電知電脳

真秀ろば

第1話「白の悪夢」

 目を開くと、漠然とした”白い空間”が広がっていた。

 乳白色の硬質な床が続いている。
 

 空には雲も境界もなく、ただ均質な白が満ちている。

 そこには何も存在していなかった。


 物音も、影も、距離感さえ存在しない場所。

 無限に続く白に目が眩み、瞳孔が反射的に閉じてゆく。

 全てが真っ白で何も起点を置くことができない。

 だが、どうやら自分はこの空間を移動しているようだ。

 足が運動を続け、歩んでいる感覚だけが伝わってくる。

 どれほど歩いたのか、そもそも自分が本当に歩いているのかどうか、この空間では定かではない。

 目的地はなく、進むべき理由も見当たらないが、意志とは無関係に、ただ――歩みを緩めてはいけない、とだけ身体が告げているようだった。


 不意に、白い大地の表面がざわめいた。

 植物の芽のようなものが、次々と芽吹いてゆく。

 白一色だった世界は、穏やかな草原へと姿を変えようとしていた。


 ありえない速度で成長した植物たちは、蕾をつけ、瞬く間に開花する。

 だが花が咲くことはなく、代わりにそこに現れたのは「捕虫葉」だった。

 視界一面がハエトリソウの群生地に変わってゆく。


 期待した穏やかさは生まれず、異様な景色が急速に広がっていく。

 背筋を這う嫌悪が、足を早めさせた。


 ハエトリソウを踏みつけながら、逃げるように進む。

 その瞬間、捕虫葉が一斉にこちらを向いた。


 虫を迎え入れるように、同時に葉が開く。

 葉の内側には、人のものとは明らかに異なる目があった。


 捕獲され、死んだ魚のような、濁った目。

 焦点の合わない無数の視線が、こちらを見ている。

 足が止まり立ちすくむと、群生するハエトリソウが肩を並べるように茎を揺らし、歌い始めた。

 それは悲鳴にも、嘲笑にも聞こえる。

 不快な音が、空間を満たしてゆく。

 いつの間にか、植物は自分の体に絡みつき、肉を破って体内へと侵食してくる。

 痛みが来るよりも先に、心が悲鳴を上げた。

 恐怖、諦め、孤独、と感情が急速に塗り替えられてゆく。

 ハエトリソウの歌が、いつしか言葉のように耳に届いた。

ハエトリソウ 「サビシイ、サビシイ、サビシイ、サビシイ。」

 その歌が遠くなり、意識が混濁してゆく。

 目の前が光に包まれた瞬間、唐突にその景色が終わった。


 青年は目を覚ました。

 開いたままのパソコンの前で、机に突っ伏すように眠り込んでいる。

 悪夢の硬直からまだ抜けられずにいるのだろうか、身体が動かない。

 ノートパソコンの白い光が、青年の顔を照らしている。

 眩しさから逃れるように青年は体を起こし、目を強く閉じた。

青年 (何だったんだ、今のは?)

 初めて見る異様な悪夢に、嫌悪感だけが残っていた。

 青年はデスクから立ち上がり、カーテンの隙間から外の様子を伺った。


 朝焼けなのか、夕焼けなのか判別がつかない、マジックアワーの光が街を染めていた。


 「あの日」から青年は、時間に縛られず生きていた。


 しかし不健康な生活態度は、徐々に彼の命を縮めてゆくようだった。


 食事も適当になり、皮膚の向こうに骨格が透けるようになっていく。


 しかしそれを気遣ってくれる人は、誰もいない。


 青年は孤独、いや突然に孤独に追いやられていた。

 また思い返したように青年はデスクに向かい、ノートパソコンを開く。


 木製の椅子が少し軋んだが、青年は気にもせず、取りつかれたようにキーボードを叩いてゆく。


 今さっき見た「悪夢」を、覚えているうちに記録しなくてはならない。


 心と身体の疲労を無視して、青年は執筆に没頭していた。


 ほんの少しだけ記述を進めていると、カーテンの外が眩しく煌めき始める。

 開けてゆく闇、どうやら時は早朝だったらしい。


 また不健康な時間の過ごし方をしてしまった事に気がつき、青年は苦笑する。

 少しばかり目が痛む。

 パソコンの画面をこれ以上見つめるのは難しい、と感じた青年はノートパソコンを閉じ、そのまま横にあるソファに倒れ込み、伏せた。

 目を閉じて、その目の上に手のひらを重ねる。


 ほんの少し、体温の低い前腕部が、目にこもった熱を吸い上げて心地がいい。

 心地よさが眠気を誘い、青年の意識が曖昧になってゆく。

 がここ最近、青年にとっての睡眠は、回復の時間ではなくなっていた。


 青年の睡眠の先に待っているのは、繰り返される悪夢だった。


 「あの日」の出来事以来、まだ気持ちの整理も、情報の整理もできていなかったからだろうか、脳は何回も同じ悪夢を青年に与えていた。


 それはまるで、超えなくてはならない試練のように、青年を繰り返し襲っていた。


 寝てしまえばまた、今日もそれは繰り返されるであろう。


 抗う気持ちが負け、意識を失うと同時に、青年は苦悶の表情を浮かべ、うなされた。

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