亜人釣り
LucaVerce
亜人釣り
「なぜ魚が釣りエサに食いつくかわかるか?」
王都「オルガン」に属する魔王を討伐した勇者一行の内の1人、賢者と、彼の弟子の魔法使いがオルガンの外にある高い塔の上から。長い釣り糸を垂らしている。
心地良いそよ風が吹く。風が服の繊維の隙間を通り、魔法使いの体温調節を容易にしてくれる。
空は快晴。地上では魚達が必死の形相で泳いでいる。海で言うと中潮だ。ほどよくプランクトンが潮の流れで遊泳し、それを追う小魚たちが活発に動き出す。更にその小魚たちの後ろを大きい魚が追う。つまり、この時間帯に釣りを行うのは大物釣りの絶好のチャンスなのだ。
魔法使いが震えながらも賢者に付き合う。質問の答えを探る。地上では怒号が行き交う。女子供の悲鳴が列をなし、こだまする。
「…魚とはそういうものだから…でしょうか…」
賢者が興味なさそうに魔法使いの質問に答える。ため息一つ。つまり、断頭台への階段を登る。近づく。
「ちがう。食料リソースがないからだ。畑があれば、牧場があれば、簡単に餌にありつけるのであれば、簡単にこれは罠だと気づけるはずだ。何故なら余裕があるから。容易にご飯にありつけるから。安全に食糧にありつけるバッファがあるからだ。」
賢者が続ける。いつこの男は呼吸をしているんだろうか。
「さらに言えば貯蔵できるリソースが無い事も問題だ。人口を爆発的に増やすことができたのは、小麦とお米のお陰だ。干し肉やピクルスなんかもそうだな。湿気や、ネズミ等に気をつければ何か月も保存できる。保存ができるということは、いつでも食事にありつくことができるという事と同義だ。」
賢者の釣り竿がしなるように曲がる。釣り竿についた浮きが沈む。そのリズムに合わせて賢者があわせる。つまり、魚の口が餌を慎重に何度も啄むのに合わせて、釣り竿を持ち上げる。そうすると、魚の口の上の方に針が刺さり、魚が釣れる仕組みなのだが…今回は外れだったようだ。よくある事らしく、また賢者は、釣り竿を地上に投げる
「お前が、満腹の状態で釣り針に掛かった肉の塊を見たとき、それを喰らうか?喰いつきなんかしないだろう。なぜならリスクを冒す必要がないからだ。畑があるなら畑から白菜を採ってきて漬物にしてもいいし、牧場があるなら牛を殺して焼いて喰えばいい。」
だが、砂漠で空腹の状態なら?
「…」
相変わらず冷めた目で浮きを見つめる。集中しているのか、していないのか、分からない。楽しんでいるのかどうかも分からない。
賢者が立ち上がる。それにならい、魔法使いも立ち上がる。賢者が地上を指さす。その指の行く末を魔法使いは見つめる。
「みろ。亜人どもがパン食い競争よろしく我々の釣糸の先の餌に食いついている。力ある女が子どもを押しのけて。力ある男が、女子供押しのけて。」
亜人達は賢者の緊縛魔法により両手首を溶接されたかのように手錠で縛られている。さらに手首から先は、すべてではないが、切断されているので、餌をつかんで捕ることができない。
賢者が特定の場所を指差す。そこには目立つ三人組の亜人がいた。
恐らく家族なのだろう。その女と男の近くにいた亜人の幼体は、その男女の見た目を足して2で割ったような容姿をしており、視覚情報は限りなく遺伝的に類似していた。
女は手錠のついた手首のない手で幼体を殴る。その女を男が両手を縛られながらも殴る。躾のためじゃない。生存のためだ。
賢者は、一度、念のため、釣り糸の先の餌を確認するためにリールを巻く。スルスルと釣り糸が地上から塔を目指して上がっていく。
