宅配ドライバー×異世界転生_逆順配送の勇者 ~異世界で俺の積み込み術が最強でした~
もしもノベリスト
第一章 配完の鬼、死す
午前四時五十三分。
スマートフォンのアラームが鳴る七分前に、神崎誠司の目は勝手に開いた。
天井の染みを見つめながら、身体が動くのを待つ。腰の鈍痛、右肩の違和感、左膝の軋み。三十二年間酷使してきた肉体が、毎朝のように悲鳴を上げる。それでも誠司は布団を蹴って起き上がった。痛みに慣れることはないが、痛みを無視することには慣れた。
六畳一間のワンルームは、生活の気配が希薄だった。冷蔵庫には賞味期限の切れた牛乳とコンビニのおにぎりが二つ。洗濯物は三日分が椅子の背にかけっぱなしになっている。テレビは三ヶ月前に映らなくなったまま放置され、唯一まともに機能しているのはエアコンだけだ。それも、夏場の熱中症対策として最低限動かしているに過ぎない。
誠司は洗面台で顔を洗い、鏡を見た。
くすんだ肌、落ち窪んだ目、伸びっぱなしの無精髭。三十二歳にしては老けて見える。いや、実際に老けているのだろう。この五年で十歳分は歳を取った気がする。
軽貨物ドライバーになったのは二十七歳の時だった。
前職の営業会社が倒産し、次の仕事を探していた時に見つけた求人広告。「月収五十万円以上可能」「自分のペースで働ける」「未経験歓迎」。今思えば、全てが誇大広告だった。月収五十万円を稼ぐには、一日十四時間以上働いて、休日を月に二日まで削る必要がある。自分のペースで働けるのは事実だが、ペースを落とせば収入が激減する。未経験歓迎というのは、経験者がすぐに辞めていくから常に人手不足だという意味だった。
それでも誠司は続けた。
他に行く場所がなかったから。
五時十五分、誠司は安アパートを出た。
十一月の早朝は、息が白くなるほど冷え込んでいる。駐車場に停めてある軽バンに乗り込み、エンジンをかける。暖房が効き始めるまでの数分間、ハンドルを握る手が凍えるように冷たい。
営業所までは車で二十分。首都高を使えば十分で着くが、朝のこの時間は空いているので下道でも変わらない。何より、高速代を節約したかった。個人事業主である誠司にとって、経費は全て自己負担だ。ガソリン代、車両のリース代、保険料、駐車場代。稼いだ金の三割近くが経費で消えていく。
営業所に着いたのは五時四十分。
すでに構内は慌ただしく動き始めていた。大型トラックから降ろされた荷物がベルトコンベアの上を流れ、仕分けスタッフたちが伝票を見ながら次々とカゴ車に振り分けていく。誠司の担当エリアは城南地区の一部、約二百世帯と十数件の法人。今日の荷物は——端末で確認すると、二百十三個。
「よう、神崎」
声をかけてきたのは、同じ委託ドライバーの田村だった。五十代半ば、元トラック運転手。誠司より十年以上この仕事を続けているベテランだ。
「今日も多いな」
「まあ、いつも通りですよ」
「俺は百八十だ。お前、本当に毎日二百超えてんのか」
「エリアの問題ですから」
誠司の担当エリアは、配達効率が悪いことで知られていた。古い住宅街で道が狭く、一方通行が多い。マンションはオートロックばかりで、不在時の再配達率が異常に高い。普通のドライバーなら敬遠するエリアだが、誠司はあえてここを選んだ。
理由は単純だ。誰もやりたがらないから、荷物の取り合いにならない。
「相変わらず変わってるな、お前は」
田村は苦笑しながら自分のカゴ車に向かっていった。
誠司は自分の荷物が集められたスペースに移動し、積み込み作業を開始した。
これが、一日で最も重要な工程だ。
二百十三個の荷物を、どの順番で車に積むか。それによって、今日の労働時間が一時間以上変わってくる。誠司は伝票を見ながら、頭の中に地図を広げた。
まず、時間指定の荷物を確認する。午前中指定が四十二個、十四時から十六時が十八個、十六時から十八時が三十一個、十八時から二十時が四十七個、二十時から二十一時が二十九個。指定なしが四十六個。
