第5話 好きなことで、死んでいく
「橋本美鈴です。よろしくお願いします。」
新入生歓迎。この日、橋本さんに出会った。
何を思い出しても、後悔しかない・・・
階段で会った時、俺がもう少し、何か、違うことを言えていれば・・・
何か、別の・・何かをしていれば彼女を助けられただろうか?
手洗い場で、返り血とバットについた血肉を落としながら、俺は遅すぎた選択肢を考えていた。
食料の入ったリュックをケースの中にしまい、手洗い場を出ようとした時、外の方から悲鳴が聞こえた。
俺は通路に出て、正面玄関の真上に位置する窓ガラスから、広場の様子を確かめた。
――死体と、地面に飛び散る血と肉片。逃げる生徒とゾンビ。
俺はカバンからレンチを取り出し、腰とズボンの間に挟んだ。それからケースを担ぎ、バットを握りしめ、足音を立てないように階段を下りた。
外に出ると、風が吹き木々が騒めいていた。血と異臭が嗅覚を刺激する。少し遠くの方で、人が走っている。おそらくゾンビから逃げているのだろう。俺は目を凝らして、その行方を待った。
――走るゾンビ。
ただ、そのゾンビは片足を引きずりながら走っていた為、それほど速いわけではなく、それはこの距離からでも分かった。
俺は花壇や建物の陰に隠れながら、小走りでバス停へと向かった。
さっき確認したゾンビは、それほど速いわけではなかったが、あれに複数で来られると、それは間違いなく脅威だろう。そして、正に警戒すべきはそこだ。ゾンビは音につられて寄って来る。教室を出た時、廊下にゾンビが2体いた。偶々、動きのとろいゾンビで簡単に処理できたが、あれは人の話し声や物音につられ、あそこに集まった可能性が高い。つまり、結論を言えば、ゾンビは群れで行動する。それぞれが群れることを意識しているわけではない。音に反応するということなのだ。しかしこれも、仮説に過ぎない。
問題は、1体や2体ならなんとかなるが、群れで来られては対処できないということだ。
息を整えつつ小走りで走り、道行くゾンビを数体バットで振り払いながら、俺はバス停へと向かった。
バス停に着くと、生徒が数人いた。そこは広場とは違い、倒れている人もおらず、あたりを見渡しても、ゾンビはいなかった。
一人の生徒は、本を読んでいる。もう一人は音楽を聴きながら、携帯を見ている。他の生徒も同じで、普段のバス停の光景だった。
すると一人の生徒がバットを見て、不審者でも見るかのような目で俺を窺(うかが)っている
「どうかしましたか?」
「えーっと・・・それ・・どうしたんですか?」
生徒の一人が、血のついたバットを指さしながら、怯えている。
すると、もう一人の生徒もこっちに気づいたのか、驚いた様子だ。
「何って・・・ここに来る途中で、何も見なかったんですか?」
話を聞くと、彼らは10分ほど前からここでバスを待っているらしく、俺が来るまで何も見なかったらしい。俺は広場の惨状を伝えたが、彼らは疑った表情で信じていないように見えた。
「ニュースで見ませんでしたか? 病院や駅で人が噛まれたって」
2人はニュースは見たようで、いくつかの事件に関しても知っていた。ただテレビで報道されなくなってからは、あまり気にかけなかったらしい。
俺は、バス停の隅にある水道で、バットについた汚れを洗い流し、顔についた返り血も洗い落した。血の付いた上着は、脱いでケースにしまった。
少し椅子に座りながら、休憩しているとバスが到着した。
こんなことが起こった後にもかかわらず、普段と変わらずバスは運行している。それが何となく可笑しかった。
バスに乗ろうとした時、遠くから何かが近づいてくるような音がした。
――アアッアアッアアッ!
ゾンビがこっちに向かってくる。それも今回のは速い。
生徒たちは一斉に振り返り、迫っているものに気づくと、固まって動かなくなる人もいたが、全員急いでバスに乗り込んだ。
「は・・早く! 扉を閉めてください!」
一人の生徒が狂ったように叫んだ。
――バンッバンッドンッドンッ!
