社畜の日常を、無駄に壮大なハードSF用語で描写してみた

あとりえむ

事象の地平面における突発的質量衝突 ~17時15分のタスク投下について~ 「明日やります」は、逃げではない。未来への時空間転送《タイムシフト》だ。

午後5時。


中央演算装置の稼働率が低下し、システム全体がアイドリング・モードへと移行を始める。


過去数日間の連続稼働により、機体ボディの各駆動部には無視できない金属疲労が蓄積している。


脊椎を支える背筋という名の油圧シリンダーは、限界に近い軋みを上げていた。


現在の残りエネルギー残量は、わずか5%。


これは、安全地帯セーフエリアまでの帰還航行に必要最低限の燃料であり、追加のミッションを遂行する余力は、物理的に存在しない。


17時15分。


モニターの右下にあるデジタル時計の表示が、業務終了時刻という「脱出ゲートイグジット」の開放まで、残り45分であることを告げている。


その時だった。


後方6時の方向、死角ブラインド・スポットから、質量を持った「影」が音もなく接近してきたのは。


接近警報アラートが鳴るよりも早く、空気の振動が鼓膜を叩く。


「あ、ちょっと今いいかな?」


その音声信号を受信した瞬間、操縦席コックピット内の重力が3倍に膨れ上がった。


心拍数モニターが急上昇し、血中のコルチゾール濃度が跳ね上がる。


高質量物体上司が、手に持った書類という名の「未確認小惑星」を、こちらの軌道上に投下しようとしているのだ。


網膜に映し出されたその小惑星の規模を、瞬時に走査スキャンする。


……推定作業時間、90分。


現在時刻にその数値を加算すると、終了予想時刻は19時を回る。


それは、定時退社という正規の世界線タイムラインから逸脱し、残業亜空間迷走という名の暗黒領域へ突入することを意味していた。


脳内シミュレーターが、コンマ1秒で二つの未来を予測する。



ルートA:迎撃。

その場で小惑星を破壊(処理)する。だが、エネルギー枯渇により機体がオーバーヒートし、精神構造に回復不能なダメージを負う確率は99%。


ルートB:回避。

小惑星の軌道をずらし、衝突を避ける。



生存本能が、即座にルートBを選択した。


口角の筋肉を電気信号で強制的に引き上げ、「営業用スマイル光学迷彩」を展開する。


「拝見します」


一度、小惑星を受け止めるふりをして、その運動エネルギーを利用する。合気道のような重力制御だ。


そして、間髪入れずに次のコマンドを入力する。


「内容、承知しました。少々立て込んでおりまして、『明日の朝イチ』で着手してもよろしいでしょうか?」


その音声コマンドは、魔法のような効果を発揮した。


目の前の小惑星が、ふっと消失する。


いや、消えたのではない。


「明日」という未来の座標へ向けて、時空間転送タイムシフトされたのだ。


高質量物体は「あ、急ぎじゃないから大丈夫」という承認信号を発し、ゆっくりと離脱していった。


危機は去った。


17時20分。


膨大な負債を「未来の自分」へと押し付けた罪悪感が、一瞬だけ胸をよぎる。


だが、それは明日の自分が処理すべきバグだ。今日の自分には関係のない事象である。


PCの電源を落とす。


冷却ファンが回転を止め、静寂が訪れる。


私は椅子から立ち上がり、重力圏からの離脱プロセス帰宅を開始した。


脱出ゲートの向こうには、冷たく澄んだ大気が待っている。


これから摂取する冷却水ビールの温度を想像しながら、私は加速した。


──────────────────────

あとがき:


【通信終了】


本日のミッションは以上である。


もし貴公も、今日のタスクを未来へと転送し、無事に生存しているのなら、その証として「★(評価)」という名の誘導信号ビーコンを点灯させてほしい。


その光だけが、暗黒の宇宙平日を漂う我々の、互いの位置を知らせる道しるべとなる。


通信アウト。

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