第12話 感情をそれを許さない
――グサッ!
建物の中に入ってすぐ、よぼよぼに皮膚の爛れたゾンビが1匹いた。生前もよぼよぼだったのだろうか。
俺は現状、唯一の武器である。この包丁で、そのゾンビの頭を刺した。
このやり方は、ゾンビものの海外ドラマで学んだ。
――ギギャア!
建物の外から奴の声が聞こえる。あれで仲間を呼んでいるのだろうか?
それよりも、早く隠れる場所を見つけなければ。
公民館の奥へ進むと、集会所があった。何かないか探してみるが、折りたたまれた椅子以外、何もない。
――ガシャーンッ!
何かが壊れるような音が玄関から聞こえる。俺はとっさに隅に置いてあった。掃除道具を入れるロッカーの中に身を隠した。小学生の頃、ロッカーの中に入るのが好きだった。あの頃は何とも思わなかったが、この中は埃(ほこり)っぽくて臭い。
――トンッ・・・トンッ・・トンッ・・・・トントンッ
奴の足音が聞こえ、その音はだんだん大きくなってくる。
――ギーッ
足音と共に床の歪む音が聞こえる。俺は出来るだけ息を殺しながら、静かに呼吸した。
田辺「はあっはあっ・・・」
1つでも何か物音をたてれば気づかれてしまう。
――トンッ・・トンッ・・
すると、ロッカーの隙間から部屋にゆっくりと入って来る奴の姿が見えた。
その眼は、他のゾンビと同じように白濁しているが、足は奇妙なほど発達しているように見える。そしてその細身な体から、あの力は想像できない。
――トンットンッ・・
部屋の中を徘徊する足音が聞こえる。奴の目はどこまで見えているのだろうか?奴に嗅覚はあるのだろうか?今になってそれが気になった。
――すると、ピタっと足音が聞こえなくなった。
「はあっはあっ・・」
俺は息を止め、ロッカーの隙間からそーっと部屋の中を覗いた。
ここから見える範囲内に奴はいない。奴が見えなくなり溜め息を吐いた瞬間・・・
――ギロッ!
急に白濁した眼がロッカーの横から現れた。
――ガンッガンッガンッ!
俺が中にいると気づいたランナーは叫びながらロッカーを何度も叩いた。
ロッカーが左右に揺れ、反動でドアが開きそうになる。
俺は包丁を頭の位置に構えた。
――ガンッガンッガンッ!
奴が一瞬揺らすことを止めた瞬間、俺はドアを足で押し開け、目の前にいるゾンビの頭に目掛(めが)けて、包丁を突き刺した。
――グサッ!
奴の肉に刺さる感触が手に伝わる。
――グギャァアー!
奴は激しく動き、俺を振り落とそうとした。その反動で刺さった包丁ごと、俺は振り飛ばされてしまった。
――ドンッ!
俺は叩きつけられるように飛ばされ、床に仰向けの状態で倒れた。しかし、右手にはまだ包丁を持っている。
――ギギャアー!
仰向けに転がった俺に、奴は襲い掛かってきた。俺は再び包丁を構え・・
「アアアァアー!」
――グサッ!
俺は奴の目玉に包丁を突き刺し、グリグリとねじ込むように、さらに深く刺し込んだ。
「さっさと死ね!クソがぁ!」
――グシッ!グシャッ!
