【ショートストーリー】半分は私のものにするけどさ。

瑞田多理

半分は私のものなんだけどさ。

「やめようと思うんだ」


そいつがカウンター越しにそう言ったので、ほとんど反射的に「なにを」と聞き返した。

「まず、タバコ。それから、酒」

「いつ?」

「来年から」

「2026年1月1日、0時20分。よくそんなこと言えたもんだね」

ギャグなのかと思った。「あと364日経ったらやめるわ!」っていう、ジャンキーあるあるの。

ただ、そう言い返した瞬間にそいつが目を伏せてタバコをもみ消したものだから、これは様子がおかしいぞと思って私もタバコを置いたのだった。口紅がうっすら付いたフィルターまで、およそ2センチメートル。


「どういう心境の変化よ」

「酒もタバコも止めたら……客じゃなくなるっていいたいんだろ」

「わかってるなら時間を無駄にしない。あとおよそ2分半しかないんだ」

「烏龍茶」

「舐めるな。吸えないやつの前でモクモクやれるほど無神経じゃいられないんだよ」


長い付き合い……といえばそう。毎週金曜日、きっかり5本と3杯。それを5年も繰り返していれば、情も寂しさも湧く。

「いや、ちょっとね」

「なに、女でも出来たわけ」

「そんなとこ。ちょっと、悲しませたくない人がいて」

「ああ、結構なことじゃない。いいきっかけだと思う」

「そう。そうだ。悲しませたくない人ができたんだ。だから、色々やめる」

「他には何をやめるのよ」

「仕事」


お互いの指先が、バーカウンターに投げ出したハードケースにうっすら伸びた。こいつは出会ったときからずっとセブンスターばっかり吸っていた。先輩にもらったから、という話だが、どうだか。

「……タバコミュニケーションもやめたいって、そういう話」

「うん。そうしないとさ……筋が通らないじゃんか」

「あと1分」

「急かされても、これ以上は言うことないんだ。俺はタバコと酒と仕事をやめる」


そう言って、そいつはポケットから乱暴に財布を出した。

「……だから、お別れなんだ」

「それなら一杯くらい奢ってくれていいんじゃない。一生の別れのつもり、なんでしょ」

ただ、私は知ってる。

そいつの財布は毎週、ここで空っぽになる。

私のタバコも消えた。

ここからが、本当の話だ。


「──冗談だよ、真に受けるな。どうせジャスハイ3杯分しか入ってないんだろ」

「今はね」

そう吐き捨てて、そいつは財布から1800円取り出すと私の前においた。

「今は」

「まるでいつかそうじゃなくなるような言い方。これから無職になるっていう自覚、ある?」

「わかってる……つもりだよ」

そして、もう1150円を取り出した。

「ジャスハイ」

「おめーその金、どこから」

「いったろ、仕事辞めたって。だから自前で用意したパソコンもいらなくなったんだ」

「辞めた、のかよ」

私に何の相談もなしに。

ただ、飛び出しかけたキモい詰め寄り方よりも先に……言っておくべきことがあると思った。

「──ごちそうさまです」

「こんなもんしか、払えないけどさ」

「残りの550円はなに」

「君のタバコ代。その赤いやつ、1箱そのくらいだろ」

そうだよ。なんで知ってるんだよ。

コンビニに行けばいつでもわかることだけど。

五年も眼の前で吸い続けてれば嫌でも覚えるだろうけれど。


「正直、憧れてた。赤と黒ってさ、カッコいいじゃんか」

「客からお代以上のお金は……受け取れないよ」

「そうだろうね。だから──受け取ってほしい」


バカがとっても吸いたそうに、セブンスターの箱をいじくり回している。

そんな顔されながら……私にはタバコを勧めてくるんだ。本当にバカやろうだ。

「……で? 大事なパソコン売ったそのお金はいくら残ってんの」

「いまは、10万円ちょっと」

「すぐ消える泡銭ってわけだ」

「まぁね」

「バカがよ。算数しろ。あと感謝の……その……順番ってあるでしょ」

「それはわきまえてる。残りは親孝行に使う」

「パソコン買ってくれた親に」

「……行くわ。君がタバコ吸えない時間をこれ以上引き伸ばすのは、嫌だ」

もうすぐ始発が動く時間。いつもと全く同じ時間。そいつは席をたった。

「おい、置いていくの」

「もう吸わないから」

「吸いかけのセブンスターと、ジッポを。それを私にどうしろって」

「捨ててくれていい。好きにしてくれ」

もうすぐ、そいつはいつもどおり貧相な、パソコン猫背を丸めながら去っていくんだろう。

もう決めた、とそいつは言った。だから私はその背中を……押してやるしかない。


「おい」

けど、けどさぁ。


「そんな、甲斐性なしに付き合ってくれる人がいるんだから……大事にしな」

そいつは答えなかった。それが答えみたいなものだったけれど。

席にはセブンスターと、2年目から使い始めたボロボロのジッポと、私のウィンストン代が残っている。

そいつらをひっつかむようにポケットに突っ込んで、赤い箱から出したタバコに火をつけようと思ったらコンビニで買ったライターはバカみたいなタイミングで点かなくなった。

咥えたそれを舌でちょっといじくった。どうしてもこの一本を吸いたかった。

口紅も噛み跡も付いちゃったタバコを箱に戻すのも嫌だった。


だから、可哀想なそいつの行き先はゴミ箱だった。その上からコースターと紙おしぼりを放り込んで見えなくした。

算数ができなかったのは、お互い様だった。


§


550円はその次の日、休みの間に全部煙に消えた。

ライターも新しく買ったから微妙に足りなかった。ライターを買うところまで頭が回んないのは、本当にあいつらしい。

だから、これは〝忘れ物〟だ。セブンスター五本と、古びたジッポ。それをいつでも出せるようにリュックの内ポケットにずっと入れている。


忘れ物。それをずっと預かってる。

いつか、ジャスハイを浴びるほど飲ませたあとに……火をつけてもらうために、さ。

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