「魔力ゼロ」と追放された整体師ですが、皇帝陛下の凝り固まった筋肉を「指圧」で治したら溺愛されました。〜聖女の光魔法は「眩しすぎて頭痛が悪化する」と、追放されたようですが?〜

抵抗する拳

第1話


「ミサ! 貴様のような魔力ゼロの役立たずは、聖女候補の座から追放する!」


 王城の謁見の間。

 シャンデリアが煌めく広大な空間に、第一王子アレクセイ様のヒステリックな声が響き渡りました。


 彼の隣にはピンクブロンドの髪をふわふわと巻いた少女、聖女カレンがしなだれかかっています。

 彼女は勝ち誇ったような、あるいは憐れむような潤んだ瞳でこちらを見ていました。


「ミサさん、ごめんなさいね⋯⋯。でも、癒やしの光を出せない聖女なんて、やっぱり無理があると思うの」

「そうだ! カレンの『聖なる光』こそが至高! 貴様のような、ただ手で体を揉むだけの野蛮な民間療法など、王家には不要だ!」


 ふうん、と私は鼻を鳴らしました。

 野蛮、ですか。


 私は冷めた目で壇上の二人を見上げ――いえ、正確には「診察」しました。


(⋯⋯アレクセイ様、また姿勢が悪化してるわね)


 私の目には、彼らの肉体の構造が半透明の図解のように透けて見えます。

 これが私の異能、『解剖学的透視能力』。


 王子の首を見てください。

 典型的なストレートネック。いわゆる「スマホ首」ならぬ「魔導具首」です。

 執務中にうつむいて魔導端末ばかりいじっているから、重たい頭部を支える胸鎖乳突筋が悲鳴を上げています。

 首の付け根に溜まった疲労物質が、私にはドス赤く濁ったヘドロのように視えました。


(あそこまで首が前に出ていると、将来的に手の痺れが出るわよ。威張る前に顎を引きなさい、顎を)


 視線を聖女カレンに移します。


(うわ、こっちも酷い。あんなピンヒールで媚びたポーズばかり取ってるから、骨盤が盛大に前傾してる)


 腰椎への負担がマッハです。

 今は若さでカバーできていますが、五年後にはギックリ腰で動けなくなる未来が確定していますね。

 彼女が放つ「癒やしの光」とやらも、結局は痛みを一時的に麻痺させるだけの対症療法。根本的な骨格の歪みは治せません。


「おい、聞いているのかミサ! 悔しくないのか!」

「ええ、まったく」


 私は即答しました。


「私の施術(手技)は、患者様ご自身の自然治癒力を高めるためのもの。魔法でキラキラと誤魔化すだけの方々とは、そもそも職種が違いますので」

「な、なんだと⋯⋯ッ!?」

「それで、手切れ金は頂けるのですよね?」


 私が右手を差し出すと王子は顔を真っ赤にして、革袋を投げつけてきました。


「くれてやる! 二度と私の前に顔を見せるな!」

「ありがとうございます。これで開業資金が貯まりました」


 私は飛んできた革袋を目線も動かさずに片手でパシッと掴み取りました。

(動体視力も商売道具ですので)


 チャリ、と重たい金貨の音を確認し、優雅に一礼しました。


「それでは、お二人の脊椎がお健やかでありますように」


 私は踵を返し、颯爽と広間を後にします。

 背後で「キーッ!」という聖女の金切り声が聞こえましたが、騒音はストレスの元なので意識からシャットアウトします。



           * * *



 城を出た私は、王都の裏通りを歩いていました。


「ふう、せいせいした」


 重たい空気を吐き出し、大きく伸びをします。

 肩甲骨がググッと寄り、背骨がボキボキと小気味良い音を立てて整いました。


(さて、これからどうしようかしら)


