巡愛
姫紳桜雅
巡愛(じゅんあい)
「こんな事があって、もうめちゃくちゃしんどかったですよ~」
わざとおどけたように情けなさそうな声で話す浩平に、周囲は笑い声をあげる。怜子も思わず頬が緩んでしまっていた。
「あ、ほら~、田崎さんに笑われちゃったじゃないですか~」
怜子の笑顔を目敏く見つけた浩平は、怜子の名前を出して巻き込んでいく。
「田崎さん、あんまり笹原を甘やかさない方がいいです」
その場にいた他のメンバーも、浩平にノッて怜子に話しかけてくれる。
「甘やかしたつもりはないんだけど、笹原君の声が大きくてつい、通りがかりに聞こえちゃったのよね」
怜子の職場のアルバイトである浩平の周りには、いつもこうやって人が集まっている。怜子はまだ休憩中ではなかったが、休憩室の奥にある備品を取りに来た時に巻き込まれたのだ。
「浩平君声が大きいって。仕事の邪魔なんじゃん?」
からかうように同じアルバイト仲間の弥生も言う。
「えー俺、そんな声大きいかなぁ?」
「デカいよ!」
何気なく漏らした浩平の言葉に、周囲が鋭く突っ込む。
「笹原君の声は大きいんじゃなくて、通る声なんだよね。耳に届きやすいって感じかな」
フォローを入れる怜子に、浩平はパーッと笑顔になる。
「そうですよね!やっぱり田崎さんはわかってくれるんだよなぁ」
そんな素直な浩平の反応が、怜子には可愛く思える。40歳を目前にした独身女が、19歳の学生アルバイトに淡い恋心を抱いているなんて、10年以上の付き合いにある親友にさえ相談できないでいた。それに、怜子にはわかる。弥生も浩平に好意を寄せている。浩平の気持ちはわからないが、おばさんの怜子よりも、年の近い弥生の方がいいに決まっている。
「じゃあ私は仕事に戻るわね。お邪魔しました」
ふざけたように軽口を叩いて、後ろ髪を引かれる想いを無理やり断ち切って、休憩室を後にした。
「お仕事頑張って下さいね~」
若者達からのエールを背中に受けながら、唯一人、浩平からの声がない事をチェックしてがっくりと肩を落としていた。
(応援さえしてくれないんだ・・・いや、わかってるけどさ・・・)
ちょっと拗ねた気持ちを持て余しつつ、しかし自分にそんなことを思う資格などないんだと言い聞かせつつ、怜子は仕事に戻った。
ある日。怜子は残業をしていた。いつもは17時で上がれるのだが、イベントを控えているため最終チェックをしていた。
「あれ?田崎さん?こんな時間まで残ってるんですか?」
急に声を掛けられて驚いた。その声は聞き間違える筈もない、浩平の声だ。
「さ、笹原君?私は明日からのイベントのチェックよ。それより笹原君こそどうしたの?もう遅いわよ。早く帰らなきゃ」
慌てて時計を確認している怜子に、浩平は苦笑した。
「いや、俺何歳だと思ってるんですか。もう大学生ですよ。怒る親もいないし」
「え・・・あ、ご、ごめんなさい・・・そんなつもりじゃ・・・」
怜子は慌てた。これは浩平にとって地雷だったのではないかと思った。すると、浩平の方が慌てて、
「違います、違います!親は健在です。両親ともに、健在です。俺一人暮らしなんですよ。だから今は怒る親もいないって事です」
「あ・・・」
浩平の捕捉に、怜子は安心したのと、自分の勘違いに思わず笑い出してしまった。すると浩平も一緒になって声を出して笑っている。
二人で一頻り笑って、あーあ可笑しい・・と呟いた時、不意に浩平が言った。
「ほんと、怜子さんって面白い。やっぱ好きだなぁ」
怜子は真顔になっていた。
(え?冗談?罰ゲーム?嘘?・・いや、そんなふざけて言う子じゃない。って事は、深い意味はないってこと?)
