背表紙を撫でる

小狸・飯島西諺

掌編

 電子書籍が人口に膾炙かいしゃして久しく、また全国各地の書店が本の売れ行きの悩みを持ち、図書館の利用者は本を借りずに自習室として使ってゆく昨今ではあるけれど、私は紙の本を愛している。


 漫画以外の書籍は、極力紙で購入するようにしている。


 なぜかと問われると、なかなか返答が難しい。


 データとしてではなく、そこに確固として存在しているということを認識した上で、読書に臨みたいのだと思う。私だけかもしれないが、紙の本の方が、「私は本を読んでいるんだ」と確信できる。次のページをめくる時の高揚感、紙の減りで物語の終わりを物理的に認識できることによるせきりょう感、紙の本独特の香り、手に取った時の重み、カバーの装幀、推薦文や本文引用がなされる帯、全てに読まれるための工夫がなされていて、全てが、好きである。だからこそ私は書店におもむき、本を買っている。


 いやいや時代は電子書籍ですよと言われたら、返す言葉がない。


 確かに電子書籍の利便性については、無視できないものである。


 そのサイトが閉鎖でもしない限りは、いつでもどこでも、スマホやタブレット、パソコンで閲覧することができる。機能も充実しているし、栞を付けたり、アンダーラインを引くこともできる。紙の本に書き込めばそれは不可逆だけれど、データであればいくらでも書き直しがきく。それに何より、ページ数があればあるほどに厚みが増してゆく紙の本と違って、電子書籍には厚みがない。データの容量が許す限り、いくらでもストックすることができる。事実私も、漫画は、どうしても手元に置いておきたい作品を除いて、電子書籍で集めている。最近は、カバー裏のおまけイラストまでもちゃんとデータ化されているので、嬉しい限りである。


 ただ私は。


 電子派対紙派の議論をしたいというわけではないのである。


 どちらが優れているとか、どちらが劣っているとか、そういう話をしたいのではないのである。故に、こっちの方が良いよ、と薦めるとか、ましてや誰かに強制するとか、そういうことはしない。皆は皆で、自分が正しいと思う読み方で読めば良い。読書は、自由なのである。


 漫画を例外としたのは、別に漫画を見下しているとかそういうことではない。単純に、漫画は巻数が多く、発行される頻度も多い――要するに置く場所に困るからである。


 一人暮らしであるため、収納できる書籍にも限界がある。否、既に限界は超えているように思う。それでも、本に失礼のないように配置し、陳列しているつもりである。人間第一ではなく、本第一の生活である。まあ、独身であることが功を奏した、と言うべきだろう。この先結婚する気も、気配も毛頭ないことも含めて、一人で良かったと、改めて思う。

 

 ただ、私は向上心とかそういうものが欠如しているので、全国の書店を応援すること、積極的に本を買うこと、そういうことを啓蒙けいもうしようとか世に発信しようとか、そういうことはしない。勿論もちろん書店を応援する気持ちはあるけれど、不特定多数の前でそんなことを言い、人々を率いるようなリーダーシップや覚悟は、私にはない。なおかつ、私は自分のことしか考えていないので、少なくともれい八年の今現在、書店で紙の本を購入できているという事実だけで、幸せになってしまうのだ。


 そういうことは、私よりもっと頭の良い人がやるべきだろう。一読者でしかない私は、人の考え方に影響を与えることはできない。それは学生時代に、痛感している。


 ただ、これからも私は、本を愛する私でありたい。


 それは、多分今しばらくは、変わることはないだろう。




(「背表紙を撫でる」――了)

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