 手切れ金は十分。

 これで念願だった「リラクゼーションサロン・ミサ」を開業できます。

 ターゲットは王都で働くOL(王都レディ)たち。


 魔法薬や祈りでは治せない、デスクワークによる眼精疲労と肩こりを、私の物理的な指圧で粉砕するのです。需要は間違いなくあります。


 物件を探すため、家賃が安そうな路地裏へと足を踏み入れた、その時でした。


「⋯⋯う、ぐ⋯⋯」


 薄暗い路地の奥から、苦しげな獣のような唸り声が聞こえました。


 ピクリ、と私の「整体師センサー」が反応します。

 腐ったゴミ箱の陰。

 そこに、黒いマントを頭から被った大柄な男がうずくまっていました。


(⋯⋯不審者ね。関わらないのが吉)


 普段の私ならそう判断して回れ右をしたでしょう。

 男からは素人目にもわかるほど危険な殺気が立ち昇っていたからです。

 「近づいたら殺す」という明確な拒絶のオーラ。


 ですが――私の『透視能力』が、とんでもないものを捉えてしまったのです。


「⋯⋯嘘でしょ」


 私は思わず足を止めました。

 男の背中から頭部にかけて、禍々しいほどの「漆黒の靄」が立ち上っていたのです。


(なにあれ⋯⋯!? 凝り? いいえ、あれはもう『岩』よ!)


 恐る恐る目を凝らします。

 男の僧帽筋は鉄板のように硬直し、血流が完全に阻害されています。

 さらに酷いのは首筋から後頭部にかけて。

 極度の緊張とストレスにより、頭蓋骨を覆う筋肉が収縮しきって、脳への血流を締め上げているのが視えました。


「⋯⋯っ、が、あ⋯⋯」


 男が頭を抱え、自身の髪をかきむしります。

 あの動き。間違いありません。

 重度の群発頭痛、あるいは緊張型頭痛の末期症状。

 目の奥をアイスピックで抉られるような激痛が、今まさに彼を襲っているはずです。


(あれは、放置できない)


