三匹目のドジョウ または田之上みやびがいかにして心配するのをやめてグイタル族の滅亡を受け入れたか
入間しゅか
三匹目のドジョウ
ぐいたる?
確かに彼はそう言った。guitarのことだと気づくまで約二十秒。その約二十秒間で私は脳内にグイタル族という中国北部に暮らす遊牧民族を誕生させた。彼らは山羊と寝食をともにしているため山羊に関する語彙が豊富である。山羊をオスメス、成獣、子供だけにとどまらず耳の形、毛の色、成長段階で呼び方を変える。それだけ山羊を詳細に分ける必要があったのだ。
しかし、ぐいたるがguitarと判明したためにグイタル族は滅びた。
「なんだ、ギターのことか」
「これでギターって読むんや。知らんかった。自分英語できんねや、すごいな」
「ギターくらい誰でも読めるわボケ。あんた英語力ヤバすぎるやろ」と思わず私はキツイ言い方になってしまった。彼のせいで滅びたグイタル族が不憫でならなかったからだ。
私たちは楽器屋でギターを眺めていたが、ギターに用がある訳ではない。ギターに用があるやつはぐいたるなんて言わない。
私も山本さんも明らかに手持ちのカードを切り尽くしていた。しかし、この蒸し暑いなかを歩きたくなかった。
昼は山本さん、おすすめのイタリアンを食べた。三宮のとあるビルの三階にある雰囲気のいい店だった。もちろん、支払いは山本さんだ。ランチのあとは、センター街の本屋に行き、私は気になっていた詩集を買った。普段、漫画しか読まないらしい山本さんはずっと退屈そうにしていたので、じっくり眺めるのはまたの機会にすることにした。そして、やる事がなくなり、適当に歩いてたどり着いた楽器屋に入ったわけだ。
そもそも、ランチに誘っておいてその後の計画はなしって言うのはいかがなものかと私は山本さんの無計画に内心ウンザリしていた。
「カフェでもいかへん?」と私はその場しのぎの提案をした。
「ええよ」と山本さんはすぐにスマートフォンでカフェを探し出した。JR方面にチェーン店があるという。
「ほなそこで」
二人は無言でカフェまで歩いた。
山本さんは会社の同僚だ。私と年齢はほとんど変わらないが、私より五年先輩の営業マンである。コテコテの大阪弁で喋り散らかし、常に談笑の中心にいる陽気が服を着て歩いているような人。ダンボール工場の営業マンとして、豊富な知識と経験を持つ、我が社のエースだ。
一方、私、田之上みやびは山本さんと違って地味でさえない事務員である。仕事が出来ない。教えられたことをすぐに忘れてしまう。重要な見落としをする。頼まれたことをミスなくこなせる方が珍しいポンコツ社員。きっと他の職員から嫌われている。気がする。楽しい談笑の場に私は入れない。いつも遠巻きで見ている。昼食はもっぱら一人。さっさと食べて残り時間を読書に費やす。読書が唯一の友達だ。
と、いうのが職場での私の顔で、本当の顔は別にある。職場以外の私はだいたい阪急三宮駅前でナンパ待ちをしている。何を隠そう、私は女装男子なのだ。
みやびという女の子みたいな名前だが、列記とした本名である。その名前のせいなのか小さい頃から女の子みたいとからかわれることが多かった。私は本当に女の子だったらどれだけ幸せだったろうとその度に思ったものだ。物心がついた頃から「性別」というものがあることに違和感を覚えていた。男らしさって何?って感じで。しかし、違和感があるというだけでそういうものとして受け入れてはいた。
そんな思いを抱えながらも何不自由なく、男の子として生きていたのだが、高校二年生の時、私は目覚めることになる。
私の通っていた高校は学祭でいつも学年ごとに演劇をやることになっていた。一学年一クラスの少人数制の高校だった。ものを書く事が好きだった私は脚本を担当した。脚本書くなら演出もやってほしいと周りに頼まれ、それを引き受けた。
私の学年には女の子が二人しかいなかった。あとは男子。しかも、男汁満載の頭よりも筋肉で生きてきたような男子たちだ。そんな男子たちに負けないようにヒョロガリの私は熱血指導をした。ふざけている奴がいると、怒鳴り散らして、最悪の場合物に当たった。
そして、それがいけなかった。ヒロイン役の女の子が怖いから辞めたいと言い出したのだ。私は他の生徒たちから糾弾された。やる気をなくした一部の生徒は練習をサボるようになった。このままではクラスがバラバラになってしまう。そこで私は責任をとってヒロインを引き受けたのだ。人生で初めての女装だった。
ヒロインを降りた女の子と、人前に出るのが苦手で小道具にまわっていた女の子。クラスの二人の女子によって私はフルメイクを施された。私は女になっていく自分を見て、これが本当の私。本当の顔だと思った。私はとても可愛いかった。こうして私の女装ライフが幕を開けた。