バスを叩く音が鳴り響く。
「だ・・出してー!」
その声がしてすぐ、少し慌てた運転手はバスを出した。
俺にとっては、大したことじゃなかったが、あの足の速さは単体でも脅威だ。
バスに揺られながら、生徒たちは困惑した様子で、皆、怯えている。
放心状態の彼らが、何となく笑えた。
遠ざかっていく大学を見つめながら、もうここには来ないことを悟った。
その時さっきまで心にあった大事な何かが無くなったような気がした。
通りすぎていく街並み。このあたりには、まだ感染は及んでいないようだ。だが、それも時間の問題だろう。
駅について改札を通った時、大学のバス停で話した生徒の一人が声をかけてきた。
「聞きたいことがあるんだけど、ちょっといいかなぁ?」
「・・・いいけど、どうかした?」
「まだ困惑して、頭の整理がついてないけど、学校で何が起きたのか、もう一度ちゃんと、話を聞いておきたいんだ」
こいつは何度か大学で見かけたことがあった。俺のような奴は、人に対して無関心を気取りながらも、意図せず、何故か人間観察が趣味になってしまう。
少し馴れ馴れしい奴だったが、電車が来るまでならと思い、話してやることにした。
「さっきバス停で言ったとおりだよ。噛まれた生徒が転化して、他の生徒が噛まれ、その生徒が転化して、また他の生徒が噛まれる。こうやって規模が広がっていったんだと思う」
「やけに詳しいみたいだけど・・・その・・どうして?」
「別にそこまで詳しいわけじゃない。初めて「あれ」を目の前で見たのは、昨日だし、分からないことの方が多い。学校での出来事は残念だったけど、ここも時間の問題だと思うよ」
実際、俺の考えは間違っていないと思う。それはあの広場を見て気づいた。人々のほとんどは、ゾンビを信じないし、目の前に現れたとしても、それは変わらない。何の準備もしていない人間にとってゾンビは脅威だ。そして大抵の人間は準備などしていない。
「そっか・・・そういえば大学でのこと、警察には通報した?」
「しても意味はないと思うよ。通報しても、またゾンビが増えるだけだと思う。でもしたければ好きにするといい」
彼は黙ったまま、何かを考えているようだった。考える時間は必要だ。誰にでも。こんな状況ならなおさらだ。
「・・・分かった。僕はさっきみたいなのは初めて見たし、対処の仕方も分からない。言うまでもなく君の方が詳しいと思う。でもまだ、半信半疑なんだ――そうだ、まだ名前言ってなかったよね。僕は結城春斗(はると)。君は?」
「・・・田辺登。まあ信じられなくて当然だと思うよ。じゃあそろそろ電車が来るから行くよ」
食料や飲み水を、もう少し買っておく必要がある。感染が広がれば、食料は生存者との奪い合いになる。後バットも、もう少し必要だ。それはホームセンターで揃えよう。
「もし良ければ連絡先を交換しない?そんな世の中になるなら、仲間は必要でしょ?」
こいつも俺もどこまで生き残れるかは分からない。分からないが、恩を売っておくのもいいと思った。こいつがこれを恩と感じるかは分からないが。
田辺「いいよ。連絡先くらいなら――あと一つ忠告しておくけど、ゾンビ1体見たくらいじゃ、まだ確信をもてないとは思う。ただ、もし少しでも俺の話を聞く気があるなら、今日中にできるだけの食料と水。あと武器を用意した方がいい。被害が広がってからだと、食料はなかなか手に入らないだろうから」
これくらいは言っても、罰は当たらないだろう。
「うん・・分かった。じゃあ、ありがとう。何かあったら気軽に連絡して」
その後、すぐホームに到着していた電車に乗った。
家についた後、車を出して、直ぐに近くのスーパーへ行き、日持ちする食品と水、それからホームセンターへ行き、バットや予め買う予定だった物、それから目についた物を買った。久しぶりに車を運転したが、免許を取っておいてよかった。家に帰った後、買ったものはすべて自分の部屋へ運んだ。
テレビをつけるといつもどおりの番組がやっている。携帯でまとめサイトを見ていると、どうやらこの間の大学病院の中から、何かが爆発するような音が聞こえたらしい。
ネット上では、それを面白がった動画配信者がリアルタイムで、今中継していると記事に書かれていた。このサイトの管理人は相変わらず仕事が早いと感心しながら、俺はURLを開いた。
“「今、病院の周りを一周してきたんだけど!2回くらいかなぁ?なんか中から音がして、もう絶対この病院やばいからぁー!」”
時にこういう奴らは、役に立つ。このくらいの行動力があれば、彼女を救えただろうか?おそらくこの先、俺は死ぬまで彼女を救えなかったことを悔やみ続けるだろう。沈んだ気持ちを無理やり酒で奮い立たせ、俺は動画を楽しむことにした。
“「今も音してんだよなぁー皆きこえる?絶対なんかいるわぁーここ。そんでさぁーさっき、なんか入れそうな場所見つけたんだけど。今から入りまーす!」
馬鹿は使いようだ。世間的に動画配信者という輩は、「常識人」が予想のできない迷惑行為をして、自己顕示欲を満しているというイメージだ。しかしここまでしないと俺たちは興味を持たない。ただこういう時は感謝すべきだ。今、政府の隠ぺいが暴かれようとしているのだから。
「パリンッ!――はい割れましたーあぁ!」
彼らは、窓ガラスを割って、病院の中へ入っていった。
「なんかね・・感動がない。感動がないよぉーここまで簡単なら、もっと早くやればよかったな?この配信」
彼が話しかけているのは、視聴者ではなくカメラを持った相方だ。この配信者たちは、2人1組で、普段からこういった危険行為で再生数を増やしてきた。それにしても彼らの言うとおりだ。ここまで簡単には入れてしまっては、封鎖の意味がない。政府は、いったい何を隠したがっているのか?
