第2話 この世に馴れて、髪を結う

その手鏡に映る自分はぼんやりしていた。ハッキリと自分の目鼻立ちが確認できるほどの鮮明さには欠けた鏡だったからだ。


そんな、ぼんやりとした姿でも分かった。


この体は私じゃない!泉紗世じゃない!!


でもぼんやりとしか見えない鏡だが、見た感じは年齢は11~13歳くらいといったところか。


そう思った瞬間に頭に弾けるように情報が浮かんだ。



───和泉守・藤原兼成(ふじわらのかねなり)の娘で名前は紗世(さよ)年齢は12歳───



(和泉守の娘で名前、同じなんだ…。泉紗世(いずみさよ)が和泉守の娘・紗世になったってことか。)



「若の御方?どうされました?」



「え?ああ!なんでもない!」



真砂に聞こうと思ったが、疑問が浮かぶと同時に答えとなる情報が頭に浮かんだのだ。



(質問攻めするのも変に思われるし、とりあえず周囲と話が噛み合わないってことも無さそうだし、まあいっか。)



そうノリに任せて、自己完結している傍で真砂は紗世の身支度をテキパキと整えていった。



身支度を他人に整えられることに体は慣れていたため、身支度を整えられながら紗世は考えていた。




(ええっと…状況を整理しないと。


さっき目を覚ます前は泉紗世、21歳の女子大生で大学図書館に居たでしょ。


で、図書館に居たら地震が起きて本と本棚に押し潰されて……息苦しくて、息ができなくなって、それで……



私、死んだのか……。



まあ、私が死んでもDV親父はサンドバッグが居なくなって余計鬱憤溜まるだけだし、母親はアル中で寝てるか飲んでるか吐いてるかで話になんないし、問題は無いけどね。)



紗世の明るくノリのいい性格は、自分の家庭環境を周りに知られたくなかったからだった。紗世なりの処世術だった。



親には高校卒業して働けと言われたが、周りにそんな親である事を悟られたくなかった。



紗世は塾も行かせてもらえず、参考書も買って貰えなかった。頭は良い方では無かったが、それでも必死に奨学金制度を調べ、自力で行ける大学へと進学した。



大学生活もそれなりに楽しかったが、未練のある人生では無かった。


(泉紗世の人生ってなんだったんだろ…死因は本と本棚による圧死だし。


ま、いっか。


で、目を覚ましたら多分だけど状況からして平安時代ってとこかな。


12歳までは前世の記憶無しで生活してたけど、さっき目を覚ましたのと同時に前世の記憶が蘇ったってのが自然かな。



うーん、平安時代かあー、令和の時代を知っちゃってるとなー、文明の利器がねー、男女平等の文化がねー。


前世、思い出した所で良いこと、特に無くない??)


紗世はこれといった特技や知識を持っているわけでは無かった。


例え知識を持っていたとしても、平安時代と令和では1000年もの隔たりがある。知識を活かせるほどの文明も文化も発達していないのだ。


(まあ、でもお貴族様の家系に生まれ変わったのはラッキーだよね!お貴族ライフを楽しんじゃいましょう!)


どうせ元の世界には帰れない。ならば――この平安時代、貴族の娘として与えられた環境を、使い倒してやろうではないか。


そう心に決めてからは、少しだけ気持ちが軽かった。


真砂に手伝われながら身支度を整える。顔を拭い、髪を梳かれ、椿油を少量含ませる。


鏡に映る自分は、相変わらず現代の自分とは似ても似つかないが、もう驚かない。


(毎朝これ。ドライヤーもシャンプーも無い世界、想像以上にハードだな……。)



朝餉は簡素だった。


強飯に汁物、干した魚と少量の菜。


(朝から焼き魚……いや、でも貴族の朝食だもんね。優雅、優雅。)




食後、尼の説法を聞く時間になる。


仏の教え、無常、執着の愚かさ――話はありがたい、はずなのだが。


(うん、眠い。これは完全に朝の説法トラップ……。)


姿勢を正し、目を伏せ、いかにも聞き入っている風を装いながら、心の中で必死に眠気と戦った。


午前の勤めが終わると、今度は香袋作り。


小さな布、香の粉、細い糸。


(これこれ、こういうの! 平安貴族っぽい!)


少しテンションが上がる。


縫い目を整えながら、ふと隣を見ると、紗世を手伝っている真砂がいた。


前かがみになるたび、長い黒髪が両脇にぼとりと落ち、香の粉に触れそうになっている。


(……あれ、めちゃくちゃ邪魔そう。)


平安の女性は皆、髪が長い。


けれど現代人の感覚で見ると、それは決して「サラサラの美髪」ではない。


頻繁に洗う習慣はなく、油を含んだ髪は重みがあり、束になって落ちる。


サイドに流れるその髪も、さらり、ではなく


――ぼとっ


という感じだ。


(うん。これはこれで時代的に正解。でも作業中は大変だな。)


ふと思う。


(サラサラにはできないけど……まとめるくらいなら、できるんじゃない?)


紗世は真砂に声をかけ、断りを入れると、両脇の髪をそっとすくい取った。


指で分け、細く編み、1束取り編み込んで、更にもう1束編み込んで――後ろでひとつにまとめる。


最後に、香袋を作った余り布を細く折り、結び紐の上から飾り結びにして留めた。


(よっし!編み込みハーフアップヘアスタイル完成っと。……あ、これ完全に“リボン”っぽいけど……リボンって概念ないよね。飾り紐?……紐ではないか。飾り布??)


出来上がった姿を見て、真砂は目を見開いた。


 「まあ……!」


周囲で作業していた侍女や使用人たちも、次々と声を上げる。


「素敵ですわ。」


「髪が邪魔にならぬのに、かわいらしい。」


「こんな結い方、見たことがありません!」


紗世は内心で小さくガッツポーズをした。


(やった。平安でも通用した!)


どうやら――


この貴族ライフ、ただ享受するだけじゃなく、自分なりに楽しめそうだ。



────しかし、紗世はまだ気付いて無かった。この世界がただの「平安時代」ではないことに。


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