 危険人物かもしれない。

 でも目の前に「歪み」があるのに素通りするなんて、私のプライドが許さない。

 あのレベルの凝りは、もはや災害です。

 今すぐほぐさなければ、私が夜も眠れません(気持ち悪くて)。


 私は覚悟を決め、カツカツとヒールを鳴らして路地裏へと踏み込みました。


「もし、そこの人」


 声をかけると、男がギロリとこちらを睨みました。

 フードの下から覗いた瞳は、氷のように冷たく、血走った金色。

 まるで手負いの狂獣です。


「⋯⋯失せろ。死にたいのか」


 低く、地を這うような威圧的な声。

 普通の令嬢なら悲鳴を上げて失禁するレベルでしょう。


 しかし、私はプロの整体師。

 患者が不機嫌なのは、どこかが痛い証拠です。


「死にたくはありませんが、貴方、死にそうじゃないですか」


 私は恐怖心よりも「ここをこう押したい!」という欲求に従い、ズカズカと彼に歩み寄りました。


「貴方、今すぐその首をなんとかしないと、吐き気で動けなくなりますよ。⋯⋯いいえ、もう吐きそうですね?」

「な、に⋯⋯?」

「わかりますとも。だって貴方の右の首筋、コンクリートブロックみたいに固まってるもの」


 私は男の前に膝をつき、ニヤリと不敵に笑いました。

 獲物を前にした狩人のような顔をしていたかもしれません。


「大人しくしなさい。その地獄のような頭痛、私の『指』で消し飛ばしてあげるから」

「貴様、何をするつもりだ! その薄汚い手を離せ!」


 私が男の肩に手を伸ばした瞬間、背後の闇から数人の影が飛び出しました。

 鋭い殺気と共に銀色の刃が月明かりに閃きます。護衛の騎士たちでしょう。

 普通なら腰を抜かす場面ですが、私はため息をつきました。


「うるさいですね。静かにして」


 私は一喝しました。


「今、この人は『筋肉の鎧』に締め上げられて、呼吸すら浅くなっているの。これ以上興奮させて交感神経を高ぶらせたら、血管が切れますよ?」


 私のあまりの剣幕に騎士たちがギョッとして動きを止めました。

 その隙を見逃さず、私は男の背後に回り込みます。


「さあ、観念なさい。⋯⋯失礼しますよ」


 男が抵抗しようと身じろぎしましたが、無駄です。

 凝り固まった体は、すでに鉛のように重くなっているはず。

 私は遠慮なく、その黒いマントの上から、ガシッと両手で「首の付け根」を鷲掴みにしました。


「っ、ぐ、ぁ⋯⋯!?」


 男が喉の奥で悲鳴を噛み殺しました。

 私の親指が、後頭部の窪み――『天柱(てんちゅう)』のツボに、深々とめり込んだからです。


「うわあ、これは酷い。指が入っていかない。まるで古い切り株ね」


 指先に伝わるのは人肌の弾力ではなく、岩盤のような硬度。

 長年の激務とストレスが蓄積し、本来なら柔軟であるはずの僧帽筋が、石灰化したように固まっています。

 これでは脳へ行くはずの酸素が遮断され、常に締め付けられるような頭痛が続くのも当然です。


「少し痛みますが、耐えてくださいね。⋯⋯ここを一気に流します」


 私は呼吸を整え、親指に体重を乗せました。

 力任せに押すのではありません。

 筋肉の繊維の隙間を探り、その奥にある「芯」を捉えるのです。


 ズ、ズズズ⋯⋯ンッ。


「――がッ、は⋯⋯ッ!?」


 男の体がビクンと跳ねました。

 痛みと、その奥にある「そこだ」という感覚。

 私は逃しません。捉えた凝りの中心を、円を描くようにグリグリと抉ります。


 ゴリッ、ゴリ、ゴリゴリ⋯⋯。


 耳元で、凝りが砕ける音が不気味に、しかし心地よく響きます。

 老廃物の塊が、私の指によって粉砕されていく感触。


「く、うぅ⋯⋯あ、あ⋯⋯」


 男の口から、苦悶の声が漏れます。

 しかし、それは拒絶ではありません。

 「効いている」証拠です。


「はい、息を吸ってー。吐いてー」


 私はリズミカルに指を移動させます。

 次は首の側面、胸鎖きょうさ乳突筋にゅうとつきん

 魔道具や書類を見続けて縮こまったこの筋肉を人差し指と中指で挟み込み、引き剥がすようにストレッチします。


 ムギュウウゥ⋯⋯プンッ。


「うぅ⋯⋯ぐっ⋯⋯うぉお⋯⋯」


 筋肉が弾けるような感触と共に、滞っていた血流がドッと流れ出すのがわかりました。


「そして仕上げは、頸椎(けいつい)の矯正です。力を抜いて」


 私は男の顎と後頭部を支え、首をゆっくりと回旋させました。

 可動域の限界ギリギリ。

 そこで一瞬、鋭く、かつ繊細にスナップを利かせます。


 ――ボキィッ!


「うごごっ⋯⋯おごっ⋯⋯」


 路地裏に、乾いた音が響き渡りました。

 護衛たちが「ひっ!」と悲鳴を上げましたが、無視です。

 続いて反対側も。


 ――バキボキッ!


