@niwatori_chicken

「おい、小川。お前はやる気があるのか」

 私はよく人と衝突しました。その度に人との繋がりを失いました。

「聞いてるのか、小川。何とか言ったらどうなんだ」

「はい」

「『はい』じゃ無いだろう!お前は重大なミスを犯したんだぞ。分かってるのか」

 友人を失っていく毎に、私は苦しくなりました。私は私の、この勝手に動く悪い口を直したかったのです。

「分かってるに決まってるじゃないですか。第一、私は一度たりとも白を切って居ませんよ。私は初めから自分が犯したミスについて認めています」

「じゃあ少しくらい詫び言を言ったらどうなんだ」

「先刻謝罪の言葉を一度申し上げたつもりでしたが、伝わっていないようでしたら今一度謝罪します。いかがでしょうか。また、謝罪程度でこの私のミスが拭われるのであれば幾らでも謝りましょうが、そうでは無いでしょう。謝ることに何のメリットがあるんですか」

「もういい、お前は馘だ。明日から来なくていい」

 私はその言葉に全く当惑して、よろめきながら自らの鞄を手に持って、弱々しく会社のドアを押して出た。

 

 ​「もういい、お前は馘だ」

​ 課長の声は未だ耳鳴りとして生きていた。彼が正しい。そして私は間違っている。彼が謝罪を求めたのに対して私は単純に丁重に謝罪して返せば良いものを、私の口は我慢できるものも我慢できないままに、冷えきった口調の欠片でもって勇敢にも応戦を試みるうちに、それはミスを犯した人間として好ましい行動ではないという指摘、いや鉄槌を、当人全体の見做されとして突然振りかざされたのに当惑したのである。

 私の口が私自身の考えと反しながら発話することはしばしばあった。私自身は拘りなく誠心誠意謝ろうと考えていようと、構わぬ、私の口は動く動く、その衝動を抑えきれぬ部位であった。この口によって私は数多の人間を私から遠ざけてきた。

​ 私は頑丈なアスファルトの上をこれまでで最も不安定に歩行した。私を決める体の輪郭という枠組みが役目を終えたと告げられたかのように身から下ろされていきながら、私という要素も同様に今にも溶解し散開しようという心配を外に見せるような歩行の仕方だった。月光はギラギラと、夜闇はドロドロと、都会の人工灯がキリキリと身を圧迫して、私はそれらの本質を嘲笑だと断定した。​私はただ一つ、私の、この不随意な口を直したかったんです。

 私は家に着いた。家には生活の為の品しかない。床は少々散らかっていて、机の上も少々散らかっていて。嗚呼、私が朝毎に家を出て、夜毎に家に帰るというこの習慣が、どれ程私にとって心地よかったのかということを今痛感します。というのも、私は翌日から会社に行かなくていいという自由なる苦痛が、突然に襲いかかって来ているのです。自由が与えられたのではない、自身の役割を剥奪されたのだという気づきが深化するほどに、より忠実に現実を認識しました。買ってきた缶酒を袋から出して、プルトップで封を破ると、プシュウという気の抜けた音がした。

 私は明日から実家に帰ることにした。私の実家は地方の県の第二都市にあって、それほど裕福ではない、しかしながら家族愛は何処にも負けない。思い出します。そして、ええその実家に、私は帰ります。思い切り布団を被って、私はその夜を明かした。

 朝起きると、空いた缶酒が垂直に立っていた。時計は七時を指していた。焦ることは何も無い。私はただ朝食を作って机上に並べ、深々と椅子に座ってモサモサとよく噛んで食べた。目玉焼きがこの所で一番美味しかった。

 さて私は家を出ると、東斜め漸上方を冬の太陽が徐行しているのを見た。その太陽を見るうちに、私は鈍い頭痛を得た。私の服装は見るからに無頓着。私は恐縮して赤信号を前に立つと、大した荷物のない背中の黒色リュックの中身を確認したくなった。​青信号になる。歩道の向こうより人々の波面が押し寄せてくるのを見て、それを見ながらに、リュックを心配そうに漁って確認するけれども、財布やモバイルバッテリー、薬が、やや雑然と順序を失いながら、ああ向こう岸に居た人はもう今私を過ぎ去って、今一度後ろ姿に残したくないものは何かということを慎重に考えて、それと目の前のリュック内とが間違いなく一致しているかどうか、目を行ったり来たりさせて、させている内に、時間経過で信号は赤になった。頭痛はより深部へ移動した。結局リュックの中は問題無くて、二度目の赤信号を前にリュックを担ぎ直して立った。

 改札を通った。私は人の流れに乗った人を演じた。私は、私が実は人の流れに乗っていないのだということを他人に悟られないように、身体の所作について十分上手な真似を試みた。

 新幹線の座席は幾らかの加速の後、等速運動の軌道に乗った。前の席の人が、

「少し席を倒してもいいですか」

と言って、私が

「いいですよ」

と言った。言った後に緊張した。

 その緊張は、実家に着いてから初めて解消した。というのも、玄関を開いて先ず親の白髪に目をやった時、それの余りに図々しい占有具合が滑稽に私に映ったためである。

「会社を馘になりました」

「そうか。よく頑張ったな」

自分は何を頑張ったのであろう、判然とせず、最早いや私が聞き違いの可能性を推し量り始めたところを、リビングの私の椅子の前に温かい茶が置かれた。

「おかえりなさい」

「ただいま」

ズズズ。

「なんで馘になったの」

「私が悪いから。私の、その行いについての操縦を私自ら誤つので」

「そうなんだね」

窓の外に雨粒が多く滴り落ちているのを見た。

「どうして『誤つ』の」

「どうしてって」

「だって優太は優しいじゃない。名前にだって、優しい、の字が入っているのよ」

「それは」

私は言葉に詰まったのち、

「口がよからぬ事を喋ってしまうので」

と言った。

「どんなことを言っちゃうの」

少し考えて、

「『二度以上謝ったって仕方ないだろう』って」

「そうなんだね」

それから沈黙があった。すると母親が

「そうだ」

と思い出したように言って、

「サンタさんからプレゼントが届いたのよ」

「えっ」

母親は隣の席を立って押し入れの方に向かうので、私は何のプレゼントかを考えて、というより些か混乱した状態で、母の帰りを待った。

「ジャジャーン」

母が持ってきたのは大きなゲーム機の箱だった。

「PS5。優太、好きでしょ」

「母さん……」

サンタさんはよく私の好みを知っているもんだな、と感心した。そして私は箱に、保証について書かれた長いレシートが貼り付いているのを見た。しかし敢えて聞かなかった。なぜなら、これはサンタさんが持ってきたものなのだから。窓の雫は全部滑らかに滴り落ちた。

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