――・・・
――・
包丁が貫通して数秒後。死体の重さが体に圧(の)し掛かった。
「はあっはあ・・・・ハッハッㇵッ!」
俺は息を整える間もなく、動かなくなったゾンビに挟まれた状態で静かに笑った。
運が良かっただけかもしれない。でも――やり遂げた。
俺は体の上にある死体をどけた。
「結衣さん・・皆・・俺・・やったよ」
俺はまだ自分が生きていることに安堵した。
***********************
田辺登(のぼる)が迫りくるランナーにバットで立ち向かって行ったその後、村田たち3人はコンビニの中にいた。
「ねぇ!・・ねぇってばぁ!」
「少し落ち着け!これはあいつが望んだことだ。あいつは自分で選んだんだ。お前のために」
「結衣・・・」
「そんなこと分かってるよ!・・分かってるけど・・・」
これは田辺が選んだことだ。しかし、自分たちが田辺を置き去りにしたことへの罪悪感と後悔の念は振り払えない。
「俺がもっと早く気づいていれば・・すまない。冬也。結衣」
「起きちまったもんはしかたねぇだろ?これからどうする?」
「今すぐ戻って田辺君を助けに行く!」
涙を堪えながら、結衣は言った。
「結衣・・・分かるだろ?それはできない。あのランナー以外にも危険はある。あのゾンビの群れがこっちに近づいてるかもしれない。それに・・・あのランナー相手に田辺君がどこまでやれるか・・・もしかしたらもう田辺君は・・・」
「やめて!田辺君は生きてるよ!」
結衣は、田辺が自分のために囮になったことを分かっていた。
「自分を責めるな。結衣。それにこれは俺の責任でもあるんだ」
「そうだぞ。結衣。そもそもこいつが運転をミスらなければだなー」
「そうじゃない・・頼んだんだ。ここに残って結衣を守ってくれと。だから俺のせいでもあるんだ」
「・・だから・・か・・・」
人は皆、後悔する。あの時こうしておけば良かった。ああしておけば良かったと。
しかし後悔の本質は実に無意味なものだ。
人は後悔した後、そこに至るまでの行動を振り返り、それとは違った行動を想像し、そこから導き出される成功をイメージする。
一見これが、まるで自らの成長であるかのようにも思えるが、これは逃避でしかない。
そして人は後悔そのものに重きを置く。無意識の内に。
意識の内ではそこから何か学ばなければと人は考える。
だが感情はそれを許さない。
何故なら、この世で最も強いのは、負のイメージであり負の感情だからである。
――「人は後悔した時、後悔以外しない」
「分かってねーなぁお前はぁ。あいつはなぁ、頭は良いが馬鹿だ!自分の感情にすら気づけない鈍い野郎だ」
「どういうことだ?何が言いたい?」
「お前も分かんねぇのかよ~。結衣――あいつはなぁ。お前のことが好きなんだ」
その瞬間、結衣の顔が赤くなった。
「馬鹿かお前はぁ!こんな時に何を言ってるんだ?!」
「こんな時だからこそだろ?だってよぉ、お前言ったじゃねぇか?あいつはもう助からねえかもしれねぇって。だったら俺たちはあいつを理解しなくちゃいけねぇ。あいつの行動の意味を。田辺は結衣のために残ったんだ。それはお前に言われたからじゃねぇ。
大好きな結衣のために残ったんだ。まぁ本人も気づいてねぇだろうがなぁ」
冬也が話し終わると、結衣は顔を赤くしたまま下を向き、村田は複雑な表情をしていた。
「だから結衣。お前は田辺を信じていいんだ」
「――うん」
結衣は照れた顔を隠しながら笑った。
「はぁー。分かったよ。行けばいいんだろ?」
「ああ。ただ、確認しに行くだけだ。それ以上はしない。確認したらまたここに戻って来る。いいな?」
「うん。それでいい」
3人はコンビニを出て、田辺と別れた場所に戻ってきた。そして路地に転がったバットを見て言葉を失った。
「さっきも言っただろ?これで終わりだ。戻るぞ」
「田辺君は生きてるよ・・・」
バットを拾いながら結衣はそう呟いた。
「結衣・・・」
「――私には分かる」
さっきまで降っていた雨も止み、太陽の光が差し込んでいたが、結衣の顔は濡れていた。
************************************
公民館でシャベルを見つけた。バットの代わりはこれで補えそうだ。
