あなたの手が好きでした

タルトタタン

あなたの手が好きでした

 はじめてあなたの手を見たのは、

私たちがまだ初等科六年だった頃。

お互いの両親が漁港の仕事をしていて、海岸で海苔を集めていた日でした。


 帰り道。 海苔の運搬を終え、自宅へ戻ろうとした頃には、あたりはすっかり闇に包まれていました。


「ハナ、手を貸そう」


はじめて、はっきりと見る男性の手。 大きくて、家業でできた手のマメ。

角ばった関節。


「ありがとうございます……たかしさん」


はじめて触れた異性の手。

その温もりに、胸がぎゅっと締めつけられた日のことを、私は今も忘れられません。


──


 戦時中。

あなたは国内の基地で、通信兵に就きましたね。

心のどこかで、戦地に向かわずに済んだのだと……安堵してしまった自分がいました。


けれど、戦争が終わり、地元へ戻ってきたあなたは、まるで別人でした。


深くは聞けなかったけれど、一度だけ、あなたはぽつりと語ってくれました。


「上官からの指示で『三〇〇隊、イ号実行』を送った……」

そう言って、あなたは自分の右手を見つめた。

 

「意味は知らされなかった。ただ、打てと言われた通りにモールスを叩いただけだ」

 

「……後で聞いた」

「無謀な作戦だったそうだ」

 

「二千人が、日本に帰ってこなかった」


「私があの時……打たなければ……皆家族の元に帰れたのだろうか……」


右手を恨むように睨みつけていた、あの表情を、私は忘れられません。


───


 結納式。

膝をつかむあなたの手は、わずかに震えていました。 隣に座る私だけが、きっと気づいていたのでしょう。

 

───


 娘が生まれた日。

何度も何度も、その柔らかな頬に触れるあなたの手は、 傷つけてしまわないように、爪を短く切り、何度も洗われていました。


──


 娘が結婚した日。

バージンロードを歩く娘の手を握るあなたの手は、やはり震えていました。 きっと、私と娘だけが気づいていた。


──


 孫が生まれてからは、 手先の器用なあなたが、木製のおもちゃをいくつも作っていましたね。


右手に貼られた絆創膏が痛々しく見えても、 あなたの表情は、穏やかでした。


───

 

 年末、帰省した孫の手を優しく握り歩くあなた。

あなたの背中は少し丸くなったけど、

こんな穏やかな日がずっと続いてほしいと思っていた。


 

──

 

 ある日、車の側面を大きく擦って帰ってきたあなた。

その手は、ぶるぶると震えていました。


「何も覚えてない……」


私はその手を握り、 「大丈夫ですよ」と言いました。


けれど、自分の手も震えていたことを、あなたは気づいていたでしょうか。


──


 娘が帰省した後のこと。

「あの女性はハナの知り合いかい?」


玄関を指差したあなたの言葉に、 私は持っていた食器を取り落としてしまいました。


──


「私は頭がおかしくなってしまったらしい」

ぼそりと呟きながら、万年筆を握り、ノートに文字を書き続けるあなた。


「だから……メモをするんだ……」

震える手。 歪む文字。


何かに抗うように書き続けるあなたを、 私は、ただ見つめることしかできませんでした。


──


 ある日、あなたの右手には、立派な百合。

「ハナ、綺麗な百合があったんだ……君に見せたくて……」

胸騒ぎがして、私は玄関を飛び出しました。


隣家の庭に咲いていた百合は、すべて切られていました。


「こちらは楽しみにしていたんですよ!」

何度も叱責される中、 あなたは、ただ立ち尽くしていました。


──


 あなたに、がんが見つかりました。

幸い早期発見で、命に別状はない――はずでした。


けれど入院中、病院から呼び出しがありました。

駆けつけると、 暴れ回るあなたの姿。


右手から血を流し、 点滴を無理やり抜いてしまったのだと聞きました。


───


 ある日、娘とお見舞いに行った時のことです。

「お前誰だ?」

長女を指差すあなた。


「何言ってるの? 私、あなたの娘でしょ!」

「違う!私の娘はこんなおばさんなんかじゃない!」


あなたの右手は、何度も否定するように胸の前で交差し、 激しく震えていました。


その手を見るのが、あまりにも辛かった……。


───


 医師から告げられました。 新たに大腸がんが見つかったと。

「もう余命三ヶ月……といったところでしょうか」

「……わかりました」


「本人にはお伝えしますか?」

「……いえ大丈夫です…」


病室へ行くと、 あなたは穏やかに夕暮れを眺めていました。


「ハナ、日本海に沈む夕暮れは綺麗だったな……」

「海苔集めの日は寒かったな……」


そっと、あなたに手を握られました。


「60年前の事は覚えているのね……」


皺と染みだらけの手。 割れた爪。

点滴で何回も刺され、あざだらけになった細い腕……。


それでも、その手は、 しっかりと、力強く私を握っていました。


───


 三ヶ月後、あなたは旅立ちました。


いつもは握り返してくれる手が冷たく、固く……まるで作り物のようで……。


本当にいなくなってしまったんだと胸が痛みました。


私は、最期にその手を握り、 あなたを送り出しました。



───


 家の整理をしていた時のこと。

あなたの机から、一冊のノートが見つかりました。


そっと、開くと――。


──


ハナへ 私が君を忘れないうちに手紙を。


はじめて君にあった時、 なんて小さな子なんだと思った。


子供のような小さな手で必死に海苔を集め、寒さに震えていた。 そんな君を支えたいと思った。


君は戦地に行かない私を否定しなかった。 そんな君が好きだった。


私は緊張すると情けない事に手が震えてしまう。

優しく、つつみ込んでくれる君の手が私は好きだった。

その温かさで私は何回も救われた。

 

ハナ、ありがとう。

 

たかし

 

──


「あなた……」


ノートを胸に抱いたまま、 私は、しばらく動くことができませんでした。

  


──


それから十年後。


私は目を覚ます。 真っ白な世界。

「あれ……病院にいたはずなのに……」


「あぁ……私亡くなったのね……がんは治らなかったのね……でも93歳まで生きれて大往生ね……」





 

「ハナ」


振り返ると、 そこにいたのは、高等科の頃のあなた。





「たかしさん……」

 

私自身も、あの頃の制服姿でした。


あなたは笑い、右手を差し出します。


「ハナ、手を貸そう」


私は、ふっと笑い、手を伸ばしました。

「ありがとうございます。たかしさん」



温かく、力強い手が、私の手を包み込みます。


懐かしくてつい涙がこぼれてしまう……。



「では一緒に行こうか」

 

いつも、私を導いてくれた――


あなたの手が、大好きです。




おしまい



───

あとがき

「お題フェス11」の「手」という課題を見たとき、

真っ先に、器用だった祖父の手を思い出しました。

 そこから、この物語を書き始めました。

祖父は戦時中、通信兵だったと聞いています。

作中の出来事はフィクションですが、

祖父の記憶や想いに触れたいという気持ちから生まれた物語です。


 晩年、祖父は認知症を患い、

母のことや多くの出来事を忘れていきました。

それでも、祖母のことだけは、最期まで忘れることはありませんでした。


 私は現在、ケーキ職人として日々技術を磨いています。

この手の器用さは、もしかしたら祖父から受け継いだものなのかもしれません。


そう思うと、自然と感謝の気持ちが湧いてきます。


これからも、自分の手を大切にしながら、

ものづくりと向き合っていきたいと思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


タルトタタン

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