お似合いの風景

或井クロ

お似合いの風景

神野少年の育ち方には、他の人間と違うところなど微塵もなかった。

父親は車の技師、母親は大学生協の食堂で働くパートと、特に変わっているわけでもない家庭環境が築かれていたのみである。

それがどうして彼のような天才少年が生まれたのか、人々は首をひねって考えたものだった。「お兄さんは普通なのにねえ」と、呟きながら。


そう、神野少年には兄がいた。ただし年は変わらない、双子の兄である。彼はこれまた特に変わったところもない普通の少年だった。ありきたりな幸せを手に入れて天寿を全うしそうな、そんな性格の子供だった。故に弟の特異さは、余計に際立ったものに見えた。


だが、子供にとってはそんなことは関係ない。神野兄弟は、仲睦まじい双子だった。下手に歳が離れていなかったのもよかったのかもしれない。

早くから神童と呼ばれた弟のことを、兄は純粋に尊敬していた。自分が苦労して解く宿題を簡単に解いて非常にわかりやすく解説してくれるその姿に違和感を感じたこともあったものの、甘えてくる弟はやはり可愛らしかった。

だから、中学生になって弟との別れを意識し始めると、ほんの少し寂しい気持になったのだった。

義務教育というもののおかげで中学までは同じ学校に通った二人だが、弟は卒業と同時に海外に渡り、飛び級制度によって大学での研究を始めることが決定していた。

両親も可愛いわが子を手放すのには抵抗があったようだが、高名な学者や政府関係者に半ば脅迫のような形で勧められては反対しきれなかったようである。

留学と飛び級のための試験を受けた以上、弟も乗り気なのかもしれない。だが、日に日に遠くなっていくように感じる弟の本心を、幼い日と同じように計り知ることは、彼にはできなかった。


***


その日兄が帰宅すると、家には珍しく弟がいて、リビングでくつろいでいた。両親共に帰るのは八時過ぎ。部活のない日に家に帰ると家にいるのは兄一人となるのが最近の定型だった。弟は特別プログラムと称した何かによってあちこちを連れまわされていたはずである。


「今日はいいのか?」


「珍しく、何もない日なんだ。っていうか、今日、隣の国で地震があったろ。講師の先生がその国出身で、家族を心配して帰っちゃったんだ。だから急に時間が空いてさ」


「ふうん」


「マグニチュード7.2って言ってたしな。ほんと、無事であってほしいよ」


そうだなと答えながら考える。天才と呼ばれて様々な人間が群がるようになっても、弟の本質は変わっていないようだった。心配そうに眉をしかめるその表情を見て、兄は内心ホッとした。


「じゃあ、久しぶりに家族で外食でもするか。父さん母さんは知ってるのか」


「いや、さっき電話したんだけど仕事中で出なかったから。後でかけなおそうと思って留守電もしてないし」


「そうか。まあ、あと一時間もすれば帰ってくるだろうし大人しく待ってるか。腹減ってるならこのお兄様が軽いモノ、作ってやってもいいけど」


「偉そうだなあ、兄さんは。ほんとにいつも上から目線なんだから」


「希少価値があるだろうが。どうせいつも周りの人からヘコヘコされてるんだろう」


「いやいや、そんなことはないよ。ただ単にすごーく遠慮されてるのさ」


「じゃあそうじゃない俺は、なおさら大切にしなくちゃな。懐深い兄を持って幸せに思えよ」


「はいはい。じゃあ偉大なお兄様、俺ちょっとコンビニ行ってくるからその間につまめるものでも作ってくれない」


「別にいいけど、何しに行くんだ」


兄の問いかけに、弟は寄りかかっていたソファーから身を起こした。その手にはリモコンが握られている。


「これだよ、これ。久しぶりにだらだらテレビでも見ようと思ったのに電池が切れてるんだもんな。探してみたけど予備もなかったし」


「あ」


そういえば昨夜から動かなくなっていたのだった。母親が明日買ってくるというのを遮って「俺が買っとくよ」と言ったのはいいが、そのことをすっかり忘れていた。一度自分が買ってくると言ってしまった以上、母親にも期待できないだろう。


「忘れてたな、そういえば。でもどうせ外食行くならそのときに買えばいいんじゃないか。わざわざ今行かなくたって」


「だって、できあがるまで暇じゃないか。ついでにちょっと立ち読みしてこようと思ってさ」


「じゃあついでに黒胡椒頼んでいいか。別に無くてもいいんだけど、お前辛い方が好きだろ。使用頻度低いし小瓶でいいから」


「了解。十分くらいで帰るつもりだから、あんま待たせないでくれよ」


「偉そうだなあ。作ってもらうんだから、もっとしたでに出たっていいんだぞ。ほら、早く行ってこい」


「うん。じゃあちょっと」


そうして出て行った弟は、一晩経っても帰ってこなかった。


***


リビングには三人の人間がいた。神野家の双子の兄、そして滝寅と犬安と名乗る、二人連れの刑事であった。弟を誘拐したという人間から一回目の連絡があって以降、この家から緊張感が消えることはなかった。父と母は二回目の電話による犯人からの指示で、海外へと飛んでいる。


