その距離、業務外

燈耶 真

第一章 その距離、急接近につき

第1話 沈黙の証拠

「やっぱ……無理かも〜……。」


今の会社――リヴリック・ソリューションズ株式会社――に転職してから5年目の春、30歳になった新藤慧しんどう けいは課長に昇任した。社員数500名程度の企業とはいえ、任された責任は重く、10名の部下を抱えることになった。


法学部出身の慧は、新卒のころから法務関係の仕事をしている。前職の大手企業で培ったその経験を買われて、今の会社でも法務部に配属され、しっかりと実績は残してきた。故にこの度若くして、かつ女性で課長というポジションに就くことになったのだ。


けれど課長になってすぐ、今までとは全く異なる責任の重さに、それを受け止める自身の力量のなさに、デスクに突っ伏してはため息と弱音を零した。幸い、定時から2時間近く経ったこの時間、オフィスに部下の姿は無く、見える範囲に社員は残っていなかった。


ことん。


ふと耳元で聞こえた物音に視線だけ移すと、見慣れたブラックの缶コーヒーが視界いっぱいに広がる。「えっ……?」と慧が体を起こそうとすると、こつん、とプラスチックの硬いバインダーに頭をぶつけた。「痛ッ……」と、大して痛みもないのに思わず反応してしまって、ぶつけた頭を両手で抑えながら斜め上を見上げると、ほんの少し口角を上げた口元が見えた。


「課長サマがそんな顔だと、部下が浮かばれねぇな。」

「先輩〜……痛いです〜……。」

「コーヒー、奢ってやったんだから許せ。」

「えぇ〜……。」


置かれた缶コーヒーの縁を指ですっとなぞった慧は、「ありがたく頂きますけど〜……」と、バインダーを肩に担ぐように営業部の先輩、真宮郁斗まみや いくとを見上げた。


「……先輩も残業ですか?……営業さんは大変ですねぇ。」

「あー……まぁ、な。」

「急ぎの確認とかですか?」

「……いや、気分転換。」

「それで冷やかしですか〜?」


プシュッ


コーヒーのプルトップを上に向けると、芳醇なコーヒーの香りがふわりと漂う。その香りは少しだけ、慧の張り詰めた緊張の糸を緩めた。


「……この時間のコーヒー……沁みます〜……」

「……年寄りかよ。俺より若ぇのに。」

「いっそ年寄りの方が、話、ちゃんと聞いてもらえますかね〜……。」


小さな声で溢れた言葉に、郁斗は少しだけ眉をひそめる。慧はコーヒーに視線を落としたまま、年上の部下、ミスの多い部下、やる気はあるのにから回る部下……どの部下も皆大事な反面、上司としてどう接するべきかという悩みに、緩んだはずの緊張の糸がまたじりじりと張り詰めていく気分になっていた。


「……まだタスク残ってんのか?」

「あ……いえ、後は明日に回そうかと。」

「なら帰るぞ、……もう遅ぇし。準備してくるから、片付けて待ってろ。」

「え?……あ、先輩……?え〜……?」


――先輩は、いつもこうなんだよなぁ……。


郁斗が営業部のフロアに戻っていく背中を見送った慧は、残った缶コーヒーを飲み下す。PCのモニター上に残る数多の終わらないタスクを閉じて、シャットダウンして帰る準備をしていると、再び郁斗がビジネス用のリュックを背負って戻ってきた。慧も大きめの革製のバッグを肩に掛け、オフィスの電気を消した。


会社を出て、並んで駅まで歩く二人。

交わす言葉は多くもなく、少なくもない。当たり障りのない、何気ない職場のゴシップだったり、進行中の案件の話だったり。営業部で優秀な成績を収めている郁斗から出てくる話は、どれも聞いていて興味の湧くような話題ばかりだ。この短い帰り道が窮屈にならないよう、郁斗が意図的にそういう話題を選んでいるのかもしれないと思うと、慧は少しだけ申し訳ない気分になった。


