男は話し始めた。今朝からのいきさつと思考を。つまらないものだと申し訳なく思い、それゆえに途切れがちになりながら。

 「そりゃあその朝顔は随分運がよかったんだな」

 獣人は言った。男は思わぬことを言われた顔になった。

 「なんで? 」

 「だってそうじゃないか。芽を出したところが君の植木鉢じゃなかったら、今頃水ももらえずに枯れていただろう。おまけに支柱をわざわざ買ってやったのか? 君はいいやつだな。心の温かい、いいやつだ。」

 男は狼狽えた。そんなことは、誰だって当然することだと思っていたからだ。

 「当然じゃないさ。自分が蒔いたわけじゃない種からの実生なんて抜いて捨てる奴だっているだろう。でも君は水をやったんだろう? そうして世話をして、花を喜んで、傷つけたことを嘆いてる。いいやつ以外の何だっていうんだ。」

 「あ、まぁ、……そう言われればそうかも」

 「他に君の話から分かることと言えば、君が物を大事にしてるってことくらいだ。忘れ物や落とし物なんて誰だってある。私だって誰にも明かせないようなとんでもない落とし物をしたことがある。今のところは隠しおおせているけれどね。」

 男は、獣人の言葉に大分励まされながらも、ほとほとと言葉を紡いだ。

 「自分は、自分が大切にしていたものを、意図していないとはいえ粗末にしてしまって……これから自分は年を取る。そうすると今よりももっと思考や感覚や行動をコントロールできなくなって、今よりももっと大切なものをなくしたり傷つけたりしまうかもしれない。それが怖い」

 獣人は、諫めるような顔で男の頬に両の手を当てこちらを向かせた。

 「じゃあとりあえず君は君自身を傷つけるのをやめろ。言いたいことはわかるが君が一番大切にすべきは君自身じゃないのか。そんな風に自責したってやったことは戻らないし未来のことはミスを防ぐ仕組みを作るしかない。繰り返されるミスは属人的な問題じゃなくてシステムそのものの問題だ。意思でどうにかしようと思うな。システムを改善しろ。具体的に言おう。朝顔は物干し竿の下に置くな。無くしたくないものはカバンの奥深くのポケットとか決まった場所にしまえ。魔法瓶を五徳の上に置けないように湯を沸かした後薬缶を動かすな。そういう仕組みを作ればたとえ先々君が自分の思考や行動をコントロールできなくなったときも役に立つ。それもダメになったときは誰かの手を借りろ。

 もっと自分を許してやれ。」


 屹度何度も同じようなことを何かの度に言い続けてきたのだろう。


 まっすぐに見つめてくる忠実な瞳。頬に当てられた少し冷たく湿った大きい肉球。心地よい毛並みから伝わってくる温かさ。


 男は、しばらく黙った後、諦めたように柔らかく笑った。獣人の頬に手をやり、思い切ってわしわしと撫でた。獣人はくすぐったそうに喜びの顔を浮かべお返しといわんばかりに男の頬をわしわしと撫でた。指で触れた獣人の後頭部や頬に縫ったらしい傷跡やそれとも貫通跡のようなくぼみがあるのに気づき、男は少し目を曇らせた。獣人は男が心を留めたことに気づいたが、それでも思い切りの笑顔のまま、男の頬を撫で返すのをやめなかった。


 獣人の首輪の石が青く光った。

 「ああ。そろそろだ。今回は早かったな。」

 「気を付けろよ。その……もしそういうことが可能だったら、もう一度うちに来ればいい。何か好物があれば用意しておくよ。」

 「この世界の人間はみんなそう言うな。」

 寂しそうに獣人は言った。しかし一方でその表情には何か曰く言い難い火照りのような喜色が含まれていた。

 「……君は帰ったらすぐに戦場に逆戻りなのかい? 」

 暫く沈黙が続いた。

 「……すぐじゃあないな。まぁある意味戦場なのかもしれないが……。」

 少し咳払いをする。

 「これから私は、上官殿手ずからのお仕置きを受ける予定だ」


 獣人が帰って。

 男は、もう少し気楽に生きてみようと思った。


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