高尾警部補の千夜一夜

第1話 タイガとシバイヌ

 今日は夕方から非番で明日は公休だ。久々に楽しんだっていいだろう。高尾は勤務地から遥か遠く、わざわざ県境をまたいでから、ゲイ向け出会い系アプリのGPSをオンにした。


高尾玄一郎たかおげんいちろう。32歳。職業は警察官で県警本部勤務。階級は警部補。


出会い系アプリでのプロフィールは29歳。大した嘘じゃない。182センチ75キロ、20センチで諸々検査済み。これは本当だ。


 11月の終わりだが今日は暖かく、外で楽しみたい気分だった。目当てのハッテン場になっている公園にはこれまでに三度行った。近隣に大学があって若い子が多く、薬物を大っぴらにやっている人間もいない。人家は遠く、広大な公立公園は夜間のパトロールも少ない。


 秋の深まる公園の地面を覆う葉の強い香りと柔らかな感覚。公園内の照明もないささやかな四阿で待ち合わせをした。


少し遅れてやってきた男の子『シバイヌ 22歳』。オーバーサイズのパーカーにワークパンツで、申告通りの外見だ。168センチ52キロといったところか。


「タイガです。シバイヌくん?」声をかけると、『シバイヌ』はうなずいた。高尾が四阿を出ると、後をついてくる。


 公園の大木の下の暗がりで立ち止まり、楽しむ。シバイヌの頭をなで「顔が写らないようにするから」とスマホを構える。返事はないが、『シバイヌ』が夢中になっているところを上から撮る。あとで鑑賞して楽しむためで、ささやかな趣味だった。


一段落ついて、高尾の股間に顔をうめていた彼が顔をあげ眼鏡を外して、高尾は初めて気がついた。


自分の受け持ちだった事件の関係者だ。県立D公園、メタセコイア並木の南東の四阿。時刻は2308。男の名は山田正恭やまだまさやす。27歳会社員。地元の経済を支えている大企業の創業一族の一員で、山岳遭難事故の犠牲者の夫。頭の中で今の状況を反芻する。