二匹目のドジョウを求めてしまうのが人の性ってやつだ。じゃなきゃ、女装してナンパ待ちなんてしない。つまり一匹目のドジョウがいたわけ。
そのドジョウは友達との待ち合わせをしている時に現れた。阪急三宮の駅前の広場。友達は遅刻していた。三十分は待っていたと思う。そこにいかにも軽薄そうなサラリーマン風のスーツの男が声をかけてきた。梅雨明けが発表された七月の初旬。気温は連日三十度を超えていた。スーツの男は額に玉汗をかいていた。私の顔を覗き込むように見ながら言った。
「お姉さん、待ち合わせ?さっきから三十分もここいにいるけど、すっぽかされたんじゃない?ねえ、暇でしょ。そこらへんでお茶でもしようよ」
私はジロリと男を睨んだ。玉汗をかいてる割に汗くさくもなく清潔感がある爽やかな男だと思った。だが、標準語なのが気に食わないし、友達からはあと五分くらいで着くと思うと連絡が来ていた。こいつに付き合う義理はないのだ。
私は目線を逸らして早足で男から逃げようとした。すると、男は通せんぼして立ちはだかり「いいじゃんか、少しくらいさ」とニヤリと笑った。その笑みは不潔だった。だから言ってやった。
「あんな、私男やねん。ごめんやけど、ナンパするんやったらよそでやれや!」
男は明らかに狼狽えた様子でそそくさと去っていった。そこに丁度よく友達が到着。
「知り合い?いまのひと」
「ううん、ナンパかな」と答えてから初めてナンパされたことに気づいた。
「まあ、みやびちゃんかわいいからしゃーない」と友達は笑って言った。
かわいいからしゃーない。この言葉が私を二匹目のドジョウに探しに突き動かした。というのも、私はそれまで自己基準で私はかわいいと思っていたのだが、ナンパと友達の証言によって他人から見ても可愛いというお墨付きを頂いたのだ。
しかし、そう簡単に二匹目のドジョウは現れなかった。声をかけてきたと思ったら怪しげな壺や美術品を売りつけられそうになったり、よく分からない署名を求められたりだった。
それでも諦めきれず、休日は欠かさず阪急三宮駅前の広場でナンパ待ちをする日々が続いた。そして、一ヶ月が経った。ついに二匹目のドジョウは現れた。山本さんである。
「きみ、かわいいなぁ。連絡先教えてくれへん?暇やったら遊ぼうや」
思わぬタイミングでの山本さんの登場に私はつい職場のモードで「お疲れ様です」と言いかけた。それほど職場と変わらない山本さんだった。この人は裏表がない。と思った。
「なに?ナンパ?」と私は一応、警戒心をアピールしてみた。
「ナンパやで」と山本さんは笑った。白い歯が見えた。工場の男性職員はだいたいがタバコを吸っていた。ヤニで黄ばんだ歯を見せて下品に笑う。だが、山本さんの歯は白かった。そういえば奥さんのために長生きするから酒とタバコはやらないと言っているのを聞いた気がする。愛妻家でもナンパするんやなと私は思わずふっと笑った。それが山本さんには愛想笑いに見えたらしく「ほな、いこか」と大胆にも私の手を引いて歩き始めた。強引やなと思いつつも断る理由もなかったし、山本さんとはいつか話してみたかったからついて行くことにした。
その日はカフェで二時間ほど話した。山本さんは最後まで私が会社の同僚だと気づくことがなかった。私はみやびとしか名乗らなかったし、友達の体験をさも自分のことのように語ったので疑われるはずがなかった。
職場では一言も話したことがなかった先輩と二時間も話した。職場でも女装していこうかと考えたほどだ。
ただ、山本さんが職場にポンコツ社員がいると言って、私のことを笑い話として語り出した時は泣きたいような気持ちで笑った。笑ってしまった。
あなたの目の前にいるのがそのポンコツ社員の真の姿ですよ!と言いたかったが、この場を台無しにはしたくなかった。
そして、今に至る。山本さんとはナンパされて以来の二回目のデートだったのだが、今私たちはカフェの席で向かい合って無言のまま時間だけが流れていた。
「ひまやなぁ」と山本さんがコーヒーを一口啜った。
「せやな」と私もコーヒーを一口。
「ねえ、山本さんって奥さんおらんの?」
「うん?おらんよ?」
「そうなん?いい旦那さんになりそうやのになぁ」
「ほな、結婚するか?」
「アホか、そんな簡単なノリで結婚せんわ」
嘘つきめ。と思ったが、女を装ってる私も大概か。山本さんにも裏の顔があるんやろなと思った。
「難しく考えるからあかんねん。ええか、みやびちゃん教えたるわ」
「何を?えらそうに。ギターも読めんのに」
山本さんはニヤリと笑った。白い歯がキラリと輝いた……ように見えた。そして、指をパチンっと鳴らした、実際は鳴ってなくてパスっと乾いた音がしただけだったのだが、私にはパチンっと響いて聞こえた。