そもそも2人が言葉を交わすようになったのは、慧が会社の法務部に転職してすぐの頃からだった。営業部が巻いてくる契約のリーガルチェックは法務部の主な業務の一つで、業務の一環として声を掛けられて以降、仕事、雑談、ちょっとした差し入れ、その度に郁斗が慧のフロアを訪ねては言葉を交わす、という関係が続いていた。

慧にとって営業部の郁斗は、見た目は整っていて、35歳の独身で、口数は多い訳では無いが不思議とコミュニケーション能力も高く、法務部と揉めるのは自身の業務の妨げになると考えて頻繁に顔を出している、そんな先輩という存在だった。


……この日までは。


「あの〜……先輩って、電車こっち方面でしたっけ?」

「いや?反対。」

「……ですよね、何で……一緒に?」

「送っていこうと思って。……遅ぇし。」

「いや……そんな、このくらいの時間になるのしょっちゅうですし……。」


その日の郁斗はどこか雰囲気が違っていて、なぜか慧と同じ方面の電車に乗り、なぜか同じ駅で降りる。


「コンビニ、寄るぞ。」


そしてなぜか駅前のコンビニに寄って、アイスの入った冷凍ケースの前で「好きなの選べ」と有無も言わさぬ口調で言う。慧はその行動に戸惑いながらも、真意が分からず選びきれずにいると、「一番高いのでいいか?」と勝手に2種類取って郁斗はレジに向かう。


慧は財布を出す間もなく、コンビニのビニール袋に入ったカップの高級アイス2つと、スプーン2つを持って郁斗は迷わず近くの公園に向かった。


「あの〜……先輩?」

「なんだ。」

「……えっと、なぜ……公園に……?」

「なぜって、食うだろ?アイス。」

「…………はい。」


こういう時強く断らないのは、慧にとっては処世術の一つで、新卒で入った会社にいた頃から、先輩や上司の誘いは殆ど断らなかった。郁斗が先に公園のベンチに座ったその隣に、少し距離を空けてそっと座る。


「バニラとチョコ、どっちがいい?」

「え〜……じゃあ、チョコで。」

「ほい。」


半ば投げるように渡されたアイスの蓋を外して、張り付いたビニールを、ビリっと剥がす。普段一人で食べることのないお高めのアイスに、慧の心は少しだけ弾んでいた。

コンビニから公園までの短い時間はアイスをちょうどよく溶かして、すっと入った小さなスプーン一口分のアイスを口に含んだ慧は、思わず「……美味しい」と呟いていた。今日1日分の疲れを、ゆっくりと流し込むような優しい甘さだ。

そうして、大事そうに食べすすめる慧の横顔を横目で見ながら、郁斗も同じようにバニラアイスを一口分スプーンに掬って、口に運ぶ前に「慧。」とその名を呼んだ。


出会って、自己紹介をしてすぐの頃から、郁斗は慧をそう呼んでいた。そう呼ばれることに慧は、とっくに慣れていたはずなのに、何故かこの時、瞬間的に慧の心臓は跳ねる。ほんの少し、その名前を呼ぶ郁斗の声に、いつもと違う温度を感じてしまったからだ。


「そんなに美味そうに食うなら、こっちもどーぞ。」

「えっ……あ、でも……。」


郁斗は意味ありげな顔で、真っ白いバニラアイスを乗せた小さなスプーンを慧の口元に向けて傾ける。いつも明確に、仕事としての距離を保っていたはずの郁斗の距離感を感じさせない行動に、慧は躊躇う。すると、「どうした?溶けるぞ。」という当たり前の事実を突き付けられて、躊躇っている方が変に意識をしているみたいに見える……と、慧は差し出されたバニラアイスをそっと口に含む。


「……おいしい、です。」

「だよな。」


何事もなかったかのように、そのスプーンでアイスを食べすすめ始めた郁斗に、慧は動揺を悟られないよう自分のアイスに集中することにした。そうでもしていないと、今のは間接キスなのでは……と自分一人だけ、子供みたいに意識してしまったことへの羞恥心が隠しきれない気がした。


