思い出の摩擦熱

矢車あお

思い出の摩擦熱

「このままバスが事故って、塾に行かなくて済めばいいのに」


 雨で湿度の上がったバスの車内で揺られながら、シオリは言った。


「わかるわー」


 ユウもだるそうに答える。

 シオリは肩に食い込むカバンの紐の位置を直しながら、深々とため息をついた。

 受験が終わるまでの辛抱とはいえ、苦痛に耐える時間はあまりにも長すぎるように思える。


「卒業したら、シオリともは離れ離れか」


 ユウが少し寂しそうに話す。ユウとは志望校が違うから、順調に行けば進学先は別の学校になるはずだ。


「スマホでいくらでも連絡できるって」


 シオリは睡眠不足でかすむ目をこすり、そう答えた。


***


 先に授業が始まるユウが塾のビルに走るのを見送り、シオリは駅にあるコンビニに向かおうとした。本来は自習室に向かうべきなのだが、あまりにもやる気が出ない。


『絶対に元気がでるガチャ』


 ふと、駅の構内に立ち並ぶガチャが目に入った。派手な色使いで中身を示すガチャの並びの中で、その簡素なガチャはかえって目立っていた。

 素人が適当に印刷したみたいなモノクロの表示である。

 それなのに、妙に心惹かれるものがあった。


(やってみよう)


 硬貨をマシンにセットし、ハンドルを回す。

 ゴトリ、と音を立ててカプセルが出てきた。

 開封すると、約10センチ四方の冊子のようなものが入っていた。

 表紙は透明なビニールで保護されている。

 ごく小さな写真を入れられる小型のアルバム帳のようだ。


「なにこれ」


 中身を開くと、思わず声が出た。

 そこには幼いころのシオリが家族と一緒に花火で遊んでいる写真が入っていた。

 ページをめくると、今度は幼稚園の卒園式の笑顔の写真が、さらにめくると運動会で転んでしまった写真が入っている。

 それらは確かに、シオリの思い出に残る瞬間の写真だった。


***


 カプセルの中には、小型のアルバム帳の他に、細長い紙の説明書も同封されている。


『絶対に元気が出るガチャ ☆使い方☆』

『思い出のページを指で擦ってみて! きっと元気が出るよ!』

『※ご利用は計画的に』


(なんなの……?)


 奇妙に思いながらも、アルバム帳を確認すると、表紙はつるつるしているが、内側の写真のページは目の細かいやすりのようにザラザラしている。

 ぐい、と指で擦ってみると、水分が蒸発するような音がして、指先が熱くなった。

 まるでマッチを擦ったみたいに指先に小さな炎がともった気がして、慌てて手を振るが、それは錯覚だったようで、どこにも火傷はない。

 でも、その指先から心地よい熱が全身に広がっていって、重だるかった首や肩がふわりと軽くなったのを感じた。


(エナジードリンクより効くかも)


 気がつくと、塾の開始時刻が迫っていた。

 周囲の迷惑にならない程度の速度で走る。息切れもせず、荷物の重さも感じない。いくらでも走り続けられそうだった。


 身体が軽くなっただけではない。集中力も増したようで、今までになく塾の授業に集中できた。

 受験本番までの長い期間を乗り切るための裏技を手に入れたようで、シオリは安堵した。

 自分の力だけでは到底乗り切ることができないと、いつも不安だったから。

シオリが急に快活になったことを、親や先生たちは「ようやくモチベーションが上がってきたか」と褒めるばかりで、この裏技がバレる様子はなかった。


「ねえ、シオリ。あんまり頑張りすぎると、もたないよ」


唯一、友達のユウだけが、そう言った。


***


 困ったことに、この摩擦熱の効果は数時間しか持たない。

 本当にきついときだけ使おうと思っていたが、あの好調を味わうと、使わずに1日を過ごすことは苦痛でしかなかった。

 すこしざらついたページを擦ると、身体に熱が走る。

 その感覚に病みつきになり、次第に2枚、3枚と1日分の量が増えていった。


 もうひとつ気がついたことがある。

 一度擦った思い出は、ざらつきが減り、身体に与える熱の量も減ってしまうのだ。

 そして何度か擦っていると、表面がつるつるしてきて全く抵抗なく指が滑ってしまい、摩擦熱を生み出さなくなる。

 そういったページは色が褪せ、何が写っていたかは、もはやわからなくなった。

 

 ページが尽きるのが不安になり、もう一度ガチャを回そうと、駅に向かう。

 すると、すでにガチャの商品は入れ替えられていて、あのモノクロのガチャはどこにも見当たらない。

 シオリは冷や汗が背中を伝うのを感じた。

 あの熱がなければ、私はもう受験勉強どころか、普通の生活にも耐えられない。


 未使用のページが尽き、何度も何度も擦ってつるつるになったページを、縋るように擦る。

 ほんのわずかな熱が走るだけで、シオリの凍えた身体には全く足りない。

 シオリは自習室の机にうつ伏せになった。勉強どころか、何もかもが辛くて動けない。

 チャイムが鳴り、次の授業の開始を告げる。

 シオリも次の授業に出席するはずだったが、どうやっても立ち上がれなかった。


「シオリ、どうしたの? 調子悪い?」


 ユウの声がした。ひとつ前の授業が終わって、自習室に来たらしい。


「ユウ、どうしよう、立てない」


 シオリは息苦しさに喘ぎながらユウにそう言った。


「ずっと頑張ってたのに、頑張らなきゃいけないのに……何のために頑張らなきゃいけないのか、思い出せなくて……」


 涙まで出てきてなさけない。

 突然、ユウはパチン、と両手を打ち合わせた。その音はよく響き、周囲の迷惑そうな視線を集める。


「今からサボろうよ、授業」

「え?」

「卒業したら、別々の学校になっちゃうでしょ? だからさ――」


 シオリと思い出作りがしたいの。シオリはどう?


 私語厳禁の自習室で、大きな声で話すユウはますます注目を集めている。

 でもシオリは、そんな視線はもう気にならなかった。


「うん、遊びに行きたい。ユウと一緒に!」


 差し出されたユウの手を取ると、温かい。その熱が、シオリの全身に広がるのを感じた。

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