「うぎぃ⋯⋯!」

「よし。これで首の詰まりは取れました。次は肩甲骨、剥がしますよ」


 休む間も与えません。

 私は男の背中に膝を当て、腕を後ろに引きました。

 背中にへばりついた肩甲骨の裏側に、強引に指を滑り込ませます。


「んんっ、ぎ、ぁあああ⋯⋯ッ!」

「はい、ベリベリいきますよー。癒着が酷いですねー」


 ベリッ、ベリベリッ。

 まるでシールを剥がすような感覚で、肋骨と肩甲骨の間に隙間を作ります。

 そこへ新鮮な血液がジュワアアァァッと流れ込むイメージ。


「ふう⋯⋯。一丁あがり」

「うぅ⋯⋯はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯」


 私は額の汗を拭い、手を離しました。

 トータル五分ほどの施術。

 しかし、その効果は劇的です。


 男はしばらく肩を震わせていましたが、やがて恐る恐る顔を上げました。


 その瞬間。

 彼の金色の瞳が、カッと大きく見開かれました。


「⋯⋯見え、る」


 男は呆然と自分の手のひらを見つめ、そして空を見上げました。


「視界が⋯⋯明るい。霧が晴れたようだ。⋯⋯頭が、割れるように痛かった頭が、何もない⋯⋯」


 ドクン、ドクン、と力強い鼓動と共に、全身に血が巡るのがわかるのでしょう。

 青白かった彼の頬に、みるみる赤みが差していきます。

 鉛のように重かった体は、今は羽が生えたように軽いはずです。


 男はゆっくりと立ち上がり、私の方を向きました。

 先ほどまでの殺気は消え失せ、そこにあるのは純粋な驚愕と、震えるような感動。


 男は私の両手を、ガシッと大きな手で包み込みました。

 そして、至近距離まで顔を近づけます。

 整った、しかし威厳のある顔立ち。

 その瞳が、熱っぽい光を帯びて私を射抜きます。


「⋯⋯そなた、名は?」

「ミサです。ただの整体師ですが」

「整体⋯⋯? 魔法ではないのか? 聖女の光ですら、この痛みを消すことはできなかったのに⋯⋯」


 男――いえ、その服装と覇気からして、只人ではないことは明白でしたが――は、恍惚とした表情で呟きました。


「まるで、生まれ変わったようだ。⋯⋯あぁ、首が回る。上が見上げられる。こんな当たり前のことが、これほど心地よいとは」


 彼はうっとりと目を細め、首をコクリコクリと動かしています。

 その仕草は、マタタビを与えられた大型の猫科猛獣のよう。

 先ほどの「殺す」と言っていた暴君と同一人物とは思えません。


「宮廷医師や魔術師たちが、何年もかけて治せなかった痛みが、たった数分で⋯⋯」

 彼は震える手で自身の首に触れ、信じられないという顔で私を見つめました。


「君は、一体何者なんだ⋯⋯?」


そして、私の手を拝むように握りしめ、真剣な眼差しで言いました。


「私の城に来てくれ」

「⋯⋯はい?」

「いや、来てください。お願いします。⋯⋯頼む、この通りだ」


 なんと、彼はその場で片膝をつきそうになりました。

 慌てて護衛たちが「へ、陛下!? なりませぬ!」と止めに入ります。

 やはりこの御方、隣国の皇帝ディルク陛下だったようです。


「そなたの手が必要だ。金ならいくらでも出す。地位も、名誉もやろう。だから⋯⋯」


 皇帝陛下は、すがるような目で私を見上げました。

 その瞳は、国の支配者としてではなく、一人の「慢性的な凝りに悩む患者」としての切実な訴えに満ちていました。


「⋯⋯あとで、腰の方も診てくれないか? 実は腰痛も酷くて⋯⋯」


 私は苦笑し、プロとして頷きました。


「ええ、もちろん。患者様を途中で放り出すような真似はいたしません」


 こうして私は、追放されたその日のうちに最高権力者の専属整体師として、王城のものよりも遥かに豪華な皇帝の馬車に揺られることになったのでした。



            * * *



 帝国の迎賓館で開催された外交記念パーティ。

 シャンデリアが煌めき、楽団の演奏が響く華やかな会場でしたが、私の目(透視能力)には地獄絵図に見えていました。


(あの伯爵、腰椎の四番が潰れそう。あの夫人はコルセットの締めすぎで内臓が圧迫されてる⋯⋯)


