第3話
放課後、回収したノートを抱えて数学準備室へ向かった。
西日が差し込んで、誰もいない長い廊下を淡い金色に染めている。僕の足音が、緊張のリズムを刻んでいるみたいだった。
——準備室で、二人がキスしてるところ。
航の声が脳内で勝手にリピートされる。そういう人たちはテレビの中の話だけだと思っていたのに、こんなに近くにいた。ふと、航と手を繋いだことを思い出した。ノートを落としそうになって抱え直し、視線を落とした。
……違う、僕は……。
数学準備室まであと二、三歩くらいのところで扉が勢いよく放たれて、慌てた様子の男性が飛び出してきた。俯いていて表情が見えない彼のシャツは、胸元まで乱れていた。それが葉山先生だと気づいたのは、肩をかすめてすれ違ったあとだった。あの噂は、本当だった。
気まずい。そろりと部屋を覗き込むと、三浦先生が立っていた。普段はきっちりと締めているネクタイが、今は緩んでいる。洋酒の香る固いチョコに歯を立てて、とろっと一気に広がったときみたいな、色っぽさがあった。
「ああ、小暮くん。ノートの回収、ありがとう。空いてるところに置いておいて」
三浦先生はゆったりした動作でネクタイを締め直しながら言った。眼鏡の奥はほほえんでいて、不気味に感じた。
「……はい」
あまりにも平然としている。先生の秘密めいたことを、生徒に見られたかもしれないというのに。隙のない三浦先生にはらしくない失態だ。
ああ、そうか。と、心の中で膝を打った。僕にも、浅田が見たって言った、あれも。
「わざと見せたんですか」
気付いたときには声に出ていた。
三浦先生の表情はぴくりとも動かない。否定しない。それが肯定の意味だと気づいて、背筋がひやりとした。
「君は、自分は違う、と思ってるみたいだね」
「え?」
三浦先生がゆっくりと距離を詰めてくる。不敵な笑みに絡め取られたみたいに、身体が動かない。
「朝霧くんと登校してるの、よく見るよ……手、繋いでたね」
耳元で囁くように言われた。心臓がどくん、と大きく跳ねた。抱えていたノートがばさっと床に落ちた。違うといいたいのに、言葉が喉で詰まった。
見られてた。
「安心して。俺は誰にも言わない」
三浦先生がにこりと笑う。
「その代わり、小暮くんも今日はなにも見なかったことにして」
甘い声だった。僕に選択肢なんて最初からないみたいだ。甘いものを口に押し込まれて、飲み込むまで終わらない感じがした。
「……はい」
僕は絞り出すように返事をした。三浦先生の身体が離れた瞬間、息が楽になった。呼吸してもいいと許可されたみたいで屈辱的だった。
三浦先生が鼻歌を歌いながら机に向かう背後で、僕は震える手でノートを拾い集めた。手のひらが勝手に航の体温を思い出していた。
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