蜘蛛の糸を見つけた罪人の様に地上の亜人達はぴょこぴょこ指の無い手を伸ばしながら跳んでいる。糸を手綱と見立てて、この地獄から逃げる為に。
「…食われたようだな…」
賢者の持っていた釣り針には餌が付いていたはずだが、そこには虚無しか無かった。賢者は鉄仮面を崩さず保ったまま針糸に、先程より小さな一口大の肉の塊をつける。
「さっきのは餌が大きすぎたようだ。今度は小さめのサイズにしてやった。ちょうどいい大きさだな。」
お空にあるお天道様は、2人を近い位置から燃やすように照らす。残念ながら、賢者に断罪を意味する太陽の光は通用しない。それはどの世界でも同じ。
政治的な意味での強者を罰する事が出来る法律など、実はどの世界にも存在しない。
賢者は釣り糸を地上に向かって投げ入れる。お互いの釣り糸が掛からないように、別の方向に投げ入れる。この塔の周りを多種多様な亜人達が列をなして囲んでいる。
でも彼らは賢者に対して復讐を成し遂げるために塔を登ったりはしない。
目の前の100グラムにも満たない小さな美味しそうな肉片を命懸けで奪い合っている。
「…効率的な釣りには…食欲を唆る見た目…そして広範囲に広がり、亜人達の鼻腔を刺激するための香り付きの餌が必要だ。」
賢者曰く、彼は元々料理なんてしなかったのだが、この「亜人釣り」の為だけに王都の中の、主婦達が開催しているお料理教室に出向き、美味しい料理の方法を学んだらしい。
真剣にこの「亜人釣り」を攻略するにあたって、どの様な餌がいいのか?ただの肉片だけでは釣れないんだ。と主婦たちに質問したところ、彼女たちもまた真剣に考え出したのだという。
考案されたレシピ案には、「牛肉」と「ガーリック」と、「オリーブオイル」と「タイム」という香草が組み込まれていた。
まず、熱したフライパンにオリーブオリーブを敷く。そこにスライドガーリックと、タイムを入れる。香り付けが完了できたら、常温で置いておいた200gほどのステーキを入れる。
2分程中火で焼いたあと、アルミホイルにステーキをくるんで放置する。そうすると、余熱でステーキ肉の中まで熱が浸透する。なので焼き加減が、一番食欲を唆るような、赤く輝く「レア」になる。
その後さらに強火で1分程焼く。メイラード反応により、さらに美味しそうな焦げがつく。
これを薄くスライスすると、釣り針に刺す事が出来る。ちょうどいいサイズになる。
さらに、賢者は用意周到だ。
亜人達全員にこの極上の味を覚えさせる為に、なんと無料で配布した。もう既に飢餓状態にあった亜人達は、調理された肉に飛びついた。これにより、亜人達は目の前にこの、極上の肉片が現れた時、我先に群がるようになる。
それ以降、他の、虫だの、たまたま着地した鳥だのに見向きもしなくなり、今ではこの釣り糸をみただけでよだれを垂らす、パブロフの犬へと成り下がった。
「この餌に変えたことにより、匂いにつられる以前とは比べ物にならない数の亜人達が、餌の周りを群がるようになり、小さな小さな腹も満たせぬ細切れの餌に、必死で食いつくようになった。」
賢者は無表情を貫く。だが、言葉数が多い。彼のなかで、魔法使いに説明するうちに、楽しくなってきたのかもしれない。彼女は断頭台から降りることを許されたのだ。
魔法使いは辺りを見渡す。そこの違和感に気づく。
…最近、さらに多くの亜人達が群がるようになってきた。おかしい。あそこにいるのは…竜人族に、狼族。ヘビと共存する蛇人族に誇り高き巨人族、さらには草食の羊人族までいる。
全員一様に手首から先は同じ様に存在せず、 また、同じ様に一律に手錠が掛けられている。
ここまで多くの亜人種たちが塔の周りに群がる理由とは?
