朝の霧にほどける
春日あお
第1話
僕を例えるなら、素直に着せ替え人形だ。
僕は、女の子のように育てられた。
可愛く仕立てられたワンピース。
リボンを飾った二つ結び。
外に出れば、
「可愛らしいお嬢さんですね」
と言われて、母は喜んでいた。
年長のころ、幼馴染と湯船に浸かったとき、
「なぁんだ、おまえもちんちんついてるじゃん!」
と言われて、僕は初めて、女の子じゃないんだと知った。
目の前の男の子の性器と、僕の性器は、多少の差はあれど、同じものだった。
——僕は女の子ではないらしい。
それでも女の子でいると、母は幸せそうな顔をしてくれる。
だから、僕は精一杯、女の子として生きてきた。
「
呼び止められて、振り返った。
廊下の奥から、
「航、なに?」
僕も小走りで近寄った。
「購買のパン、残りを買い占めてきた。めしまだだったら、一緒に食べよ」
航はビニールの手提げ袋を広げて、僕に見せてくる。
中には、焼きそばパンやカツパン、カレーパンなどの惣菜パンがいくつもあった。
「ありがとう。食べる。日直の仕事終わったとこだから、まだ食べてない」
「やった。じゃあ、中庭行こう」
「うん。天気いいもんね」
二人で肩を並べて歩く。
航は、幼馴染だ。出会いは町内会のお祭りらしいけど、全然覚えていない。
気づいたら、当たり前のように隣にいた。
まさか高校までずっと一緒だと思わなかったけど。
「んーっ、気持ちいいな。詩、どれがいい?」
航がベンチに腰掛けて、体を伸ばした。
小春日和の暖かい日差しが、心地いい。
「ツナたまとコロッケにしようかな」
促されて、僕は袋の中身を漁る。
「やっぱり、コロッケ選ぶと思った」
航がにやりと笑って、焼きそばパンをかじりながら、思い出したように言う。
「
「えっ、なんで?あんなに仲良さそうなのに」
「浅田と話したけど、よくわからん。遠野が好きだーとか、別れたくないー、しか言わない。でもあれはきっと、浅田の束縛が強いせいだな」
「ふーん」
航は人差し指を立てて得意げに、浅田と遠野の破局理由を推理する。
男女の揉め事を聞いても特段、胸は湧かない。
体は男でありながら、女として振る舞う自分を、どう扱っていいのかわからない。
女の子と恋愛をするイメージもまったく浮かばない。
……もし、そんな事になったら、母はどんな反応をするだろうか。
背筋に冷たいものが走って、首を横に振って、嫌な想像を振り払った。
「そういえば……
航が身を乗り出し、声をひそめて言った。
「……え、数学と英語の?」
「そう」
「え、男同士じゃん」
「そう」
「え、あー……そういうこと?」
「浅田が見たらしい。準備室で、二人がキスしてるところ。しかも深~いやつ」
想像してしまった。先生と先生のディープキス。
この後、数学の授業があるというのに、どんな顔して臨めばいいんだ。
僕は頬を赤らめて、咳払いをした。
「もうその話はいいよ」
僕の様子に航は、
「初心だなー」
と笑った。
もし噂が本当なら、先生たちみたいに——僕に彼氏ができたら、母は喜ぶだろうか。
母にとっては、娘に彼氏ができただけ……。
そう思えば、楽になれる気がした。
「
談笑していると、不意に声を掛けられた。
振り返ると、女子が三人寄り添うように立っていた。
真ん中の女子が頬を赤く染めて、もじもじしている。
たしか名前は——
「朝霧、空気読んでよ」
両隣に立つ女子が、航を睨みつけて手払いをする。
「へーへー」
航がぶすくれながら立ち上がり、
「詩、また放課後なー」
と言って遠ざかって行った。
両隣の女子二人は僕と中野さんを置き去りにし、少し離れた木の影から僕らを熱い視線で見守っている。
今何が起きようとしているのか、さすがに理解できるが、できる分、頭はひどく冷えていた。
男として生まれ、女として育てられた自分に、果たして女を愛する事ができるだろうか。
他に兄弟姉妹はいない。
女であるために、まわりの女子を必死に真似た。
言いそうな言葉、やりそうな行動、学習したものを見せると、母は顔を綻ばせた。
それが、僕の全てだ。
「それで、どうだった?」
「え?」
放課後、航と並んで歩く。
傾いた夕日が、視界を橙色に染めている。
「ああ……三浦先生はいつも通り涼しい顔で、ゲイにはやっぱり見えなかったかなー」
あまり聞かれたくなかったから、適当に答えた。
一拍の間をおいて、航に腕を掴まれた。
「はぐらかすなよ」
いつもより、一段と低い声だった。
見上げると、航が柄にもない、真剣な表情を浮かべていた。
胸がどきり、とした。
その手を振り払ってはいけない気がした。
「……告白……されたけど、保留にした」
そう言うと、航は肩を緩めたようで、次には掴んだ手を離した。
「なんで?」
と言って視線を外し、また歩き出す。
「なんか、よくわからなくて……付き合うとか、そういうの」
「まあ、わかる。……ちゃんと、返事はしてやれよ」
ぽつりと、航は言った。
それから二人して黙ったまま、別れ際に「じゃあ」と短く言って帰った。
自宅玄関をそっと開け閉めして、二階の自室へ滑り込む。
制服を脱いで、もこもこ素材のパステル調の部屋着に身を包む。
黒髪ロングのウィッグを被り、目元を最低限にあしらう。
姿見で全身を確認して、
「よし」
と、気合いを入れるように言った。
階段を降りて、リビングへと入る。
「ママー、ただいまー」
にこやかに、明るい声で、大きく腕を広げて、母に抱きつく。
「ふふふ、おかえり、詩」
抱きついた僕に、穏やかな笑顔を返す。
「お腹すいちゃったー」
「はいはい、もう少しでできるからね」
くすくすと笑ってキッチンに入って行った。
僕は、
「はーい」
と軽やかに言って、ソファに横になってスマホをいじる。
ソファの背に隠れて、小さくため息を吐いた。
母の鼻歌を聞くと、父がこぼした昔話が決まって蘇る。
母は高齢出産で、壮絶な治療の末にようやく身籠り、両親は抱き合って喜んだ。
子どもの性別は、男であると告げられたとき、母はひどく落胆した。
希望は女の子だった。
性別がわかるまでは……と買い控えていたベビー用品は、わかった途端、可愛らしいピンクを基調に買い揃えられた。
寝室もクローゼットも、女の子を迎える色で染まっていた。
と、苦虫を噛み潰したような顔をして、父は語ってくれた。
母はさすがに世間体を気にしたのか、小学校に上がってからは、家の中でこうやって過ごすのが暗黙のルールになった。
それでいいと思った。
僕さえ我慢していれば、この家は幸せな家庭でいられる。
ふと、航に掴まれた腕の感触を、思い出す。
触れられた腕を眺める。
——返事はしてやれよ。
胸がささくれ立った。
どう返事をすればいいか、ぐるぐる考える。
遠くで続く、母の鼻歌と調理する音を、静かに聞いていた。
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