慎重モブのFX・ゲーム攻略〜10秒先の未来が視える俺、1分間のクールダウンを管理して人生を攻略する〜

フレンドリーク

第1話 能力の発現

 **久我 蒼(くが あお)**は、自らを「背景(モブ)」のような存在だと認識していた。


 成績は中の上、運動神経も人並み。  放課後は部活に熱中するわけでもなく、静寂に満ちた図書室の片隅で、経済誌やチャートの解説本をめくるのが好きな、ごく普通の高校二年生。


 それが、彼という人間を構成するすべてだったはずだ。


 だが――ある春の日の午後。  彼の「普通」は、唐突に、そして静かに崩れ去った。


 午後の陽光が差し込む、放課後の教室。  斜め前の席では、文芸部の**白井(しらい)**先輩が、友人との会話に夢中になって身を乗り出している。


「あ、やば――」


 先輩の肘が、机の角に置かれた紙コップに触れた。  中にはなみなみと注がれたアイスティーが入っている。


 蒼は手元のノートに、来週の重要な経済指標の発表日時を赤ペンで囲っていた。  視界の端で、コップが傾くのが見えた。


 その瞬間だった。  蒼の視界が、奇妙なノイズに包まれた。


 まるで、映写機のフィルムが二重に重なったような、奇妙な感覚。  現実の風景の上に、もう一つの「映像」が半透明のレイヤーとして被さる。


 ――それは、十秒後の未来だった。


 傾いた紙コップが重力に従って落下する。  床に激突し、茶色の液体が派手に飛び散る。  白井先輩が「きゃっ」と悲鳴を上げ、スカートを汚して立ち尽くす。


 そこまでの光景が、わずか一瞬のフラッシュバックのように脳裏を駆け抜けたのだ。


(……え?)


 思考するよりも早く、蒼の身体は動いていた。


 現実の世界では、コップはまだ机の端でバランスを崩し始めたばかりだ。  蒼はペンを放り出し、反射的に右手を伸ばした。


 自分でも驚くほど滑らかな動きだった。  まるで、そこに落ちてくることを最初から知っていたかのように。


 ヒュッ。


 空を切る音と共に、蒼の掌が落下軌道上の空間を先取りする。  次の瞬間、コップは吸い込まれるようにして、蒼の手の中にすっぽりと収まっていた。


 一滴の雫もこぼすことなく。


「……え?」


 白井先輩が、ぽかんと口を開けてこちらを見ている。  周囲の女子たちも、何が起きたのか理解できずに瞬きを繰り返していた。


「あ、ありがとう……久我君? すごい反射神経だね」


「……たまたまです」


 蒼は努めて冷静に、短くそう答えた。  コップを机に戻し、何事もなかったかのようにノートに向き直る。


 心臓が、早鐘を打っていた。  冷や汗が背中を伝う。


(今のは、なんだ?)


 錯覚ではない。  幻覚でもない。  あの瞬間、確かに「見た」のだ。  これから起こるはずの確定した未来を。


「さぁ」とごまかした口元には、無意識のうちに薄い笑みが張り付いていた。  恐怖や混乱といった、物語の主人公が抱くような大げさな感情は湧いてこない。  代わりに湧き上がってきたのは、奇妙なほどの「納得」と、底知れぬ「高揚感」だった。


(僕は今、時間を超えた)


 その事実は、彼の内側にある冷めた理性を、熱く揺さぶった。


          ◇


 帰宅して自室に鍵をかけると、蒼はすぐに検証を開始した。


 偶然の一致か、それとも本物の能力か。  それを確かめるには、試行回数を重ねるしかない。


 弟の部屋から借りてきた百円玉を親指で弾く。  空中に銀色の弧を描くコインを見つめながら、強く念じた。


(見たい)


 その意志をトリガーにして、視界が再び二重になる。  回転するコインが最高点に達し、落下し、手の甲で伏せられるまでの映像が、早送りのように脳内に再生される。


『裏だ』


 蒼は確信を持ってコインを伏せた。  ゆっくりと手を開く。  そこには、予知通りの「100」の文字が刻まれていた。


「……ははっ」


 乾いた笑いが漏れる。  二回、三回、四回。  十回連続で試行し、そのすべてが的中した。


 偶然で十回連続コインの裏表を当てる確率は、1024分の1。  それが意図的に起こせるなら、もはやそれは「奇跡」ではなく「技術」だ。


 翌日、蒼は検証の舞台を学校の体育館へと移した。  昼休み、誰もいないコートの隅で、壁に向かってボールを投げる。


 イレギュラーなバウンドをする軟式テニスボール。  投げる直前、心の中でスイッチを入れる。


(見たい)


 すると、ボールの軌道が光のラインのように視界に焼き付けられる。  壁に当たり、右へ跳ね、床を擦って減速する未来。  蒼はその「未来の位置」へと先回りし、なんの苦もなくボールを掴み取った。