 仔犬を思わせる懐っこい笑顔とは、半年ほど前の聴取で何時間も顔を合わせた。お互い見間違えるはずもなかった。


「こんばんは、高尾さん」


今さらの挨拶。こうなる前に言ってくれればいいものを。


 高尾は自分のTシャツの裾で山田の汚れた口の周りを拭った。


「あ、すみません。拭いてもらっちゃった。高尾刑事ってその服だとラガーマンみたいですね。スーツもかっこよかったけど」山田の腕を引っつかむ。


「シバイヌくんの車はどこに?」


「電車で来て、この公園までは歩いて来たんです。高尾刑事は?」


身なりを整え、一回り小さい男の肩に手を回し引き寄せる。


「本名で呼ぶな!俺は一番街に止めたから送る」


「ハイ。タイガさん」山田は素直に返事をし、ニットキャップをかぶった。とても27歳には見えず、服装といい顔や体格といい、若い子が好きな高尾の好みのど真ん中だ。


「22歳はサバ読みすぎ」つい嫌味が口をついて出る。


「ハハハ。内緒にしてください」


「よく来るの」


「職質?」


「いや……」


「家で話しませんか。幸町です。事情聴取で来たから知ってますよね」


 山田を車の助手席に乗せ、高尾は車を出した。


「おどろいた。いつ気がついた?」


「リクエストが来たときの画像とプロフィールで何となく。でも、僕だってバレたら来てくれないと思って、黙ってました」


 家にはいるなり山田から手を引っ張られる。一緒にシャワーを浴びて理性が飛び、正気に戻ったのは午前4時を過ぎた頃だった。

「最高、刑事さん」山田はうっすらと目を開け、高尾を見た。

「気分は?」

「平気、僕、けっこうタフなんで……」お互いに裸のまま、山田は高尾の胸元に額を押し付け、寝てしまった。




 肌寒い朝、傍らの暖かい人間を抱きしめる。人肌は最高だ。

山田は高尾に抱きしめられてうめき、少しもぞもぞと動いた後、目を覚まして高尾の顔を見た。


「おはよう、シバイヌくん。俺が誰か思い出せる?」

「高尾さん、おはようございます」軽くキスする。昨日散々したが照れくさい。

「妻の49日に警察署の方々が来てくださったときにご挨拶して以来ですよね。変なところで再会して恥ずかしいです。もう1年か……」

「骨折したところはその後大丈夫?」

「はい。手の小指が折れただけです」山田は手を広げて高尾の目の前で振った。小指は微かに曲がっているようにも見える。

「初日の聴取のあとで骨折が分かったと聞いて、何時間も引き止めた事を謝りたかった。今更だが、申し訳無かった」

「困っている人のために話を聞くのが高尾さんの仕事ですよね。何とも思ってません」

「顔色が悪くて気になってはいたんだ。悪かった」

「暗い話、やめません?コーヒーを淹れます。あ......っ」


山田はベッドから降りようとして転び、床に転がった。

高尾はベッドから出て、山田に手を貸し、ベッドに座らせた。

「痛いところは?病院に行く?」

「やり過ぎて足が震えてるだけです」



 1時間後には山田はすっかり回復した。風呂も済ませ、上質な革張りの大型ソファに並んで座り、コーヒーを飲む。


この居間の広さだけで25畳以上は優にある。寝室のベッドはクイーンサイズが2台並んでいて、風呂場も特注であろう広さだ。

事故当日に任意で事情聴取をしたが、高尾にはここが20代半ばの新婚夫婦が住む家とは到底信じがたかった。


通称掛川別邸かけがわべっていと呼ばれるこの洋風建築は、豪商掛川伊右衛門が建て、築75年ほど。市の指定文化財で所有は掛川商会だ。県内随一の大企業。山田は掛川商会の前社長の外孫だった。管理を兼ねて住んでいる、と聞いた。


「警察官ってブラックコーヒーのイメージでした」


「ミルクと砂糖を入れないと飲めない」


「かわいい」


高尾はローテーブルの上にまだ湯気の立ちのぼるマグカップを置いた。山田のマグカップも取り上げて置き、キスする。山田はおとなしく、されるがままだ。


染めた茶色でクセのある髪に、やけに透き通ったビー玉のような目。以前会ったときは黒髪でもっと年相応に見えたが、暗がりでなくとも大学生に見える。


「山田さん、本当に27?」


「事故のあとに髪が半分くらい白髪になって、黒染めよりも明るくしたほうがいいって美容師さんに言われたんです。それで染めたら年齢不詳のオッサンになっちゃった。高尾さんは何歳ですか」


「32歳」


「32歳か。僕年下ですけど、サポあり?」


「いくら欲しい」冗談に付き合う。


「お金はいいや。今日も泊まってください」山田は何の悩みもないような、屈託のない笑顔を見せた。


「そろそろ帰らないと。明日は仕事」


「明日の朝ここから仕事に行くのは?」


「いきなり2泊もさせるの?」


「今朝起きた時に、高尾さんがいて嬉しかった」胸元でモゴモゴと山田が喋る。


「スウェットで仕事に行ったら、刑事課長にぶっ飛ばされる」予備のスーツと革靴はいつ呼び出されてもいいようにトランクに入っているが、言わなかった。


 連絡先を交換しなかった、と高尾が気がついたのは掛川別邸から帰る途中だった。会った時はアプリ内のメッセージでやり取りをしただけだ。


高尾は来た道を引き返した。先ほどと同じように家の前に車を止め、インターホンを押す。


ゲートが開き、高尾は車を掛川別邸の敷地内のアプローチに走らせ、停めた。トランクからスーツを出す。


玄関のドアが開き、中から山田が顔を出す。


「高尾さん!」


「予備のスーツがトランクにあった」


「明日の朝までいられますか?」


「ああ」


ガーメントバッグを片手にゆっくり歩いて玄関へ向かう。山田がハーフパンツにTシャツにサンダルで外に出てきた。


高尾はふと視線を感じ、玄関ポーチの上の大きな窓を見る。あの場所には確か妻の書斎があった。

山田より3歳年上の妻の山田瑛玲花やまだえれかは掛川商会の弁護士で、遺体になってなおどこか几帳面な印象を高尾に与えた。ポーチの上の窓に目を凝らすが、室内は暗く何も見えない。


「なんだか戻ってくるような気がして、待ってました」

そばに来た山田の肩に腕をまわし、キスする。ここは高い生け垣に囲われ、外から見られる心配はない。

「寒いな。高尾さん、早く中に入りましょう」

高尾を見上げる山田の腕には、冷たい山風のせいか鳥肌が立っていた。


 


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