魔法使いが疑問を解消するために、賢者に質問する。
「先に私達が彼らの食糧源を絶っていたからだ。」
「…」
「魚を食料リソースとするなら川に毒を撒く。畑があるならそこを燃やし、家畜がいるならすべてを奪う。野生動物も可能な限り殺し、鳥類は私が撃ち落とした。死体は回収した。私は野草等に関する知識はないので、極力食べることができる可能性があるものは全て燃やした。彼らの周囲には当然食料と呼べるものはなくなるので、自然と、罠と分かりながらもこの危険な塔の近くを群がる。ここにしか安定した食料は無いからな。」
賢者が腕まくりをしながら「よし。今日こそ大物を釣るぞ」と張り切っている。
賢者にとってはこの「亜人釣り」はただの娯楽。獲物を豪華にする為の必要なタスクに過ぎなかったのだろう。自分が楽しむ為だけに彼は大量の有機生命体達も殺戮し、水をした。
不意に、また、賢者の釣り竿が大きくしなる。賢者が「おっ」という顔をする。無表情を貫いた賢者の顔を微妙に好奇心の色が染める。ウキのリズムに合わせてまた竿を上に振る。振った拍子に下からの張力がかかり、竿に大きなテンションが掛かったことが容易に見て取れる
「…何が釣れるかな…?」
下を見ると釣り針の先の亜人が苦しそうに悶えている。餌だけを食べることに失敗したのだろう。
…よく見ると、亜人の男の舌端に釣り針が刺さっている。男は大声を出して喚きながら力いっぱい抵抗している。
釣り竿が男に引っ張られる。男が暴れるので、賢者の釣り竿が右往左往する。
「…っはっは!悪くないサイズだな!これは!」
賢者は巧みに釣り竿を操作する。男が右に流れたら竿も右に。左に流れたら左に動かす。力の流れに逆らうと、強靭な糸であったとしても、ちぎれかねないからだ。
釣り竿の動きがなくなった。男が疲れたんだろう。「しめたっ!」と賢者が狂喜しながらリールを引く。男が塔の上、望楼の間近まで迫る。
だがそこで悲劇が起こる。
男の針先についた舌は、賢者の引く力に抗えなかったのか、舌根を境に千切れてしまう。そのせいで男は叫ぶこともできないまま落下していき、地上に着いたとき、ザクロのように男が肉はじけ飛び、肉片が散る。
その肉塊の周りをほかの亜人達が囲み、生食ができる種族たちはそのまま食べようともするし、人間の様な消化器官を持った亜人達は肉を懐に入れて持って帰ろうともする。
相変わらず女子供は男衆に勝てずに、押しのけられている。だが、元いた男衆も新興勢力である巨人族や、龍人族に押しのけられ、踏み潰されたり、あるいは竜人族に噛みつかれて喉元が千切れたり、あるいは蛇人の毒で息絶える。
「…釣り針のかかる位置が悪いと、あのようなことが起こる。舌、上下の唇、歯の隙間等に刺さっても…ここ迄釣り上げることは難しい。できれば…餌をくわえた後に、噛み千切らずに呑み込み、その拍子に釣り針の返しの部分が咽頭奥深くまで刺さって欲しいものだ。」
賢者が魔法使いの竿がしなっていることに気づく。魔法使いは躊躇する。もしここで大物を釣ってしまったら、賢者に殺されてしまうのではないか。釣果のサイズに嫉妬し、彼女を釣りエサとし、さらなる大物を狙おうとするのではないか。
そんな思考は杞憂なのだが。
釣りをするとき、友人や相棒は、大体が安全に大物を釣り上げることができるように、特殊なタモ網と呼ばれる網の準備をする。
タモ網は、虫網のような形状で持ち手の部分が伸縮可能になっている。
大きい魚が海面という分水嶺から地上に持ち上がった拍子に、大抵の釣り糸は魚の重みに耐えられずに千切れる。それを防ぐために、海中にいる間に頑丈なタモ網に魚を入れて持ち上げる。魚を海面に上げるためにリールを引き切るなんてことはしないのだ、大物の場合。
つまり釣りとは、狙っている魚種にもよるが、まあ基本は相棒がいたほうが各種のプロセスがより簡易になるのである。
それに経験者にとっては嬉しいものだ。初心者が何でもいいから釣り上げる事は。初めての釣りがボウズ(釣果無し)だと、大体続かないから。
今回の場合、賢者が釣り糸を魔力で強化しているので、釣り糸が千切れることはない。魚が千切れることは、先の様に、あり得るが。