一瞬にして怜子の頭の中には“好き”の持つ意味がどれに当てはまるのが、グルグルと考えていた。
「迷惑ですか?俺、マジなんですけど」
急に真顔になって、しっかりと目を合わせてくる浩平。そんな真摯な瞳に見つめられると、怜子の方から逸らしてしまった。
「・・・笹原君がそんな冗談を言う子じゃないのはわかってる。でも、年齢が離れ過ぎよ。もし私が良いって本当に思ってるんだったら、それは思い過ごしよ。もっとお似合いの可愛い子がいるわ」
怜子は自分と浩平の年齢差を恨んだ。
「そっか・・・。でも、俺まだ諦められないんで、もう少し好きでいますね」
いつもの微笑みでそう告げる浩平には、覚悟があった。
浩平は19歳も年下なのだ。彼にはこれから長い人生がある。今怜子が振り返ってみて、19歳から38歳までいろんな出来事があった。楽しい事も、苦しい事も。恋だってしたし、辛い別れもあった。浩平もこれからそんないろんな出来事を経験して、人生を謳歌しなくてはいけないのだ。それを、親の方が年齢が近いであろう怜子が奪ってはいけない。浩平の時間を、人生を奪ってはいけない。その思いが強かった。
でも、それでも浩平のあの瞳に期待をしてしまう自分がいる。
(もしかして、本当に笹原君が・・・ううん、勘違いしちゃだめ。御両親の方が年齢が近いんだから)
浩平が帰った後、誰にも気付かれないように、怜子はそっと目元の拭った。
夏が来た。
「肉が食いてぇなぁ・・・」
店長がポツリと呟いた事で、若者達は一気に盛り上がった。
「BBQしましょう!」
「いいね!今度の店休日、集めれるだけ人集めて、店の敷地でいいんじゃね?」
「花火とかも用意しようぜ!!」
「うち、BBQの道具あるんだぜぇ」
あっという間に決まったBBQ大会。しかも来れる人は全員参加だという。そして若者はちゃっかりしていて、
「店長、食材お願いしますっ!あと、予算の方も多めに」
「ばかやろー、折半だよ、折半」
おねだりも欠かさない。店長もそんな事を言いつつ、自分が多めに出すんだろうなと容易に想像がついた怜子は自分も少し多めに出そうと思っていた。
「怜子さん、来れますよね?」
浩平だった。ワイワイと盛り上がっている輪の後ろの方にいた怜子にわざわざ声を掛けてくれた。
「そうね。全員参加って言ってたし、強制参加だよね」
怜子は苦笑してそう答えた。浩平は若干ホッとした表情を向けつつ、
「そうです。強制参加です」
ここまで言うと、そっと怜子の耳元に顔を寄せた。
「おめかし、してきてくださいね」
怜子にしか聞こえない声で、こそっと内緒話をするように浩平は囁いていたずらっぽく笑った。
「ちょ、な、何言ってんの!・・全く、もう・・・」
浩平を責めながらも、怜子の頬が赤くなるのを、怜子自らでは止める事ができなかった。
怜子が待ちに待った・・・わけではないつもりだったが、やはり楽しみにしていたBBQ大会の日がやってきた。別に浩平に言われたからではないが、この日、怜子は普段仕事場では着ないスカート姿をチョイスしてみた。ピンクを基調に、ちょっとだけ可愛く、でも大人だと忘れないように服を手に取っている時、ずっと頭の片隅には浩平の笑顔がちらついていた。
そしてようやく服を選び終え、鏡の前に立った。そして現実を見た。
(・・・私、何を浮かれてたんだろう・・・。私はもう40手前なんだから・・・)
先日弥生が店にやって来た時、ピンクのフリルの洋服を着ていた。とっても可愛らしかった。それに比べて自分はどうだ。おばさんの若作りにしか見えない。若いつもりでいたが、もう自分は40歳を目前にしているのだ。
怜子は静かにピンクのスカートを脱ぐと、動きやすいGパンとTシャツに着替えて自宅を出た。
怜子が店に着くと、もう結構な人数が集まっていた。肉を焼くスペースへ行ってみると、大量の肉や野菜、焼そばの具材までも用意されている。
「すごい量・・・」
思わず怜子が呟くと、
「そうなんすよ!店長が大奮発してくれて」
BBQの道具を持ってきたアルバイトが張り切って火を起こしながらそう教えてくれた。
「店長・・・本当にお肉食べたかったのね」