 職業病で会場中の人々の「歪み」を勝手に診断していると、私の隣に立つディルク陛下が、こめかみを押さえてよろめきました。


「⋯⋯ミサ。限界だ」

「ええ、お察しします。これだけの人混みと香水の匂い、そして無駄に明るい照明。偏頭痛持ちには拷問ですね」


 陛下は眉間に深い皺を刻み、脂汗を浮かべています。

 限界突破寸前です。


「退避しましょう、陛下。貴賓休憩室へ」

「⋯⋯あぁ頼む」


 私たちは誰にも気づかれないよう、そっと会場を後にしました。



            * * *



 会場の喧騒を遮断した、最奥の貴賓休憩室。

 私は遮光カーテンをきっちりと閉め、照明を最小限のオレンジ色のランプだけに落としました。


「あ、あぁ⋯⋯。暗闇が、こんなに優しいとは⋯⋯」


 陛下はソファーに身を沈め、襟のタイを乱暴に緩めました。

 私はその背後に回り、蒸しタオルを彼の首筋に当てます。


「眼精疲労からくる後頭部の緊張ですね。光の刺激で視覚野がオーバーヒートしています」

「ああ⋯⋯頭の中で、鐘が鳴り響いているようだ⋯⋯」

「大丈夫、いま止めますからね」


 私は陛下の後頭部にある『後頭下筋群(こうとうかきんぐん)』に親指を潜り込ませました。

 眼球の動きと連動するこの筋肉は、現代人(と激務の皇帝)が最も酷使する部位。


 じわぁ⋯⋯っと、指圧をかけます。


「⋯⋯ん、ぅ⋯⋯」

「ここが緩むと、目への血流が一気に回復します。はい、ゆっくり呼吸をして」


 グリッ、グリグリ⋯⋯。


 指先で凝りの繊維を弾くたび、陛下の方から力が抜けていくのがわかります。


「⋯⋯凄いな。君の指は、魔法よりも魔法だ」

「ただの解剖学ですよ。⋯⋯さあ、次は側頭筋(こめかみ)を」


 暗がりの中、二人きりの静寂な時間。

 陛下がうっとりと瞳を閉じた、その時でした。


 バンッ!!


「見つけたぞ!! ディルク皇帝陛下!!」


 静寂を引き裂く爆音と共に、ドアが乱暴に開け放たれました。

 廊下の眩しい光と、騒がしい足音が雪崩れ込んできます。


「失礼いたします! 我が王国の『王立財政再建計画』への出資援助、まだご返答をいただいておりませんので、直接参りました!」

「もう、陛下ったらこんな暗いところに隠れて! ご不調なら私が治しますのに!」


 ドカドカと土足で踏み込んできたのは、我が祖国のお荷物コンビ。

 アレクセイ王子と、聖女カレンでした。


 私はこめかみに青筋が立つのを感じました。

(入室マナーも知らないの? 副交感神経優位のリラックスタイムに、交感神経を刺激する「騒音」を持ち込むなんて⋯⋯!)


「む⋯⋯? 誰だその女は⋯⋯って、ミサ!?」


 薄暗がりの中、私に気づいた王子が素っ頓狂な声を上げました。


「な、なぜ追放された無能女がここにいる! さては、体を売って皇帝に取り入ったな!?」

「ひどーい! 神聖な外交の場で不潔ですわ! 魔力ゼロのくせに!」


 勝手な妄想で騒ぎ立てる二人。

 けれど私の視界には彼らの哀れな身体構造しか映りません。


(王子、焦りで呼吸が浅すぎて酸欠気味よ。聖女に至っては、ヒールの重心がズレて外反母趾がいはんぼしが悪化してるわね。⋯⋯ああもう、二人とも性格通りに歪んでる!)


「⋯⋯貴様ら」


 地獄の底から響くような、低い唸り声がしました。

 ソファーの上のディルク陛下です。

 しかし、激しい頭痛の最中にある陛下にとって、大声を出すのも辛いはず。


 それを何をどう勘違いしたものか、カレンが一歩前へ出ました。


「ああ、お可哀想な陛下⋯⋯! そんな悪い女と一緒にいるから、運気が下がってご気分が悪いのですわ!」


 カレンは杖を振り上げ、得意満面な笑みを浮かべました。


「ご安心ください! この聖女カレンが、その悪い女のせいで淀んだ空気を、私の光で浄化して差し上げますわ! ――エイッ☆」


 カレンが魔力を込めた、その瞬間です。


 カッ!!!!


