転生させる能力の僕は神に等しい
すいすい / 霜惣吹翠
第1話
陰鬱な廊下には風一つない。あるのは冷たいいくらかの足音と鮮明な無機質の青白さ。廊下の血色はまさしくその色。後ろに縛られ向う彼の萎びた姿もなお同様である。
彼はなにかを祈るわけでも懇願するわけでもない。あまりに流麗にそこへ立ち、浮いてしまった。だから却って三人だけでなく辺りの誰しもが罪悪感を覚えた。彼の無言の佇まいこそが最も真実を語っていたからだ。しかしだとしても彼は死んだ。
彼の躰はなお浮くように沈んだ。
草原の緑の丘。大きな木の下の風が頬を撫でる母の膝枕の上。仄かに甘くそれより肌色の面影が微笑みながら彼へ絵本を読んでいる。絵は見えない。見ずともわかるほどしかしもう覚えてすらいない何度も読んだお気に入りの絵本だった。だから見ずとも聞くだけでいい。むしろ母の優しい声がそよ風と合わされば目など閉じていたい。
記憶の始まりは定かでない。彼が自分という意思を抱き始めたのはこのときだった。人が何を以てして初まりの記憶を覚えるかは知るところではないが、彼のささやかな表情を見ると、きっと幸せな思い出だからだろう。そうであったほうがいい。
その後の記憶もまた定かではない。しかし彼が自分の意思を確かめたのは十歳のときだった。
街の暗い裏路地。昼だというのに夜よりも真っ暗などこか。僕は妹の手を繋いで彷徨っていた。空気という空気も歩くたびに噎せ返る。暗くてもわかる焦げ茶色の鼻の捩れる臭いだ。
それが一瞬揺らめいた。いい臭いではない。違う乱暴ない息!
「こんにちわ。坊ちゃん」
風貌もやはり乱暴不潔な男が三人。僕らの服装を舐め回すように見てくる。光に集るように奴らは僕と妹を囲いこんできた!
気圧されていたらダメだ。僕は妹を庇いながら叫んだ!
「僕が誰だと思っている! 僕たちから離れろ! 今すぐにだ」
「へへ。そうかい」
奴らは嗤笑した。僕の幼げに光悦したからではない。自分自身の悪意にそそられてだ。
奴らは直ちに野獣のように僕らへ駆けてくる。どうしよう。僕はまだ子供。どう頑張っても大人三人に勝てるわけがない。でもだったら僕は、妹は! どうなる。想像もしたくない。
「く、来るな。許さないぞ……」
「だったらどうだよ!!」男の一人が勢いよく僕の木偶の棒の腕を掴んだ。
「やめろ! 離せ! この後どうなるかわかっているのか!」
「大金を手にして遊びまくってやる!」
「やめろ、うあああああ!!!」
その瞬間、僕は意志を強く、男をぶん殴った。男は案外痛がって転んだ。
「このガキ!!」他の二人がかかってきた。
「ロザリア、僕が絶対に守る!」やるしかない。
「お兄様」震えている。
「大人を怒らせるなよ!」
「うおりゃあああああああああ!!」僕は勇敢に殴りかかった。
しかし現実はそううまくはいかない。彼は殴られ蹴られ、痣だらけになると、倒れ動けぬまま、妹の無残なさまを目の当たりにした。
妹もまたいくらか引っ張られ、殴られた。男たちは彼が思うほど賢くない。だから八歳の幼女でもお構いなしである……。
「俺たちが本物だって見せつけてやればいい!」
そう言って裸になった一人が青紫の妹の顔を掴んだ。
僕は憤怒した。己の弱さに。目の前の悪党に。頭の血管が切れそうだった。噛んだ唇も血だらけだった。体中の血が沸騰しているようだった。
「たしかに無力だ。だからなんだ。許せない。奴ら、ぶっ殺してやる!!」
しかし実際、残酷だった。僕は身動き一つ取れなかった。こんなに憤ってもその分何もできず、さらに死ぬほど憎悪してもなお僕はこの残虐を……。
気が狂いそうだった。冷酷な床と風と声が、ぬるいのは奴らの荒い息と僕の弱さ。それで団を取れと? 死んだ方がマシだ――もしも僕が全てを破壊できるほどの大男だったらあんな悪党どもを!!!
「なんだ?」
と傾げる頭はすでに転がっている。
怒りの化身が現れた。むせ返る異臭も焼けて煙になった。そこにいる子供だったはずの影はあまりに大きい。筋骨隆々の大男が鬼の息、男達を睨んでいた。
「怪物だ!」
「に、逃げろ、うああああああああ!」
逃がさない。
少年は人を三人殺した。死体は全て真っ黒になった。そうなるまで何度も何度も。殴られ砕かれたのだ。
その後、裏路地から血塗れの少年が妹を抱えて出てくるのを騎士が見つけた。少年はもはやかつての面影が無い。
「ロザリアを早く治癒師の元に」
少年の名はウフ・エグラウス。七大貴族のうちの一つ、エグラウス家の息子である。そのあまりに重い足音と後ろ姿は人というにはあまりに揺るぎない意思。完成し過ぎていた。
ウフはこのとき自分の力を自覚していなかった。激情と妹を優先していたから頭になかったのだ。ウフがあの超人的な能力を自覚するのはその次の日だった。
病室。朝食のパンやリンゴが砕けてしまう。自分の体が自分のもので無いような力加減。そこでウフは昨日のことを思い出したのだ。
「あんな力、普通じゃない。僕は一体何者なんだろう」
まるでその問いに答えるように扉がトントンと。ウフの近衛兵のカミラが入ってきた。カミラはウフを心配しながらもウフの話を聞くと陰鬱な面持ちで答えた。
「やはり坊ちゃまはそうなのですね。旦那様が現場を封鎖したのも」
「どういうことか教えてください」
「私は詳しくわかりません。もしもそうならなぜ坊ちゃまがお尋ねしたのか」
「いいから答えろ。これは命令だ」まるで別人のように憤った。
「は、はい……坊ちゃまは恐らく転生者です。異国からやってきた人なのです」
カミラはそう言いつつも信じられないようだった。ウフが唖然としたから余計にそうだったが――転生者。このワードが想起して自己解釈した。すなわちウフは知らないのに理解した――だから途端にウフの面持ちは大人びた。平静になった。
ともなればカミラは警戒せざるを得ない。いや、ウフの中に転生者を見たのだ。ここでカミラが敵意を抱いたのは忠誠よりも身の安全を不意に優先してしまったからだ。というより厳密にはウフがウフではないという強い直感が、忠誠を裏返しして怒りに変えた。
「後天的に記憶を失うこともある。そのとき、坊ちゃまは坊ちゃまではない。しかもその力は甚大。すでにそうなのでしょう!!」
カミラは剣を抜いた。ウフはカミラの叫び声が昨日の男のそれと重なって無意識にカミラへ殴りかかった。そのスピードはもはや生物の枠からはみ出ていた。
消えたウフの姿。強烈な殺気が前に。その後に拳と姿が。カミラはすでに敗北を認めてしまった。気圧された。
拳は止まった。それはカミラを残して後ろにあった壁八枚、空まで穴を開けた。ウフは理性を取り戻した。
「す、すいません。でもカミラが!」泣き顔の子。
「も、申し訳ございません」
頬を伝う優しい涙は十歳のものだった。これほど純粋な子が転生者なわけがない。カミラは自らの忠誠心を今一度問い直した。ウフを抱きしめ、ともに泣いた。そこに昨日の事も含まれているのは言うまでもない――その夜。寝室で短刀を胸部へ刺され亡くなったカミラが発見された。
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