午前中指定を最優先で配り、その合間に指定なしを消化する。午後は時間指定に合わせてエリアを移動しながら、効率よく回る。問題は十八時以降の「魔の時間帯」だ。仕事から帰宅した人々が在宅している確率が高い反面、この時間に集中する荷物が多すぎる。七十六個を三時間で配り切らなければならない。単純計算で二分二十三秒に一個のペース。移動時間を含めると、ほぼ不可能な数字だ。
だからこそ、積み込みが重要になる。
誠司は「逆順積載」と呼ばれる技術を使う。
最後に配達する荷物を車の一番奥に、最初に配達する荷物を手前に積む。LIFO——ラスト・イン・ファースト・アウト。在庫管理の用語を、誠司は配達に応用していた。
これにより、配達先で荷物を探す時間がゼロになる。ドアを開けた瞬間、次に届ける荷物が目の前にある。一回の配達で節約できる時間は十秒程度だが、二百回繰り返せば三十分以上の差になる。
誠司の指は、伝票を見る前に住所を読み取っていた。
「三丁目の佐々木さん、いつものAmazon。次が五丁目の鈴木マンション、オートロックだから宅配ボックス確認。その隣が田中ビル、ここは法人だから午前中に行っておく——」
頭の中で地図上に荷物をプロットしながら、最適なルートを構築する。同時に、荷物を積む順番を決めていく。軽バンの荷台は限られたスペースしかない。大きな荷物、重い荷物、壊れやすい荷物。それぞれの特性を考慮しながら、三次元パズルを解くように積み上げていく。
六時二十分、積み込み完了。
「神崎、ちょっと来い」
その声に、誠司の背筋が凍った。
振り返ると、営業所の奥から黒田が歩いてくるのが見えた。四十代半ば、この営業所の管理責任者。委託ドライバーたちの間では「閻魔」と呼ばれている男だ。
「昨日のクレーム、聞いたぞ」
「クレーム、ですか」
「城南三丁目の荷物、時間指定に五分遅れたらしいな」
誠司は記憶を辿った。昨日の十六時指定——確かに、十六時五分に届けた記憶がある。前の配達先でエレベーターが故障していて、七階まで階段を使ったせいだ。
「申し訳ありません」
「申し訳ないで済むか。お客様から『二度と御社の配達は使わない』って言われたんだぞ」
黒田の声が大きくなる。周囲のスタッフが作業の手を止めて、こちらを見ている。
「お前、何年この仕事やってる」
「五年です」
「五年やってて時間指定も守れないのか。だから委託は使えないんだ」
誠司は黙って頭を下げた。反論しても無駄だと知っている。黒田は正論を振りかざしているようで、実際には単なる憂さ晴らしだ。上からの圧力、人手不足、クレーム対応。そのストレスを、立場の弱い委託ドライバーにぶつけているだけだ。
「お前の代わりなんていくらでもいるんだ。分かってるのか」
その言葉が、誠司の胸に刺さった。
分かっている。分かっているからこそ、毎日二百個以上の荷物を配り続けている。分かっているからこそ、腰が痛くても膝が軋んでも、休まずに働いている。
「次やったら契約打ち切りだ。いいな」
「はい」
黒田は舌打ちをして、事務所に戻っていった。
誠司は深呼吸をして、軽バンに乗り込んだ。エンジンをかけ、営業所を出る。バックミラーに映る建物が小さくなっていくのを見ながら、誠司は思った。
いつまでこの生活が続くのだろう。
いつまで、こうして荷物を運び続けるのだろう。
答えは出ない。出ないまま、今日も配達が始まる。
午前七時、最初の配達。
法人向けの荷物を優先して回る。オフィスビルの受付、クリニックの裏口、設計事務所の倉庫。法人は時間指定がない代わりに、「午前中のなるべく早い時間」という暗黙の了解がある。始業前に届いていないと担当者に嫌な顔をされるし、最悪の場合は営業所にクレームが入る。
誠司は淡々と配達をこなしていった。
エレベーターのないビルは階段を駆け上がる。受付のない会社は直接事務所まで持っていく。不在の場合は不在票を書いて、次の配達に向かう。その繰り返し。
午前十時、六十三個目の配達を完了。
昼食は車の中で取る。コンビニで買ったおにぎり二つと、ペットボトルのお茶。十五分で食べ終えて、すぐに配達を再開する。休憩時間が長いと、夜の「魔の時間帯」に間に合わなくなる。
午後二時、百二十一個目。
