手を繋いで、連れ立って

雑多堂

第1話 手を繋いで、連れ立って

「どうしたの急に?」

「ん?いやあ……。」


 決まり悪そうな表情を浮かべる夫に、明子は久しい乙女心が落ち着いていくのを感じながら、手を握り続ける横顔を見つめていた。子供が巣立ってから数年。口を聞く回数すら減っていたのに、最近はよく話しかけてくる。疚しい事でもあるのかと疑っていたが、いよいよ怪しい。

 十年ぶり?もっとだろうか?純粋に夫の体温を喜びたいのに、放っておかれた時間の分、染み渡るのには時間が掛かりそうだ。


「……まじまじと手を見て、何?」

「働き者の手だなぁと思って。」

「やだ、荒れてるって言いたいの?失礼しちゃう。」

「違うよ、感謝してるんだよ。」


 誤魔化すように笑った後、夫は言葉を続ける。


「思えば、苦労を掛け通しだったなと思ってね。」

「ええ、その通りね、心から感謝してちょうだい。」


 苦労、と言われ、今日までの人生が──断片的にだけど──浮かんでくる。付き合った翌日、急に上京すると言い出した時は、本気で別れようか悩んだものだ。結果的には上京したお陰でそれなりの生活を送れたとは思うが、安定するまでは明子も働きに出て家計を支えなくてはならなかった。


「まだ何も知らないお嬢さんだったから、慣れるまで大変だったんだから。」

「しかも、その後すぐに……出産したんだよね。」

「ええ、まったく貴方のはしゃぎようと言ったら……待望の長男だったからと思ってたけど、飛び跳ねた拍子に足の指を骨折するなんて……。」


 穏やかに笑う夫に、明子は多少の違和感を覚えた。こんなに静かに笑う男だっただろうか?年齢と共に落ち着いたと言えば、それはそうなのかもしれないけど……。


「それにしても、瞳との関係が拗れた時はどうしようかと思ったわ。」

「お転婆だったからね、瞳は。」

「違うわよ、確かにお転婆だけど、貴方が言葉を選ばないから喧嘩になってたんでしょ?上が穏やかだったから油断したわね。」


 上の子が生まれてから三年後、生まれた瞳は顔も性格も夫にそっくりだった。生まれついての気の強さが思春期に爆発し、家族全員と大いにぶつかっていた。その中で夫とは怒鳴り合いにまで発展してしまい、最終的には上の子が間に入ってくれたから、大事はならなかった。


「明後日は瞳が来てくれるから。」

「え?忙しいのに大丈夫なの?看護婦になってすぐじゃない、昨日も疲れた疲れたって電話を……あら?」

「……顔が見たいから、休みを取るって言ってたよ。」

「……ねえ?」


 明子は、ゆっくりと周りを見回してから呟いた。



「ここ、どこ?」



 よくよく見回せば、住み慣れた家とは様子が違う。改築した時に瞳と選んだ壁紙に代わって、清潔感が漂う代わりに冷たさを感じる真っ白な壁。まるで病院のようだ。夫が自慢げに並べていたゴルフのトロフィーも見当たらない。それに、何より、上の子が……雄二が用意してくれた、あれが……


「雄二、私……」

「大丈夫、気にしないで母さん。」

「いつから?」

「二週間前から、かな。」


 二週間前、何があったかは全然思い出せないが、病院に入院するような何かがあって、挙句に夫と息子とを誤って認識していた……背筋が恐怖と不安に震えたが、丸めそうになった背中を必死に伸ばした。子供達はきっと自分以上に驚いたし、ショックだっただろう。特に優しい雄二は、母の嘘に合わせながら、どんな心地で居ただろう。

 しばし、呆然とした後、雄二が用意してくれた物の状態が気に掛かり、冷静な口調を意識しながら問い掛けた。


「和弘さ……お父さんの仏壇は?」

「定期的に綺麗にしてるし、お供物もしてるよ。」

「ああ……ありがと……仕事の後だったのに、ごめんね。悠香さんと薫ちゃんは元気?」

「二人とも元気だよ、週末に一緒に来る予定だから、その時に色々話せると思う。」


 悠香は雄二の妻であり、薫は娘だ。二人とも優しくて愛らしい、大切な家族。


「そう、楽しみにしてるわ。」

「それと、悠香が『母さんの部屋を少し掃除したいんですけど良いですか?』て。」

「気を遣ってもらっちゃって悪いわ。お嫁さんにやらせず、あんたがやんなさいよ。」

「僕も勿論やるよ。」


 ──薫がね、早くおばあちゃんの顔が見たいから、部活が早めに終わったら病室に顔を出すって。瞳は婦長として忙しいけど、それでもお母さんの顔が見たいって──


 雄二の報告が続く中、握られ続ける手の温かさに瞼が重くなっていく。昔は逆だったはずなのに、気が付いたら、夫と息子を間違えるほどに歳をとってしまっていた。


(よく考えたら、あの人が自分から手を握ってくるはず無いわね。)


 粗野で、雑で、聞かん坊で、そして……


(あの人、恋愛では照れ屋さんだったから。)


 子供達の知らない、明子だけが知る夫の姿を思い浮かべる内に、意識が柔らかい綿に包まれていく。


「雄二、ちょっと寝るわね。」

「……うん。」

「そんな顔しないでよ、寝るだけ。大丈夫よ、まだお迎えとか来てないから。」


 名残惜しそうに離れる手を見送りながら、ゆっくりと目を閉じて、夫の手を想った。最期の瞬間は、出来れば子供達や孫の手を握って逝きたい。

 

 そして、願わくば和弘さんに手を引かれながら冥土に向かいたい。


 瞼の裏には、ゴツくて皺の寄った手に包まれる、少し荒れたシワシワの手が浮かんでは消え、明子の胸中を穏やかに締め付けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

手を繋いで、連れ立って 雑多堂 @m_h_r_novel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画