「じゃあとりあえず受付行きまーす!」
おそらくそれは、すぐに分かるだろう。俺の考えが正しければ、この配信者たちはもうここから出られない。こんなに大きな声を出してしまっては、奴らを引き付けてしまう。
「じゃあ健。あそこの待合室までスキップしていくから、ここから録っといて」
「オッケー、分かった」
「行きまーす。タッタッタッ・・・・・・・・・あれ・・健!ちょっとここ録ってー」
「え?何?・・・・なんだこれ?・・・・血?」
馬鹿が何かを見つけたようだった。
「視聴者の皆さん。我々は血痕を見つけました。そしてこれは、この病院で起こった暴動もしくは、それ以上の何かが起こったことを意味します」
何かが起こったことは最初から知ってる。
「すいませーん。なんか熱っぽいんですけどぉ、産婦人科覗かせてもらっていいですかー?」
「はっはっはっ――誰もいねぇえよ」
彼らは笑いながら、次は二階に向かった。
「二階に着いたんだけど、階段上ってる時からなんか臭いんだよなぁ。何の匂いだ?これ」
「智也(ともや)。俺・・・なんか吐きそう・・・・うううぅぅえええー・・」
「おいおいマジかよーまだ何も取れてねえぞ」
頼りない相方を軽く休ませた後、彼らはとある病室へと入っていった。
「おじゃましまーす。ん?うんうん。ああ、ここだな。ここでしょ?ここすげえわ」
「うん」
「もうねぇ――めっちゃ臭い」
カメラマンが室内を映した。配信者はかなり興奮しているように見える。すると視聴者が何か、動画内から音が聞こえたとコメントでつぶやきはじめた。
“何か音する”
“なんだ?人の声か?”
“これやばいでしょ?w”
確かに、何か微かに音が聞こえる。
「音?・・何にも聞こえないけどなぁ。お前聞こえた?」
「――全然」
「だよなぁーお前ら、先に言っとく。マジでやめろ!信じちゃうから!」
配信者は視聴者の冗談だと思っているようだが、確かに音は聞こえる。そして、それは少しずつ近づいているように思えた。
「あ、ちょっと待って。なんかカメラのレンズについてる」
カメラマンが、レンズについた汚れを拭きとっている時、画面が一旦斜めにズレた。
「これで良し。もういいよ・・・・あれ・・智也?」
さっきまで目の前にいた。配信者の男がいない。
「智也?・・・マジでつまんないからぁ・・なぁ、智也」
「け・・ん・・・」
背後から声がする。声がした方に画面が移動すると、頭から血を流した配信者が、映し出された。それは右耳から顎にかけて皮膚がないように見えた。
「わああぁぁぁぁぁー!」
「け・・ん・・・・う・・し・・・・ろ」
「え?・・ああああぁぁぁぁ!」
「ドンッ!」
カメラが落ちた。映像が一瞬乱れる。
「け・・・・ん・・・・」
「だあああああああああああぁぁぁぁぁ・・・・・・・・」
「け・・ん・・・」
「・・・・・・・・――・・・」
ゴンッ!
床に落ちたカメラの前に、さっきまで健在だったカメラマンの、見るも無残な顔が映る。左の目玉から頭にかけて、中身がえぐられ、飛び出している」
「く・・・る・・・な・・・」
「智也」の声だろう。しかし映像は頭が飛び出した「健」の顔だ。
「や・・・め・・・・ブシャッグチャッグシャッムシャッグシャッ・・」
「――・・・・――・・・・・・」
これで病院が何故封鎖されたのか、明らかになった。俺は彼らから、配信者の使い方を学んだ気がした。
その後、映像は1時間以上続いたが、カメラのバッテリー切れと共に、配信は終わった。
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