1-5-9.四月十六日

「それ聞いて俺も思い出したんだけど、確かにそういうことあったよ」


 一紀かずきくんがそう言うと、お母様の表情が少し曇ったように見えた。余計なことを言うな、と彼に眼で訴えているようでもある。しかし一紀くんはそれに気付いているのかいないのか、構わず話し続けた。


「“お見送り”の話、したじゃないですか。その後の、本当に最期の時って、死んじゃいそうな動物と一番仲が良かった子が二人きりの時間を過ごせるんですよ。最期を見届けた子は、その動物が死んじゃった後にお手紙を書いてあげるっていうのがありました」


 その話を“思い出した”と言って話すということは、一紀くん自身はそれを体験しなかったのだろう。もし体験していれば、一紀くんにとってお姉さんのような、強烈な印象を残していただろうし。


 しかし興味深い話だ。死に瀕した動物と一番仲が良かった子、か。それを逆と捉えるのは、さすがに邪推が過ぎるか。しかしその不気味さをお母様も感じているような反応だったし、あり得ないということはない。

 その選ばれた子というのが、後に殺傷事件を起こすような子に育つのだろうか。だけれどわからない。動物の死に立ち会うことで、何故その後に殺傷事件を起こすようになるのだろう。むしろ命の大切さを学びそうなものなのに。しゅうくんとの話で出た、“黒幕”の存在が影響しているのだろうか。

 “あにまる保育園”の“選ばれた子”に形成されるであろう価値観は、偶然の産物だろうけれど、恐らく一紀くんのそれと同じ。そうなると、一紀くんにも殺傷事件を起こす可能性はある。だけれど今のところそのような兆候は見られないし、実際に何か行動を起こしたわけでもない。となると、決定的に違いが現れたのは、卒園後になるんじゃないだろうか。

 萩くんは“あにまる保育園”そのものに目を付けていて、実際“あにまる保育園”もシロではないんだろうけれど、だけれど実際に一番の、直接的な原因はやはり“黒幕”の存在なんじゃないだろうか。一人か組織なのかはわからないが、卒園後の彼らに“黒幕”が接触して初めて、“犯人”は完成するんじゃなかろうか。


 なら、わたしがすべきことは、一紀くんに“黒幕”が接触していないかどうかを確認することと、しているのならその洗脳を解き、価値観を変えてやること。もしくは、まだ接触していないなら、今後 接触しないように警戒して監視すること。いや、わざと接触させて“黒幕”の尻尾を掴むか。その場合は結局、一紀くんに犯罪をさせないように監視する必要が出てくるな。

 どちらにせよ、一紀くんの存在はわたしたちにとって大きな鍵になる。彼との関係を利用して、次の犠牲者が出る前に情報を引き出せるだけ引き出さなければ。


「面白いことをやっているんだね、“あにまる保育園”。そんな試みをしているのは、日本でもそこだけだと思う」


 わたしが純粋な感想を言っただけなのに、一紀くんは何が可笑しいのかふふっと笑みを溢した。


「面白い、か。志絵莉しえりさんらしいね。今の流れで面白いって言えるの、志絵莉さんくらいじゃない?」


 お母様が不気味に感じていた話題に面白いと返してしまうのは、確かに良くなかったかもしれない。わたしの価値観が変わっていると思われたかもしれない。それを、一紀くんなりにフォローしてくれたつもりなのだろうか。

 ありがたくそのフォローを利用させてもらって、大学のゼミのことを持ち出して取り繕うことにした。


「え、そうかな……? わたしの研究分野的には、すごく面白いテーマではあるんだけど」


「あー……まあ、確かにそっか。研究対象として見たらそうかもしれないですね。なんか、そう言う志絵莉さんの方が面白いけどなぁ、俺は。志絵莉さんのそういうところ、好きですよ」


「えっ?!」


 唐突な物言いに、皆の視線が一斉に彼に向く。少し穏やかではなかった雰囲気が、彼の一言でがらりと変わった。これも気を利かせてくれた……のだろうか。


 マズい……。この流れ、志絵莉さんは俺のどんなところが好きですか? って聞かれる。面倒だから、切り返して話題を逸らさないと。


「ウソだぁ、本当はわたしの太股が目当てで付き合った癖に。あんなに気持ち良さそうに寝てたじゃない。しかも付き合う時に、わざわざ膝枕してもらえるかどうか確認してきたし。ほらほら、どーなの? 本当のところは?」