「……どうした?顔、赤いけど。」

「っ……別に、何でもないです……!」

「まさか、変な意識でもしたか?」

「ちっ……違います……っ!」


郁斗は小さく喉を鳴らして笑う。そんな姿に、絶対面白がってからかっているだけだ、と結論付けた慧は左手首の時計に視線を落として、もう、早く帰ろう、と立ち上がる。


「ごちそうさまでした。」

「どういたしまして。」

「あの……家、もう直ぐなので、ここで大丈夫です。」

「そういうわけには行かねぇよ。」


慧は早く一人になりたいのに、郁斗は慧の家の方面に向けて並んで歩く。当たり障りのない職場のゴシップも、進行中の案件の話題もない、ただ、静かな公園のせせらぎだけが2人の間を通り抜けていく。手が触れそうで、触れない絶妙な距離は、理由もわからず早鐘を打つ心臓の音を伝えてしまいそうで、心なしか慧の歩調は早まる。


――先輩、どこまで着いてくる気なんだろう……。


まさかこのまま家まで……?と一瞬不安を感じたときには自宅のマンションに辿り着いていて、「あ……ここ、です。」と少しだけ掠れた声で慧が絞り出せば、郁斗は「そうか」と短く答える。


「じゃ、お疲れさん。」

「え?あ……はい、お疲れ様でした〜……。」


すっと踵を返して駅の方に向かっていく背中を、慧は視線で見送る。まだ心臓は落ち着かない。けれど、仕事に対して感じていたモヤモヤだけは、確かにこの時すっかり忘れてしまっていた。


しかしこの日から、変わるはずのない慧の日常の温度は、スイッチを入れた電子ケトルのように、急速に上がっていった。


「おはよ。」

「っ……おはよう、ござい……ます。」


翌朝、会社のエレベーターで郁斗と鉢合わせた慧は、昨日のお礼を言わないと……と肩の触れ合う距離で隣に立つ郁斗の横顔を見上げるが、昨日の出来事が頭を過って挨拶すらまともに言葉にならなかった。


「……俺の顔に何か付いてるか?」

「い……いや〜……何も。すみません。」


小さな低い声が頭上から降ってきて、慧は慌てて視線を前へ向ける。昨日の夜の出来事はきっと夢だ、疲れすぎていたんだ、そうやって慧は心臓を落ち着けようと小さく息を吐く。


エレベーターの扉が開く軽快な音がして、オフィスに向けて郁斗と慧が別の方向に進む為に足の向きが変わる瞬間、郁斗の手は慧の肩にそっと触れて引き留める。


「昨日のアイス、美味かったな。」

「あ……はい……。」


すぐに離れて行ってしまった郁斗の背中は、まるで昨日のことを忘れるなと語っているようで、「……今の、何……?」と慧は片手を頬に当てる。いつもより高い頬の温度を忘れるように、首を横に振って頭を仕事に切り替えた。


それからというもの、仕事、雑談、ちょっとした差し入れ、今までと同じ当たり前だった出来事が、慧の中で当たり前に処理出来なくなっていく。仕事も忙しく集中しなければいけないのに、ふとPCから目を離した瞬間に視線が彼を探していて、不意に掛けられる短い言葉に今まで感じなかった熱を感じる。「お疲れ」と何百回も郁斗から聞いてきた言葉に、素直に「お疲れ様です」と答えられなくなっていく。


「新藤さんと真宮さんって、本当に仲いいですよねぇ〜。」

「え?!いやいや……そんな、普通です、普通。」

「え〜?そうですかぁ?まぁ確かに真宮さんって、誰に対しても丁寧ですけど……。なーんか、新藤さんに対しては違う気がするんですよねぇ。」


部下にこんな事を言われれば、もう辞めて……と心の中で念じる。すると、けたたましく鳴った内線が部下との会話を遮った。慧自身が感じているその戸惑いの正体に、名前を付ける事も出来ないまま、その電話を受けた慧は受話器を置いては勢いよく立ち上がった。すぐに一人部下の名前を呼んでデスクのモニターを確認させる。


