「死」 二度と逢えない君へ

@Tomato_syuuen

第1話

 仕事終わり、帰宅中、ふと思い出した。昔。よく、父に言っていたこと。


『私ね! 百歳まで生きるの! 百歳まで生きて、百歳まで幸せでいるの!』


 それを言うたび、父はニコッと笑った。

 元々無口だったのもあって、あまり声は覚えていない。何を言ったのかも覚えていない。

 覚えているのは、不思議とその音色に魅せられるような、聴いていると、自然と落ち着くような声だったということ。


 高齢出産だったからその当時、4、5歳の時にはもう50代後半だったはずだ。


 何とか、孫を見せてあげたかった。

 声だけでも顔だけでも、最悪写真でもいいから、見せてあげたかった。

 けれど、父はその約十年後、他界した。

 膵臓癌によって、次第に衰えて亡くなった。

 母も、その後を追うように亡くなった。

 父が亡くなって二ヶ月、誕生日の1時間前に。

 私は東京にいたから、少し会うのが遅れてしまった。

 母の危篤を知った時、すでに意識が殆どなかったようだ。


 再会してから、冷たい母の手を握って、ベッドに顔を埋めて大声で泣いた。


「誕生日おめでとう……お母さん……」


 きっと、二人は天国で幸せになる。そう願った。


 どうして、身内がいつまでも死なないと思っていたのだろう。

 どうして、死を想わず過ごして来たのだろう。

 どうして。


 人は死を悲しむのだろう。

「死」なんて、生物では当然のことだ、進化の過程で得た、生き残る手段なのだ。


 それなのに。どうして。こんなにも打ち砕かれた感情を抱いてしまうのだろう。


 どうして自分には関係ないと思うのだろう。


 ――それはきっと。死が悪と考えられ、生が正義とされるから。




 私は、あの時の夢を叶えたい。


 両親の死から二年。

 11月半ば。

 やっと、秋の匂いがした日。


『明日空いてる?』


 お付き合いしている方から、一件のLINEが届いた。

 その後は電話で話した。


『空いてるよ』


『じゃあ映画行かない? 映画デートしよう』


『いいよ。見たい作品あるの?』


 連続した会話。終わる気配はまだない。


 母の死の前から交際しているこの方は、高校の時、私を見つけてくれた。少し歳上の人だ。今は私と同じただの社会人。


『それが、あるんだけど……』


『なに? 言ってみてよ』


『君の声に花が咲くって作品。あの……声優のやつ』


『……昔から、声優とか好きだもんね。いいよ』


 一見すれば他愛ない会話。でも私たちにとって、とても大切な想い出になる、最初で最後の会話。


『ありがとう。なら明日、イオンシネマで会おう。朝の10:30くらいに着いてる感じでよろしく』


『わかった。今日は仕事遅いの?』


『うん。いつもより遅いかな。最近忙しくて……』


『いつもお疲れ様。頑張ってね♪』


『ありがとう。ごめんね』


 そこで会話は途絶えた。

 スマホのカレンダーに、映画の予定を追加して、もう一度足を前に出した。

 気づけば、今の会話のせいか疲れが和らいで、少し気分が楽になった。

 イヤホンつけて、街並みを歩く。

 最寄りの駅まで徒歩二十分。それほど遠くない家に向かう。


 改札を通る前に、しっかりと残高を確認し、歩き出す。

 スマホ一台で、なんでも買えてしまう便利で恐ろしい時代に感謝。


「……うげ、この時間でもこんなに人いるんだ」


 ホームには、満員電車は回避できなさそうなほどの人混み。

 さすがは東京。と言った所だろうか。


『まもなく、2番線に――』


 アナウンスが聞こえる。

 丁度いいタイミング。

 そう思い、心の中でガッツポーズした。


 最前列で、電車を待つ。

 電車がやってくる。電車のライトが、いつもより眩しく感じられた。


 ――完全に油断していた。


 汽笛を鳴らす電車。しかしもう遅い。


 背中に感じた、何かが当たった、何かに押された感覚。

 気がつけば、私は線路の真上を飛んでいた。スローモーションに感じられた。


 直後。

 私は、電車に轢かれ、線路と車輪の下敷きになった。

 激しい痛みも、すぐに消えた。多分、その瞬間が、私の死の瞬間であっただろう。


 明日も駅の裏。

 絵を描く。

 そんなことを想像していた。

 それなのに、明日に見れる、毎日見れる茜の色も……

 あの人の声も顔も、ただ私を置いて消えていく。


(私。死んだんだ……)