「そうみたいっすねー」
思わず二人でクスクス笑っていると、店長の姿を見かけた。
「私、店長に挨拶してくるわ」
「はーい。もう少し準備に時間かかるんで、ゆっくりしてていいっすよ」
怜子は店長を見つけると、他の人達から見えにくい場所へ誘導し、そっと封筒を渡した。
「店長、これ収めて下さい。奥様に叱られちゃいますよ。あんなに大量に」
「いいんだよ、若いやつらが楽しんでるんだから」
店長は怜子からのお金を拒否して笑っている。
「でも、少しくらい」
「ほんとにいいの、いいの。あいつらにはこれから身を粉にして働かせてやるから」
急に悪い顔でクックっクッと笑う店長に、思わず怜子も笑ってしまった。
「ま、田崎さんも今日は思いっきり楽しんでよ。明日からまた働いてもらうよ~」
そう言うと店長は行ってしまった。
「まったく・・・お人好しっていうか、なんていうか・・・」
怜子は苦笑を禁じ得なかった。
「怜子さんの方がよっぽどお人好しですよ」
浩平だった。背後から声を掛けられた。その表情は憮然としていた。
「笹原君?・・・なんか・・機嫌悪い?」
珍しく不機嫌そうな浩平に、思わず怜子はド直球に聞いてしまった。
「そりゃ悪くもなるでしょう。ずっと来るの待ってて、やっと来たと思ったら山本に声かけて楽しそうに笑って、やっと声かけようと思ったら店長と人気のない場所に来て・・・」
「え・・あ、ご、ごめんね」
恨みがましい浩平の声に、つい怜子は謝ってしまった。それが何故自分が謝ってしまったのか考える前に、
「まぁ、おかげでこうして人気のない場所で二人で居れるんだから結果オーライですけど」
とサラリと言ってのけた後、急に真顔になった。
「この前の事、考えてくれました?俺、マジって言いましたよね?」
「だから、それはこの前ちゃんと言ったでしょ?年齢が離れすぎてるって・・・」
「俺が年齢気にしてないって思ってますか?」
食い気味に言い返されて怜子はびっくりした。こんな風に圧力をかけられたことはない。初めてだったから。
「それは・・・でも・・・」
だから怜子は戸惑った。怖かったわけではない。それだけ浩平の真剣さが伝わってきたからだった。でもやっぱりそれは勘違いだと怜子は思っている。でもそれを伝えるのは浩平が可哀想なのではないか、そう思う事自体自分が浩平と付き合いと思ってる証拠ではないのか、そんな事を考えて言い淀んでしまった。
「すいません。驚かせちゃいましたね。でも、俺だって最初は悩んだんですよ。ガキが何言ってんだって思われるじゃないかって」
怜子は予想外の言葉を聞いたと思った。年齢で悩んでいるのは自分だけではなかったのだ。もちろん、浩平だって気にしてなくはないと思っていたが、それは周りにいる若い女の子たちとは違う、怜子という存在が珍しいのだろうと思っていた。だから怜子が気になっているにすぎないと思っていた。だから年齢なんて気にしていないというより、考えてなかったのではないかと思っていた。
それをしっかり考えたうえで、浩平は告白をしてきてくれたのだ。それははっきりと嬉しかった。
「・・・笹原君、ありがとう。・・すごく嬉しいの。笹原君の気持ちも、言葉も。・・でも、貴方の人生の若い時間を私はやっぱり奪えないの・・・」
嬉しいのは嬉しい。浩平の気持ちも、言葉も、態度も全部嬉しい。自分をその瞳に映してくれるだけでも、今の怜子には幸せでどうにかなってしまいそうだ。でも、それだけ自分の中で大きな存在になっているからこそ、浩平の短い青春の時間を奪う事はできないという答えに辿り着いた。
「・・・はぁ・・・そっか。そうですよね。うん。わかりました。今は引きます。でも、俺の片想いはまだまだ続くんですよ。諦めるまで続きますからね」
ニヤリと笑った浩平は、覚悟しといて下さいねと言ってBBQの輪へ戻って行った。
怜子は気が抜けて思わずその場にしゃがみこんでしまった。
「・・・若いって・・・すごい・・・」
「ほんとになぁ・・・。笹原の若さが羨ましいよ、俺は」
「て、店長!!」
