咲き替わる花

綴葉紀 琉奈

第1話 戦場

カッコウという鳥を知っているだろうか。

カッコウは、自分の雛を他の鳥の雛と取り替えて育てさせるらしい。


息子は、よく動き回る子だった。


動く、というより――暴れる。

朝起きた瞬間から走り、靴下を片方だけ履いてリビングを横切り、ソファに飛び込み、テレビの前で跳ねる。

ベットに横になっている旦那や私の隣でぴょんぴょん跳ねながら大声で歌を歌ったりもする。

「やめて」と言えば笑って、もう一度やる。

叱る声に反応しているというより、音を面白がっているみたいだった。


それでも、私は息子が大好きだった。

好き、なのに、毎日消耗する。


朝ごはんは三口で立ち上がり、椅子を引きずって遊び始める。

ひどい時はご飯を掴んでは投げる。

保育園に行く前の着替えも戦争だ。

ズボンを履かせようとすれば、足を絡めて逃げる。

靴下は畳んだままぽーんと遠くへ投げる。

靴を履かせようとしては嫌だと言って履こうとしない。


「もう、ほんとに……」


怒る声が出て、すぐに自己嫌悪が来る。

息子の表情は明るい。笑っている。楽しんでいるだけだ。

こんなに元気なのに、どうして私は、いつも疲れているのだろう。

この子と一緒に笑ってあげられないのだろう。


夜、寝かしつけの時間になると、私は毎日同じことを考える。

今日も怒った。今日も叱る声が大きかった。明日は優しくしよう。

でも、明日になれば同じことが起きる。


その日も、寝室に息子を運びながら、私は彼の体温を腕に感じていた。

小さな身体。軽いのに、確かな重み。

眠気でとろんとした目が、私を見ている。


「ママ、あした」


息子は言った。何かを続けようとして、あくびに飲まれて言葉が消えた。


「明日、なに?」


息子はもう答えない。

指先が私の服を掴んで、離した。


その手の力が、私の胸を締めつけた。

こんなに頼られているのに。こんなに愛しいのに。

私は、毎日「落ち着いて」と願ってしまう。


寝息が安定したのを確認して、私はリビングに戻った。

散らかる床。投げられたおもちゃ。倒れたクッション。

息子の残した今日が、部屋の隅々にある。


片付けながら、ふいに涙が出そうになった。

理由は分からない。疲れだ。寝不足だ。きっと。


「少しだけでいいから……」


独り言が口からこぼれた。


「少しだけ。ほんの少しでいいから、いい子になってくれたら」


言ってしまった、と自分で思った。

願ってはいけないことを願ったみたいに、喉の奥がひゅっと縮んだ。


でも、次の瞬間、私はその言葉を肯定してしまった。

だって、私は母親だ。

母親なら、叱ってばかりいたくない。

大好きなあの子と一緒に笑っていたい。

私だって、好きで怒っているわけじゃ、ない。


隣の寝室からは息子の寝息が聞こえる。

窓の外で、風が鳴った。


いつもと同じ夜。

いつもと同じ、はずだった。

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