「やっぱり犯人の目的は金銭ではなかったようですね」


長く続いた沈黙を破るように、犬安が口を開いた。滝寅は目の端でちらりと神野兄を見る。彼は俯いたまま、口を開かない。下に垂れた前髪の影からわずかに覗く肌は酷く白く、滝寅は中学三年生になったばかりの少年を哀れに感じた。


「弟さんの留学を中止するようにという要求は、どういう意味を持っているんでしょうか。わざわざご両親を直接現地に行かせることも、意味がないように思えるのですが」


犬安はなおも言葉を継いだが、それは独り言というよりは滝寅への質問だった。お偉方からのお達しで突然組まされることになったこの年配刑事なら、何か事情を知っていると踏んだのだろう。滝寅は黙ってコーヒーを口に運んだ。

実際滝寅はその事情を知っている。家族には知らされていないが、件の天才少年は留学先でシェルターの研究に携わることになっていた。一見何の問題もないように見えるこの所属には裏があり、彼が実際に研究するのは、現在開発中の新しい核爆弾ということだった。日本政府との間に密約を結んだ留学先は莫大な資金と引き換えに天才の頭脳を買い取ったのだ。

神野弟がこの事実を知っているのか否かは知らないが、彼がその才能をあますことなく発揮すれば、間違いなく研究は進展するだろう。それも一足飛びに。

留学先に対立する存在が、それを黙って見過ごすはずなない。家族やその周りが知らないだけで、知る人間にとっては神野少年は既にそれほどの意味を持つ存在だった。おそらくこの誘拐はそういう経緯によるものなのだ。


「滝寅さんは何か知らされてないんですか」


犬安はとうとう遠まわしをやめて直球勝負をすることにしたらしい。家族の、それも双子の弟の前でなら吐くだろうという目算があるのかもしれない。ましてや滝寅は神野兄に対する同情を隠す気がない。犬安が行動にでたのはそういった態度を見てのことだろう。

だが、滝寅は目の前の少年に同情するからこそ、この事実を漏らすつもりはなかった。最も近しい家族が、人類最大の犯罪とも呼ばれる核の研究に関わってしまっていることなど、どうして教えることができるだろうか。この少年は、弟とは違って“普通の”少年なのだ。

滝寅は、再度コーヒーをすすった。


RRRRRRR


電話のベルが、唐突に静寂を切り裂く。黙り込んだままだった神野兄はバッと勢いよく顔を上げると受話器に飛びついた。


「もしもしっ!」


二人の刑事は素早くイヤホンを装着する。だが、犬安はすぐに外すこととなった。彼のスーツの胸元で携帯電話が振動し、着信を示している。


「はい。こちら犬安です」


離れたところへと歩いていった犬安の声を背に聞きながら、滝寅は神野少年と電話相手の会話に耳を澄ましていた。


「兄さん? 兄さんだよな」


「お前っ! 無事なのか? 今どこにいるんだ? 犯人は?」


「俺は大丈夫だよ。隙を見て自分で逃げた。犯人はここにはいない」


「安全な場所にいるんだな? よかった……。本当によかった。迎えに行くから、どこだか教えてくれ」


神野兄の頬は紅潮している。滝寅は近づくと、号泣する神野兄の頭を撫でてやった。少年は一瞬驚いたように彼を見上げたが、ぶわっと涙を溢れさせると、嗚咽と共に滝寅に抱きついた。

滝寅は話すこともままならない少年から受話器を受け取ると、天才少年へと話しかけた。


「よく頑張ったな。今からすぐに向かうよ。君の兄さんもいっしょにね」


「ええ、お願いします」


おや、と滝寅は違和感を覚えた。

こんな目に遭ったにしては、少年の声は妙に冷静な気がした。だが、と考え直す。

ずば抜けた頭脳を持ち、大人びている彼のことだ。少しばかり落ち着きすぎに思えるくらいで普通なのかもしれない。

二言三言会話を交わすと、滝寅は電話を切った。現地への連絡のためだ。神野弟にもっとも近い警察官へと彼の保護を頼むと、滝寅は少年を連れて歩き出した。彼をパトカーへと誘導しながら滝寅は、そういえば、と思った。

誘拐劇の主役となった天才少年だが、彼自身はその要求を聞かされていたのだろうか。もしかしたら要求が通った方が、彼には都合がよかったのでは――。

そんな滝寅の思考は、電話を中断し、追いついてきた犬安が発した言葉によって中断された。


「滝寅さんっ」


「なんだ、犬安。聞こえてたと思うが少年は無事だ。一刻も早く現地に向かうぞ。後は後任に任せて、お前も乗れ」


「ご両親が……。交通事故で意識不明の重体だそうです」


***


全く後味の悪い事件だった、と滝寅は思う。世間には単なる誘拐事件としか報道はされていない。逃げ出した神野少年の協力によって犯人達はつかまり、表向きは一件落着となった。

