週末デスゲーム出勤 ~42歳社畜、娘の治療費のために地獄と日常を往復する~

RIU

第1章:満員電車の憂鬱と、1通の招待状

金曜日の午後8時。東京の地下鉄は、腐った魚を缶詰に押し込んだような臭いがした。  湿ったスーツの臭い。整髪料と汗が混じり合った不快な芳香。そして、誰かの吐き出したアルコールの残り香。  葛城宗介(かつらぎ・そうすけ)は、吊り革を両手で強く握りしめ、前後左右から加わる圧力に耐えていた。肋骨がきしむ音が、電車の走行音に紛れて聞こえる気がする。


「……クソが」


 誰かの小さな悪態が耳に入ったが、誰も反応しない。宗介もまた、無表情を貫く。  42歳。中堅食品メーカーの営業係長。  聞こえはいいが、実態はクレーム処理と部下の尻拭い専門のゴミ箱だ。今日も、新卒の社員が発注ミスをした件で、取引先のスーパーに土下座をしてきた帰りだった。額にはまだ、冷たい床の感触が残っている。


 ポケットの中でスマートフォンが振動した。  片手を吊り革から離し、無理やり身体を捻って端末を取り出す。画面の明かりが、疲れ切った宗介の顔を青白く照らし出した。  病院からの通知だ。


『未納分のご請求について:心臓血管外科』


 胃の腑が鉛のように重くなる。  一人娘の美咲(みさき)。16歳。先天性の重篤な心臓疾患。  国内でのドナー待ちは絶望的で、海外での移植手術には億単位の金がかかる。保険も貯金も、とっくに食いつぶした。妻の葬式代すら、借金で賄った記憶がある。


「……金が、要るな」


 思わず声が漏れた。  隣にいたOL風の女性が、汚いものを見るような目で宗介を一瞥し、露骨に顔を背ける。  ああ、そうだろうよ。今の俺は、さぞかし惨めな中年男に見えるだろう。  宗介は自嘲気味に笑い、通知を消そうとして――指が止まった。


 メールボックスに見慣れない件名のメールが届いている。  迷惑メールフィルタをすり抜けたそれは、黒い背景にただ一行、白い文字で記されていた。


『あなたの命の価値、査定します(高額報酬・即日払い・履歴書不要)』


 普段なら鼻で笑って削除する類のものだ。闇バイトか、臓器売買の詐欺か。  だが、その下の文言が、宗介の視線を釘付けにした。


『参加報酬:最低保証500万円。ただし、死亡時の補償なし』


 500万。  今の宗介の年収とほぼ同額だ。それが、たった一度の「参加」で手に入る?  馬鹿げている。ありえない。  しかし、宗介の親指は、理性よりも早くそのリンクをタップしていた。死にたいわけじゃない。だが、このまま生きていても、緩やかに死んでいくだけだという確信があったからだ。美咲を見殺しにして生きる毎日に、どれほどの価値があるというのか。


 画面が暗転し、奇妙なQRコードが表示される。  『今週末、下記会場へ。服装自由。身分証不要。辞退は現地にて受付』  場所は、湾岸エリアにある閉鎖されたはずの巨大倉庫街だった。


 土曜日の深夜0時。  指定された倉庫の前には、異様な光景が広がっていた。  錆びついたシャッターの前に、およそ200人ほどの人間が集まっている。  年齢も性別もバラバラだ。派手なジャージを着た金髪の若者、疲れ切った作業着の男、ホスト風の男、そして意外なほど多いのが、生活に疲れたような顔をした女性たちだった。借金苦か、それとも別の事情か。  全員に共通しているのは、その目に宿る「飢え」だ。


「おい、おっさん。どこ見てんだよ」


 不意に肩を突き飛ばされた。  よろめいた宗介の前に立っていたのは、堂島(どうじま)と呼ばれていた巨漢の男だ。首元から和彫りの刺青が覗いている。 「あ、すみません……」  宗介は反射的に頭を下げた。長年のサラリーマン生活で染み付いた、無条件降伏のポーズ。 「チッ。シケた面しやがって。テメェみたいなのが一番最初に死ぬんだよ」  堂島は唾を吐き捨てて去っていった。


 悔しさはない。ただ、冷静な観察眼だけが作動していた。 (あの男、重心が低い。喧嘩慣れしている。関わらないのが吉だ)  その時、重低音とともに巨大なシャッターが軋みながら上がり始めた。


『ようこそ、選ばれしプレイヤーの皆様』


 無機質な合成音声が、冷たい夜風に乗って響き渡る。  倉庫の中は、目が痛くなるほど明るいLEDライトで照らされていた。広大なコンクリートの床には、白いラインで複雑な区画が引かれている。


『これより、第1ステージを開始します。エントリー料は“皆様の命”。リターンは“富”。シンプルな取引です』


 ざわめきが広がる。帰ろうとする者はいなかった。ここに来た時点で、誰もが後戻りできない事情を抱えているのだ。


『最初のゲームは――』


 天井から巨大なモニターが降りてくる。  そこに映し出された文字を見て、宗介は息を呑んだ。


【Game 01:満員電車(クラッシュ・トレイン)】


『ルールは簡単です。定員オーバーの車両をご用意しました。発車時刻までに“乗車率100%”になるよう、余分な荷物(ニンゲン)を降ろしてください。なお、発車時にドアの外にいたものは、物理的に処分されます』


 ゴゴゴゴ……と床が振動し、倉庫の奥から本物の地下鉄車両が3両、レールに乗って現れた。  ただし、その窓には鉄格子が嵌められ、車両の前後には巨大なプレス機のような鉄塊が設置されている。


「ふざけるな! なんだこれは!」  誰かが叫んだ瞬間、銃声が響いた。  叫んだ男の頭が弾け飛び、鮮血がコンクリートに花を咲かせる。  悲鳴。絶叫。パニック。    宗介は動かなかった。いや、動けなかったのではない。  血の匂いを嗅いだ瞬間、彼の脳内でスイッチが切り替わったのだ。  満員電車。  毎日、毎日、死ぬような思いで耐えてきたあの地獄。   (……ああ、なんだ)


 宗介は眼鏡の位置を直し、血走った目で車両を見据えた。   (いつも通り(・・・・)じゃないか)


 生き残るための通勤ラッシュが、今、始まろうとしていた。

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