オアシス

夏凪みつな

オアシス

「泉さんさぁ、何度言ったら分かんの? お荷物はうちの課にはいらねーの! もう歳も歳だし、とっとと退職してくれた方が助かるんだけど?」


 ボールペンをリズムよく机に叩きつける音が、課長のいら立ちをより一層際立たせている。


 年下の課長に、「すみません」と頭を下げるのは、今月に入って15回目だ。まだ3日だというのに。


「ぷっ。泉さん、まーた課長に怒られてんじゃん」

「えーまた? まぁ、あの人見てるとイライラする気持ちは分かるわ」

「だよねー! あのオドオド感? はっきり言ってキモいよね」


 女子社員たちの内緒話は聞こえないふりをして、自席に着く。いつものことだから、平気だ。気にもしていない。

 持っていた資料を確認しようとデスクに広げたが、角が皺になってしまっていた。皺を何度も何度も手で伸ばすように広げたが、随分力強く握ってしまっていたようで、元には戻らなかった。


 夕飯の材料を買い、スーパーを後にする。

通りがかった公園では、ピンクや水色のランドセルをベンチに置き、小学生が楽しそうにブランコを漕いでいる。その様子を眺めながら一服し、俺は家路についた。


 帰宅すると、通勤前と変わらず、同じ位置、同じ格好で母親がテレビを見ていた。変わっていたのは、テレビ番組だけだった。


「この女の子もまだ見つかってないと~」


 今やっているニュースに対しての感想を、独り言なのか、俺に言っているのか分からない声量でつぶやく。


「今日、安かったからコロッケ買ってきたよ」


 惣菜のパックから、皿へ移し替える。温めるため電子レンジに入れようとした、その時、


「なんでコロッケと!? そんな脂っこいもん食べさせて、私を早死にさせたいと!? この親不孝モンが!!」


 いきなり叫んだかと思えば、机の上にあったリモコンを勢いよく投げつけてきた。


「っ!!」


リモコンの角が思い切り目にあたり、激痛が走る。うずくまる俺に、母は追い打ちをかける様に言った。


「あんたみたいな親不孝モン、産まん方がよかったわい! あーなんでこんな不出来な息子産んじまったかいなぁ! この役立たずが!!」


 母のスイッチは昔から俺には分からない。分かっているのは、一度スイッチが入ると、しばらくは収まらないということだけだ。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 普通に息を吸っているつもりが、なぜか酸素が入ってこない。肩が上下に動く。落ちて形が崩れたコロッケが目に入った。手を伸ばし、力をこめると、ぐちゃりと潰れた。


 後ろでまだ母が叫んでいたが、それどころではない。自分が自分でなくなる前に、わずかな正気を保ち、ふらふらと2階へ上る。自室を通り過ぎ、一番奥の部屋を目指す。


 足の悪い母は2階には上がってこれない、自分だけの場所。ここに居るときだけは、自分は自分でいいんだと思わせてくれる。


 ドアノブを回し、扉を開ける。壁一面の、小さいサイズのきらびやかなドレスたちが自分を迎えてくれた。俺は閉めたドアにもたれかかり、スルスルと床に腰を下ろした。


 大きく息を吸う。ようやく酸素が体内に充満するのが分かる。俺は部屋の一番奥を目指した。


 3つ並んでいる、胸の高さ程の冷蔵庫を一つずつ開ける。


「今日はりこちゃんにお願いしようかな」


 ひと際肌の白いりこちゃんは、俺の作った深紅のドレスがよく似合う。


「まゆちゃんとみのりちゃんもかわいいけど、りこちゃんは別格だね」


 俺は、りこちゃんの、ふっくらした冷たい頬を左手でなでながら、右手で一定のリズムを刻む。

 心なしか、りこちゃんの頬も色づいているように見える。

 無意識にリズムが速くなる。


「……っ!」





 落ち着きを取り戻した俺は、3人の頬を一人ずつなでる。この子たちがいるから、俺は自分を保っていられる。


「君たちは俺のオアシスだよ」




 1階に降りると、母は再びテレビに夢中になっている。

 少女連続行方不明のニュースを見て、またぶつぶつと呟いていた。

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オアシス 夏凪みつな @mitsuna-3291125

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