魔法使いは、先ほど見た賢者の動きに倣い、獲物が暴れている時は獲物の力の方向に竿を傾け、疲労を回復するために静止している時に、リールを回す。これを繰り返す。
脳から甘美な汁が漏れ出る。
それを美味しいと思ってしまった。必死に抗うように脳内で否定する。
「筋がいいじゃないか。初めてにしては。」
賢者がタモ網の準備をする。獲物の様子はよく分からないが、釣り竿から伝わる感触によると、そこまで大きくはない。だが、元々釣りが好きな賢者は、釣り人としての習性からか、タモ網を手にとり、いつでも行けるように準備していた。
だがまたも、獲物は途中でちぎれて落下する。巨人族の老人だったようだ。意外にも大物だったんだな…しかし、唇にかかってしまっていたようだ。
そのまま地上に落ちる。即死はしなかったものの、泡を吹いている。頭から大量の血が噴き出る。そのまま出血死する。
魔法使いがまた、餌をつけて竿を投げる。下に亜人たちが群がる。先ほど出血死した亜人を踏み台にしている。少しでも、餌に食いつけるように。
「…見ろ。あそこに見えるは、火中蓮華。野生が充溢する地上にて、未だ道徳を保とうとする健気がいるぞ。」
狼族の男がその男の幼体を肩車し、少しでも餌に届くようにと、自ら踏み台になり、高さを足す。
だがその努力むなしく、隣にいた別の種の亜人に弾き飛ばされ、その肩車は瓦解する。
「弱い女子供に選択肢はほとんどない。そのまま餓死をするか、殺されて死んだ男達を焼いて食う。まあそれも、今では難しいのだが。」
賢者はただ、大規模な整理されていない関数たちの処理結果を眺めている。彼にとっては亜人達の命なんて、ただのインスタンス化されたオブジェクトみたいなものなんだろう。老人の頭が割れて血が流れていても「それはそうだろう。血は流れているからな。頭部にも。割れれば流れるさ。そりゃ。」と当然の様に回答するはず。
そんな乾いた思考の隣で、魔法使いの竿が、ガツン、と大きく叩かれる。
「あ……」
反射的に竿を立てる。
その瞬間、指先から脳天へ、電流のような痺れが駆け抜けた。
重い。引いている。しかもさっきよりも掛かりが良いのか、生き物が、死に物狂いで抵抗している様子が釣り糸を通して魔法使いの手に届く。
その暴力的で生々しい「手応え」が、彼女の脳内から道徳という名のブレーキを吹き飛ばす。
さっきまでの恐怖はどこへやら。溢れ出すのは、獲物を制圧する征服感と、未知の興奮。
そして先程啜った甘い汁。ストローをつけてジュルジュルと音を立てて吸う。
ストローでちまちま飲んでられなくなった彼女はコップについていた蓋を外した後にそのコップを手に取り、砂漠の旅人のようにゴクゴクと音を鳴らして飲む。
彼女は夢中でリールを巻く。その目は、眼下の地獄ではなく、ただ糸のテンションだけを追っている。
頬が紅潮し、息が荒くなる。
…早く見せて、私に、何が釣れているのか…
隣で賢者が念のためにタモ網を用意している。ビギナーズラックが大物を呼び寄せる事もある。油断はしない。
だが、獲物が望楼に近づいてきたのを見た賢者は、タモ網を引っ込めて椅子に座る。紅茶を燻らし、飲む。
なぜなら、釣り針を食っていたのは小さな小さな幼体の亜人種で、タモ網が必要なほどの重量ではなかったからだ。
「…小物だったな。」
だが、魔法使いは落胆しない。むしろ喜びを感じていた。
獲物が餌に食いついた瞬間。
獲物が釣り針の痛みに抵抗し、暴れている所を制し、コントロールする瞬間。
格闘の末、姿を見せた、元々は自分の所有物ではなかった生命体が、自分に所属する瞬間。
それぞれのシーンで脳から同じ様にドーパミンが分泌される。それを舐める。吸う。食べる。
…全然美味しいじゃないか。獲物を釣り上げた時の喜びのほうが…
魔法使いの顔が徐々に下卑た喜びに満ちていく。釣り上げた幼体を愛でた後、バケツに入れる。
賢者が「見てられない」…といった顔で立ち上がり魔法使いに、釣りの嗜みをレクチャーする。
「いいか、愚かな弟子よ。いつも言っているだろ。世の中を支配しているのは数字だ。民衆の総数を数え、土地を分配する為の補助金。税を効率に回収する時にも数字は使われるな。わが子達を養うために今日、どれだけのリンゴを買えばいいのかを計算するときにも、シンプルな計算をする。」