「……ここ、間違ってます。……取り急ぎ修正と、営業部の方に説明と謝罪行きます。」

「っ……すみません!すぐ修正します!!」


頭の中で、修正の手順、Wチェック、上司への報告、そして連絡をくれた営業部の部長への説明と謝罪の内容……慧の頭の中で取るべき対応が瞬時に駆け巡る。


――焦るな、私。


心の中でそう念じながら、すぐに修正を出してきた部下の内容をチェックして、間違いがないことを確認してデータを営業部長へメールで送り返す。直ぐに内線を掛けて、修正内容の説明と謝罪を述べるが、電話口の向こう側で盛大なため息が聞こえる。瞬時に「直接伺って改めてご説明させて頂きたいのですが、お時間よろしいですか?」と畳み掛ける。


「新藤課長……。」

「一緒に行きましょっか〜、ちゃんと説明すれば解ってもらえますよ。」


不安そうな部下の気持ちを宥めながら、気持ち背筋を伸ばして営業部のフロアの敷居をまたぐ。営業部の社員の目線を感じながら全て無視して営業部長の下へ真っ直ぐ向かい「立石部長」と固くもなく柔らかくもない声でその名前を呼べば、待ってましたと言わんばかりの雰囲気で、PCから目も離さず「あぁ」と端的な返事が返ってきた。


「先ほどご連絡の件、大変申し訳ございませんでした。こちら修正の上、私の方でも問題ない旨確認いたしましたので、再度ご確認よろしくお願いいたします。」


丁寧に頭を下げる。こんなこと、慧は新卒の頃から何度も何度も繰り返してきた。今更、どうということもない。


「……困るぞ、こういうのは。今回は、大きな問題になる前だったから良かったものの……理解しとるんか?」

「はい、重々承知しております。」

「で?これは新藤課長が最終確認を漏らしとった……ということか?」

「……はい、申し訳ございません。」

「その若さで、課長ねぇ……。これだから――」


舐められるのも、下に見られるのも、慧は初めてではない。いつだって凛とした姿勢を崩さず、受け流してきた。この先に言われるはずの言葉も、もう何度も聞いてきた。


だと言うのにこの時、張り詰めた空気は静かに割れた。


「部長、急ぎの案件で確認いいですか。」

「……いや、真宮……今は――」

「法務部のミスはもう終わった話ですよね。俺のは至急です。」

「……解った。もういい。」


慧は再度「申し訳ございませんでした」と頭を下げて営業部のフロアを後にした。


「課長、すみませんでした……。」

「いえいえ、私も確認漏れてしまっていたので……次から気をつけましょう。そんな顔しなくても大丈夫ですよ〜。」


申し訳なさそうに項垂れる部下に笑顔を返した慧は、デスクに戻って社内のチャットツールを開く。真宮郁斗と表示されたチャットを開いて、お礼を言わないと……と考えて文章を打っては、消した。何度かそれを繰り返して、いざ送信ボタンを押そうとしても、その手が止まる。


結局はお礼を送れないまま、気が付けば定時を過ぎていた。


お疲れ様です、と、口々に部下たちが帰宅していき、気がつけばまたフロアに一人、デスクに頬杖を付きながら、今日のミスを振り返っていた。部下にあんな顔をさせたこと、一人で解決できたはずのことで、郁斗の力に助けられてしまったこと、そしてそもそもミスの原因が、仕事以外に気を取られてしまった自分の落ち度であるということ、色々な事実と感情が胸の奥に落ちて、溜まっていく。


「あぁ……やっぱり、無理〜……。」


はぁ、と盛大に溢れたため息と一緒に、「若くて、課長。……女じゃ、駄目なのかな……」と、営業部長の立石が、郁斗の割り込みによって遮った言葉の続きを自ら零す。こんな事言われ慣れてきたのに、目の前の画面に映る未送付の郁斗へのお礼のメッセージを見て、何故か視界が滲む。