 狭く暗い室内に、直視できないほどの強烈な閃光が炸裂しました。

 聖女の固有スキル『聖なる光(ホーリー・ライト)』。

 魔物を退けるための攻撃魔法に近いその光は、暗順応していた私たちの瞳を暴力的に灼きました。


「ぐ、があああああああっ!!! 目が! 目がぁあああああああ!」


 ディルク陛下が、目を押さえてのたうち回りました。

 当然です。

 重度の片頭痛発作中に暗闇で瞳孔が開いた状態で、強力なストロボライトをゼロ距離で浴びせられたようなもの。

 それは「癒やし」ではなく、視神経への「暴力」です。


「目が⋯⋯ッ! 頭が割れる⋯⋯ッ!!」

「あら? おかしいわね、もっと光量が必要かしら? それっ、最大出力キラキラ〜!」


 状況を理解できない聖女が、さらに光を強めようとします。

 これ以上は、陛下の血管が切れる。


 ブチッ。

 私の中で、何かが切れました。


「――いい加減になさい、このド素人が!!」


 私は瞬時に動き、聖女の手首を掴みました。

 そして人体の反射を利用して関節を極め、その杖を取り上げます。


「い、いたぁい!?」

「頭痛持ちの患者にフラッシュを焚くバカがどこにいますか! 貴女がやっているのは治療じゃない、ただの『光害』よ!」

「なっ、何を⋯⋯!」

「光量調節もできない未熟な魔法より、適切な遮光と静寂! それが『医療』の基本でしょうが!」


 私はそのまま、流れるような動作で王子の方へ向き直りました。


「貴方もです、アレクセイ様。陛下は今、血管の収縮と拡張の乱れで苦しんでいるの。その金切り声は、黒板を爪で引っ掻く音よりタチが悪いわ!」


「な⋯⋯! き、貴様⋯⋯たかが野蛮な民間療法風情が、一国の王子に説教を⋯⋯」


 その時。

 室内の温度が氷点下まで下がったかのような、絶対零度の殺気が満ちました。


 ゆらり、と。

 ディルク陛下が身を起こしました。

 その全身からは痛みを通り越した、純然たる「覇気」が溢れ出しています。


「⋯⋯私の安眠を。ミサが作ってくれた、至高の時間を⋯⋯」


 陛下は充血した瞳(激痛と怒りで真っ赤です)で、王子たちを睨みつけました。


「外交儀礼もわきまえぬうえ、休憩中の余に『攻撃魔法』を仕掛けるとは⋯⋯いい度胸だな?」


「ひ、ひぃっ!? ち、違います! これは癒やしで⋯⋯!」

「黙れ」


 陛下の一喝で、王子と聖女はカエルのように縮み上がりました。


「貴国への資金援助の話だったな? 結論を出そう」


 陛下は冷酷に、死刑宣告のように言い放ちました。


「援助の一切は打ち切りだ。それどころか我への『暗殺未遂』の罪で、貴国には相応の賠償を請求する」


「あ、暗殺!? ただの光ですのに!?」

「片頭痛持ちにとって、その光は毒だ。⋯⋯衛兵!」


 陛下が指をパチンと鳴らすと、影から屈強な近衛兵たちが現れました。


「この『騒音と光害の発生源』を摘み出せ。⋯⋯国境まで送る必要はない。砂漠の真ん中にでも捨てておけ」

「イエス・ユア・マジェスティ!!」


「は、離せ! 俺は第一王子だぞ! おい!」

「嫌ぁぁぁ! 砂漠なんて乾燥してお肌が荒れちゃうぅぅ! ヒールが! 限定モデルのヒールが折れたぁぁ!」


 廊下の向こうから、断末魔のような悲鳴が響いてきます。

 近衛兵たちの手際の良さは素晴らしいですね。まるで粗大ゴミを搬出するようなスムーズさで、二人を引きずっていきました。


「お、おい待て! 援助打ち切りなんて嘘だよな!? こんなこと父上に知られたら、なんと言われるか⋯⋯!」

「殺される! 殺されるわぁぁぁ!!」