「……完璧だ」


 だが、何度か繰り返すうちに、ある重大な「制約」にも気づいた。


 能力を使用した直後。  すぐに次の未来を見ようと念じても、何も起こらないのだ。  視界はクリアなままで、ただの現実が続くだけ。


「連続使用はできない……?」


 蒼はスマホのストップウォッチ機能を起動し、正確な計測を始めた。


 一度能力を使用する。  次の予知が可能になるまで、時間を測る。  何度試しても、結果は同じだった。


 約六十秒。


 再び能力が発動可能になるまでの、絶対的な空白時間。  蒼はその時間を、ゲーム用語になぞらえて**「クールダウン」**と名付けた。


(十秒先の未来が見える。ただし、一度見たら一分間は使えない)


 これは万能の神の力ではない。  あくまで、強力だが制限付きの「道具(ツール)」だ。  道具である以上、使い手の技量が問われる。


          ◇


「おい蒼、聞いてるか?」


 放課後、校門を出たところで友人の**倉田(くらた)**に声をかけられた。  手には缶コーヒー。いつものだらけた日常の風景だ。


「……ああ、聞いてるよ」


「お前さ、最近なんか勘が鋭すぎね? こないだの数学の小テストも山が当たったとか言ってたし、さっきも落ちてきた黒板消し、見ずに避けたろ」


 倉田が怪訝そうな顔で覗き込んでくる。  蒼は心拍数を上げることなく、ニヤリと笑って肩をすくめた。


「そういうの、ただの『運』って言うんだよ。たまたまタイミングが良かっただけさ」


「へーえ。まあ、お前ならありえるか」


 倉田はあっさりと納得し、飲み干した空き缶をゴミ箱に投げ入れた。


 蒼はポケットの中で拳を握りしめる。  危なかった。  無意識のうちに、能力を日常の些細なことに使いすぎていたかもしれない。


(誰にも、言ってはいけない)


 それが、蒼が自分自身に課した最初の、そして絶対のルールだった。  親にも、親友の倉田にも、もちろん白井先輩にも。


 もしこの力がバレれば、彼の平穏な日常は終わる。  研究機関に連れて行かれるか、あるいはカルト的な集団に崇められるか、金儲けの道具として利用されるか。  いずれにせよ、ロクな末路にはならない。


 この力は、僕だけの秘密だ。  そして、僕の人生を効率的に、確実に変えるための「武器」だ。


          ◇


 夜、雨の音が窓を叩く中、蒼は自室のPCを立ち上げた。  モニターの光が、彼の冷静な瞳を青白く照らす。


 画面に映し出されているのは、FX(外国為替証拠金取引)のデモトレード画面。  刻一刻と変動するチャートの波形が、生き物のように蠢いている。


「……ここだ」


 蒼は息を潜め、相場が大きく動きそうなタイミングを見計らった。  マウスに手をかけ、心の中でつぶやく。


(見たい)


 世界が二重になる。  十秒後のチャート。  現在値から急激に跳ね上がり、長い陽線を形成する未来が、はっきりと見えた。


 蒼は迷わず「買い(ロング)」のエントリーボタンをクリックする。  数秒後、現実のチャートが予知通りに急騰を始めた。  含み益の数字が、凄まじい勢いで増えていく。


「……いける」


 デモ画面上の架空の資金とはいえ、その増え方は現実味を帯びた衝撃を彼に与えた。  十秒。  たった十秒のアドバンテージがあれば、市場という巨大な怪物の裏をかける。


 だが、蒼はすぐに興奮を抑え込んだ。  デモで勝てたからといって、現実(リアル)で同じようにいくとは限らない。


「未成年口座の開設……親の同意書……税金……」


 クリアすべきハードルは山積みだ。  法的な問題、資金管理、そして何より「怪しまれずに稼ぐ」という演出。


 もし高校生が突然大金を手にすれば、必ず周囲は不審がる。  親には「経済の勉強のために少額で運用したい」と説得する必要があるだろう。  税務署に目をつけられないよう、扶養控除の範囲内での利益調整も必要かもしれない。


 蒼は新しいノートを開き、頭の中にある計画を書き出し始めた。


『クールダウン(60秒)の管理』 『指標発表時のボラティリティを利用した短期決戦』 『成功率をカモフラージュするための、意図的な“負け”の演出』


 鉛筆の走る音が、静かな部屋に響く。  彼は冷徹な参謀のように、自分自身の未来を設計図に落とし込んでいく。


 最後に、蒼はふと手を止めて、窓の外の夜空を見上げた。


「見たい」


 ただの練習。  視界に浮かんだのは、十秒後にスマホの画面が光り、メールの受信通知が表示される未来。


「……よし」


 その十秒後、現実にスマホが震えた。  些細なことだ。けれど、この些細な確実性が、やがて大きな差を生む。


 蒼はノートを閉じ、電気を消してベッドに潜り込んだ。  明日もまた、学校で倉田と笑い合い、普通の高校生を演じなければならない。


 だが、もう昨日までの自分とは違う。  瞼の裏には、誰も知らない「十秒先」の世界が広がっている。


 久我蒼の、孤独で静かなる「攻略」が、今ここから始まった。

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