逮捕されないまま銃撃戦の末に自殺した首謀者が、核保有を巡って少年の留学先へと度々攻撃を仕掛けていたテロリストであったことで、裏側の事情を知る人間達に向けた決着もつき、事件はすっかり解決されてしまった。

彼らの両親が目的地へと向かう途中で亡くなったことは、不幸な事故として処理され、残ったのは両親を失った哀れな子供二人であった。


「雨、降りそうですね」


運転席に座る犬安が言った。助手席から眺めた空には、重量感のある灰色の雲が広がっている。彼らは神野夫妻の事故に関する詳細を伝えるために、双子の家を訪れるところだった。


「そういえばあそこも異様な雨に降られてるって話ですね」


「ああ、この間地震があったところか」


「お隣さんだし、他人事じゃないですよ。それに地震で地盤が緩くなった後に雨に降られるとどうなるか知ってますか、滝寅さん」


「そこまで言われりゃ皆まで言われんでも想像できる。土石流に地盤沈下に洪水にの、オンパレードなんだろうな」


「まあそんな感じですよ。でもおかしいですよね。雨も、その前の地震も、全くそんな気配はなかったっていう話ですよ。地震予測が外れることはそう珍しくもないかもしれませんけど、雨って雲の動きでわかるものじゃないですか。それが、どこからともなく突然発生したように言われてますからね。現地の人の中には、神の怒りなんて言う人もいるらしいですから」


「神様ねえ」


滝寅の呟きに、犬安は返事を返さなかった。どうやら神野家に到着したらしく、彼はキーを捻るとエンジンを切った。


「さあ、行きましょうか。ほら、二人共あそこで待ってるみたいです」


犬安の言葉に視線をやれば、玄関の前に立って彼らを見つめる少年達の姿があった。精神的なショックか兄はまだ顔色が悪そうだったが、弟は目が遭うとにこっと笑ってみせた。


「あの弟君がいれば、あの子たちは大丈夫かもしれませんね」


犬安は彼の強さに好感を抱いたようだ。勇み足となってかれらに近づいていく。

だが、滝寅は素直に頷くことが出来なかった。誘拐事件のとき、彼の頭脳を失うわけにはいかないと熱弁を揮った研究者は彼をなんと評していたか。


「まるで神のようだ、と」


ん?と、犬安が振り返る。


「なんですか。さっきの話の続きですか?」


「いや、ちょっと思い出しただけだよ」


「それならいいんですけど」


なんでもない、と言えば、犬安は不満げな顔を見せながらもそれ以上追求するのはやめたらしく、再び少年達に向って歩きだした。

その背中に続きながら滝寅は思う。本当になんでもない、下らない妄想なのだ。

十五歳の少年が危険人物を相手取って、自らの誘拐を誘導できたはずはない。両親を殺せるはずもない。人為的に地震を起せるはずは、もっとない。それは成人した人間にだって、誰にだって無理なことだ。雨ならば人が降らせることは可能だと聞くが、それだって潤沢な資金と高い技術力がなければ無理な話だろう。

だが、とそこで滝寅は立ち止まった。彼にはそのどちらをも与えうる巨大なバックがつくことが、約束されていたわけだ。

いやいや、それはない。

考えてみればわかるように、そんなことをしても少年に利益は無い。損失しかないと言い換えてもいい。余りに荒唐無稽な妄想をしてしまうのは、年だからかもしれない。

滝寅は妄想を振り払うように大きく首を振ると、再び彼らに向かって歩き出した。


***


「あれ、滝寅さん、どうしたのかな」


「なんか立ち止まってるな」


「ちょっと様子を見に行こうか」


「駄目だって。兄さんの方がずっと疲れてるじゃないか。ほら、また歩き出したよ。なんでもないって。なんか忘れ物でも思い出したんじゃない」


「あっ。そういやリモコンの電池買うの忘れてた」


「そのことだけどさ……」


「なんだよ、スパッと言えって」


「探したら俺、予備の電池持ってたわ。気付かなくて、悪かったなって」


気付いていればコンビニにも行かなかったろう。誘拐もされなかったかもしれない。両親も、死ななかったかもしれない。

「だからごめん」とは、言わない。その論理展開はそっくりそのまま兄にも当てはまるのだ。いや、むしろ兄にこそ、もっと重い責任がのしかかってくる。母に宣言した通りに自分が買っていれば、弟はコンビニに行くこともなかったと、兄はそう考えるだろう。両親の死を含めた全ての原因となってしまった自らを責める兄の姿を、弟は知っていた。そしてそれを表に出さないように懸命に耐えていることも。

すうっと血の気の引いた顔を見ながら、弟はそれに気付かない振りをした。責任を感じた兄がこれからどんなに自分の為に尽くしてくれるか、どれだけ傍にいてくれるかを考えると、笑いをこらえるのが大変なくらいだった。


「ほら、兄さん。刑事さん達をもてなさなきゃ」


「あ。ああ、そうだな」


元気だったかい、と笑顔を見せる犬安の声が、灰色の空の下、爽やかに響いた。

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