 なんて言いながら、彼の手を取ってわたしの太股の上に置く。もちろんスカート越しに、だが。すると彼は、そのままわたしの太股をさわさわと撫でる。


「まあ、否定はしません。それが全部というわけではないですが。志絵莉さんの太股が良いのは本当です」


 少し顔を赤らめながら、視線は彼の手が触れるわたしの太股に落とされている。何を見せられているのかと、ご両親も口元が緩むのが抑えられないようだ。


「頭が良くて、可愛くて、カッコよくて、優しくて、太股が心地良いのが、俺の彼女のいいところなので」


 まさか、酔ってる……わけはないか。お酒も飲んでいないし。

 彼の悪い癖だ。今までどうやって人間と関わってきたのかは知らないが、思ったことを素直に話してしまう。良くも悪くも。何か下心や含みがあるわけではないとわたしはわかるが、それをわからない人からしたら、彼の物言いは恐ろしく感じるだろう。


「ありがとう。嬉しい、けど……ご両親の前で言われるのは、ちょっと恥ずかしいかな」


「あ……ごめん」


 彼もようやく自分がいかに恥ずかしいことをしていたのかに気付いたようで、余計に顔を赤らめて俯いてしまった。

 自覚してもらえれば良かったんだ。あんまり気にし過ぎてほしくもない。だからわたしは、大丈夫だよ、と彼の頭を優しく撫でてあげた。


「仲が良いのね、二人とも」


 お母様がそう微笑ましそうに言う。けれどもそこに揶揄いの色などなく、純粋に見守ってくれているようだった。

 するとお父様も時計を見て立ち上がり、わたしに声を掛けてくる。


「さて、そろそろ時間も遅いし、送っていくよ、志絵莉さん」


「あんた、それでお酒飲んでなかったのねぇ。珍しいと思ってたのよ」


 ちらと一紀くんに視線を移すと、少しだけ寂しそうな、名残惜しそうな眼を向けられる。まるで初めて会った日の夜のような。


「なぁに? 一紀くんはもしかして、お父様にも嫉妬しちゃってるの?」


「別に、そういうわけじゃ……」


「大丈夫だよ。何もないって」


 そう言うと、一紀くんはゆっくり顔を上げて、柔らかく微笑んだ。


「今日は来てくれてありがとうございます」


「こちらこそありがとう。というより、わたしが来たいって言ったんだから、一紀くんがお礼言うことないのに」


「俺が言いたかったんです。なんか、色々困らせるようなことを言ったりしちゃったりして、すみません」


 今日一日は色々あった。おかげで彼のことも、“あにまる保育園”のことも色々とわかったし、お母さんのこともヒントを得られた気がする。だからわたしとしては困ったことは何もなかったけれど、彼にわたしを困らせた自覚があるのなら大いに反省してくれればいいと思う。

 実際、今日はとても楽しかった。これまでも友達と過ごす時間というのはあったし、それも楽しいと思えた。だけれど今日は、家族というものに触れた。他人の家族というものに。こうして誰かのお母さんの料理を食べるなんて初めてだったし、お父さんもいない中で、一人でよその家族の中で過ごすなんてことも初めてだった。

 それに何より、同年代の異性と一日の中でこんなに多くの時間を共にしたことも初めてだった。学校で一緒に過ごすのとは違う。わたしがわざわざ時間を割いてまで、一緒の時間を過ごした。今日は目的があったからだけれど、きっと今後もわたしは彼のために時間を割くことを惜しまないだろう。


「自覚があるなら、次から少し考えてくれればいいよ。でも、わたしは別に、嫌じゃなかったけどね」


 それを聞いて、何故か一紀くんはふふっと笑った。


「やっぱり志絵莉さんは、面白い人ですね」


「……どういう意味?」


 聞いても、どういう意味でしょうね、とはぐらかされて、答えてはくれなかった。


 一応 形式的に片付けを手伝うと申し出たが、案の定断られ、代わりに一紀くんが手伝いに駆り出されていた。わたしはお母様に改めてお礼を言って、お父様に促されるまま車に乗り込んだ。

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