それにしても、まだ自分が生きていることが信じられない。今気づいたが、ところどころ血が出ている。逃げている時に、切ったのかもしれない。しかし、ゾンビに噛まれなかっただけ、まだましだ。
公民館を出ると、向かいに駄菓子屋があった。ここには小学生の頃よく訪れた。
扉を開け中に入ってみると、昔ながらの古い匂いがした。
なんだか懐かしい。
「すいませーん」
と,言ってみたものの誰かがいるはずもない。スーパ―やコンビニは荒らされていたが、ここは大違いだ。荒らされた形跡もなく、商品の配置もほとんど昔のまま、何も変わっていない。
“「はーい」”
お菓子を手に取った時、人の声が聞こえた。
「いらっしゃい」
店の奥からおばあさんが現れた。腰の丸まった小さいおばあさんだ。この人は昔からここで、こうして駄菓子屋をやっている。何十年ぶりだが面影はある。
「お店・・やってるんですか?」
「やってるよ」
こんな世の中になってもまだお店を経営してることに驚いた。それと同じくらい、何となく笑えもした。
「あんた、そんな物騒なもん持って何しようってんだい?」
おばあさんは俺が持っている包丁とシャベルを見て、尋ねた。
「そんなもん捨てて、早く家(うち)へ帰んな」
おばあさんの言い方に少し違和感を感じた。1週間前ならこの姿は物騒でしかないだろう。しかし、世の中の方が物騒になってしまった今となっては、この姿はいたって普通だと思う。
「あの、外が今どうなっているのか知らないわけじゃないですよね?」
「外?いやぁ腰が痛いもんで、ここ最近は家からでとらんでのう。店も数日ぶりに開けたんじゃ。そしたらなんじゃ。そんなもん持って」
よくここまで生きて来れたものだ。普通なら死んでてもおかしくない。
いや・・・死んでた方が良かったのかもしれない。どっちにしろ長くは生きられないのだから。
「お邪魔しました。戸締りをして、できるだけ家から出ないようにしてください」
「それは置いてきな」
おばあさんは俺の包丁が気になるようだ。
「すいません。これは置いていけません。これがないと生きていけないんです。でも心配しないでください。誰かを傷つけたりはしませんから」
おばあさんは俺の目をじっと見つめた。俺はその眼力で威圧され、固まり、息をのんだ。
「信じていいんだね?」
俺が「はい」と返事をすると、おばあさんは安心したように溜め息をついた。
「もう家に帰ります」
「そうかい」
おばあさんはにっこりと微笑んだ。
この世界に過去はない。人の歴史も、個人の過去もゾンビが少しずつ食べていくから。
もう思い出に浸ってはいられない。
俺は家に帰る。皆のところへ。
この道を真っ直ぐ進めば、結衣さん達が待つコンビニに着く。
道なりに歩いていると、見たことのない小さな診療所を見つけた。この道も随分久しぶりだ。知らない間にこんな所に診療所ができている。それで思い出したが、ゾンビ映画ではよく医療品を探しに行く場面がある。抗生物質は役に立つ。集められる時に集めた方がいい。だが、俺が見ても分からないだろう。後で村田さん達を連れて。探しにこよう。
もうコンビニは見えている。奴の頭をぶっ刺したと言ったら、みんな驚くだろうなー。
みんな心配しているだろうか?それよりもみんなは無事だろうか?
俺は少し心配になり、小走りになった。
コンビニに着いて中に入ると、ここも荒らされた後のようだった。この棚を使って、後でバリケードでも作ろう。
「――誰かいますか?」
俺は外に響かない程度の声で、3人の名前を呼んだ。
――ガチャンッ!
奥のドアが急に開いた。
「田辺!・・・お前・・・」
「冬也さん!大丈夫でしたか?」
冬也さんが口を開けたまま、まるで死人でも見るかのような目で立っている。
その後ろから村田さんも出てきたが、冬也さんとまったく同じ顔で、言葉を失っているようだった。
「田辺・・くん・・・」
奥の部屋から結衣さんが飛び出してきた。
結衣さんは俺と目が合うと立ち止まった。その瞳からは涙が流れている。
「あれー皆さんどうしたんですか?結衣さんまで泣いてるしー」
俺は何だか可笑しくなり。笑ってしまった。
2人はまだ固まったまま、結衣さんは泣いてるし――訳が分からない。
――ギュッ!