 遠ざかる絶叫を聞きながら、私は冷ややかに分析しました。

 あんなに大声で叫んだら、腹圧がかかって余計に腰を痛めるでしょうに。

 まあ、砂漠の過酷な環境にさらされれば、その歪んだ性根(と骨盤)も少しは矯正されるかもしれません。


「⋯⋯興が削がれたな」


 ふらりと、ディルク陛下が私に寄りかかりました。

 その美貌には、隠しきれない疲労の色が浮かんでいます。


「もうパーティは終わりだ。⋯⋯帰るぞ、ミサ」

「よろしいのですか? 主賓が途中退席なんて」

「構わん。皇帝が『頭痛で不機嫌』という事実こそ、他国への最大の牽制になる」


 陛下は私の腰に腕を回し、耳元で甘く囁きました。


「それより、早く城へ戻ろう。⋯⋯続きを、ベッドの上で頼みたい」

「⋯⋯言い方が紛らわしいですよ、陛下」



         * * *



 王城に戻った私たちは、世界で一番寝心地が良いとされる皇帝の私室のキングサイズベッドにいました。もちろん、やらしい意味ではありません。


 陛下はうつ伏せになり、私はその上に馬乗りになって背中の脊柱起立筋をほぐしているところです。

 体重を乗せるためとはいえ、はしたない体勢かもしれません。

 ですが陛下は嫌がるどころか、私の太ももに手を添え、逃がさないように固定しています。


「ん、ぁ⋯⋯っ、そこ⋯⋯効くぅ⋯⋯」

「ここですね。ストレスで背中が鉄板みたいになっていますよ。深呼吸して⋯⋯はい、流します」


 グググッ⋯⋯ズンッ。


 私の親指が、凝りの深層にあるトリガーポイントを的確に捉えます。

 滞っていた老廃物が流れ出し、新鮮な血液が巡り始める感覚。


「ふああぁ⋯⋯。極楽だ⋯⋯」


 陛下は枕に顔を埋めたまま、とろとろになったスライムのような声を上げました。

 大陸を震え上がらせる暴君の、一番無防備な姿。

 この姿を知っているのは、世界で私一人だけ。


「ミサ。⋯⋯ずっと、そばにいてくれ」

「はい?」

「君がいなくなったら、私はまたあの頭痛地獄に逆戻りだ。そんなのは耐えられない。⋯⋯国庫の鍵も、私の首輪も、全部君に預ける。だから」


 陛下はわずかに顔を上げ、潤んだ金色の瞳で私を見つめました。


「私の専属(パートナー)として、一生、この体をメンテナンスしてくれないか」


 それは実質的なプロポーズであり、同時に終身雇用契約の提示でした。

 私はふふっと笑い、最後の一押しとして、彼の方にゴリッと体重を乗せました。


「承知いたしました、ディルク様。⋯⋯返品不可の契約になりますが、よろしいですね?」

「ああ⋯⋯望むところだ⋯⋯」


 陛下は幸せそうに目を閉じ、数秒後には安らかな寝息を立て始めました。

 私はその銀髪を優しく撫でながら、窓の外の月を見上げます。


 魔力ゼロで追放された私ですが、手に入れたものは最高でした。

 雨風凌げる豪華な宮殿。

 美味しい食事。

 そして、私の指一本でどうにでもなる、可愛い(そして権力最強の)旦那様。


「さて、明日はどのツボを押して差し上げましょうか」


 物理で癒やし、物理で愛され、物理でざまぁする。

 私の平穏で快適なスローライフは、まだ始まったばかりです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「魔力ゼロ」と追放された整体師ですが、皇帝陛下の凝り固まった筋肉を「指圧」で治したら溺愛されました。〜聖女の光魔法は「眩しすぎて頭痛が悪化する」と、追放されたようですが?〜 抵抗する拳 @IGTMJ

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