 スーツ姿で、知らない場所にいた。

 改札のない、田舎の駅。

 自販機すらも見えることはない。


 線路の真上には、少し淡く色褪せた夕日があった。


「……やだ。死にたくない」


 泣きながら。声にならない声を垂らした。


 お母さん。お父さん。おばあちゃん。おじいちゃん……

 近所の人も、学校とか職場の友達も。

 あの人にさえ。

 もう会えない。

 二度として、その顔を知ることはできない。


「ごめんなさい。ごめんなさい……」


 霞んでいく、群青より濃い空。

 さっきまで重かった足も、もう動くことすらままならない。祭りの後の匂いも、飲み会の後の虚しさも、人と繋ぐ手の感覚も。

 その全てが恋しい。


 しばらくの間。ただひたすらに泣き続けた。


 一時間は経った後、私はやっと立ち上がった。


 いつまでもクヨクヨしているわけにはいかない。

 そう思ったから。

 どうせ死んだなら、この空の上で、ずっと見守ってようと思ったから。


 駅の名前を確認した。


『終着駅』


 書いてあるのはそれだけ。


 反対側にもホームがある。


『現世』


 と書かれているそのホームには、なぜか、暖かさを感じた。

 霞んでいく。視界が、涙によって歪んでいく。


 涙を袖で拭って、辺りを見渡した。


 すると、白いポストがあった。

 迷わず、私はそのポストの目の前に行った。

 ポストの横には、いつの間にかベンチが存在していた。


 光が、胸を刺している中、そのポストをよく見た。


 そこには、いくつか文字が綺麗に並んでいた。


『ここへようこそ。きっと、あなたは何らかの理由で亡くなってしまったよ。もう後戻りはできない。ごめんね』


『ここは天国へいくための駅だよ。何にもないけど。このポストしかないけどね』


 そこに綴られた文章は、どこか美しい。


『この"白いポスト"は、死んだあなたが、誰かに最期の別れを言うためにあるの。ここにその人に向けて手紙を入れて。すると、向こうの"現世"のホームに、その人が来る。メカニズムは分かんないけど、その人が来てくれる唯一の機会だよ』


『さあ早く。その手にある紙に書いて』


 気づけば。手には紙とペンがあった。


 私は、必死にその紙に書きたいこと。伝えたいことを綴った。

 ありがとう。全ての日々よ。

 もう覚悟はついている。と言うか、つけなければならないだろう?


 見たくも聞きたくも、知りたくもないだろうけど。私は彼に、自分の死を伝えることにした。


 ポストに、震えた手で紙を入れる。


 数分後、向こうのホームから、改札の音がした。


「……どうやら。夢ではないみたいだね」


 彼は、悲しそうに笑いながら、そう言った。

 夢であって欲しかった。それは誰だって同じだ。


「ごめんね。私。死んじゃった……みたい。もう行かなくちゃ。夜が待ってるの。一生明けない夜が」


「うん……謝ることじゃない。君は悪くないよ」


 彼は静かに、笑顔で涙をふさいだ。

 息のできない様な、綺麗事を言わずに。

 若干の沈黙の後、彼は続けた。


「きっと。君は僕が死んだら、悲しむだろう? だから、僕は頑張るよ。君のために、君の分も、人生を全うするよ」


 その言葉を聞いて、心が落ち着いたのだろうか。

 涙がぶわっと噴き出て来た。

 沢山の苦労に揉まれ、日々を過ごして来た。

 それもあるだろうけど、それ以上に、死の事でもなく、この別れが、ただただ、恋しかった。虚しかった。


 予想外の出来事で、人生は大きく変わる。

 たとえそれが死を招く事でも、招かない小さな事でも。


 でも私は学んだ。

 それが、世界と、人生と、生きる責任というものなのだと。

 心だけを頼りに生きる代償だということを。


「ご、ごめんね。こんな顔で……私、忘れないから。今までのこと全部。覚えてるから。だから――」


「この先の未来なんて、僕らには分からないけど」


 食い気味で、私の心を見透かした様に被せた彼の言葉。

 白い息になって悲しそうに消えていく。


「僕も忘れない。君のこと。ずっと覚えて、ずっと想ってる。まだまだ、あと60年は会えなくなるかもだけど……僕が死んだら。ずっと一緒だよ。だからそれまで待ってて

 僕のこと。ずっと待ってて」


 虚しさを糧に、今立っていた。

 君の目には、小さく輝きがあった。


 希望の「き」

 ――きっと、諦めてはいけない。


 希望の「ぼ」

 ――僕たちは一人じゃない。みんな居る。


 希望の「う」

 ――産まれて来たのだ。最期までやってやろう。


 かつての彼の言葉が。私の中で輝き続けた。

 でもやっぱりそれでも痛いものには変わりはないけど。

 でも、不思議と、『大丈夫』と思えた。

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