賢者がメジャーを取り出す。幼体をバケツから取り出す。メジャーを伸ばす。サイズを測る。
「105cmか。初めてにしては上々だな。」
測り終わった後、賢者は死体となった幼体をバケツに無造作に投げ入れる。
「こうやって記録を覚えて、更新していくんだ。因みに私の記録は2m90cmの巨人族だ。あれは大変だった。なにせ私一人で釣り上げたのだからな。地上から離れていく度に、この巨人が釣り糸を揺らす。流石に私の魔力がこもった糸でも危ないと思ったので、タモ網を用意したはいいが、片手に釣り竿を持ったままなので両手でタモ網を操作することができなかった。やむを得ず強化魔法を使用する羽目になったな…。あれは、それほどデカい大物だった。」
…2m90cm…
甘美な赤い汁が手の届かない遠い位置に流れている様子を、魔法使いは視認する。
興奮が収まらぬまま、魔法使いは再度餌を取り付ける。今度は適当に投げ入れるのではなく、ちゃんと大きな魚影がある位置を確認し投げ入れる。
「…」
数分後、釣り竿が大きく跳ねる。これは凄い。狙い通りの大物だ。
魔法使いの細い腕が、悲鳴を上げるロッドに引っ張られ、あわや塔から転落しかける。
「ロッドを立てろ!のされるな!腰を落として耐えろ、相手が疲れるのを待つんだ!」
賢者の指示が飛ぶ。魔法使いは歯を食いしばる。言葉を発する余裕などない。
眼下の獲物は、どうやら死に物狂いだ。右へ左へと走り、塔の壁面に激突しながらも、口に刺さった異物を外そうと暴れ回る。
その抵抗のエネルギーが強大であればあるほど、魔法使いの脳髄は白く弾ける。
糸が鳴り、リールのドラグがジリジリと滑る音は、彼女にとって最高の賛美歌だ。
数分の格闘の末、獲物の動きが鈍る。
魔法使いは荒い息を吐きながら、ポンピングの動作で強引に獲物を引き寄せる。
「見えた……デカいぞ!」
姿を現したのは、歴戦の傷跡が刻まれた、岩のような筋肉を持つ巨人族の戦士長クラスだ。
口元から鮮血を流しながら、憎悪に満ちた目で上の二人を睨みつけている。
だが、賢者にとってそれは「獲物」でしかない。
「タモを入れるぞ。テンションを緩めるなよ」
賢者が素早くタモ網を構え、塔の縁から身を乗り出す。
巨人族が最後の力を振り絞って腕を伸ばし、賢者を掴もうとするが、賢者は手慣れた様子でそれを躱し、巨大な網を頭から被せる。
「よし、入った!」
二人がかりで網を引き上げる。ドスン、と重量感のある音が塔の頂上に響き渡る。
網の中で巨人が暴れるが、すぐに動かなくなる。急激な気圧の変化と、引き上げられる際のダメージ、そして酸欠ならぬ、絶望によるショック死か。
「……ふむ」
賢者は即座にメジャーを当てる。死体の尊厳などない。あるのはレコードのみ。
「2m88cm。……惜しいな。私の記録にはあと2cm届かん。だが、立派なランカーサイズだ。ビギナーでこれを上げるとは、お前には釣りの才能があるかもしれん」
賢者が賛辞を送り、魔法使いの肩を叩く。
魔法使いは、自分の背丈よりも遥かに巨大なその肉塊を見下ろす。
恐怖はもうない。
あるのは、この圧倒的な暴力を自分の手で制圧したという、全能感。
そして、メジャーの数値という評価を与えられた充足感。
あと……2cm……
彼女の瞳孔は開ききっている。
喉が渇く。もっと、もっと濃い、脳を溶かすようなジュースが欲しい。
彼女は震える手で、死んだ巨人の口から強引に針を外し、クーラーボックスから新しい肉片を取り出す。
手についた巨人の血を拭うこともしない。
ただ、次の快楽を求めて。無言で。
賢者の言葉を待つこともなく、狂ったような勢いで竿を振りかぶり、直下の地獄へと糸を垂らす。
その一連の動作には、もう迷いも、道徳的な葛藤も、1ミリグラムも存在しない。
ただの、ドーパミン中毒患者の動作だ。
賢者はその様子を見て、片方の口角だけを僅かに吊り上げる。
◆◆◆
美しい。
人はこうやって、一線を越え、こちら側の住人になる。
その瞬間に立ち会えることこそが、私にとっての最大の釣果なのかもしれない。
…
着底の暇すらなかった。
ほら。掛かった。また。
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