青い窓の喫茶店には

堂園みこと

第1話青い鳥のいる喫茶店

雨は、降っているというより、街に滲んでいた。

舗道の隙間に溜まった水が、夜の光をやわらかく映し返している。結(ゆい)は傘をたたき、少しだけ立ち止まった。どこへ向かう途中だったのか、もう思い出せない。ただ、これ以上歩き続ける理由も見つからなかった。


視線を上げると、商店街の端に、小さな青があった。


青い窓枠。

雨に濡れても色を失わない、深く澄んだ青。

その窓の内側に、ぽつんと灯りがともっている。


看板には店の名前だけが青色で書かれていた。

 喫茶 燈。


窓辺には、小さな青い鳥の置物がひとつ。羽根を休めるように、外を向いて止まっている。飛ぶ途中で、少しだけ立ち寄った――そんな姿に見えた。


 結は理由を探さず、ドアを押した。


ベルが鳴る。高すぎず、低すぎず、ちょうど胸の奥に届く音だった。店の空気は、外の雨をそっと切り離すように静かだった。コーヒーの香りと、古い本の紙の匂い。湯気の立つ音が、呼吸のように続いている。


「いらっしゃい」


 店主は、穏やかにそう言った。

名前も用件も尋ねない。必要以上にこちらを見ない。まるで、結がここへ来ることを、最初から知っていたみたいだった。


「お好きな席へ」


結は、自然と店の中央の席に腰を下ろした。青い窓からも、壁からも、少し距離のある場所。守られているようで、逃げ道もある、不思議な位置だった。座ると、店の音がよく聞こえる。カップが置かれる音、湯が注がれる気配、ページをめくる乾いた音。


 テーブルの端に、小さな紙があった。


 鉛筆で、丸い字。


 本日は、

 途中で帰っても

 最後までいなくても

 どちらでも構いません


誰に宛てた言葉なのかは分からない。

けれど結は、それを自分宛てだと思った。胸の奥で、何かが静かにほどけていく。説明しなくても、選ばなくても、ここにいていい。その事実が、青い窓の色みたいに、ゆっくり広がった。


角の席には、薄い布の包みが置かれている。青い鳥と同じ色合いの刺繍が、布の端にひっそりと縫われていた。誰かが、ここに“何か”を預けていったように見える。結は理由もなく、その包みから目を離せなかった。


 店主が、静かに声をかける。


「冷めにくいカップ、使いましょうか」


それは、長くいてもいい、というこの店なりの言葉だった。結は小さくうなずく。外で雨は続いている。でも、不思議と急ぐ気は起きなかった。


窓辺の青い鳥は、動かない。

それでも、飛ぶことを忘れたわけではないと、結には思えた。


この店は、羽を休める場所なのだ。

飛び疲れた人が、次の空を思い出すまでの。


燈の中央の席で、物語は静かに羽をたたんだ。

 飛び立つかどうかは、まだ決めなくていい。

店の名前だけが静かに書かれていた。

喫茶 燈。


窓辺には、小さな青い鳥の置物がひとつ。羽根を休めるように、外を向いて止まっている。飛ぶ途中で、少しだけ立ち寄った――そんな姿に見えた。


結は理由を探さず、ドアを押した。


ベルが鳴る。高すぎず、低すぎず、ちょうど胸の奥に届く音だった。店の空気は、外の雨をそっと切り離すように静かだった。コーヒーの香りと、古い本の紙の匂い。湯気の立つ音が、呼吸のように続いている。


「いらっしゃい」


店主は、穏やかにそう言った。

名前も用件も尋ねない。必要以上にこちらを見ない。まるで、結がここへ来ることを、最初から知っていたみたいだった。


「お好きな席へ」


結は、自然と店の中央の席に腰を下ろした。青い窓からも、壁からも、少し距離のある場所。守られているようで、逃げ道もある、不思議な位置だった。座ると、店の音がよく聞こえる。カップが置かれる音、湯が注がれる気配、ページをめくる乾いた音。


テーブルの端に、小さな紙があった。


鉛筆で、丸い字。


本日は、

途中で帰っても

最後までいなくても

どちらでも構いません


誰に宛てた言葉なのかは分からない。

けれど結は、それを自分宛てだと思った。胸の奥で、何かが静かにほどけていく。説明しなくても、選ばなくても、ここにいていい。その事実が、青い窓の色みたいに、ゆっくり広がった。


角の席には、薄い布の包みが置かれている。青い鳥と同じ色合いの刺繍が、布の端にひっそりと縫われていた。誰かが、ここに“何か”を預けていったように見える。結は理由もなく、その包みから目を離せなかった。


店主が、静かに声をかける。


「冷めにくいカップ、使いましょうか」


それは、長くいてもいい、というこの店なりの言葉だった。結は小さくうなずく。青い窓の外で雨は続いている。でも、不思議と急ぐ気は起きなかった。


窓辺の青い鳥は、動かない。

それでも、飛ぶことを忘れたわけではないと、結には思えた。


この店は、羽を休める場所なのだ。

飛び疲れた人が、次の空を思い出すまでの。


燈の中央の席で、物語は静かに羽をたたんだ。

飛び立つかどうかは、まだ決めなくていい。

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青い窓の喫茶店には 堂園みこと @hakuu_ka

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