俺が笑っていると、結衣さん泣きながら俺のところまで来て、抱き着いてきた。
「!・・・どうしたの?急に」
その光景を見て、二人はさらに目を見開き、驚いた様子でいる。
「結衣さん・・・あの・・ごめん。さっきは怒鳴ったりしっ!」
さっきのことを謝ろうとした時、結衣さんが俺の口を自分の口で塞いだ。
――なんだこれは?
俺は結衣さんにキスをされている。
唇の感触が伝わる。
結衣さんの唇がゆっくり離れると、目が合った。そして、結衣さんは顔を赤らめ小さく笑いながら、何も言わず奥の部屋へと戻っていった。
村田さんの方はあまり見ないようにしたが、睨まれているのは分かる。一方、冬也さんは俺の方を見ながら、ニヤニヤしている。
「あの・・・皆さん大丈夫でした?」
訳が分からない。これが俺の純粋な気持ちだ。いったい俺がいない間に何があったのか?村田さんは怒ってるし、冬也さんは笑ってる。結衣さんに至っては・・・
兎に角、訳が分からない。
「それがあいつの気持ちだ。田辺。――男なら分かってやれよ」
「はあ・・・」
俺は曖昧な返事をした。
「田辺君・・さっきはありがとう。それとすまなかった。俺のせいでこんなことになって・・・」
村田さんは何かを歯の奥で食いしばるように、謝ってきた。
「いえ、あれは俺のせいでもあります。別の道を使うべきでした。俺の判断ミスです」
「まぁまぁ過ぎたことはいいじゃねぇか。みんな助かったんだしよ。それより田辺。奴はどうしたんだ?」
「ああ、やりましたよ。これで」
俺は満面の笑みで包丁を見せた。
冬也「マジかよ!やるなぁー。正直、もうダメかと思ったぜ。――ああそうだ、お前のバット回収しといたぞ」
「えっ?戻ったんですか?――危ないことするなぁー」
「こっちのセリフだよ!ったく。バットを見たときは、お前はもう死んだと思ったぜ。後で結衣に謝っとけよ。あいつずっと泣いてたんだからなー」
そこまで、ひどく怒鳴っただろうか?
「やっぱり怒鳴ったのはまずかったですかねー?」
「そうじゃねぇよ。分かんねぇ奴だなぁー。心配させたことを謝っとけって言ってんだよ」
「ああ、なるほど。分かりました」
俺は苦笑いをして誤魔化した。
「まぁいい。取り合えず奥で休め。お前も疲れただろう。さっき話したんだが、今日はここに泊まって、明日行くことにする」
「ああ、分かりました――その前に後でこの辺りの棚を使ってバリケードを作りましょう。窓と入り口を塞ぐんです」
「冴えてんなぁーやっぱランナーを仕留めた奴は違うなぁー」
やっぱりここは良い。何だかすべてが可笑しく感じる。気分が良い。
「いや映画で見たんですよ。これやらずに寝ちゃうと死んじゃうんで」
冬也さんと談笑しながら、奥の部屋へ行こうとした時、背後から低い唸り声が聞こえた。
「田辺君・・・」
それはゾンビではなく、村田さんだった。
「結衣を・・・よろしく・・・頼む・・」
村田さんは歯を食いしばり歯軋(はぎし)りをしながら、俺を睨みつけるような目つきでこっちを見ている。
「は・・はい。もちろんです」
その眼光が元ヤンであることを物語っていた。
それはともかく、俺がいない間に何があったのか・・・
あの駄菓子屋から出ないという選択肢もあったような気がした。
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