このあたりから、誠司の集中力が研ぎ澄まされてくる。時間指定の荷物が増え、一つのミスが全体のスケジュールを狂わせる。十四時から十六時指定の荷物を配りながら、次の時間帯の準備を進める。
「あ、待ってください!」
配達先のマンションで、エレベーターから降りようとしていた女性に呼び止められた。
「今朝届くはずの荷物、まだですか? ずっと待ってるんですけど」
誠司は端末で確認した。確かに、この部屋宛ての荷物が午前中指定になっている。だが、誠司の手元にはない。
「申し訳ありません。確認したところ、別のドライバーの担当になっているようです」
「別のドライバー? じゃあいつ届くんですか?」
「営業所に確認しないと分かりかねます」
「困るんですけど。今日中に届くって約束したのに」
女性の声が苛立ちを帯びる。誠司は頭を下げた。自分の荷物ではないが、同じ会社の制服を着ている以上、言い訳はできない。
「大変申し訳ありません。営業所に連絡して、至急お届けするよう手配いたします」
「お願いしますね。本当に困るんですから」
女性はエレベーターに乗り込んで、階数ボタンを叩くように押した。
誠司は営業所に電話をかけた。事情を説明し、該当の荷物を確認してもらう。結局、別のドライバーが配達順を間違えて後回しにしていたことが分かった。黒田に報告が行けば、また怒鳴られるだろう。
午後四時、百五十八個目。
日が傾き始める。十一月の日没は早い。五時を過ぎれば薄暗くなり、六時には完全に夜になる。表札が読みにくくなり、配達効率が落ちる。
誠司はスピードを上げた。
一軒、また一軒。インターホンを押し、荷物を渡し、端末で完了処理をする。不在ならば不在票を書いてポストに入れる。その繰り返しを、機械のように正確にこなしていく。
午後六時、百八十七個目。
「魔の時間帯」が始まった。
残り二十六個。すべて十八時以降の時間指定。ここからが本当の勝負だ。
誠司は頭の中でルートを再構築した。今日の不在状況、渋滞の予測、各配達先への所要時間。すべてを計算に入れて、最適な順番を導き出す。
軽バンを走らせながら、誠司は考えた。
今日で何日目だろう。
この生活を始めてから、何日経っただろう。
千日は超えているはずだ。二千日に届いているかもしれない。その間に配った荷物は、おそらく四十万個を超える。四十万人の「届いてほしい」という思いを、自分の手で届けてきた。
なのに、誰も感謝しない。
届いて当たり前。届かなければクレーム。五分遅れれば「二度と使わない」と言われ、完璧に届けても何の反応もない。
誠司は別に感謝されたいわけではなかった。だが、たまに思う。自分がやっていることに、意味はあるのだろうかと。
午後八時三十分、二百十個目。
残り三個。間に合いそうだ。
だが、空模様が怪しくなってきた。分厚い雲が月を隠し、時折強い風が吹く。天気予報では夜半から雨と言っていた。
「持ってくれよ……」
誠司は祈るような気持ちで、次の配達先に向かった。
二百十一個目、完了。
二百十二個目、完了。
最後の一個は、少し離れた住宅街にあった。山の手の高台、古い一軒家が並ぶエリア。道幅が狭く、街灯も少ない。カーナビの案内に従って進むが、途中で道を間違えた。行き止まりにぶつかり、バックで戻る。
午後九時十五分。
ようやく目的地に着いた。
インターホンを押す。反応がない。もう一度押す。しばらく待ったが、誰も出てこない。
不在か。
誠司は溜息をついて、不在票を書き始めた。
その時、雨が降り始めた。
最初はぽつぽつと、すぐに本降りになった。誠司は軽バンに戻り、荷物を濡らさないようにシートをかけた。不在票をポストに入れて、端末で持ち戻り処理を行う。
これで今日の配達は終わりだ。
営業所に戻って、荷物を降ろして、点呼を受けて、日報を書いて。そこまで終われば、ようやく帰れる。明日も同じことの繰り返しだ。明後日も、その次も、おそらく死ぬまで。
軽バンを発進させた。
雨は激しさを増していた。ワイパーを最速にしても、フロントガラスを流れる水滴が視界を遮る。誠司は慎重にハンドルを操りながら、山を下っていった。
その時だった。
