第15話 事勿れ

新たな環境に適応する。これには意思がある。

新たな環境に順応する。これには意思がない。

人間は繰り返し行うことで、直ぐに慣れる――後はそこに意思があるかないかの違いでしかない。

――しかしこれはただの言葉遊びだ。


意思のない適応も存在する。

本意ではないが慣れるしかなかった。仕方なかった――そういう場合がある。

しかし、これこそ言葉遊びなのかもしれない。

だが俺は今までにその「意思のない適応」を幾度となく見てきた。

今、その「意思のない適応」を選択しているのかもしれない。

判断を下したこの瞬間から適応は始まっている。


安全という目先の欲に眩(くら)んで、何か大切なことを見過ごしてはいないか?



「田辺くん――避難所だが、反対する理由は何かあるのか?」


避難所へと向かう車の中。村田さんは急にそう切り出した。


「急にどうしたんですか?」


「いや、少し田辺くんの言っていたことが気になってな・・・」


村田さんの歯切れの悪さが気になる。この人は普段、物を言う時はっきりしている。

初めは性格的なものだと思っていた。もちろんそれも全く違うとは思わないが、大体は結衣さんのためだろう。妹に不安を感じさせない為、無理に律しているようにも感じる。


「俺は反対ですよ。確認する前から断言するのも間違っていると思いますが、安全という言葉に期待しない方がいいと思います」


もし仮にゾンビや野蛮な連中から被害を受けることのない安全な場所があったとして、何故被害が拡大する前に準備できなかったのか?

一時的な避難所にしても外よりは安全だろうが、俺の母校のようになるのは時間の問題だと思う。

ならば、巻き込まれない為にも近づかない方が良い。


「お前まだそんなこと言ってんのかよぉ、自衛隊だぜ?不安がる必要がどこにある?」


冬也さんが反対してくるだろうということは分かっている。

普段強く前に出る人ほど安定を求めるものなのか?それは分からないが、冬也さんは避難所に向かうことに、さっきも賛成だった。


「不安とは少し違います。もちろん安全な場所があるなら行くべきだと思います。ただリスクは考えるべきです」


「リスクって?」


結衣さんを不安にさせたくはなかったが仕方ない。それにこれからは全員が自分たちの状況を理解する必要がある。おそらく結衣さんはこれまで兄に守られてきたんだろう。しかし、これからはそれも改めなければいけない。


「例えば安全性が不完全なものだった場合、今は良くても危険な場所になりえるわけです。その時その責任を取らされるのは俺たちです」


「そんなもんどこだって同じだろう?だったら少しでも安全な場所を求めて行動した方がいいんじゃねぇか?」


「避難所は別です」


こんなこと普通、説明しなくてもわかるものだと思っていた。あるいは、人を避けて生きてきた俺だから思うことなのか?


「避難所には人が集まります。規模にもよりますが10人どころじゃないでしょう。例えば避難所として使われた俺の母校には、おそらく100人以上の避難者がいたはずです。ですが俺が結城を探して訪れた時、そこはゾンビで溢れかえっていました」


「今向かっている避難所でも同じことが起こる可能性があるわけか」


おそらく村田さんはそのくらい想定済みだっただろう。


「はい。でもすべて可能性の話です。今回は自衛隊もいます。彼らは銃も持っていますし、訓練も受けてきたはず、本当に安全なのかもしれない。でも、どちらにしろリスクは考えるべきです。最悪の状況に備えて」


俺はこの世界を知らない。今だって何を知ったようことを言っているのかと、自分でも思っている。ただ与えられた安全を安易に信用していいのかということなのだ。その安全は保障されたものではない。俺たちだけじゃない――自衛隊の人も、今日本がどういう状況なのかということを分かっていない。何も分からず対策も困難な中、本当に安全だとは言えない。また、仮に自衛隊が俺たちに何かを隠していた場合、それはそれで信用できない。


「じゃあどうすんだよ?予定通り研究所に行くか?」


「いえ、避難所でかまいません。ただし着いたら、一度中に入る前に色々と確かめたいことがあります。保護してもらうかどうかは、その後決めましょう」


「分かった俺はそれで構わない」


冬也さんは一瞬不満そうな表情を見せたが、言いたいことは通じたようだ。

物事を深く考えずなんでもシンプルに選択する。それは見習うべき部分もあるが、適材適所という言葉もある。何か大きな選択をする場合は悩みが解決するまで考えた方がいい。




 避難所に着いた俺たちは一度、校門の前に車を止めた。そう、避難所とは学校のことだった。なんとなく予想はしていた。別に学校を避難所として利用するのは悪いことじゃない。というより一般的だ。