「……慣れてた。……はずだったのに。」


――助けなんて、要らなかった。それは、私一人じゃ何もできないと言われているようだから。それなのに……どこかホッとしてしまった自分が……情けない。


「何で……あんなタイミングで……。」

「別に、急ぎの確認があっただけだ。」

「っ?!先輩……なんで、また……っ。」



突然降り注いできた声に、慌てて目元を手で拭って姿勢を正す。慧はゆっくり顔を上げると、いつもより少しだけ難しい顔をした郁斗と目が合って、視線を再び落とした。


「……。」

「……あの〜……先輩?何か、用ですか……?」

「……一人で抱え込んで、泣いてんのか?」

「なっ……泣いてませんって……!」

「嘘つきだな、慧。」


床ばかり見ていた慧の視界に、しゃがんで覗き込んでくる郁斗の顔が広がって、思わず椅子ごと後ろに下がろうとして、椅子の肘掛けを強く掴まれ阻止される。


「な……なんなんですか……?!ほんとに、最近……!」

「……最近って?」

「っ……前に、アイス……食べたときから、可笑しいです……!」

「可笑しいって、何が?」

「何が……って、それは……。」


郁斗の視線も、声も、言葉も、いつもと同じはずなのに、慧は全てに熱を感じて、身体が勝手にその熱に蝕まれて体温を上げて、思考なんて回らなくて、続きの言葉を失った。


変わりにポロポロと溢れたのは、ずっと忘れていた涙だった。その涙を見た郁斗の瞳もまた、僅かに揺れる。


「……慧。」

「もう……辞めて下さい……。」

「……何を。」

「私……一人で大丈夫です。ちゃんと責任、負えます。嫌味だって……慣れてます。だから……もう、放って……おいて、ください。」


郁斗は人知れず拳を強く握りながら、小さく息を吐いて立ち上がり、慧を見下ろす。


「大丈夫だっつーなら、泣かないだろ。」

「それは……っ、先輩が……!」

「俺のせい、ってか。」


全てを諦めたような郁斗の顔を見上げた慧は、目を見開いて息を呑む。


「……だって、解らない……です。」

「……解らない?」

「……先輩が、なんで私のこと……構うのか。」

「……そうか、解らない……か。」

「解らないのに……考えるの、怖いのに……考えちゃうんです……。」


慧自身、何を言っているのか分からなくなってしまった。郁斗の瞳が揺れていることにも気が付かず、涙に濡れた顔を両手で覆って震える声で絞り出した。


「……勘違い、しそうになるんです……。だから、もう、辞めてほしいんです……。」

「……勘違い?」

「……先輩が、私のこと――好き、なんじゃ、ないかって。」

「……。」

「っ……!あぁ、もう……!なんでもないです……!!」


慧はバタバタと荷物をまとめて、乱暴に鞄を拾い上げてその場から逃げ出そうとする。けれどまた、静かに響いた言葉が立ち上がった慧の行動を止めた。


「……なら、そのまま勘違い、してればいい。」

「……えぇっ……?!だから……なんでそんな、無責任な……ッ。」

「……無責任なつもりなんて、ねぇよ。」

「だから……そういうところ、本当に意味が……わからないんです……!!」


慧は肩に掛けた鞄の持ち手を両手でぎゅっと握りしめて、「もう……考えるの……嫌……。」と呟いて、真っ直ぐ郁斗と向き合った。


「なら……ください。……エビデンス。」

「……は?!」

「……出せない、ですか?……なら、もう……いいです、忘れてください……!」


すっと横を通り過ぎようとした慧の手を、咄嗟に掴む郁斗。立ち止まった慧は、ゆっくり振り返る。

空いた手を慧に向けて伸ばした郁斗に、何が起きるのか想像もつかない慧は、ぎゅっと瞳を閉じる。


その手は慧の頬に触れそうになっては軌道を変えて、慧の頭にポンと乗せた。


「……っ勘違いは……してろ、責任は、ちゃんと取る。」

「〜〜〜っもう、帰りますっ……!!お疲れさまでした!!」


慧は郁斗の手を振り払って、走って会社を飛び出した。駅のホームまで一心不乱に走って、ホームでやっと立ち止まっても高まる鼓動は収まる気配がない。


「……ホントに……意味、解らない〜〜〜っ!!!」





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