草原。青空があまりにも青くて瞬きをしばらく忘れていた。どこまでも広がる草原。馬の群れが駆けていた。突然、背後で山羊の鳴き声がして、驚いて振り向くと、山本さんが山羊を撫でながら得意顔で立っていた。
「ここは?え、、どういうこと?」
「ここはな、今風に言ったら内モンゴルや」
「は?内モンゴル?さっきまでカフェにおったやん」
「知らんか?内モンゴル」
「内モンゴルは知っとるわ。なんで内モンゴルにおんねんって言うてんの」
「まあ、可能性の空間やからな」
「は?」
「教えたるって。世界はな、数えきれん可能性の中から選ばれた一つの可能性の結果にすぎん。俺とみやびちゃんが出会ったんもその可能性のひとつ。出会わない選択ももちろんあんねん」
「さっきからなんの話しとん?」と言った瞬間、あることに気づいた。女声を出していない。喉仏をあげる意識をしていないし、抑揚を意識して話してもいない。地声だ。しかし、地声なのに女声だ。そして、身体の異変にも気づく。おっぱいがある。そして、ファルスがない!これじゃ本物の女じゃないか!待って、身体まで女になりたいと願っていない。女にしか見えない男でありたいだけだ。
いや、ある。私が幼い頃母がよく話してくれた。産まれる直前まで、女の子だと医者が言っていたという話。それを聞かされる度に、なんで女の子にしてくれなかったの?と思ったことがある。
「ここではあらゆる可能性が暮らしてんねん」山本さんが指さす。そこにはモンゴルの伝統的家屋ゲルがいくつか並んでいた。
「あれは?」
「グイタル族や」
「は?」
「グイタル族や。みやびちゃんが考えて、俺が滅亡させた遊牧民族。なんで俺がグイタル族を知ってるかって?それはみやびちゃんがグイタル族の話を俺にしてくれた可能性があるからや」
確かにグイタル族を思いついた時、それを言おうか迷った気がする。だが、あくまで気がする程度だ。私は次々浮かぶ疑問を一つ一つぶつけていきたいが、何から訊くべきか分からずただただ惚けていた。
山本さんは話し続ける。
「人には表と裏があるってよう言うやんか?あれはほんまはどっちも表のコインちゃうかって思うんよな。絵柄がちゃうけどどっちも表なんや。みやびちゃんに見えへん俺の顔もあるし、みやびちゃんにも俺に見せてない顔があると思うねん。どっちを見れるかはコイントスみたいなもんで、運やねん。せやから、俺と結婚してるみやびちゃんもおるかもしれんで」
「はあ」としか私は言えなかった。
「みやびちゃん、そろそろ受け入れようや」
「なにを?」
「グイタル族の滅亡とみやびちゃんがポンコツ社員なことをや。仕事できんってイジって悪かったな。でもな、事実や。きみは仕事できひん」
晴れ渡る空のもと、心地よい風の吹く草原で、私は仕事ができないポンコツ事務員だった。
鬨の声が聞こえた。中華王朝の軍が来たのだ。グイタル族を滅ぼしに。私は目を閉じた。逃げ惑うグイタル族。ゲルは次々と火をつけられ、辺りは血と焦げ臭い匂いが満ちていた。悲鳴に混じって何か聞こえてくる。徐々に音がはっきりしてきて、それが下手くそなギターの演奏だとわかった。私は目を開けた。ギターをジャンジャンカ鳴らして山本さんがドヤ顔していた。
「どう?」と山本さんは言う。
「下手くそやな。耳腐るわ」と私は笑った。
もう草原じゃなかった。楽器屋で山本さんはぐいたるを買うと言った。弾けるようになったら家に呼んだるわと笑った。私はそんな未来は選ばれないだろうと思った。
それから私は女装をしなくなっていた。ポンコツ社員として、真面目に働いた。相変わらず仕事はできない。
今日も山本さんは談笑の中心にいる。最近、ギターを買ったらしい。その話の途中、私の方を見た気がした。気の所為だと思うが。
グイタル族は滅亡した。その存在を知るものはいない。三匹目のドジョウを探すことは当分ないだろう。
そして、休日。私はまた阪急三宮駅前の広場で待っていた。ナンパ待ちではなく、友達を。友達はまた遅刻していた。女装男子ではなくポンコツ男子として待っていた。
そこへ「あの……」と突然二人組の女性に声をかけられた。逆ナンだった。友達をすっぽかして、ノコノコと女の子たちについて行く道すがら気がついた。三匹目のドジョウはぼく自身だったのだと。でも、もうそれで良かった。
三匹目のドジョウ または田之上みやびがいかにして心配するのをやめてグイタル族の滅亡を受け入れたか 入間しゅか @illmachika
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