だが自衛隊に誘導されてきたこともあり、少し期待していた部分はある。例えば防衛設備の整った駐屯地なら多少は安心だ。しかしそうではなく――そこは中学校だった。

あの時の光景を思い出した。

彷徨(さまよ)う死体と転がる死体――見渡す限りがそれに覆われたあのグラウンドを。


誘導してもらった自衛官によると、中に入る前に身体検査を受けてもらう必要があるらしく、何も問題なければ保護してもらえるということだ。それから検査後、係りからの説明を聞くように指示された。

去り際に俺たち4人は先ほど行きの車で話したことを、その自衛官に尋ねた。

避難所として使われているのは体育館とその周辺のみで、校舎へと続く入り口はすべてバリケードで封鎖しており、体育館周辺は交代で見張りを置いている。避難者には日に3回の配給が行われる。


「他に聞きたいことはないか?これは強制じゃない。もし不満があるのなら断ってもらっても構わない。だがもし助けが必要なら保護しよう」


正直悪い話じゃない。ここなら食べ物に困ることはないし、危険も少ない。もちろんは話していたリスクはあるが、気に入らなければ出ていけばいい。


「田辺くん、君が決めてくれ。判断を任せて申し訳ないが、最近の俺は災難続きで運がない。それに田辺くんの方が色々と考えていることも多いだろう」


「俺もそれでいいぜぇ。それに反対してたのは結局のところお前だけだしなぁ」


まだあまり頼られることには慣れていないが、ここは俺が判断すべきだろう。自分でもそう思う。


「――田辺くん?」


もう俺だけじゃない。結衣さんがいる。


「分かりました――保護をお願いします」


気は抜かない――ここは例えるならセーブポイントだ。



**********************



 何事もなく検査を終え、体育館のドアを開けた時、俺は唖然とした。

何に唖然としたのか?――人の多さにではなく、少なさにだ。

中学生の頃、朝礼の時間という長い話を聞くだけの授業があった。体育館には全校生徒が集まった。その時、この学校にはこれだけの生徒がいるのかと、いい加減な感想を抱いたものだが、それよりも圧倒的に少ない。

これだけの人しか避難出来ていない現状に唖然としたのだ。


段ボールや机、ロッカーなどで区切られた。簡易的な避難スペースだが、おそらく外よりはましなのだろう。その間を通り、奥へと案内された。


「田辺くん?」


誰かが俺の名前を呼んだ。結衣さんではない、女性の声だ。

声のした方に振り向いた時、驚きもあったが、正直何故こいつがここにいるんだと思った。

林まどか――橋本さんの金魚のフンにして、俺を鼻で笑っていた女だ。

世間の狭さと、申し訳程度ではあるが懐かしさを感じた。

大学であって以来か――ついこないだのことだが、随分前のような気がする。

あの時はまだ皆生きていたっけ?


「田辺くんが生き残ってるなんて思いもしなかった」


相変わらず失礼な物の言い方をする。というより――ほとんど話したこともなかったので、イメージで失礼な話し方をするんだろうなと思っていただけだが――どうやら、間違っていなかったみたいだ。


「この人なんか感じ悪い」


一瞬誰の声かと、戸惑うくらい驚いた。隣で結衣さんが不満そうな表情で林を見ている。


「こういう人なんだよ――ああっ!彼女は林さんと言って・・」


「田辺くんとどういう関係か知りませんけど、その言い方は失礼だし不謹慎じゃないですか?」


この状況はいったいなんだろうか?

関係?――林は切れ目で雰囲気は少し怖いが、おそらく美形の類だ。かといって俺は何か下心を持ったことなど一度もない。


村田さんか冬也さんに、この状況をどうにかしてほしかったが、俺と一瞬目があった冬也さんは、噴き出した笑いを隠すように手で口を押え、肩を揺らしている。

村田さんは俺と、目すら合わせようとしない。


ここに来たのは間違いなのかもしれない。

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