工口(こうぐち)さんはエロくない

カネコ撫子@推し愛発売中

第1話


 崇嶋好哉たかしま・こうや、16歳、高校1年生。帰宅部歴5年の友達は少ない男。クラスのカーストで言えば2軍と3軍を行き来する程度の存在でしかない。悪目立ちしないように、当たり障りのない日常を送っている。はたから見ればでしかないだろう。

 そんな僕には幼馴染みがいる。しかも女子だ。

 え? 陰キャに幼馴染み? 思い込みもはなはだしいだろ――なんて声が聞こえてきそうだが、事実だから仕方がない。ただまあ、なんというか。僕の幼馴染みってぐらいだから、その、類は友を呼ぶではないけれど――。


「じゃあ、この問題を、解いてみてくれ」


 教師の指名で教室内に緊張が走る。でも、自分じゃないと分かった瞬間に一気に全員の気が緩む。その証拠に、黒板の前に移動するを見ながら数人の男子がクスクス笑っている。それを見て、ひどく遣る瀬ない感情になる。

 彼女こそ、僕の幼馴染み――工口真冬こうぐちまふゆである。長く伸びた黒髪で、顔まで隠れているように見える。普段から物静かで、自分から発言することもない。というより、人との関係性を持ちたがらない。

 その理由は至って単純なもので、彼女のその、あまりにも特徴的すぎる苗字にある。工事の「工」に口紅の「口」と書いてコウグチ。

 ――いやエロやん! エロ女! 中学1年生の時、イケイケの男子生徒が彼女の名前をイジったっけ。その光景が鮮明によみがえった。それ以来、彼女は「エロさん」「エロ女王」なんてイジられるようになった。僕はそれを、ずっと見てきただけ。


「エロさんって前見えてるのかな」

「知らないよ。聞いてみれば?」


 僕の後ろの席から声が聞こえる。エロさん、というのは彼女の通称である。中学生になってから一気に浸透していった。逆に小学校までは一部の男子が言うだけで、下の名前で呼び合うことが多かった記憶がある。

 で、その疑問についてだが、幼馴染み的に言わせてもらおう。――多分見えている。それ以上でもそれ以下でもない。


「というか、別にエロくはないよな」

「わかる。地味すぎるし」


 そう。周りはイジっておきながらという結論に達する。もっと言い換えれば、エロスや色気を感じない、と言うべきだろうか。いずれにしても、彼女にとってはただただ迷惑なだけなのだ。

 その上で、幼馴染み的に言わせてもらおう。――コイツらは何も分かっていない! エロスの本質を全く理解していない! お胸やお尻が大きいだけがだとするのなら、そんな幼稚な世界に生まれなくて良かったと安堵するぐらいだ。

 僕は陰キャである。その事実は変わらない。だけど、人間誰しもエロスというものを持っている。3大欲求に数えられるぐらいだ。おそらくだけど、僕は人並みかそれ以上にエロスに興味があったりする。周りには見せていない。ムッツリと言われようが構わない。心の中をさらけ出すほど、僕は明るい人間ではないから。


 さて、ここでもう一度、工口真冬を見てみよう。

 腰の辺りまで伸びた黒髪、白チョークを持つ細い指、女の子特有の凹凸があるのかよく分からない体――。たまらなくね? めちゃくちゃ僕の心を刺激するんですけど。脱がせたいとかではない。ただ――まあ止めておこう。


「そう、正解だ。さすが工口だな」


 先生の言葉を聞いて、黒板を向いていた彼女は振り返る。

 彼女は小学校の頃から頭が良かった。絶対にもっと上の高校に行けたのに、なぜか同じ進学先になっていて驚いた。それもつい昨日のことのようだが、季節は冬休み目前になっている。

 真冬は俯いているのかよく分からない角度で自身の机に戻っている。その奥に広がる空はねずみ色で、雪がパラパラと舞っている。


『――真冬と同じ季節だね!』


 刹那、頭を駆け抜ける幼い声。いつの日か、彼女と一緒に雪景色を見たっけ。そんな純粋さはどこに行ったのか。すっかり僕は性知識を身に付けてしまったよ。響いたこの声が、いつの記憶かも分からなくなっていた。