突然聞こえた声に、怜子は驚いて顔をあげた。立っていたのは店長。別に茶化すわけでも、怒るわけでも、からかうわけでもない。本当に浩平にリスペクトを感じているようだった。
「あいつ、1年前にうちの店に入ってきたでしょ?なんでうちでバイトしようとしたか、知ってる?」
店長の急な言葉に、怜子はフルフルと首を左右に振った。
「知りません」
「だよなぁ。仕事ではあまり接点がないもんな。あいつ、面接でこの店に仲良くなりたい年上の人がいるんです。って言ってきたんだよなぁ。それって田崎さんだったんだなぁ」
怜子は驚いた。
「そ、そんなわけないですよ!」
「そんなわけあるんですよ。田崎さんは自分が思ってる以上に魅力的な人だから、若い笹原が好意を寄せるには十分な人だよ。というより、若いのに田崎さんを見つけた笹原を応援してやりたいんですよ。年齢が気になるのはわかるけど、そんな笹原の気持ち、ちょっと汲んでみてやってもらえない?俺もあいつは可愛いんだ」
店長はちょっと照れくさそうに鼻をかいていた。
冬が来た。
あれから浩平からの告白はなかった。でも仲は今までより良くなっている気がしていた。話す機会も増えたし、仕事を手伝ってもらうこともあった。だから、浩平は怜子の事を諦めたのだと思っていた。いや、想いの本質に気付いたと言うべきか・・・。
そんな冬の日だった。怜子は残業をしていた。新しい企画の資料作りをしていた。この日、浩平は自分から手伝いを申し出てくれて、二人で黙々と作業をしていた。そのおかけで、思った以上に早く資料作りを終わらせることができた。
「ありがとう、浩平君」
「どういたしまして」
いつの頃からか、怜子も浩平を“笹原君”から“浩平君”と呼ぶようになっていた。
「うわーもう7時すぎちゃったね。時間大丈夫なら、ラーメンでも食べて行かない?」
怜子は下心などなかった。手伝ってくれたお礼として、ラーメンを一緒に食べようと思ったのだ。
「え?いいんですか?!」
浩平の大きな声に、思わず怜子は驚いた。
「あ、す、すいません。ちょっと嬉しくて思わず大きな声が出ちゃいました」
照れ臭そうに笑う浩平に、思わず怜子も頬が緩む。浩平といると怜子はよく笑っている気がする。
「ちょっと嬉しすぎるんで、もう一回言ってもいいですか?」
「何を?」
帰る支度をしながら怜子が返すと、怜子の傍に来た浩平は、グッと力強く怜子の両肩を掴み、至近距離で怜子の目をじっと見つめて言った。
「絶対に俺が幸せにします。付き合って下さい。初めて言った時より、もっと好きです」
怜子は言葉に詰まった。準備していた言葉はあった。もし今度告白をしてくれたら、今度こそ受け入れてもいいのではないかと思っていたのだ。だが、想像以上に浩平の顔が近すぎて声が上手く出なかった。すると、
「あの諸葛孔明でさえ、3回目には劉備に折れたんですよ。そろそろ怜子さんも折れません?」
と、ニコッと笑って茶化して見せた。浩平は自分が真顔で告白する度に、真剣さをアピールしたかったのだが、それが怜子を真顔にさせてしまっていた事に気付いていた。だから自分から笑う事で、怜子に逃げ場を作っているつもりだった。それなのに、
少しの間の後、怜子は小さくコクと頷いた。
「え?」
浩平の方が驚いたようだった。間抜けな声を出していた。
「折れます。その・・3回目なので・・・」
照れ笑いを浮かべつつ怜子が言うと、浩平はギュッと怜子を抱きしめた。
「もうダメですからね。今のなしって言っても、なしにできませんからね!」
「はい。なしにしないで下さい」
そう言って、そっと浩平の背中へ怜子も腕を回した。
この恋人達はこれから先、想像以上の困難に向き合う事になるだろう。しかし支え合う事で乗り越えていけると、怜子は思ったし、浩平なら大丈夫だと確信していた。
余談ではあるが、弥生には恋人がいた。弥生が浩平に想いを寄せていると思ったのは怜子の勘違いだった。後に浩平に買いかぶりすぎだと笑われるのだった。
終わり
巡愛 姫紳桜雅 @tokoharu
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