その手があったか

真野てん

第1話 路地裏で辻占

 手相……手相はいらん~かぇ~……。

 黙って座れば、ピタリと当たる。吉兆、舞い込むお手伝い。

 手相……手相はいらんかぇ~……。



 妙な節回しでもって、ひとりの老婆が唄っていた。

 いまどき珍しい辻占いの客引きである。

 どこか郷愁を誘うような不思議な声音こわねだったが、男はそのまま通り過ぎようとした。


「ちょいとそこのお兄さん」


 急に呼び止められ、男はドキリとした。

 挙動不審にならないよう、努めて冷静にあたりを振り返るが、路地には他に歩行者などはいなかった。どうやら「お兄さん」というのは彼のことで間違いなさそうだ。


 分かりきっていながらも、男は「おれ?」とでも言いたげに、自分の鼻先を人差し指でチョンと触れた。

 老婆は枯れた笑顔を見せながら、ウンウンと静かに首肯する——。


 男の名は冬木という。

 二十代半ば。

 年齢の割りにくたびれた見た目をしているが、名の知れた優良企業に勤務している。ほんのりと赤ら顔なのは、仕事帰りに赤ちょうちんで一杯引っ掛けてきたから。

 我ながら似合わないことをした、と。

 だからこそ普段なら絶対に通ることのない裏路地に入り込んで、胡散臭い辻占いの婆さんに声まで掛けられた。


 冬木が酒臭いため息をついて胡乱な態度をしていると、老婆はもう一度口を開いた。


「きょうは朝から閑古鳥が鳴いていてね。もう店じまいしようかと思ってたんだが——どうだろうね、お兄さん。見料まけたげるから、ちょっと寄ってかないかい」


 金刺繍で縁取りされた紫色の豪華な座布団。

 その上に鎮座した水晶が、切れ掛かった街灯の光を受けてチカチカと明滅している。


 老婆は真っ白なテーブルクロスの敷かれた小さい円卓に両肘を預け、鼻先で組まれた手の向こう側から冬木を覗いている。


 酔いのせいなのか、はたまた安っぽい催眠術にでも掛けられたのか。

 彼はフラフラとした足取りで老婆へと近づき、まるで吸い込まれたかのようにストンとテーブル前の椅子へと腰掛けた。


「いらっしゃい。早速、拝見しようかね。まずは両手を出して……」


 果たしてこれは自分の意思なのか。

 冬木は老婆に促されるまま、脂汗の滲んだ両手を差し出す。心霊やオカルトのたぐいはこれまでの人生で極力避けてきたが、この老婆には何やら得たいの知れないちからを感じてしまう。

 寒空にひゅるっと冷たい風が舞い込み、おでこに張り付いていた前髪を揺らす。

 アルコールで火照った身体には気持ちが良いが、酔いは一気に覚めるようだ。


「やけ酒かい?」


「え?」


 手相を見始めて数秒と経たなぬうちに老婆は冬木の「いま」を的中させる。

 たしかに我ながら良い酒の飲み方ではなかったと思うが、ベテランの占い師となるとそんなことまで分かってしまうのかと正直に驚くが——。


「眉間にシワ寄せて千鳥足であるってたんじゃ誰にでも分かるさ。商売柄、そんな顔して目の前通られちゃ声のひとつも掛けたくなるもんさね」


 そう言って老婆は虫眼鏡を取り出すと、今度は左右片方ずつ丁寧に冬木の手相を鑑定する。

 沁みる言葉だった。


「ふむ……生真面目で慎重、けして要領がいいとは言えないね。ずいぶんと苦労なさったみたいだね」


「わ、分かりますか」


「全部、手相に出てる。食うに困ることはないが、仕事運はかなり先まで横ばいだね。もしかするといまの職場の環境が、あなたには向いてないかもしれないよ」


 冬木の眉間のシワがさらに深みを増した。

 思い当たる節はいくらでもある。

 今度こそ本当に言い当てられ、溢れそうになる感情を目元にグッとちからを込めて堪えた。不審に思っていた老婆のことも、この頃にはもう大きく信頼へと傾いている。


「……自分、本当に要領が悪くて」


「ほう」


「同期入社したヤツがいるんですけど、今度そいつが昇進しまして……べつに妬んでるわけじゃないだけど、自分はまだ雑用みたいなことも上司に押し付けられたりしてて……」


「その同期と比べられるのはしんどいかね」


「いいヤツなんですけど、正直……ね。本人に悪気はないんだろうけど、ナチュラルにひとを見下してくるっていうか、まあこれも自分の被害妄想みたいなもんなんですけど……」


「なるほどね。そんなことより、あなた。このままだと、近いうちに身体壊すよ?」


「へ?」


 老婆は冬木の手相から視線を外し、まっすぐに彼の顔を見た。

 暗がりではっきりとは分からないが、見開かれたまぶたから黄ばんだ白目がのぞく。


「健康診断は受けてるかい。目元もひどいクマだ。寝不足だね。爪も反り気味だ。鉄分が足りてない証拠さ。所帯は持ってないね。自炊は出来てんのかい?」


 まるで田舎の婆ちゃんのようだ。

 さっき会ったばかりの、それも数分まえまで存在が怪しいとまで思っていた老婆にここまで気を使ってもらえるとは。

 社会に出て家族以外の人間から優しくされたことなど、数えるほどしかない冬木は、さっき堪えたはずの涙を鼻をすすって誤魔化した。


 そんな冬木の姿に何を思ったのか、老婆は再び彼の両手を取って、こう言った。


 あんた、手相を買わないか——と。



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