急カーブを曲がろうとした瞬間、強烈な睡魔が誠司を襲った。一瞬、ほんの一瞬、意識が途切れた。
目を開けた時には、もう遅かった。
軽バンはガードレールを突き破り、崖に向かって落ちていた。
暗闘。轟音。衝撃。
身体が宙に浮く感覚。フロントガラスが割れる音。どこかで火花が散る。
神崎誠司の意識は、そこで途切れた。
どのくらい時間が経ったのだろう。
誠司が次に意識を取り戻した時、最初に感じたのは温かさだった。
不思議な温かさ。痛みがない。身体が軽い。まるで、何かに包まれているような——
「目覚めましたね」
声がした。
鈴のように澄んだ、どこか懐かしい声。誠司はゆっくりと目を開けた。
白い光の中に、人影があった。
長い銀色の髪。透き通るような白い肌。金色の瞳が、誠司を見つめている。その姿は人間のようで、人間ではなかった。背中には光り輝く翼が生えていて、周囲に淡い光の粒子が舞っている。
「あなたは、誰……?」
「私の名はディリバリア。この世界において、届け物を司る女神です」
届け物を司る、女神。
その言葉の意味が理解できず、誠司は周囲を見回した。
白い空間が広がっていた。床も壁も天井も、すべてが柔らかな光に満ちている。自分の身体を見下ろすと、血まみれのはずの作業服が、いつの間にか綺麗になっていた。傷も、痛みもない。
「俺は……死んだのか」
「はい。あなたの魂は、元の世界を離れました」
女神は穏やかに頷いた。
「しかし、あなたの旅はここで終わりではありません。神崎誠司。あなたには、この世界で果たすべき使命があります」
「使命?」
「はい。あなたを、ロジスティア大陸へと転生させます」
ロジスティア大陸。
その名前を聞いた瞬間、誠司の頭に膨大な情報が流れ込んできた。
剣と魔法の世界。人々は「届け物」を通じて魔力を交換し、文明を築いてきた。届け物が届くと「配完の祝福」が発生し、届け先の人間に幸運と活力を与える。逆に、届かなかった届け物は「滞留魔」となり、大地を蝕む魔物と化す。
かつて、この大陸には強大な配送ギルドが存在した。届け物を確実に届けることで、世界の平和を維持していた。だが、魔王軍の台頭により、配送ルートは寸断され、届け物は届かなくなり、滞留魔が世界中に溢れ出した。
今、ロジスティア大陸は滅亡の危機に瀕している。
「だから俺に、届け物を届けろと?」
「そうです。あなたは『配達勇者』として、この世界に転生します。あなたが持つ技術——『逆順積載』の知恵は、この世界では誰も知らない秘術です。その力で、崩壊した配送ギルドを立て直し、世界に届け物を届けてください」
誠司は笑いそうになった。
配達勇者。
あれだけ配達をして、死んでもまだ配達しろと言うのか。
「断ったら、どうなる」
「あなたの魂は消滅します。それでも、構いませんか」
女神の金色の瞳が、真っ直ぐに誠司を見つめていた。
そこに嘘はなかった。選択肢は二つ。配達を続けるか、消えるか。
誠司は目を閉じた。
脳裏に、様々な記憶が蘇った。
雨の中を走った日々。インターホンを押す指の感覚。荷物を渡した時の、相手の顔。そして——届け物を受け取った人が、ほんの一瞬だけ見せる、安堵の表情。
あの表情のために、自分は走っていたのかもしれない。
「分かった」
誠司は目を開けた。
「俺は、配達を続ける」
女神は微笑んだ。
「ありがとうございます、配達勇者よ。では、あなたに三つの祝福を授けましょう」
光が誠司を包んだ。
「一つ目、『完全記憶地図』。一度見た地形は、永遠に忘れません。二つ目、『荷崩れ防止』。あなたが運ぶ荷物は、決して壊れることがありません。三つ目、『時間厳守』。時間の流れを感じ取り、正確に届ける力を授けます」
光が強くなる。
誠司の意識が、再び遠のいていく。
「行きなさい、神崎誠司。新しい世界で、あなたの届け物を届けてください」
女神の声が、次第に遠くなっていく。
「この世界では、届けることに意味があります。届いた想いの数だけ、世界は優しくなる——」
その言葉を最後に、誠司の意識は完全に闇に落ちた。
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