 そうやってどこか黄昏れる僕を、彼女はチラリと見ている気がした。



 ホームルームが終わり、クラスメイトは各々のに散っていく。帰宅部の僕は、決まって下駄箱だ。冬休み目前で学校全体が浮き足立っている感じがして、僕は早く家に帰りたかった。


「ねえ」

「はいっ?――ってか」


 脱いだ上履きを下駄箱に入れようとしたタイミングで、誰かが僕に声を掛けてきた。今日は誰とも話していないせいか、少し声が上ずった。声の主は表情を見せず、抑揚のない声で反応した。


「時間、ある?」

「帰りたいんだけど」

「帰りながらでも、良いから」


 正直、かなり迷った自分がいた。そもそも、こうやって真冬が話しかけてくることなんて滅多にない。幼馴染みとは言え、僕も中学時代から少し距離を置くようになっていた。

 いろいろと思うところはある。彼女をかばいたいという感情もなくはないが、それが出来ない自分もいる。必然的に僕から離れていった。


「うん、分かった」

「ありがとう」


 彼女はそう言って、靴を履き替え始める。一切短く折られていないスカートが一周回ってセクシーに見えるのはなんでだろうか。

 一緒に帰るぐらいなら僕にでも出来る。その光景を見られると、イジリの視線が来るかもしれないが、別にこんな僕のことを話題に上がるヤツはいないだろう。

 とは思いつつ、彼女を残して正門まで一人歩く。そこで合流すれば良いだけの話だ。


「ごめん」


 それからすぐ、彼女は開口一番そんなことを言ってきた。


「え、なんで?」

「気を遣わせて」

「あ、いやそんなんじゃ……」


 僕は思わず何も言えなかった。一緒に居るのが恥ずかしい、と彼女は察したのだろう。僕としてはそんなつもりは無いと思いながらも、実際のところは周りの目を気にしているだけの陰キャでしかない。素直に申し訳なくなった。


 家までは歩いて15分程度の距離だった。お互いに。だから『一緒に帰ろう』と提案してきたんだと思う。


「今日、目が合った」


 何を話そうか、なんて僕なりに考えていたけれど、想像しなかった言葉が彼女の口から出てきた。驚いて、素直に「えっ?」と聞き返してしまう。


「数学の時。こっち見てた」

「あ、あぁー。あれね……」


 表情も見えないし、言葉の抑揚が小さすぎて、少し怖い。窓の外の雪を見ていたとは言いづらくて、彼女の話に乗ることにした。


「珍しいね。工口が話しかけてくるって」


 僕らの周りに誰も居ないせいで、自分の言葉がよく響く。聞こえていないわけがないのに、真冬は何も言わずにただ歩いている。それがあまりにも気まずくて、慌てて続ける言葉を探してしまう。


「ってか最近どう? 学校には慣れた?」

「普通だよ」


 思い返せば、清祥せいしょう高校に入学してから、こうして話したことあったっけ。僕は入学式で彼女と一緒の学校だってことを知ったぐらいだし、実際のところ幼馴染みという立場もすっかり怪しくなっているのが現状だ。

 普通だよ、なんて言う彼女の声には相変わらず抑揚がない。彼女にとっての普通というのは、どんな日常なのだろう。分かった気になっている自分が妙に嫌だった。


「今日、誕生日」

「え?」

「12月21日」

「あ、そうだ!」


 唐突さに驚きつつも、それを超えるインパクトがあった。

 確かにそうだ。今日は工口真冬の誕生日。彼女には申し訳ないが、すっかり忘れていた。


「おめでとう。16歳かあ」

「崇嶋と同じだよ」

「そりゃそうだけどさ」


 生産性なんて全く無い会話だ。それもそうだ。僕は別に人とのコミュニケーションが得意なわけでもないし、真冬だって昔みたいな明るさはない。会話がかみ合っていないことぐらい、簡単に想像出来た。

 僕の隣を歩いていた彼女は、いつの間にか立ち止まっていた。僕は少し歩いたところで隣に居ないことに気づいた。


「崇嶋」

「なに?」


 そういえば、いつから苗字で呼ぶようになったっけ。

 黒髪に覆われた彼女を見ながら、ふと疑問が浮かぶ。


「私、結婚したい」


 その答えが出る前に――幼馴染みとして止まった針が、動き出した気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

工口(こうぐち)さんはエロくない カネコ撫子@推し愛発売中 @paripinojyoshiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画